●
≪杞憂≫が完全に暴走を終息させた。どうやらモニカも正気を取り戻したようだ。
目の前で起きたこれらの事実に、ウィリアムは素直に驚いていた。
……持ち直したばかりでなく、完全に正気を取り戻させてしまうとはね。
先程、≪杞憂≫の暴走によって体から絞り出すようにして上げていた悲鳴が収まった時から思ってはいたが、
なんとも、人の感情というものは御しがたいものだ……。それを起動キーとする≪杞憂≫を操作しようなど、到底不可能だったのだろうかね……。
それを一応の納得として、ウィリアムは≪杞憂≫の消失で崩れてきた施設の天井の破片によって破壊半ば破壊されたコンソールへともたれかかった。
失った右腕から血液が抜け過ぎたせいで眩暈を起こしたのだ。
血の流出を抑えようと、右腕の付け根をきつく抑えていると、鎧が鳴る音が近づいて来る。
ユーグがその手に剣を執り、ウィリアムへと歩を進めていた。彼はウィリアムへと冷厳な視線を向けて問いかける。
「満足か? ウィリアム」
「そうだね、当初は≪杞憂≫の発現とともに暴走に巻き込まれて身を滅ぼす事になるだろうと思っていたのだけど、この結果は思ったよりも面白い物になったね」
地鳴りが聞こえる。この地下施設は先の≪杞憂≫発現に伴う柱の出現でいくつもの穴を穿たれている状態だ。支えとなっていた≪杞憂≫の柱も先程消失した。支えを失った地下施設全体が崩壊しようとしているのだろう。
「そろそろこの施設も崩れてしまうね……」
そう言ってウィリアムは残った片腕でコンソールを操作する。辛うじて生き残っていたモニターがひどいノイズを交えつつも映像を繋いだ。映像の向こうにいる人物は、
「――やあ、オルコット。結局重要な所は邪魔されてしまったけど、それでもワタシのやりたいようにさせてもらった礼に、最期に研究成果を報告してあげようか」
≪神智学協会≫の長、オルコットだった。
目の前で起きたこれらの事実に、ウィリアムは素直に驚いていた。
……持ち直したばかりでなく、完全に正気を取り戻させてしまうとはね。
先程、≪杞憂≫の暴走によって体から絞り出すようにして上げていた悲鳴が収まった時から思ってはいたが、
なんとも、人の感情というものは御しがたいものだ……。それを起動キーとする≪杞憂≫を操作しようなど、到底不可能だったのだろうかね……。
それを一応の納得として、ウィリアムは≪杞憂≫の消失で崩れてきた施設の天井の破片によって破壊半ば破壊されたコンソールへともたれかかった。
失った右腕から血液が抜け過ぎたせいで眩暈を起こしたのだ。
血の流出を抑えようと、右腕の付け根をきつく抑えていると、鎧が鳴る音が近づいて来る。
ユーグがその手に剣を執り、ウィリアムへと歩を進めていた。彼はウィリアムへと冷厳な視線を向けて問いかける。
「満足か? ウィリアム」
「そうだね、当初は≪杞憂≫の発現とともに暴走に巻き込まれて身を滅ぼす事になるだろうと思っていたのだけど、この結果は思ったよりも面白い物になったね」
地鳴りが聞こえる。この地下施設は先の≪杞憂≫発現に伴う柱の出現でいくつもの穴を穿たれている状態だ。支えとなっていた≪杞憂≫の柱も先程消失した。支えを失った地下施設全体が崩壊しようとしているのだろう。
「そろそろこの施設も崩れてしまうね……」
そう言ってウィリアムは残った片腕でコンソールを操作する。辛うじて生き残っていたモニターがひどいノイズを交えつつも映像を繋いだ。映像の向こうにいる人物は、
「――やあ、オルコット。結局重要な所は邪魔されてしまったけど、それでもワタシのやりたいようにさせてもらった礼に、最期に研究成果を報告してあげようか」
≪神智学協会≫の長、オルコットだった。
●
オルコットは画面の中で一つ頷きを作ると、ウィリアムに話を促した。
『聞こう、ウィリアム。お前の最後の報告を』
「そちらに直通の回線を設けてある事に驚きもしないのか。君の掌の上だったということかね?」
喉を震わせる笑いを浮かべたウィリアムに、オルコットからの返答は無い。
