■ 赤坂憲雄『異人論序説』(砂子屋書房 一九八五年/ちくま学芸文庫 一九九二年)は、一九八〇年から八一年にかけて、同人誌に連載された「異人、あるいは〈内なる他者〉の構造」をまとめたもの。〈共同体〉の〈境界〉を指し示す「異人」について考察する。赤坂の処女作。
■ 『排除の現象学』(洋泉社 一九八六年/ちくま学芸文庫 一九九五年)は赤坂の二作目。八〇年代的の(大雑把なまとめ方だが)、“不特定多数の人間からの根拠のない悪意に取り囲まれている”感覚の苛立ちと、その悪意が集中的に押し付けられた対象と現象やよびその背景のリストアップ――いじめ、浮浪者狩り、精神錯乱者――が同書でなされている。この理論的バックボーンとなるのが、今村仁司『排除の構造――力の一般経済序説』(青土社 一九八五年/ちくま学芸文庫一九九二年)である。
『異人論序説』もまた、今村の影響を強く受けている。つまり、①労働と差別と暴力(第三項排除)の効果として社会の秩序が生成される。②この第三項排除が強迫的にくりかえされ始めるのは定住農耕以降。③内部/外部、遠/近、漂泊/定住の分割そのものの揚棄を目指す、という方針に立つ。「〈異人〉とは実体概念ではなく、すぐれて関係概念である」(21頁)などの定義も、これと関連する。『境界の発生』(砂子屋書房 一九八九年/講談社学術文庫 二〇〇二年)も同様。
『異人論序説』もまた、今村の影響を強く受けている。つまり、①労働と差別と暴力(第三項排除)の効果として社会の秩序が生成される。②この第三項排除が強迫的にくりかえされ始めるのは定住農耕以降。③内部/外部、遠/近、漂泊/定住の分割そのものの揚棄を目指す、という方針に立つ。「〈異人〉とは実体概念ではなく、すぐれて関係概念である」(21頁)などの定義も、これと関連する。『境界の発生』(砂子屋書房 一九八九年/講談社学術文庫 二〇〇二年)も同様。
そして、境界。あらゆる境界は、わたしたちの創造や夢の源泉であり、始原のイメージ群がわきいづる場所である。世界という存在の奥底をのぞきこもうとする誘惑と、寡黙な存在をことごとく征服したいという欲望とが、そこには渦をまき、蓄積されている。
〈異人〉とは、共同体が外部にむけて開いた窓であり、扉である。世界の裂けめにおかれた門、である。内と外・此岸と彼岸にわたされた橋、といってもよい。媒介のための装置としての窓・扉・門・橋。そして、境界をつかさどる〈聖〉なる司祭=媒介者としての〈異人〉。知られざる外部を背に負う存在(もの)としての〈異人〉。内と外とが交わるあわいに、〈異人〉たちの風景は茫々とひろがり、かぎりない物語群を分泌しつづける。(15頁)
ゲオルク・ジンメル「橋と扉」
エリアーデ『聖と俗』
エリアーデ『聖と俗』