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正直、寝ていたという記憶が無い。時間がすっ飛んだ気分だ。
それでも二度寝だと思う現象から目が覚めると、おでこの上にTさんの掌があった。
「Tさん……」
「目覚めたか」
手が離れる。少し残念だなと思いつつ体を起こそうとして、Tさんにまたおでこを抑えつけられた。
体が元の寝る体勢に戻される。どうも昨日製薬会社から帰ってきた時に寝たベッドにまた眠らされているらしい。
「何すんだよTさん」
「病人はもう少し大人しくしておけ。すぐに治してやる」
Tさんはそう言って手を離すと、ベッドの横に置いてあった椅子に座り直した。
注意するような口調で言う。
「体調がすぐれないのならば走りまわってまで人探しをしようとするな」
「あー、俺ってもしかして、風邪とかひいちゃってる?」
自覚があまりない。そういえば朝から少し頭が重いかもしれないくらいには思ってたけど、そこまで重いものだったんだろうか?
Tさんは小さく頷いた。
「風邪……のようなものだな。昨日の疲労と、それに戦場で流れた血や毒気に中てられたんだろう。念入りに祓っておいた。少し休めばすぐに回復する」
うわ、マジか。
「あちゃー、情けねえなぁ」
「むしろ初めてあのような濃密な毒気の中にあって何も影響が無いという方がおかしい。舞のそれも軽度のものだ」
「つってもなー。Tさんとか千勢姉ちゃんとか、フィラちゃんやリカちゃんだって大丈夫じゃねえかよ」
俺一人ぶっ倒れるのはなんか情け無え気がするぜ。
「俺や師匠、それに藤宮由実はこういう場にはそれなりに慣れている。リカちゃんは元来≪ひとりかくれんぼ≫や≪電話をかけてくるリカちゃん人形≫の、人を襲う部分の能力を持ってもいる。毒気のようなものに対する本能的な適正があるんだ」
「それでもなんか悔しいぜ」
「まったく……相変わらずの元気のよさだ」
それなら大丈夫だろうと言ってTさんは苦笑した。
「おうよ」
俺もガッツポーズで答えて、頭の上にいつもある重みが無い事に思い至った。
「リカちゃんはどこなんだ?」
「今はモニカと一緒にケウの様子を見ている」
ケウの事を離すTさんの顔があまり晴れやかでないのに気付いて、おそるおそる訊ねてみる。
「やっぱりケウ、悪いのか?」
「命に別状はない。しかし、少し傷を負いすぎてはいるな。しばらくは戦闘のような激しい動きはできないだろう」
「そっか……」
ケウはしばらく安静にしてなくちゃいけねえのか……でも、まあなんにせよ、命に別状が無いというのはいい事だ。
「千勢姉ちゃんもけっこういいのもらってたって言ってたけど、そっちは大丈夫なのか?」
「そちらは問題ない。もう随分≪テンプル騎士団≫の呪詛は抜けた。あとは酒でも飲んで厄を払っておけば万全だと朝からあの様子で酒を呷っている」
「流石千勢姉ちゃん」
相変わらず過ぎてつい笑いが零れた。
相変わらず、か…………。
「なあTさん」
「どうした?」
「これが終わったらどうするよ?」
怪訝そうな顔をされた。
いきなりこんな事言っても分かるわけねえよなと気付いて、漠然と浮かんだ考えを言い直す。
「ほら、俺はもう大学に入るわけじゃん? そうなったら学校町を離れなきゃなんねえわけだけど、そうなったらいろいろ変化しなきゃいけねえわけじゃん? どうするよ? 主に住む場所とか」
Tさんがはたと気付いた顔をする。
「そうか……探す時間が無いかもしれないな」
そう、今回の事件でけっこう時間取られてて下宿を探す時間がさっぱり無い。
もう3月も後半に差し掛かっている。もう学校に通いやすそうな物件は全部取られてる気がしてならねえ。どうしたものかなぁ……。
「全てが終わったら高部徹心に相談してみよう。鶴見のような者とも交流があるんだ。格安で下宿の一軒くらいは見つけて来るだろう」
「そいつはいいや」
Tさんの提案に二人で笑い合う。身体から寝る前は感じていた倦怠感みたいなものがすっかり抜けてるのを自覚する。
俺の身体も平常運航に戻ったみたいだ。
俺がこれ以上よけいな迷惑をかけずに済みそうだと内心安心していると、Tさんが小さく言う。
「その折にはいい加減舞の両親にも会わねばならんな」
「あー、別によくね?」
友達とルームシェアしてるとは言ってあるけど、流石にその相手がTさんやリカちゃんみたいなのだって事になったらものすごい反応されそうなんだが。
「そういうわけにもいかんさ」
Tさんはそう言って俺の意見をやんわりと否定してくる。まあ、俺だっていつまでも黙ってるのは無理だってのは分かるけどさ……。
いざ親に会った時にTさんをどう紹介したものかと唸っていると、Tさんが憐れんでくれたのか、話題を変えてくれた。
「それにしても、それなりに大変なこのタイミングでそれが終わった後の事を話す事になるとはな」
「常に未来志向なのだよ、Tさん」
ふ、と笑みを浮かべる。
そう、これこそ受験期に身に付けた『あとで楽しい事あるから今はとりあえず頑張ってみるよ、俺』思考法の成果……!
