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  • 1968

亀山ゼミwiki(非公式)

1968

最終更新:2012年10月22日 00:27

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だれでも歓迎! 編集
発表者:菊地

一、「あの時代」の叛乱とはなんだったのか

 小熊は、「あの時代」(=1960年代後半から70年代初頭)に全共闘運動を中心とする「若者たちの叛乱」が起きた要因として、以下の四つを挙げている。

①大学生数の急増と大衆化

 60年代から70年代にかけての大学・短大進学率の上昇と、第一次ベビーブーム世代(団塊の世代)の入学による大学生数の急増により、大学においてマスプロ教育や、教員数の不足と多忙から学生と教員のコミュニケーションの希薄化が広まった。劣悪な教育内容と設備にも関わらず、施設拡充や新校舎建設などで学費値上げがたびたび行われ、学生の怒りを呼び起こした。
 また大学生の急増は、「末は博士が大臣か」といわれた大学卒業生の就職先を平凡なものにし、「末はしがないサラリーマン」という閉塞感を与えた。「サラリーマン」は当時の若者にとって、未来への閉塞感の象徴だった。

②高度成長による社会の激変

 これにはいくつかの現象が絡まりあっている。一つめは、急激に豊かになった生活文化の変動にこの世代の価値観がついていけなかったこと。この生活文化の変化を、彼らは一面では歓迎したが、一面では激しい違和感と罪悪感を抱いた。
 また、幼少時の貧しい時代の記憶を残し、経済難で進学できなかった友人を知っていたことや、激しい受験競争で他人を蹴落として大学生になったことへの罪悪感があった。その罪悪感から、自分が享受している繁栄の陰には犠牲者がいるはずだという思考が生まれ、ベトナム反戦運動などにつながった。
 さらに、学生たちが、「真の大学」は真理探究のためにあり、資本主義の人材育成や産業開発といった世俗的目的のために存在するのではないという古いイメージを残していた。これが高度成長で激変した大学の現実に裏切られたことが、闘争発生の要因となった。
また、高度成長による急激な都市への青壮年男性の集中と、それに対応した整備が追いつかない劣悪な住居環境や娯楽施設の不足と言う社会条件は、学生と機動隊が衝突する場面を見物にくる、数千から数万単位の群集を発生させた。この群集が時には警官隊に投石を行い、闘争の主役ともなった。
 べ平連(「ベトナムに平和を! 市民連合」)の事務局長だった吉川勇一は、2009年のインタビューで、高度成長の最盛期という好況期であったにもかかわらず若者たちの叛乱が起きた理由をこう語っている。

 「たしかに好況期ではあったけれど、一種の閉塞感が非常にあったからだと思いますね。つまりこれから俺たちどうなんの?何になれるのか?社会はどうなるんだ?といった閉塞感がかなり強くあった。」

③戦後の民主教育の下地

 敗戦直後から1956年の勤評闘争前後までは、戦後の「平和と民主主義」の理念に沿った教育が行われた。この時期では保護者や教師たちの戦争体験も生生しく、彼らが語る「平和と民主主義」の理念は真剣な願いとして生徒たちに伝わり、その理念を内面化していった。
 しかし高校進学率が五割台を突破した60年前後以降、ベビーブーム世代は受験戦争にほぼ全員が巻き込まれた初の世代となった。初等教育で「我利我利亡者にはなるな」と教えられてきた彼らは、他人を蹴落とす受験競争に罪悪感を抱いた。

+ 勤評闘争
 1957年、学校長に教師の思想内容や勤務状態を評定させる「勤務評定」実施の通達に対して日本教職員組合(日教組)が抵抗した闘争。結局拒むことはできず、58年には小中学校の学習指導要領が全面改訂された。

 さらに勤評闘争で敗れた教師たちは事なかれ主義に逃避し、学内での政治的活動を禁止する一方で、道徳や社会の時間には民主主義の理念を説き、同時に進学競争を推奨していた。このような矛盾した態度は「平和と民主主義」の価値観を内面化していた生徒たちには欺瞞的に映り、全共闘運動で「戦後民主主義の欺瞞」といった言葉が流行する下地をなす。
ある意味で、全共闘運動の学生たちは初期の運動においては、初等教育で教えられた「平和と民主主義」の行動様式を、そのまま実行したのだとも言える。その意味では、全共闘運動は高度成長によって消されていった敗戦直後の彼らの幼少期の状態をとりもどそうとした、一種のルネサンス的な行為だったともいえる。

