●
突然の柱の崩落。それを見せつけられた由実は、続けてウィリアムの声を聞く。
「さあ、≪杞憂≫が、天を支える柱の崩壊が始まった! どうする? このまま天の崩壊に巻き込まれるかね? 逃げても構わないよ? 見た限りではこの県から脱出できれば≪杞憂≫から逃れる事は可能だ」
言う間に柱が一本、また一本と砕けていく。半透明の柱は砕けてしまえば空気に溶け込むように消えてしまう。こんなにも脆く、実体の怪しいものに天が支えられているという事実に寒気がする。
――助けないと!
そう思い、由実の気持ちは焦る。しかし具体的にはどうすればいいのだろうか? モニカはウィリアムの手によって人質にとられ、あの状態のモニカ自身に戒めから脱する事を期待するのは酷というものだ。
無理に助けに行こうにも、恐ろしい力を持っている筈のユーグや弘蔵、都市伝説の群れが控えているのだ。モニカに近付く事が出来たとしても、その後彼等の攻撃から身を守りきれる可能性は限りなく低い。
その難しさを理解しているからこそ、Tさんも先程から場の様子を窺うようにして機を狙ったまま、動けずにいるのだ。しかも自分達のような戦闘能力の低い者が近くにいるせいで余計にTさんの自由行動は妨げられている。
その事情を理解して、由実は不甲斐なさに身を焦がすかのような怒りを感じる。なんとかしなくては。そう思うが、
由実から見て、やはりとんでもない力を持っているTさんがこの場で行動を起こすことが出来ないのに、どうして自分のような人間がモニカを助けられるだろう。
「この場から去るのならば追わないから行ってしまうといい。それとも何かね? マイやユミ、君達のようなチトセやTのような力を持たない者がこのような場に残って何かの役に立つと思っているのかね?」
ウィリアムが言う通りだ。彼等のような力を持たない由実達がこの逼迫した場で一体なにが出来るというのだろうか。
結局私はあんなに苦しんでいる妹分を前にしても何もしてあげられない、無力な姉なのね……。
由実は諦観じみた虚無感を抱き――
「リカちゃん。なんとか移動、できねえかな?」
「うん、がんばってみるの」
未だ希望は潰えていない事を知った。
「さあ、≪杞憂≫が、天を支える柱の崩壊が始まった! どうする? このまま天の崩壊に巻き込まれるかね? 逃げても構わないよ? 見た限りではこの県から脱出できれば≪杞憂≫から逃れる事は可能だ」
言う間に柱が一本、また一本と砕けていく。半透明の柱は砕けてしまえば空気に溶け込むように消えてしまう。こんなにも脆く、実体の怪しいものに天が支えられているという事実に寒気がする。
――助けないと!
そう思い、由実の気持ちは焦る。しかし具体的にはどうすればいいのだろうか? モニカはウィリアムの手によって人質にとられ、あの状態のモニカ自身に戒めから脱する事を期待するのは酷というものだ。
無理に助けに行こうにも、恐ろしい力を持っている筈のユーグや弘蔵、都市伝説の群れが控えているのだ。モニカに近付く事が出来たとしても、その後彼等の攻撃から身を守りきれる可能性は限りなく低い。
その難しさを理解しているからこそ、Tさんも先程から場の様子を窺うようにして機を狙ったまま、動けずにいるのだ。しかも自分達のような戦闘能力の低い者が近くにいるせいで余計にTさんの自由行動は妨げられている。
その事情を理解して、由実は不甲斐なさに身を焦がすかのような怒りを感じる。なんとかしなくては。そう思うが、
由実から見て、やはりとんでもない力を持っているTさんがこの場で行動を起こすことが出来ないのに、どうして自分のような人間がモニカを助けられるだろう。
「この場から去るのならば追わないから行ってしまうといい。それとも何かね? マイやユミ、君達のようなチトセやTのような力を持たない者がこのような場に残って何かの役に立つと思っているのかね?」
ウィリアムが言う通りだ。彼等のような力を持たない由実達がこの逼迫した場で一体なにが出来るというのだろうか。
結局私はあんなに苦しんでいる妹分を前にしても何もしてあげられない、無力な姉なのね……。
由実は諦観じみた虚無感を抱き――
「リカちゃん。なんとか移動、できねえかな?」
「うん、がんばってみるの」
未だ希望は潰えていない事を知った。
●
Tさんとケウが自分達を庇うように数歩前に出てウィリアム達と会話をしている為に、自分達は敵からは見えづらい位置関係に居る事を由実は確認する。
舞とリカちゃんの間の小声の会話はウィリアムの所に奇襲をかけてモニカを奪取しようというものだ。