つまり、
「まあ、あれだ。前向きに物事を考えるのも悪かぁないぜってな」
「そうだな」
肯定の言葉がありがたい。
もののついでに人生相談でも初めてみようかなと俺は口を滑らせる。
「それで俺さ、民俗学とか文化人類学とかやってみようかなとか思うんだ」
「大学の専攻か?」
「おう、それにこれからの俺のライフワークとかそんな感じだな。いろんな人たち見て来てさ。その人たちが生まれる元になったり契約してたいろんな話とか、それが変化したものとか見てきて、これからTさんと生きるのにこういう知識があった方が良いかなーって思ったんだ。そういう話を調べてくってのも俺けっこう好きだからな。わけのわからない図式相手に格闘するよりも」
ふむ、とTさんは頷く。
「となると、フィールドワークが前提になるな……場所によっては外国語の習得も必要か」
「そこは、ほら。Tさんいるし! 言語はスルーな方向で!」
冬のじいちゃんとかと異国の言語で流暢に会話する自分なんて、なんかもう別人な気がするもんな!
「それはともかく、俺なんかはそんな未来を夢見てるわけなんだ。だからさ」
ベッドの上に上半身を起こしてTさんの顔を見る。そして、強気と、そう感じてもらえるような笑顔で、
「勝とうぜ! 徹心のおっちゃんじゃねえけど、オルコットって奴が言う理想の世界も悪くねえとは思うけどさ、それを実現すんのはやっぱり人間がじっくり時間かけて間違いながらでも少しづつやってけばいいと思うんだよ。それで人間が滅びちまってもそこまでだったんだろうなーって諦めつくしさ」
「それはいい。とても気持ちいい意見で私好みだ」
いきなりの声。声のした方向を振り向くと、千勢姉ちゃんが俺が寝かされている部屋の扉の横でしきりに頷いていた。
「千勢姉ちゃん……」
「皆いるぞ」
そう言って姉ちゃんが扉を空けると、徹心のおっちゃん、モニカにその頭の上のリカちゃん、それにフィラちゃんも居た。――いつの間に。
「いつから居たんだよ!?」
「ふふふ、馬鹿弟子と舞が見つめ合ってご両親に会いに行くとか言っていた辺りから拝聴させてもらった」
「うわ、俺の嬉し恥ずかし夢語りまで聞かれてた!?」
「こらこら、まだ完全に体調が回復したわけでもないだろう。あまり騒がない方が良いよ」
両手を突き出して落ちつけのジェスチャーをしながら徹心のおっちゃんが言う。
「分かってるけどさ……」
あーもう、なんだよ恥ずかしいな。
ベッドに背中から倒れ込んで盛大に息を吐く。
「舞お姉ちゃん」
「ん?」
モニカだ。モニカは俺を呼んだ後、近くに来ると、頭を下げた。
綺麗なハニーブロンドが零れてモニカの顔を隠す。
「ごめんなさい。調子がわるいのに無理させちゃって」
ものすごく落ち込んでる様子だ。
せっかく持ち直したってのにこれはいかん。そう思いながら俺はモニカに返事をする。
「や、俺自身まさか自分の体調が悪いなんて思ってなかったからなぁ」
「鈍感なんだ。悪いのはモニカじゃないさ」
Tさんのモニカに対するフォローに何故か俺に対する悪意を感じるぜ……!