④若者のアイデンティティ・クライシスと「現代的不幸」

 不気味な「コンクリート・ジャングル」、教官や友人との接触も殆どない大学生活、初等教育で培った「平和と民主主義」の価値観を、受験競争で裏切ったという罪悪感。生まれ育った社会と全く異なる環境に投げ込まれた彼らはアイデンティティ・クライシスに陥り、また自然環境の消失と並行するように、リアリティの希薄化が発生していた。「生きている」実感をもてず、自傷行為や摂食障害、不登校といったのちの80年代から90年代に注目されるようになった問題が萌芽的に現れていた。
 さらに60年安保の「敗北」と学生運動の低迷、社会党・共産党や労組など既存の革新組織の保守化と形骸化が加わり、社会運動に期待がもてず、67年には「三無気質」が流行語となっていた。

+ 三無機質
 当時の高校生や大学生の無気力状態を、ジャーナリズムは「三無気質」「三無主儀」と表現した。

 彼らはいわば、親世代が直面した貧困・飢餓・戦争などのわかりやすい「近代的不幸」とは異なる、言語化しにくい(そして最後までかれらが言語化できなかった)「現代的不幸」に集団的に直面した初の世代であった。高度成長以前の発展途上国型の社会から、高度成長によって急激に高度資本主義の先進国型社会に日本が変貌しつつあったなかで、従来の苦悩とは異質の苦悩に彼らは直面していた。
 そうした彼らにとって、学生運動に飛び込み、機動隊と衝突し、バリケード内で友と語り合うことは、連帯感や仲間を得ることと、自分のアイデンティティや生のリアリティを確認できることの両面で、大きな魅力を持った。このことは、65年の慶大闘争以来、バリケード内の学生たちがマスプロ大学で「オアシス」を見出したかのように生き生きとしていたこと、第一次羽田闘争で「機動隊の前にわれわれの実存をさらすんだ」というアジ演説が行われたこと、この世代を代表する歌人の道浦母都子が「迫りくる〔機動隊の〕楯怯えつつ怯えつつ確かめている私の実在」という短歌を歌ったこと、のらくらした答弁に終止した「進歩的文化人」より、徹底的に学生の対抗相手となって保守的意見を貫いた教授が好評を呼ぶという現象、などに示されている。

+ 第一次羽田闘争
 67年10月8日、佐藤栄作首相のオセアニアおよび東南アジア諸国への訪問を阻止しようと、羽田空港へ三派全学連の諸セクト(中核派、社学同、社青同解放派)の学生たちが突入を図った事件。訪問先に南ベトナムが含まれており、ベトナム戦争非参戦国の首相としては初の公式訪問だったことから、日本のベトナム戦争加担拡大を阻止する闘争とされた。

二、なぜ「政治(的)運動」という形で叛乱が起こったのか

 自己の存在確認欲求が全共闘運動のひとつの要因であったなら、なぜ政治運動という形態でそれが行われたのか。
 日本が発展途上国だった時代には、「心」の問題は階級格差や貧困といった経済と切り離して論ずるという習慣はないか、あってもそれが可能な豊かな身分の青年の「ぜいたくな悩み」と見做されていた。また書店に行っても、現代のようにメンタル系の書籍が溢れているといった状況ではなく、社会科学や時事問題の本のほうが多かった。そうしたパラダイムと言説資源のなかで「心」やアイデンティティの問題を考えるとすれば、どうしても「政治」の言葉で運動を起こすという形態しかなかったのだろうと思われる。

三、政治運動としての評価

 高度成長の歪みから発生した若者たちの叛乱は、潜在的には社会全体の歪みを撃つ可能性をもっていた。しかし、ノンセクトたちはそれを具体的な言葉や行動に表現する手段をもてなかったし、セクトは彼らのエネルギーを、古色蒼然としたマルクス主義革命論に押し込めて利用しただけだった。