「どうよ? Tさん」
小声で確認の声をとばす舞にTさんが小さく頷いた。やってみろ、という事なのだろう。
やってやるわよ……っ。
そう胸に決意を秘め、由実は舞にじりじりと近付き、小声で話しかけた。
「舞ちゃん、その作戦、私も乗るわ。一緒にお願いできるかしら?」
「お、おう。リカちゃん?」
「だいじょうぶなの。でも……」
不安気な声色のリカちゃんに由実と舞は頷きかける。
「危険なのは分かってる、でもモニカを助けたいの。リカちゃんごめんね、私のわがままを聞いてくれる?」
「頼むぜ、リカちゃん。せっかくここまで来てウィリアムにモニカをいいようにされたまんまってのは悔しいじゃねえか」
「うん、分かったの……でも気をつけてね? お姉ちゃん達」
「リカちゃんもな」
笑みで頭のリカちゃんを撫でた舞が由実へと目を向ける。懐からマナーモードにした携帯電話を取り出した。
ウィリアムも、都市伝説群も、ユーグと弘蔵も、舞の行動に気付いてはいない。
着信が入り、舞の頭上と掌の上で、柱の崩壊とモニカの悲鳴に紛れたリカちゃんの声がする。
「もしもし、わたしリカちゃん。今――」
『モニカお姉ちゃんの後ろに居るの』
言葉通りの位置にリカちゃんは由実と舞共々転移した。短距離ならば起こすアクションの数が少ない分リカちゃんの方が≪フィラデルフィア計画≫よりも迅速だ。
転移が完了すると同時に、この部屋内にいる生物数百が一斉に色めき立つ気配が起こった。
その気配を無視して、由実達は為すべき事を為すために全力で動く。
「その人形、そのような事もできるのかね……っ」
驚いた様子のウィリアムに向けて由実は意識を集中させる。
何か妨害行動を起こされる前に――!
由実の意思に従って≪フィラデルフィア計画≫の鉄箱が出現した。ウィリアムの間近に現れたそれでウィリアムを発光体の中に取り込もうとするが、ウィリアムは箱の出現を見た途端に箱から距離を取って効果範囲から外れてしまった。
自分の戦闘方法は知られてしまっている。そしてそうなった場合回避されやすいのも分かっている。
――だけど!
由実は咄嗟に鉄箱を避けたせいで体勢を崩したウィリアムへと、ここまでの道中で確保した拾い物の拳銃を向けた。
引き金を引く。
軽い破裂音と共に撃ち倒されたのは都市伝説群の中の一匹、≪ヨーウィー≫だった。
ウィリアム自身は盾になって絶命した≪ヨーウィー≫に何の関心も示さず、由実の銃口から隠れるように≪フランケンシュタイン≫の巨体の後ろに移動する。由実はその≪フランケンシュタイン≫に銃口を向け、背後に言葉をかける。
「舞ちゃん! モニカの拘束を!」
「おう、リカちゃん、力技でいけそうか?」
「だ、だいじょうぶ!」
モニカの様子に気後れしたようなリカちゃんの返事の数秒後に、モニカを寝台に拘束していたベルトが破壊される音がモニカの悲鳴に紛れて聞こえてきた。
「フィラちゃん! 全部外したぜ!」
「ええ!」
答えながら由実は周囲を見渡す。
ユーグと弘蔵がこちらの動きを観察して次の動作を考えているようであり、Tさんも敵の懐深くに飛び込んだ由実達を応援するように目礼した。
由実は銃口をそのままに、数歩下がって寝台の上のモニカに触れる。
先程から舞とリカちゃんが声をかけているが、いっかな応答がない。
モニカはその形で固まってしまったかのように頭を逸らして天を見上げたまま悲鳴を上げ続けている。
「どうしよう、フィラちゃん?」
途方に暮れたように舞が言う。由実は大丈夫、と言った本人が感心してしまう程にしっかりと答えて銃を手放し、モニカの身体を抱き締めた。
小さな身体は発し続けられる悲鳴に壊されていくかのようにひきつけじみた危うい痙攣を起こしている。
これがモニカの抱え込んだ憂いなのね……。
≪杞憂≫を暴走させているのはモニカの内側から溢れる憂いだという。
これほどのものを抱え込んでいた事に今まで気付けなかったなんて……。
≪首塚≫で保護した当初から、ろくに我侭も言わない子供だと思っていた。
そうじゃない、全部内側に収めていただけ……。
モニカに触れて分かる。そんな事も今まで察する事が出来なかった自分が保護者面をしていた事に腹が立つ。
けど、
それでも私はあなたの姉でいたいから――、
由実は抱き締めていたモニカの顔を正面に置いて、平手を構える。
不出来な姉で、子供の心を忖度できない駄目な保護者だけど。と心の中で詫びて――
「――っ!」
モニカの頬を張った。
