第2章 現代日本の宗教の特質と歴史的背景(p.72-82)
3 日本的近代化による宗教意識の変質
前節において、日本の伝統的宗教意識を原理不在・宗教的無責任主義だとするのは、キリスト教型の宗教を美化する近代的宗教観の偏見であることをみた
→しかし、現代の宗教意識においては、キリスト教的な意味だけでなく、伝統的な意味でも宗教意識の原理性・責任感覚不在という状況
→近代的精神生活が大きな意味を持ったことは疑いないが、それだけでは近代化のモデルとなったヨーロッパ・キリスト教世界が宗教的原理主義や宗教的責任感をより強固に保持していることは理解できない
→しかし、現代の宗教意識においては、キリスト教的な意味だけでなく、伝統的な意味でも宗教意識の原理性・責任感覚不在という状況
→近代的精神生活が大きな意味を持ったことは疑いないが、それだけでは近代化のモデルとなったヨーロッパ・キリスト教世界が宗教的原理主義や宗教的責任感をより強固に保持していることは理解できない
∴日本社会の固有の近代化経験と、それに結びついた国家神道の歴史的経験とを見る必要がある
初の天蓋的宗教=天皇教的国家神道の近代的創出
日本固有の近代化経験=明治維新後の天皇制的絶対主義国家化
「近代的な中央集権システムの導入確立によって、社会的関係や国民の社会的生活のすみずみまで、現人神たる天皇の神聖不可侵の意思と権威によって営まれるシステム」(天蓋的宗教)
=天皇教(竹内芳郎1989)
=天皇教(竹内芳郎1989)
∴近代の天皇制はそれまでの天皇制とは根本的に異なり、西欧絶対王政下のキリスト教をモデルとして創出された(国家自体を天皇教の制度とする国家宗教だった点でキリスト教以上に徹底した天蓋的宗教)
天皇教非宗教論の創出
しかし現代人の感覚において、天皇教は日本宗教史上初の天蓋的宗教の経験とは記憶されない
↑天蓋的天皇教が確立当初から非宗教として制度化されたため
↑天蓋的天皇教が確立当初から非宗教として制度化されたため
明治維新指導層は、神仏分離令によって中世以来の神仏並立的信仰を権力的に否定し、全国の神々、神社を統廃合しつつ皇祖天照大神・伊勢神宮を頂点とする国営神社のヒエラルキーのうちに秩序づけた
↓他宗教の弾圧に対して、仏教界、民衆、キリスト教圏からの抵抗・非難
→天皇崇拝・国家神道は宗教(宗旨)の問題でなくて国家儀礼・国民道徳・国の体制思想(「国体」)の問題である*と強弁し、これを「大日本帝国憲法」「教育勅語」によって国民に義務化
↓他宗教の弾圧に対して、仏教界、民衆、キリスト教圏からの抵抗・非難
→天皇崇拝・国家神道は宗教(宗旨)の問題でなくて国家儀礼・国民道徳・国の体制思想(「国体」)の問題である*と強弁し、これを「大日本帝国憲法」「教育勅語」によって国民に義務化
(*)本願寺教団が幕藩体制への服従の中で保持してきた独特の二重真理説(真俗二諦論)を下敷きにしている
日本型聖俗二元論的宗教観:
天皇(皇祖)崇拝、ひいては神道は、超越的な聖なる問題にかかわる宗教ではなく、道徳・国民精神ないしは慣習的な民俗儀礼など世俗問題と理解する
(現代の学校道徳教育における天皇崇拝推進の論拠)
二重信仰論:
天皇崇拝をはじめとする神道=
天皇(皇祖)崇拝、ひいては神道は、超越的な聖なる問題にかかわる宗教ではなく、道徳・国民精神ないしは慣習的な民俗儀礼など世俗問題と理解する
(現代の学校道徳教育における天皇崇拝推進の論拠)
二重信仰論:
天皇崇拝をはじめとする神道=
- 仏教・キリスト教などの超越的普遍宗教とは別次元の民俗儀礼的宗教
- 自然信仰に由来する外来宗教以前の日本固有信仰
- 表層の普遍信仰と深層の神道の二重信仰が日本人固有の宗教構造 (現代人の“無宗教”意識の母体)
二重信仰論と近代的宗教観
- 天皇教国家神道の経験はわずか半世紀あまりの例外的経験にすぎない
- 戦後日本社会の歴史的経験の原点は絶対主義的天皇制の否定と近代主義的価値観の導入にあった
→現代における日本型の聖俗二元論や二重信仰論の“健在”は、むしろ近代的な価値観と宗教観によって“増幅”されて国民意識に定着してきたと見るべき
①近代的宗教観の啓蒙主義・進歩史観が二重信仰論を固定した
近代的宗教観は、原始的な信仰・宗教からキリスト教的な普遍宗教へと宗教が歴史的に進歩するとみる
近代的宗教観は、原始的な信仰・宗教からキリスト教的な普遍宗教へと宗教が歴史的に進歩するとみる
⇒神仏並立的信仰形態を持つ日本の伝統的宗教は不完全で“不純”
→神道国教化は問題だが、神仏分離自体はむしろ仏教の“宗教的純化”をもたらしたと評価
戦後社会の近代化の急速な進展にもかかわらず、宗教の近代化を遅らせる神道や呪術信仰など古い低次宗教が習俗としてなお強固に残存する日本人の宗教意識の後進性という認識
↓明治の権力的な神仏並立的信仰形態の解体による、神道の独自宗教としての“創出”という経緯は忘却
戦後社会の近代化の急速な進展にもかかわらず、宗教の近代化を遅らせる神道や呪術信仰など古い低次宗教が習俗としてなお強固に残存する日本人の宗教意識の後進性という認識
