網野善彦『無縁・公界・楽』平凡社ライブラリー、1996
『無縁・公界・楽』概要
「無縁」「公界」「楽」:
主従関係や親族関係など世俗の縁と切れている人(集団)や場(中世~近世)
これらの人・場においては“縁が切れている”ことにより「無主・無縁の原理」が成立していた
主従関係や親族関係など世俗の縁と切れている人(集団)や場(中世~近世)
これらの人・場においては“縁が切れている”ことにより「無主・無縁の原理」が成立していた
「無主・無縁」の人々:
遍歴する「職人」(海人・山人、狭義の芸能民、知識人、武人、勝負師、宗教人)、女性、勧進聖人
遍歴する「職人」(海人・山人、狭義の芸能民、知識人、武人、勝負師、宗教人)、女性、勧進聖人
「無主・無縁」の場:
寺社、山林、都市、墓所、倉庫、家、市場、宿
寺社、山林、都市、墓所、倉庫、家、市場、宿
⇒これらの言葉は、近代西欧において自覚化され表現された自由・平等・平和の起源ともいえるような、「日本の民衆生活そのものの底からわきおこってくる、自由・平和・平等の理想への本源的な希求を表現する言葉」だった
⇒「有主」・私所有の世界は、「無縁の原理」によって初めて成り立ち、それを媒介にして発展した
問題点
無縁の原理を持つとされる場所や人びとが、なぜそのようなある種の力を持つことができたのか。
無縁の原理とはどのようにして生まれるものなのかということが、「原始以来のそれ」として問われることがない。ある人が、世俗との縁が切れているというだけで直ちにこのような力を持つようになるとは考えがたく、そこには何らかの連携・連帯と活動の場所が必要であると思う。その場所が寺社や山林だったとすれば、なぜ他の場所ではなくその場所だったのだろうか。
無縁の原理とはどのようにして生まれるものなのかということが、「原始以来のそれ」として問われることがない。ある人が、世俗との縁が切れているというだけで直ちにこのような力を持つようになるとは考えがたく、そこには何らかの連携・連帯と活動の場所が必要であると思う。その場所が寺社や山林だったとすれば、なぜ他の場所ではなくその場所だったのだろうか。
現代との接点
現代において無縁の場を探すとすれば、インターネット上の仮想空間を挙げることができる。ここでは匿名の現実世界と“縁の切れた”人々が集まり、様々な「芸能」を生み出している。しかしそこにあるのは中世に存在した無縁の場と同じものだろうか。