ユーグがいつでも斬りかかれる体勢になっているのを背中越しに確認し、ウィリアムは肩を竦めて伝えるべき事項を告げ始めた。
「まず、レニーとトリシアが≪悪魔の密輸≫を用いて封印していた≪杞憂≫の件だけど、封印解除及び≪杞憂≫の発現に成功。その過程で憂いの感情を暴走させての≪杞憂≫の暴発を試みたけど、これはこの通り見事に収められてしまった。モニカ嬢は無事。健康状態はまあ、封印の解除直後までのデータでなら健康そのもの。今でも疲労がたたっているだけで一応健康体ではあるだろうね。そして――」
ウィリアムはうん、と前置きし、
「≪杞憂≫を宿し、発現させ、あまつさえその力を暴走させてなお、何の影響も見られない。この分ならば≪聖槍≫との契約も問題無く成功するのではないかな?」
『聞こう、ウィリアム。お前の最後の報告を』
「そちらに直通の回線を設けてある事に驚きもしないのか。君の掌の上だったということかね?」
喉を震わせる笑いを浮かべたウィリアムに、オルコットからの返答は無い。
ユーグがいつでも斬りかかれる体勢になっているのを背中越しに確認し、ウィリアムは肩を竦めて伝えるべき事項を告げ始めた。
「まず、レニーとトリシアが≪悪魔の密輸≫を用いて封印していた≪杞憂≫の件だけど、封印解除及び≪杞憂≫の発現に成功。その過程で憂いの感情を暴走させての≪杞憂≫の暴発を試みたけど、これはこの通り見事に収められてしまった。モニカ嬢は無事。健康状態はまあ、封印の解除直後までのデータでなら健康そのもの。今でも疲労がたたっているだけで一応健康体ではあるだろうね。そして――」
ウィリアムはうん、と前置きし、
「≪杞憂≫を宿し、発現させ、あまつさえその力を暴走させてなお、何の影響も見られない。この分ならば≪聖槍≫との契約も問題無く成功するのではないかな?」
●
「≪聖槍≫……だと?」
由実へと施している治療の手は止めずに、Tさんはモニターへと話し続けるウィリアムに言葉を投げた。
ウィリアムの出した都市伝説の名は、あまりにも有名で、そして危険を孕んだ代物だった。
「ああそうか……君達はそこまでは知らないのか」
ウィリアムはTさんへと振り返ってそう呟くと、円弧の笑みを血の気の薄くなった表情に浮かべた。
「そう、≪聖槍≫。オルコットの目的は知っているね? それを成す為には先も言ったけど、モニカ嬢に二つの都市伝説を契約させなければならないんだ。一つは≪杞憂≫、そしてもう一つが」
「≪聖槍≫ってやつなのか?」
「その通り」
舞の言に答え、ウィリアムは続ける。
「≪杞憂≫が今の世界を一度掃除し、しかる後に≪聖槍≫の能力が世界を制圧、後々まで世界は≪聖槍≫の制圧が統制し、乱れが生じた場合は≪杞憂≫が再び文明をリセットする。
これを為すには二つの都市伝説が別々に存在するのではだめだ。大きな力を方向付けて制御するためのモニカ嬢という器、そして二つの力を複合して、矛盾させる事無く扱う事のできる契約者という立場、それによって操作される≪聖槍≫の世界制圧と≪杞憂≫の世界の崩壊。その二つを複合した結果としての世界の再構成。それらをもってオルコットは世界に対して新たなルールを刻みつけようとしているのだね」
「≪聖槍≫……所有するものに世界を制する力を与える、か」
千勢が呟いたのは≪聖槍≫が持つ様々な逸話の一つだ。モニカに契約させられる≪聖槍≫の力はそれなのだろう。
「しかし、そのような強大な都市伝説との契約を、しかも二つもさせては普通、契約者の身が保ちはしない筈だ……」
「モニカ嬢には都市伝説に対する特殊な許容能力があるのだよ」
「なに?」
「その辺のカラクリはモニカ嬢本人を無事に連れ帰れたら聞くといい。あまり時間は残されてはいないのでね」
天井の瓦礫が降って来る。地下の本格的な崩壊が始まったのだ。
……このままここに居るのは危険か。
由実の傷はとりあえず塞がっている。危機は脱した状態だろう。
……ならば、
「リカちゃん、藤宮由実を頼む」
「わかったの」
立って、いつでも動ける状態に自分をしておきながら、Tさんは三つ巴となっている現場に張り詰めた緊張の糸を観察し始めた。