舞とリカちゃんの間の小声の会話はウィリアムの所に奇襲をかけてモニカを奪取しようというものだ。
「どうよ? Tさん」
小声で確認の声をとばす舞にTさんが小さく頷いた。やってみろ、という事なのだろう。
やってやるわよ……っ。
そう胸に決意を秘め、由実は舞にじりじりと近付き、小声で話しかけた。
「舞ちゃん、その作戦、私も乗るわ。一緒にお願いできるかしら?」
「お、おう。リカちゃん?」
「だいじょうぶなの。でも……」
不安気な声色のリカちゃんに由実と舞は頷きかける。
「危険なのは分かってる、でもモニカを助けたいの。リカちゃんごめんね、私のわがままを聞いてくれる?」
「頼むぜ、リカちゃん。せっかくここまで来てウィリアムにモニカをいいようにされたまんまってのは悔しいじゃねえか」
「うん、分かったの……でも気をつけてね? お姉ちゃん達」
「リカちゃんもな」
笑みで頭のリカちゃんを撫でた舞が由実へと目を向ける。懐からマナーモードにした携帯電話を取り出した。
ウィリアムも、都市伝説群も、ユーグと弘蔵も、舞の行動に気付いてはいない。
着信が入り、舞の頭上と掌の上で、柱の崩壊とモニカの悲鳴に紛れたリカちゃんの声がする。
「もしもし、わたしリカちゃん。今――」
『モニカお姉ちゃんの後ろに居るの』
言葉通りの位置にリカちゃんは由実と舞共々転移した。短距離ならば起こすアクションの数が少ない分リカちゃんの方が≪フィラデルフィア計画≫よりも迅速だ。
転移が完了すると同時に、この部屋内にいる生物数百が一斉に色めき立つ気配が起こった。
その気配を無視して、由実達は為すべき事を為すために全力で動く。
「その人形、そのような事もできるのかね……っ」
驚いた様子のウィリアムに向けて由実は意識を集中させる。
何か妨害行動を起こされる前に――!
由実の意思に従って≪フィラデルフィア計画≫の鉄箱が出現した。ウィリアムの間近に現れたそれでウィリアムを発光体の中に取り込もうとするが、ウィリアムは箱の出現を見た途端に箱から距離を取って効果範囲から外れてしまった。
自分の戦闘方法は知られてしまっている。そしてそうなった場合回避されやすいのも分かっている。
――だけど!
由実は咄嗟に鉄箱を避けたせいで体勢を崩したウィリアムへと、ここまでの道中で確保した拾い物の拳銃を向けた。
引き金を引く。
軽い破裂音と共に撃ち倒されたのは都市伝説群の中の一匹、≪ヨーウィー≫だった。
ウィリアム自身は盾になって絶命した≪ヨーウィー≫に何の関心も示さず、由実の銃口から隠れるように≪フランケンシュタイン≫の巨体の後ろに移動する。由実はその≪フランケンシュタイン≫に銃口を向け、背後に言葉をかける。
「舞ちゃん! モニカの拘束を!」
「おう、リカちゃん、力技でいけそうか?」
「だ、だいじょうぶ!」
モニカの様子に気後れしたようなリカちゃんの返事の数秒後に、モニカを寝台に拘束していたベルトが破壊される音がモニカの悲鳴に紛れて聞こえてきた。
「フィラちゃん! 全部外したぜ!」
「ええ!」
答えながら由実は周囲を見渡す。
ユーグと弘蔵がこちらの動きを観察して次の動作を考えているようであり、Tさんも敵の懐深くに飛び込んだ由実達を応援するように目礼した。
由実は銃口をそのままに、数歩下がって寝台の上のモニカに触れる。
先程から舞とリカちゃんが声をかけているが、いっかな応答がない。
モニカはその形で固まってしまったかのように頭を逸らして天を見上げたまま悲鳴を上げ続けている。
「どうしよう、フィラちゃん?」
途方に暮れたように舞が言う。由実は大丈夫、と言った本人が感心してしまう程にしっかりと答えて銃を手放し、モニカの身体を抱き締めた。
小さな身体は発し続けられる悲鳴に壊されていくかのようにひきつけじみた危うい痙攣を起こしている。
これがモニカの抱え込んだ憂いなのね……。
≪杞憂≫を暴走させているのはモニカの内側から溢れる憂いだという。
これほどのものを抱え込んでいた事に今まで気付けなかったなんて……。
≪首塚≫で保護した当初から、ろくに我侭も言わない子供だと思っていた。
そうじゃない、全部内側に収めていただけ……。
モニカに触れて分かる。そんな事も今まで察する事が出来なかった自分が保護者面をしていた事に腹が立つ。
けど、
それでも私はあなたの姉でいたいから――、
由実は抱き締めていたモニカの顔を正面に置いて、平手を構える。
不出来な姉で、子供の心を忖度できない駄目な保護者だけど。と心の中で詫びて――
「――っ!」
モニカの頬を張った。
●