俺の内心はともかく、それでモニカの方は顔を上げてくれた。そのままモニカはTさんを見て口を開く。
「Tさん……一つ、きいてもいいです、か?」
遠慮がちな言葉。Tさんは首を傾げながら続きを促す。
「構わないが?」
「あのね、Tさんも、もしかして、だれかに助けてもらったことが……あるの?」
「ああ……あるよ」
そう言ってTさんは千勢姉ちゃんを指した。
「師匠、高坂千勢にな」
「もう随分前の事になるがな。最初に会った時から愛想が無かった」
感慨深げに答える千勢姉ちゃんにTさんは、さてどうだったろうかなと返して、
「俺は師匠に助け出される時、随分と捨て鉢でな、それなりに師匠にも世話をかけたんだ。その点、モニカは前向きに視座を据えていて偉いな」
そう言ってTさんはモニカの髪を撫でる。はにかんだように笑みを浮かべてモニカは頷いた。
「わたしね、Tさんみたいになりたいな」
「いや、それはどうだろう」
俺と千勢姉ちゃんからやんわりとした、でも即座の対応が入る。
「なんで?」
リカちゃんと一緒に疑問符を頭に浮かべたモニカに、代表して俺が言っておいた。
「ちょっとTさんは……濃いから」
「濃い?」
「人間的に強烈という事だ」
「定義的には師匠の言う通りだが、それほどでもない気がするのだが……」
本人には分からないもんだと思うんだ、こういうのって。
妙な空気の中、モニカは自分なりに納得したのか、「分かった」と言って、
「じゃあTさんのお嫁さんになる!」
今度はとっても明るく宣言した。
「モニカ、Tさんには舞ちゃんがいるのよ?」
そしてフィラちゃんがマジ注意した……! リカちゃんも手を挙げて、
「わたしもお兄ちゃんのおよめさんになるの!」
きっとあんまり意味わかってねえんだろうなー、リカちゃん。
「もてるな、Tさん」
「驚きだ」
微笑で言われてもなぁ……。Tさんを見てそんな事を思いながら俺も参加する。
「この際みんな娶っちまえよ。俺だろ、リカちゃん、モニカ、夢子ちゃんもたぶんTさんの事好きなんじゃねえかな?」
「あの子は舞も同じように好きなんだと思うが」
「おっと、ここで私も名乗りを上げておこう。さあ、フィラちゃんも」
千勢姉ちゃんに手を引かれたフィラちゃんが途方に暮れた顔をする。
「え、私も……? というか、舞ちゃんもさりげなく自分の名前上げてるのね」
「良い事だ。正妻の座は譲ろうじゃないか!」
小気味よく笑いながら千勢姉ちゃんが皆を巻き込んでTさんに倒れかかる。抱きつくというよりもあの勢いはこう……タックル的な――って、
千勢姉ちゃんは俺も巻き込んで、盛大に皆で転倒した。
「俺も巻き込むなよ! 一応病人だぜ!?」
ベッドの上でもがきながらの文句に、千勢姉ちゃんが笑ってあしらってくる。
「もうほとんど大丈夫なのだろう? 気にするな気にするな――徹心お前も嫁に立候補するか?」
「僕に振らないでくれ、高坂君……」
あー、眉間を揉んでいる。苦労人だなぁ……。
「いい加減重いんだが……あと師匠、酒をどれほど飲んだ。酒臭いぞ」
Tさんが迷惑そうに言い、その後もしばらく重量を味わわされた後、やっと身を話した千勢姉ちゃんは、表情を真剣なものにした。
「さて、舞の様子も良好なようだし、そろそろ≪神智学協会≫に対する今後の事を話そうか」
「そうだね、作戦会議をした方がいい。Tさんもさっき僕と決めて行きたい事があると言っていたね。それについても聞きたい」
「そうだな。――モニカも、少し内容は重くなるだろうがお前にとってもこれは重大な話だ。聞いておくと良い」
「うん……」
モニカの顔が少し暗くなる。いきなり全面的に明るくなれはしないわな。
ここの大人達は急激なギアの切り替えができるけど、モニカはそうもいかねえだろう。最近こういう場に馴染んできてるフィラちゃんは大丈夫そうだけど、俺は微妙に付いていけねえ。リカちゃんは始終首を傾げてるぜ。
だから、一呼吸入れる意味も込めて。と心の中で前置きして俺は手を挙げた。
「まあ待て。とりあえず腹が減ったよ。何か食おうぜ」
まずは飯だ飯。作戦なんてのは腹が膨れてから考えたほうがきっといい案が浮かぶにちげえねえのさ。
それでも二度寝だと思う現象から目が覚めると、おでこの上にTさんの掌があった。
「Tさん……」
「目覚めたか」
手が離れる。少し残念だなと思いつつ体を起こそうとして、Tさんにまたおでこを抑えつけられた。
体が元の寝る体勢に戻される。どうも昨日製薬会社から帰ってきた時に寝たベッドにまた眠らされているらしい。
「何すんだよTさん」
「病人はもう少し大人しくしておけ。すぐに治してやる」
Tさんはそう言って手を離すと、ベッドの横に置いてあった椅子に座り直した。
注意するような口調で言う。
「体調がすぐれないのならば走りまわってまで人探しをしようとするな」
「あー、俺ってもしかして、風邪とかひいちゃってる?」
自覚があまりない。そういえば朝から少し頭が重いかもしれないくらいには思ってたけど、そこまで重いものだったんだろうか?