ウィリアムはモニターの中のオルコットへと振り返って報告を継ぐ。
「――さてオルコット。そのような感じで実験は万事成功だ。残念ながらワタシがみたかった崩壊は見られなかったけどね。そのせいでつい口が滑ってしまった。まあ成果物の自慢は制作者の特権と言う事にしておいてくれ」
『そうしておこう。そしてやはり腕は確かだったようだな、ウィリアム』
「お褒めに預かり光栄だよオルコット。君が世界に何を穿つ事が出来るのか、あの世で観覧させてもらうとでもするよ」
『好きにするといい』
その言葉を最後に、モニターに映っていたオルコットの姿が消失、画面がブラックアウトする。更に瓦礫が落ちてきて、モニターが完全に破壊された。
対話が終わったウィリアムへと舞が言葉をぶつける。
「おい、待てよ」
「なんだね? 君は……そう、マイだったね。何か質問かな?」
そう続きを緩やかに促すウィリアムに舞は訊ねる。
「モニカになんかわけの分かんねえもんを契約させてよ、それで都市伝説が無事に使えるようになったとしてさ、それでモニカの方はどうなるんだよ?」
「ああ、そんな事かい?」
ウィリアムはそうだね、と少し考える間を置いて舞の質問に返答する。
「モニカ嬢は死にはしないよ。ただ、精神の方は深い深い眠りにつくことになる」
「眠り?」
「何者にも侵されることのない、安楽の眠りだ」
ユーグがウィリアムの言葉を奪うように割り込んだ。彼が喚び出した騎兵達が、その手に携える槍をTさん、ウィリアム双方に向けた。
「騎士のおっちゃん……?」
先程は彼等によって守られていた舞が、戸惑いと、やはり、というニュアンスを同時に含んだ声でユーグに呼びかける。
「モニカ嬢を渡してもらおう」
率直にそう言って詰め寄るユーグ。そんな彼に千勢が宝剣と視線の切っ先を向け、同じように大太刀を構えて臨戦態勢に入った弘蔵を牽制するようにTさんが掌を向ける。
そして、
「そう、やっぱりウィリアム、あなたでもモニカ嬢の精神を取り出して、別の器に移しかえる事は不可能だったのね?」
新たな声、襤褸同然になった衣服を引っ掛けただけの、ひどく疲弊しているエレナがこの部屋へと現れた。
「……やはり、生きていたか」
千勢が呟き、ウィリアムが口端を吊り上げる。
「ああ、その通りだよエレナ。それにしてもひどいありさまだ。――まあワタシもあまり人の事は言えないがね」
ウィリアムはうん、と短く前置きし、片腕の付け根を抑えたまま、白衣の、失くした片方の腕の部分を揺らして大仰に語る。
「精神という要素はどうも都市伝説に対して重要らしい。アキヅキ達を用いた実験の結果、精神を抜かれた身体に宿った都市伝説は制御が利かない、あるいは暴走状態になりやすい事が判明してね。普通の都市伝説でそれなのだから、≪杞憂≫や≪聖槍≫クラスの都市伝説で制御が利く道理も無い。そしてこれらの都市伝説の暴走が起ころうものならオルコットの目的は果たせない事になるね。――でも」
そう言ってウィリアムは無くなった右腕の肘を抑えていた手を離した。抑えの無くなった右腕から流れる血が地面を染めていく速度が加速する。
己の生命を危険に晒す行為に、しかしウィリアムは笑みを浮かべて血に濡れた左手を翳した。
「最期にそれを見てみるのもいいかもしれない。精神の均衡を崩して意図的に暴発させた≪杞憂≫は発現の仕方が歪んで効果範囲が狭まっていたけど、精神を破壊した時にはどのような結果が現れるんだろうね?」
「お前も死ぬ事になるぞ?」
「構わないさチトセ。ワタシはね、自ら完成させた最高の器を自分で壊してみたい欲求にかられているんだよ! オルコットの目的は果たせなくなるけど、それはワタシにとってはどうでもいい事。研究の成果、それを体験して死ねるのならそれもまた、本望だ……!」
そう言ってウィリアムはコンソールの傍に設置されている、複数のガラスを連ねたような装置に血に濡れた左手を置いた。
「≪グラス・ハーモニカ≫――、いくよ?」
「≪グラス・ハーモニカ≫だと……!?」
「え? なに? ハーモニカ?」
舞が周囲の人々が一様に厳しい表情になったのに戸惑いを表す。Tさんが頷き、