掌にモニカの白い肌を打った衝撃が返ると共に、鋭い打音が辺りに響く。
周囲の全ての者が一瞬己の気にしているものに対する優先順位を放棄して由実へと目を向けた。
舞とリカちゃんは、手を軽く差し出した状態でどうしたものかと動きを止めている。
由実はそんな周囲を無視してモニカのみを見た。
「しっかりしなさいモニカ! あなたを迎えに来たわよ!」
胸に小さな頭を抱き、言い聞かせるように声をかける。
「今までずっと大変だったでしょう? もう隠さなくてもいいのよ。私はあなたの姉なの。あなたの両親には敵わないかもしれないけど、あなたを大事な人間だって、そう思ってるの」
モニカの両親について徹心に話を聞いた時の由実の印象は決して良い物ではなかった。実の娘を実験に供そうとは一体どういう両親なのだろうかと強く憤ったのを覚えている。しかし、ウィリアムは元々モニカの両親は実験に賛同していなかったと言った。発信機の件についてもそうだ。モニカに与えられる実験にはまずその身を賭していたとも聞いた。そして、≪神智学協会≫を娘と共に抜けだした彼等はモニカを託して息絶えた。
ただの実験体にここまではしないだろう。これがモニカの親が娘へと注いだ愛情だ。
こんなにも愛されていながら、それを確信できていないのはなんて不幸な事だろうと由実は思う。
由実は、モニカの両親は自分達が娘に持つ愛情を素直に伝える事が出来ていなかったのではないかと思う。
≪神智学協会≫に携わっていた二人はモニカに対して研究者という立場で何らかの処置を下す事もあったのだろう。それを実行した手で娘に愛情を伝える事に抵抗があったのではないか。
モニカは賢い娘だ。親の愛情を全く感じていなかった、という事はないだろう。彼女の口から両親に対する悪口が出た事はついぞなかった。しかし確信が持てず、ウィリアムの言葉に惑わされる事になってしまった。
ならば、
「モニカ。あなたを愛しているわ」
はっきりと言い聞かせるように、小さな身体に沁みわたるように、由実は言葉をかける。
腕の中の小さな温もりを、いつの間にか傷を溜めこんでいた幼子を包む。保護者として、姉として、そして――
舞がそれに気付き、声をひそめて言う。
「悲鳴が……止んだ?」
由実の胸に抱かれたモニカは、その慟哭の声を終息させていた。
周囲の全ての者が一瞬己の気にしているものに対する優先順位を放棄して由実へと目を向けた。
舞とリカちゃんは、手を軽く差し出した状態でどうしたものかと動きを止めている。
由実はそんな周囲を無視してモニカのみを見た。
「しっかりしなさいモニカ! あなたを迎えに来たわよ!」
胸に小さな頭を抱き、言い聞かせるように声をかける。
「今までずっと大変だったでしょう? もう隠さなくてもいいのよ。私はあなたの姉なの。あなたの両親には敵わないかもしれないけど、あなたを大事な人間だって、そう思ってるの」
モニカの両親について徹心に話を聞いた時の由実の印象は決して良い物ではなかった。実の娘を実験に供そうとは一体どういう両親なのだろうかと強く憤ったのを覚えている。しかし、ウィリアムは元々モニカの両親は実験に賛同していなかったと言った。発信機の件についてもそうだ。モニカに与えられる実験にはまずその身を賭していたとも聞いた。そして、≪神智学協会≫を娘と共に抜けだした彼等はモニカを託して息絶えた。
ただの実験体にここまではしないだろう。これがモニカの親が娘へと注いだ愛情だ。
こんなにも愛されていながら、それを確信できていないのはなんて不幸な事だろうと由実は思う。
由実は、モニカの両親は自分達が娘に持つ愛情を素直に伝える事が出来ていなかったのではないかと思う。
≪神智学協会≫に携わっていた二人はモニカに対して研究者という立場で何らかの処置を下す事もあったのだろう。それを実行した手で娘に愛情を伝える事に抵抗があったのではないか。
モニカは賢い娘だ。親の愛情を全く感じていなかった、という事はないだろう。彼女の口から両親に対する悪口が出た事はついぞなかった。しかし確信が持てず、ウィリアムの言葉に惑わされる事になってしまった。
ならば、
「モニカ。あなたを愛しているわ」
はっきりと言い聞かせるように、小さな身体に沁みわたるように、由実は言葉をかける。
腕の中の小さな温もりを、いつの間にか傷を溜めこんでいた幼子を包む。保護者として、姉として、そして――
舞がそれに気付き、声をひそめて言う。
「悲鳴が……止んだ?」
由実の胸に抱かれたモニカは、その慟哭の声を終息させていた。