Tさんは小さく頷いた。
「風邪……のようなものだな。昨日の疲労と、それに戦場で流れた血や毒気に中てられたんだろう。念入りに祓っておいた。少し休めばすぐに回復する」
うわ、マジか。
「あちゃー、情けねえなぁ」
「むしろ初めてあのような濃密な毒気の中にあって何も影響が無いという方がおかしい。舞のそれも軽度のものだ」
「つってもなー。Tさんとか千勢姉ちゃんとか、フィラちゃんやリカちゃんだって大丈夫じゃねえかよ」
俺一人ぶっ倒れるのはなんか情け無え気がするぜ。
「俺や師匠、それに藤宮由実はこういう場にはそれなりに慣れている。リカちゃんは元来≪ひとりかくれんぼ≫や≪電話をかけてくるリカちゃん人形≫の、人を襲う部分の能力を持ってもいる。毒気のようなものに対する本能的な適正があるんだ」
「それでもなんか悔しいぜ」
「まったく……相変わらずの元気のよさだ」
それなら大丈夫だろうと言ってTさんは苦笑した。
「おうよ」
俺もガッツポーズで答えて、頭の上にいつもある重みが無い事に思い至った。
「リカちゃんはどこなんだ?」
「今はモニカと一緒にケウの様子を見ている」
ケウの事を離すTさんの顔があまり晴れやかでないのに気付いて、おそるおそる訊ねてみる。
「やっぱりケウ、悪いのか?」
「命に別状はない。しかし、少し傷を負いすぎてはいるな。しばらくは戦闘のような激しい動きはできないだろう」
「そっか……」
ケウはしばらく安静にしてなくちゃいけねえのか……でも、まあなんにせよ、命に別状が無いというのはいい事だ。
「千勢姉ちゃんもけっこういいのもらってたって言ってたけど、そっちは大丈夫なのか?」
「そちらは問題ない。もう随分≪テンプル騎士団≫の呪詛は抜けた。あとは酒でも飲んで厄を払っておけば万全だと朝からあの様子で酒を呷っている」
「流石千勢姉ちゃん」
相変わらず過ぎてつい笑いが零れた。
相変わらず、か…………。
「なあTさん」
「どうした?」
「これが終わったらどうするよ?」
怪訝そうな顔をされた。
いきなりこんな事言っても分かるわけねえよなと気付いて、漠然と浮かんだ考えを言い直す。
「ほら、俺はもう大学に入るわけじゃん? そうなったら学校町を離れなきゃなんねえわけだけど、そうなったらいろいろ変化しなきゃいけねえわけじゃん? どうするよ? 主に住む場所とか」
Tさんがはたと気付いた顔をする。
「そうか……探す時間が無いかもしれないな」
そう、今回の事件でけっこう時間取られてて下宿を探す時間がさっぱり無い。
もう3月も後半に差し掛かっている。もう学校に通いやすそうな物件は全部取られてる気がしてならねえ。どうしたものかなぁ……。
「全てが終わったら高部徹心に相談してみよう。鶴見のような者とも交流があるんだ。格安で下宿の一軒くらいは見つけて来るだろう」
「そいつはいいや」
Tさんの提案に二人で笑い合う。身体から寝る前は感じていた倦怠感みたいなものがすっかり抜けてるのを自覚する。
俺の身体も平常運航に戻ったみたいだ。
俺がこれ以上よけいな迷惑をかけずに済みそうだと内心安心していると、Tさんが小さく言う。
「その折にはいい加減舞の両親にも会わねばならんな」
「あー、別によくね?」
友達とルームシェアしてるとは言ってあるけど、流石にその相手がTさんやリカちゃんみたいなのだって事になったらものすごい反応されそうなんだが。
「そういうわけにもいかんさ」
Tさんはそう言って俺の意見をやんわりと否定してくる。まあ、俺だっていつまでも黙ってるのは無理だってのは分かるけどさ……。
いざ親に会った時にTさんをどう紹介したものかと唸っていると、Tさんが憐れんでくれたのか、話題を変えてくれた。
「それにしても、それなりに大変なこのタイミングでそれが終わった後の事を話す事になるとはな」
「常に未来志向なのだよ、Tさん」
ふ、と笑みを浮かべる。
そう、これこそ受験期に身に付けた『あとで楽しい事あるから今はとりあえず頑張ってみるよ、俺』思考法の成果……!