「演奏するだけで人を発狂させたり霊を招くという逸話を持つ楽器だ。舞、リカちゃん、耳を塞げ」
「お、おう」
「わかったの」
「ああ、大丈夫だよ。いまのこの≪グラス・ハーモニカ≫はしっかりモニカ嬢用に調律してあるからね。他の者には効かないよ」
ウィリアムが≪グラス・ハーモニカ≫へと手を置く。その血濡れの左手がガラスの上を滑りだすと、不思議な音色が流れだした。
妙に不安定になるような、妖しい音だ。
「――ッ」
Tさんが光弾を現し、千勢が剣を振りかぶる。しかし彼等の攻撃が届くより先に、
「――――、アキヅキ、か……」
「研究成果の手にかかって死ぬのは本望なのだろう? 儂あたりで妥協しておくといい」
「まったく、執着なんて、するもの、では……ない、ね…………」
弘蔵の大太刀が、ウィリアムを左肩から袈裟斬りに切り裂いていた。
由実へと施している治療の手は止めずに、Tさんはモニターへと話し続けるウィリアムに言葉を投げた。
ウィリアムの出した都市伝説の名は、あまりにも有名で、そして危険を孕んだ代物だった。
「ああそうか……君達はそこまでは知らないのか」
ウィリアムはTさんへと振り返ってそう呟くと、円弧の笑みを血の気の薄くなった表情に浮かべた。
「そう、≪聖槍≫。オルコットの目的は知っているね? それを成す為には先も言ったけど、モニカ嬢に二つの都市伝説を契約させなければならないんだ。一つは≪杞憂≫、そしてもう一つが」
「≪聖槍≫ってやつなのか?」
「その通り」
舞の言に答え、ウィリアムは続ける。
「≪杞憂≫が今の世界を一度掃除し、しかる後に≪聖槍≫の能力が世界を制圧、後々まで世界は≪聖槍≫の制圧が統制し、乱れが生じた場合は≪杞憂≫が再び文明をリセットする。
これを為すには二つの都市伝説が別々に存在するのではだめだ。大きな力を方向付けて制御するためのモニカ嬢という器、そして二つの力を複合して、矛盾させる事無く扱う事のできる契約者という立場、それによって操作される≪聖槍≫の世界制圧と≪杞憂≫の世界の崩壊。その二つを複合した結果としての世界の再構成。それらをもってオルコットは世界に対して新たなルールを刻みつけようとしているのだね」
「≪聖槍≫……所有するものに世界を制する力を与える、か」
千勢が呟いたのは≪聖槍≫が持つ様々な逸話の一つだ。モニカに契約させられる≪聖槍≫の力はそれなのだろう。
「しかし、そのような強大な都市伝説との契約を、しかも二つもさせては普通、契約者の身が保ちはしない筈だ……」
「モニカ嬢には都市伝説に対する特殊な許容能力があるのだよ」
「なに?」
「その辺のカラクリはモニカ嬢本人を無事に連れ帰れたら聞くといい。あまり時間は残されてはいないのでね」
天井の瓦礫が降って来る。地下の本格的な崩壊が始まったのだ。
……このままここに居るのは危険か。
由実の傷はとりあえず塞がっている。危機は脱した状態だろう。
……ならば、
「リカちゃん、藤宮由実を頼む」
「わかったの」
立って、いつでも動ける状態に自分をしておきながら、Tさんは三つ巴となっている現場に張り詰めた緊張の糸を観察し始めた。
ウィリアムはモニターの中のオルコットへと振り返って報告を継ぐ。
「――さてオルコット。そのような感じで実験は万事成功だ。残念ながらワタシがみたかった崩壊は見られなかったけどね。そのせいでつい口が滑ってしまった。まあ成果物の自慢は制作者の特権と言う事にしておいてくれ」
『そうしておこう。そしてやはり腕は確かだったようだな、ウィリアム』
「お褒めに預かり光栄だよオルコット。君が世界に何を穿つ事が出来るのか、あの世で観覧させてもらうとでもするよ」
『好きにするといい』
その言葉を最後に、モニターに映っていたオルコットの姿が消失、画面がブラックアウトする。更に瓦礫が落ちてきて、モニターが完全に破壊された。
対話が終わったウィリアムへと舞が言葉をぶつける。
「おい、待てよ」
「なんだね? 君は……そう、マイだったね。何か質問かな?」
そう続きを緩やかに促すウィリアムに舞は訊ねる。