+ ノンセクト
諸セクトに所属せずに運動に関わった一般学生。それ以外の運動に関わらない学生は「ノンポリ」と呼ばれた。

 結果として、全共闘運動は、「政治運動」といえるような性格のものではなくなり、体制に対する「ノン」の「気分」の表現や、「青春の自己確認」で終わってしまった。政治運動というものが、政治的目的を獲得するための行為であるとするなら、東大闘争中期以降の全共闘運動は、「政治運動」といえるものではなかった。
 若者の自己確認運動であれば、若者の支持は広がったかもしれない。しかし学外の市民や労働者、年長者たちからは、そのような「運動」が支持をえられないのは当然だった。大方の年長者たちは、若者たちが感じていた閉塞感や「現代的不幸」を理解できなかった。大部分の年長者は、戦後懸命にはたらいて生活のゆとりができ、やっと子どもたちを大学に通わせられるようになったのに何が不満なのか、なぜ好況期にマルクス主義を掲げてゲバ棒を振り回すのか、といった反応を示した。結果として若者たちの叛乱は、若者の範囲をでることなく終わった。

四、批判されるべき点

 小熊は、「現代的不幸」は「近代的不幸」よりも表現困難であったが、それは質の相違であり優劣ではないとした上で、なお「あの時代」の叛乱において明確に批判すべき点として以下の4点を挙げる。

 ①「戦後民主主義」を一面的に非難し、戦後の運動や思想の蓄積から学ぶことを怠ったこと。
 ②運動後の去就。「あとからやって来る人たちにむかっては、こうした『帝国主義大学』に入るな、入る必要はないと言い、自分は『帝国主義企業』に入っていく」
 ③運動のモラル。デモにおける民間人への被害や、「機動隊殲滅」といったスローガンなどに見られる、無差別な破壊行為、対立党派や機動隊への過剰な憎悪と人命・人権軽視。
 ④運動内の責任意識の欠如。指導的立場にあった者の無責任な言動、負傷者、逮捕者、死者への反省の欠如。

五、「1970年代パラダイム」

 各地の全共闘運動がし、「何をやったらよいのかわからなくなった」70年7月から10月にかけて、「戦後民主主義」の批判に代わるものとして、マイノリティ差別や戦争責任への注目、アジアへの経済進出への批判、天皇制の問題化、公害や障害者問題などへの着目、「管理社会」への抵抗、リブとその延長としてのフェミニズムなどの問題群が「発見」されていった。90年代に出現したゲイ運動を除けば、現在いわゆる「左派」ないし「サヨク」の主張として認知されているのものは、敗戦直後に生まれた「戦後民主主義」よりも、この時期に原型のできたこの「1970年代パラダイム」だといえる。
 そこでは、しばしば「従軍慰安婦」問題などアジアへの戦争責任論が、アジアへの日本企業の経済進出とペアで論じられたように、一連の問題は「近代」が作り出した問題であると一括されることが多かった。あえて簡略化して言えば、「1970年代パラダイム」は、「近代化し管理社会化した経済大国日本と、そこで豊かな経済的果実を享受する『日本人』(マジョリティ)が、貧しいアジアとマイノリティを差別し搾取し、管理社会からはみ出した人々(不登校児や障害者など)を抑圧している」といったものだった。

 近年の日本では「格差社会」「若年雇用」など「社会問題」を論ずる風潮がふたたび高まりつつある一方で、「1970年代パラダイム」は大きく二つの要因によって説得力を失いつつある。
 一つはこのパラダイムが経済成長を前提としたものだったことである。華青闘の「七・七告発」直後に出された論考は、「今日の日本について純経済論的に問題を立てるならば、日本労働者階級の中で〈上層部〉に属さないのは、『部落』、『沖縄出身者』、そして在日朝鮮人、中国人をのぞいて他は極めて少数しか存在すまい」と述べていた。だが経済成長と完全雇用状態を前提としたこうした論調は、1992年以降の日本経済の停滞とともに、説得力の前提を失った。

+ 七・七告発
 1969年3月に結成された在日中国人、台湾人ら華僑青年の団体である「華青闘」が、70年7月7日の集会で、それまでの左翼のマイノリティ差別の無自覚とその排外的イデオロギーに対して激しい批判を行ったもの。