つまり、
「まあ、あれだ。前向きに物事を考えるのも悪かぁないぜってな」
「そうだな」
肯定の言葉がありがたい。
もののついでに人生相談でも初めてみようかなと俺は口を滑らせる。
「それで俺さ、民俗学とか文化人類学とかやってみようかなとか思うんだ」
「大学の専攻か?」
「おう、それにこれからの俺のライフワークとかそんな感じだな。いろんな人たち見て来てさ。その人たちが生まれる元になったり契約してたいろんな話とか、それが変化したものとか見てきて、これからTさんと生きるのにこういう知識があった方が良いかなーって思ったんだ。そういう話を調べてくってのも俺けっこう好きだからな。わけのわからない図式相手に格闘するよりも」
ふむ、とTさんは頷く。
「となると、フィールドワークが前提になるな……場所によっては外国語の習得も必要か」
「そこは、ほら。Tさんいるし! 言語はスルーな方向で!」
冬のじいちゃんとかと異国の言語で流暢に会話する自分なんて、なんかもう別人な気がするもんな!
「それはともかく、俺なんかはそんな未来を夢見てるわけなんだ。だからさ」
ベッドの上に上半身を起こしてTさんの顔を見る。そして、強気と、そう感じてもらえるような笑顔で、
「勝とうぜ! 徹心のおっちゃんじゃねえけど、オルコットって奴が言う理想の世界も悪くねえとは思うけどさ、それを実現すんのはやっぱり人間がじっくり時間かけて間違いながらでも少しづつやってけばいいと思うんだよ。それで人間が滅びちまってもそこまでだったんだろうなーって諦めつくしさ」
「それはいい。とても気持ちいい意見で私好みだ」
いきなりの声。声のした方向を振り向くと、千勢姉ちゃんが俺が寝かされている部屋の扉の横でしきりに頷いていた。
「千勢姉ちゃん……」
「皆いるぞ」
そう言って姉ちゃんが扉を空けると、徹心のおっちゃん、モニカにその頭の上のリカちゃん、それにフィラちゃんも居た。――いつの間に。
「いつから居たんだよ!?」
「ふふふ、馬鹿弟子と舞が見つめ合ってご両親に会いに行くとか言っていた辺りから拝聴させてもらった」
「うわ、俺の嬉し恥ずかし夢語りまで聞かれてた!?」
「こらこら、まだ完全に体調が回復したわけでもないだろう。あまり騒がない方が良いよ」
両手を突き出して落ちつけのジェスチャーをしながら徹心のおっちゃんが言う。
「分かってるけどさ……」
あーもう、なんだよ恥ずかしいな。
ベッドに背中から倒れ込んで盛大に息を吐く。
「舞お姉ちゃん」
「ん?」
モニカだ。モニカは俺を呼んだ後、近くに来ると、頭を下げた。
綺麗なハニーブロンドが零れてモニカの顔を隠す。
「ごめんなさい。調子がわるいのに無理させちゃって」
ものすごく落ち込んでる様子だ。
せっかく持ち直したってのにこれはいかん。そう思いながら俺はモニカに返事をする。
「や、俺自身まさか自分の体調が悪いなんて思ってなかったからなぁ」
「鈍感なんだ。悪いのはモニカじゃないさ」
Tさんのモニカに対するフォローに何故か俺に対する悪意を感じるぜ……!