「モニカになんかわけの分かんねえもんを契約させてよ、それで都市伝説が無事に使えるようになったとしてさ、それでモニカの方はどうなるんだよ?」
「ああ、そんな事かい?」
ウィリアムはそうだね、と少し考える間を置いて舞の質問に返答する。
「モニカ嬢は死にはしないよ。ただ、精神の方は深い深い眠りにつくことになる」
「眠り?」
「何者にも侵されることのない、安楽の眠りだ」
ユーグがウィリアムの言葉を奪うように割り込んだ。彼が喚び出した騎兵達が、その手に携える槍をTさん、ウィリアム双方に向けた。
「騎士のおっちゃん……?」
先程は彼等によって守られていた舞が、戸惑いと、やはり、というニュアンスを同時に含んだ声でユーグに呼びかける。
「モニカ嬢を渡してもらおう」
率直にそう言って詰め寄るユーグ。そんな彼に千勢が宝剣と視線の切っ先を向け、同じように大太刀を構えて臨戦態勢に入った弘蔵を牽制するようにTさんが掌を向ける。
そして、
「そう、やっぱりウィリアム、あなたでもモニカ嬢の精神を取り出して、別の器に移しかえる事は不可能だったのね?」
新たな声、襤褸同然になった衣服を引っ掛けただけの、ひどく疲弊しているエレナがこの部屋へと現れた。
「……やはり、生きていたか」
千勢が呟き、ウィリアムが口端を吊り上げる。
「ああ、その通りだよエレナ。それにしてもひどいありさまだ。――まあワタシもあまり人の事は言えないがね」
ウィリアムはうん、と短く前置きし、片腕の付け根を抑えたまま、白衣の、失くした片方の腕の部分を揺らして大仰に語る。
「精神という要素はどうも都市伝説に対して重要らしい。アキヅキ達を用いた実験の結果、精神を抜かれた身体に宿った都市伝説は制御が利かない、あるいは暴走状態になりやすい事が判明してね。普通の都市伝説でそれなのだから、≪杞憂≫や≪聖槍≫クラスの都市伝説で制御が利く道理も無い。そしてこれらの都市伝説の暴走が起ころうものならオルコットの目的は果たせない事になるね。――でも」
そう言ってウィリアムは無くなった右腕の肘を抑えていた手を離した。抑えの無くなった右腕から流れる血が地面を染めていく速度が加速する。
己の生命を危険に晒す行為に、しかしウィリアムは笑みを浮かべて血に濡れた左手を翳した。
「最期にそれを見てみるのもいいかもしれない。精神の均衡を崩して意図的に暴発させた≪杞憂≫は発現の仕方が歪んで効果範囲が狭まっていたけど、精神を破壊した時にはどのような結果が現れるんだろうね?」
「お前も死ぬ事になるぞ?」
「構わないさチトセ。ワタシはね、自ら完成させた最高の器を自分で壊してみたい欲求にかられているんだよ! オルコットの目的は果たせなくなるけど、それはワタシにとってはどうでもいい事。研究の成果、それを体験して死ねるのならそれもまた、本望だ……!」
そう言ってウィリアムはコンソールの傍に設置されている、複数のガラスを連ねたような装置に血に濡れた左手を置いた。
「≪グラス・ハーモニカ≫――、いくよ?」
「≪グラス・ハーモニカ≫だと……!?」
「え? なに? ハーモニカ?」
舞が周囲の人々が一様に厳しい表情になったのに戸惑いを表す。Tさんが頷き、
「演奏するだけで人を発狂させたり霊を招くという逸話を持つ楽器だ。舞、リカちゃん、耳を塞げ」
「お、おう」
「わかったの」
「ああ、大丈夫だよ。いまのこの≪グラス・ハーモニカ≫はしっかりモニカ嬢用に調律してあるからね。他の者には効かないよ」
ウィリアムが≪グラス・ハーモニカ≫へと手を置く。その血濡れの左手がガラスの上を滑りだすと、不思議な音色が流れだした。
妙に不安定になるような、妖しい音だ。
「――ッ」
Tさんが光弾を現し、千勢が剣を振りかぶる。しかし彼等の攻撃が届くより先に、
「――――、アキヅキ、か……」
「研究成果の手にかかって死ぬのは本望なのだろう? 儂あたりで妥協しておくといい」
「まったく、執着なんて、するもの、では……ない、ね…………」
弘蔵の大太刀が、ウィリアムを左肩から袈裟斬りに切り裂いていた。