■〈農〉からの隔絶状況
〈農〉と出会うための政策として、観光農園や市民農園、農業体験学習、グリーン・ツーリズムがあげられることは多い。実際、都会の人が農村にでかけて、農業に携わっている人たちに会って、農産物がどのように作られるのかを見て初めて〈農〉の存在に気づくことは多いだろう。かくいう私は、しかし、そのどれにも参加したことがない。自身の怠惰ゆえでもあるが、“個別的な体験メニュー”を通過すれば、なんとなしの、〈農〉あるいは〈農〉的なものへの疎遠さが解消されるかといえば、そうではない気がしてならないからだ。
当事者として農業に参加すればこれらはすべて贅言として片付けられることになめのかもしれないが、おそらく生涯に一度も「観光農園や市民農園、農業体験学習、グリーン・ツーリズム」に参加しない多くの都市生活者の視点から、「なぜ〈農〉あるいは〈農〉的なものの実態がわかりにくい、という隔絶の感覚を抱くのか?」という問いを考えることは、それほど迂遠ではないように思われる。
〈農〉と出会うための政策として、観光農園や市民農園、農業体験学習、グリーン・ツーリズムがあげられることは多い。実際、都会の人が農村にでかけて、農業に携わっている人たちに会って、農産物がどのように作られるのかを見て初めて〈農〉の存在に気づくことは多いだろう。かくいう私は、しかし、そのどれにも参加したことがない。自身の怠惰ゆえでもあるが、“個別的な体験メニュー”を通過すれば、なんとなしの、〈農〉あるいは〈農〉的なものへの疎遠さが解消されるかといえば、そうではない気がしてならないからだ。
当事者として農業に参加すればこれらはすべて贅言として片付けられることになめのかもしれないが、おそらく生涯に一度も「観光農園や市民農園、農業体験学習、グリーン・ツーリズム」に参加しない多くの都市生活者の視点から、「なぜ〈農〉あるいは〈農〉的なものの実態がわかりにくい、という隔絶の感覚を抱くのか?」という問いを考えることは、それほど迂遠ではないように思われる。
■“2000年代の首都圏の農学系学部の学生”イメージ
個人的に(太田が)思い浮かべるところまの首都圏の農学系学部の学生の平均像は以下の通り。東京近県の非農家出身で、成績は「中の上」で、どちらかといえば「まじめな方」。「なぜ農学系学部を選んだのか」と問えば、多くは「緑や環境問題に関心があったから。化学(バイテク関係)か緑地計画に進みたい」と答える。農業や農村に特別の思い入れや関心があるわけではない。もちろん、経済学、社会科学からは縁遠いと思っている。
日本の農業や農村に対してもつイメージは、ポジティヴなものとしてはジブリや里山ドキュメンタリーのそれ。ドイツを始めとするヨーロッパの農村がいかに美しいか、その農村を守る政策や、政策実施に携わる人々の姿勢がいかにすばらしいか、というメッセージに対しては、うんうんと首を縦に振るか、ドイツと日本では状況が違いすぎると苦笑するか。
ネガティヴなものとしては、日本の農地の狭さ、保守的な人間関係、新しいことをする意欲に乏しい、嫁が来ない、補助金頼み、農政の破綻、……など。全体に農家や農村、さらにいえば農林水産省や農政は、かなり遠い存在である。
※ それは思い込みにすぎないのではないかい? もしくは、あるある、という例を挙げてくれるととても嬉しいです。
他方で、課外実習などで実際に農村に行くと、その認識を新たにすることも多い。「試行錯誤を続けながら農業や地域の運営に携わっている人たちのために、政策はあってほしい」、また、「地味だがも先進的な取組みをしている農家があることに驚く」など。
個人的に(太田が)思い浮かべるところまの首都圏の農学系学部の学生の平均像は以下の通り。東京近県の非農家出身で、成績は「中の上」で、どちらかといえば「まじめな方」。「なぜ農学系学部を選んだのか」と問えば、多くは「緑や環境問題に関心があったから。化学(バイテク関係)か緑地計画に進みたい」と答える。農業や農村に特別の思い入れや関心があるわけではない。もちろん、経済学、社会科学からは縁遠いと思っている。
日本の農業や農村に対してもつイメージは、ポジティヴなものとしてはジブリや里山ドキュメンタリーのそれ。ドイツを始めとするヨーロッパの農村がいかに美しいか、その農村を守る政策や、政策実施に携わる人々の姿勢がいかにすばらしいか、というメッセージに対しては、うんうんと首を縦に振るか、ドイツと日本では状況が違いすぎると苦笑するか。
ネガティヴなものとしては、日本の農地の狭さ、保守的な人間関係、新しいことをする意欲に乏しい、嫁が来ない、補助金頼み、農政の破綻、……など。全体に農家や農村、さらにいえば農林水産省や農政は、かなり遠い存在である。
※ それは思い込みにすぎないのではないかい? もしくは、あるある、という例を挙げてくれるととても嬉しいです。
他方で、課外実習などで実際に農村に行くと、その認識を新たにすることも多い。「試行錯誤を続けながら農業や地域の運営に携わっている人たちのために、政策はあってほしい」、また、「地味だがも先進的な取組みをしている農家があることに驚く」など。
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2011年の日本において、社会のなかでの農村の意味づけ、農村観ともいうべきものはどのようであるのか。
われわれの社会の文脈のなかにあって、「農村や田舎」を「都市」と厳然に区分するものは何であるか、それがどのようにしてつくられ、生成され続けているかを究明することから始めなければならない。
2011年の日本において、社会のなかでの農村の意味づけ、農村観ともいうべきものはどのようであるのか。
われわれの社会の文脈のなかにあって、「農村や田舎」を「都市」と厳然に区分するものは何であるか、それがどのようにしてつくられ、生成され続けているかを究明することから始めなければならない。
市田(岩田)知子「〈農〉と出会うための政策」