↓明治の権力的な神仏並立的信仰形態の解体による、神道の独自宗教としての“創出”という経緯は忘却
∴日本人の宗教意識は、近代化すべき“普遍宗教”と消滅すべき原始以来の低次の民俗的宗教の二重構造をもつというイメージが定着
日本型聖俗二元論と近代的宗教観
②近代的宗教観の聖俗二元論が日本型の聖俗二元論とシンクロし、これを固定した
近代的宗教観の聖俗二元論:
宗教の世俗支配や国家支配の否定によって諸個人の信仰の自由を擁護
→宗教領域=信仰者の内面世界、世俗領域=非宗教化(宗教私事の原則、世俗化、宗教からの国家の自立)
近代的宗教観の聖俗二元論:
宗教の世俗支配や国家支配の否定によって諸個人の信仰の自由を擁護
→宗教領域=信仰者の内面世界、世俗領域=非宗教化(宗教私事の原則、世俗化、宗教からの国家の自立)
∴戦後、近代的宗教観による日本型聖俗二元論の正当化・温存固定
宗教の政治関与の絶対否定の名の下に信仰の世俗原理への関与の否定を意味する心理主義宗教論に収斂
天皇教を宗教問題から排除し、かつ宗教的には関与すべきでない世俗問題として放置
宗教の政治関与の絶対否定の名の下に信仰の世俗原理への関与の否定を意味する心理主義宗教論に収斂
天皇教を宗教問題から排除し、かつ宗教的には関与すべきでない世俗問題として放置
ポストモダン宗教論と日本型聖俗二元論の“伝統”化
③ポストモダン宗教論が二重信仰の“伝統”を創出し、伝統的宗教意識を日本型聖俗二元論へと変容させた
ポストモダン宗教論は、呪術的信仰や民俗的なタタリ信仰、アニミスティックな自然崇拝を日本人の信仰の深層・基層の表出と位置づけた(大村・西山1988、荒木1990)
→意識と無意識の二元論、表層と深層あるいは進歩(変化)と不変(同一構造)の二元論という点では近代主義と同じ思考の枠組みを前提した、裏返しの近代主義的宗教観
(日本固有の民俗宗教という枠組み自体、19世紀以来の近代国家形成過程の産物でしかない)
ポストモダン宗教論は、呪術的信仰や民俗的なタタリ信仰、アニミスティックな自然崇拝を日本人の信仰の深層・基層の表出と位置づけた(大村・西山1988、荒木1990)
→意識と無意識の二元論、表層と深層あるいは進歩(変化)と不変(同一構造)の二元論という点では近代主義と同じ思考の枠組みを前提した、裏返しの近代主義的宗教観
(日本固有の民俗宗教という枠組み自体、19世紀以来の近代国家形成過程の産物でしかない)
- ポストモダン論は結局、日本人の本質的な二重信仰構造と日本固有の基層信仰=神道という虚構の宗教的“伝統”を再創出した
- 近代的宗教観を装う日本型の聖俗二元論が、俗の問題とすることで“回避”してきた神道を、日本固有の“無宗教という名の宗教”の伝統として、居直り的に正面から押し出してきた
現代日本の宗教減少の複合性や多元性、それを是とする宗教的寛容ないし雑炊的宗教感覚は、一部は天蓋宗教が不在であった歴史的経験と伝統的宗教意識に根ざす
近代の天皇制国家が伝統的宗教を捻じ曲げて権力的に創出した宗教のあり方が近代的宗教観に接合されて、現代的装いを与えられて成立した、日本型聖俗二元論と二重信仰論の呪縛
→無宗教意識の宗教行為という矛盾した宗教的二重性の意識の固定化
→無宗教意識の宗教行為という矛盾した宗教的二重性の意識の固定化
∴現代日本の宗教現象全体を、呪術的宗教や民俗的宗教、儀礼的宗教へのかかわりの強さを、このような虚構のイデオロギーによってではなく、なによりも現代の“豊かさ社会”の現代人の生き様からリアルに理解することが、あらためて強調されなければならない
○感想・論点
現代において、無宗教意識やその上での宗教行為という矛盾がなぜこれほど広がったのか、その原因が歴史的経緯を踏まえて明瞭に示されていたと思う。日本において伝統的であった神仏並立的な宗教意識がゆがめられ、無宗教意識へと変容していく過程は納得が行くものである。また、現代の学校教育においては有耶無耶にされているように感じる、明治の天皇制国家が国家宗教であったということを明確に述べており、自分のなかでとても腑に落ちた。
しかし、明らかな宗教である天皇教を非宗教であると強弁することが罷り通ったというのはやはり不思議に思える。本願寺教団の二重真理説を下敷きにしているとはいえ、宗教行為であることが明らかであるような儀礼を行いながら、当時の一般人はどの程度本気でそれを“道徳問題”だと思っていたのか。また、これは前回発表の論点であるが、神仏並立的な宗教意識が伝統として成立可能であった日本人の精神は、ヨーロッパのキリスト教的原理を生んだ精神とどのように違ったのだろうか。
しかし、明らかな宗教である天皇教を非宗教であると強弁することが罷り通ったというのはやはり不思議に思える。本願寺教団の二重真理説を下敷きにしているとはいえ、宗教行為であることが明らかであるような儀礼を行いながら、当時の一般人はどの程度本気でそれを“道徳問題”だと思っていたのか。また、これは前回発表の論点であるが、神仏並立的な宗教意識が伝統として成立可能であった日本人の精神は、ヨーロッパのキリスト教的原理を生んだ精神とどのように違ったのだろうか。