俺の内心はともかく、それでモニカの方は顔を上げてくれた。そのままモニカはTさんを見て口を開く。
「Tさん……一つ、きいてもいいです、か?」
遠慮がちな言葉。Tさんは首を傾げながら続きを促す。
「構わないが?」
「あのね、Tさんも、もしかして、だれかに助けてもらったことが……あるの?」
「ああ……あるよ」
そう言ってTさんは千勢姉ちゃんを指した。
「師匠、高坂千勢にな」
「もう随分前の事になるがな。最初に会った時から愛想が無かった」
感慨深げに答える千勢姉ちゃんにTさんは、さてどうだったろうかなと返して、
「俺は師匠に助け出される時、随分と捨て鉢でな、それなりに師匠にも世話をかけたんだ。その点、モニカは前向きに視座を据えていて偉いな」
そう言ってTさんはモニカの髪を撫でる。はにかんだように笑みを浮かべてモニカは頷いた。
「わたしね、Tさんみたいになりたいな」
「いや、それはどうだろう」
俺と千勢姉ちゃんからやんわりとした、でも即座の対応が入る。
「なんで?」
リカちゃんと一緒に疑問符を頭に浮かべたモニカに、代表して俺が言っておいた。
「ちょっとTさんは……濃いから」
「濃い?」
「人間的に強烈という事だ」
「定義的には師匠の言う通りだが、それほどでもない気がするのだが……」
本人には分からないもんだと思うんだ、こういうのって。
妙な空気の中、モニカは自分なりに納得したのか、「分かった」と言って、
「じゃあTさんのお嫁さんになる!」
今度はとっても明るく宣言した。
「モニカ、Tさんには舞ちゃんがいるのよ?」
そしてフィラちゃんがマジ注意した……! リカちゃんも手を挙げて、
「わたしもお兄ちゃんのおよめさんになるの!」
きっとあんまり意味わかってねえんだろうなー、リカちゃん。
「もてるな、Tさん」
「驚きだ」
微笑で言われてもなぁ……。Tさんを見てそんな事を思いながら俺も参加する。
「この際みんな娶っちまえよ。俺だろ、リカちゃん、モニカ、夢子ちゃんもたぶんTさんの事好きなんじゃねえかな?」
「あの子は舞も同じように好きなんだと思うが」
「おっと、ここで私も名乗りを上げておこう。さあ、フィラちゃんも」
千勢姉ちゃんに手を引かれたフィラちゃんが途方に暮れた顔をする。
「え、私も……? というか、舞ちゃんもさりげなく自分の名前上げてるのね」
「良い事だ。正妻の座は譲ろうじゃないか!」
小気味よく笑いながら千勢姉ちゃんが皆を巻き込んでTさんに倒れかかる。抱きつくというよりもあの勢いはこう……タックル的な――って、
千勢姉ちゃんは俺も巻き込んで、盛大に皆で転倒した。
「俺も巻き込むなよ! 一応病人だぜ!?」
ベッドの上でもがきながらの文句に、千勢姉ちゃんが笑ってあしらってくる。
「もうほとんど大丈夫なのだろう? 気にするな気にするな――徹心お前も嫁に立候補するか?」
「僕に振らないでくれ、高坂君……」
あー、眉間を揉んでいる。苦労人だなぁ……。
「いい加減重いんだが……あと師匠、酒をどれほど飲んだ。酒臭いぞ」
Tさんが迷惑そうに言い、その後もしばらく重量を味わわされた後、やっと身を話した千勢姉ちゃんは、表情を真剣なものにした。
「さて、舞の様子も良好なようだし、そろそろ≪神智学協会≫に対する今後の事を話そうか」
「そうだね、作戦会議をした方がいい。Tさんもさっき僕と決めて行きたい事があると言っていたね。それについても聞きたい」
「そうだな。――モニカも、少し内容は重くなるだろうがお前にとってもこれは重大な話だ。聞いておくと良い」
「うん……」
モニカの顔が少し暗くなる。いきなり全面的に明るくなれはしないわな。
ここの大人達は急激なギアの切り替えができるけど、モニカはそうもいかねえだろう。最近こういう場に馴染んできてるフィラちゃんは大丈夫そうだけど、俺は微妙に付いていけねえ。リカちゃんは始終首を傾げてるぜ。
だから、一呼吸入れる意味も込めて。と心の中で前置きして俺は手を挙げた。
「まあ待て。とりあえず腹が減ったよ。何か食おうぜ」
まずは飯だ飯。作戦なんてのは腹が膨れてから考えたほうがきっといい案が浮かぶにちげえねえのさ。