 もう一つはこのパラダイムが、「管理社会」批判と不可分であったことである。当時流行した「管理社会」という言葉が何をさしていたかは漠然としているが、68年10月に新宿で学生が述べていた、「大学を出てどこかへ入社したとき退職金の額までが計算されるような、非人間的なこの仕組み」を「管理社会」と呼んでいたと解釈するのが妥当だろう。

+ 新宿事件
 1968年10月21日の「国際反戦デー」にあわせて各セクトが同時に新宿でデモを行い、集まった群集と共に騒乱状態になった事件。主に学生よりも群集が主役になり新宿駅などで破壊行為が行われ、世論の離反を招いた。

 そのため70年代には、「就職しないで生きる」というシリーズ本企画が刊行され、輸入レコード店や古本屋など「サラリーマン」以外の人生を歩む可能性が夢として論じられた。経済成長が続いていた91年ごろまでその気風が残っていたことは、「フリーター」という言葉にも見られる。この言葉は、80年代末にアルバイト求人広告雑誌が、「サラリーマン」のように会社に縛られた人生ではなく、適宜に収入を得ながら自由に生きる人々を指す肯定的な言葉として使用したことから出現したものだった。

 しかし90年代後期以降、こうした状況は変化した。「フリーター」は自由な人びとを指す肯定語ではなく、不安定雇用の人間を指すマイナスの言葉となった。「大学をでてどこかへ就職したとき退職金の額までが計算されるような」「管理社会」は、ベビーブーム世代が定年を迎えるまでの間すら持続できなかった。現代の不安定雇用者にとっては、「管理社会」の人生行路は批判の対象と言うより、むしろ羨むべき特権的待遇と移るだろう。

 「1970年代パラダイム」への転換はマイノリティへの注目というプラス面はあったが、「日本人」のマジョリティに訴える言葉を失った。それでも、マジョリティがそれほど問題を抱えていなかった経済成長期にはこのパラダイムは機能したし、「管理社会」における「過労死」などの問題は批判できた。しかし現代の若者たちの右傾化は、「1970年代パラダイム」が「日本人」のマジョリティを「抑圧民族」として切り捨てたところで成立したツケが現代になって現れてきたことを示しているといえまいか。
 「あの時代」の若者たちは、「戦後民主主義」や「進歩的知識人」をその思想や著作の内容も把握せず頭から拒絶し非難した。その根底にあったのは、日本が発展途上国だった時代に「近代的不幸」に対処するために形成された戦後思想が、高度成長を経て先進国型の「現代的不幸」に直面することになった若者たちにとって、論理的にというより感覚的に共鳴できなくなった、という問題であったと思われる。
 それと類似のことが、現在起きているのではないか。すなわち、経済成長と安定雇用の時代に生まれた「1970年パラダイム」とそれに依拠している「サヨク」とその論調は、経済停滞と不安定雇用の時代を生きている現代の若者にとっては、その内容を把握する以前に感覚的に共鳴できないのだ。そして、「あの時代」の叛乱する若者たちが「進歩的知識人」を嘲笑し、三島由紀夫や北一輝などの右翼思想家に、年長者たちが眉をひそめるにもかかわらず魅かれたように、現代の若者は「サヨク」を嘲笑し、歴史修正主義などにひかれてゆくのである。
 ただし「戦後民主主義」の平和主義がいまでも一定の正当性をもっているように、「1970年代パラダイム」の正社員批判や戦争責任論やマイノリティへの注目なども一定以上の正当性をうしなっていない。社民党や共産党が数%の支持率を維持しているように、それは完全に人々の支持を失うことはないだろう。ただ、それが説得力をもって多くの人々から共感される時代は終わりつつある、それとは異なる対抗言説が求められている、とはいえるのではないか。

▼論点

  • 68年に何を学ぶか?継承すべき点/批判すべき点(ex.四、①・④⇒現代のデモ・社会運動)
  • 68年の「現代的不幸」と2012年現在の問題は同一と見做せるのか?

▼参考文献

小熊英二『1968』新曜社、2009

↓添付ファイルあり:1968関連年表

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