もぐたん 01(後編)
"Wer mit Ungeheuern kampft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird.
Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein."
Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein."
全ての講義をこなし、私は帰路に付く。
もう午後八時を廻ったというのに、学内の喧騒は続いている。
窓の外から見える比較的広く設けられている中庭には、ライトアップされた桜の木が静々とその花を散らしていた
もう午後八時を廻ったというのに、学内の喧騒は続いている。
窓の外から見える比較的広く設けられている中庭には、ライトアップされた桜の木が静々とその花を散らしていた
夏の蒸し暑さがちろちろとその舌を覗かせる四月の終わりの夜は、どこか物悲しい。
散際の桜の花びらは春が流す涙なのだと、誰かが言っていた気がする。
私が初めて怪異に触れたのも、そのせいで友達を失ったのもこの季節であったと記憶している。
幼い私は、少ない語彙を駆使して私を罵倒する同級生の輪の中心にいた。
彼らの言葉の鎖は小さな私の心を怪異へと傾倒させる錘にでも付属していたのか、
少なかった友人を手放さざるを得なかった事と引き換えに、私はオカルト染みた知識を得ることになる。
私が初めて怪異に触れたのも、そのせいで友達を失ったのもこの季節であったと記憶している。
幼い私は、少ない語彙を駆使して私を罵倒する同級生の輪の中心にいた。
彼らの言葉の鎖は小さな私の心を怪異へと傾倒させる錘にでも付属していたのか、
少なかった友人を手放さざるを得なかった事と引き換えに、私はオカルト染みた知識を得ることになる。
暗い青春時代をほぼ図書館で過ごした。
奇怪な話を好んで読み漁った。異形に関する文献を紐解いた。
ありもしない真実に権威と信憑性という飾りを施した噂の数々。
友人のいない私の友人は、本の中だけ存在することが出来る怪異のみだった。
私なら、どんな化け物とでも仲良くできる。私なら、どんなに恐ろしい状況でも打開できる。
それだけの知識と、境遇を私は所持している。
外から見たら無為に空費したとしか判断できないこの時間に意味を持たせるため、
私はそういう強がりにも似た自信を心の内で育てていくことになる。
ありもしない真実に権威と信憑性という飾りを施した噂の数々。
友人のいない私の友人は、本の中だけ存在することが出来る怪異のみだった。
私なら、どんな化け物とでも仲良くできる。私なら、どんなに恐ろしい状況でも打開できる。
それだけの知識と、境遇を私は所持している。
外から見たら無為に空費したとしか判断できないこの時間に意味を持たせるため、
私はそういう強がりにも似た自信を心の内で育てていくことになる。
外灯の少ない住宅街は、地方都市という立場にあるこの場所をある種浮き彫りにしてる。
常に光に溢れていた都会よりも、私はこちらの方が好きだが。
時折聞こえてくる団欒の様相を背にして、下宿先のアパートへと歩を早める。
家族というものに対して良い思い出のない私にとって、その団欒を感じさせる音は不愉快だ。
常に光に溢れていた都会よりも、私はこちらの方が好きだが。
時折聞こえてくる団欒の様相を背にして、下宿先のアパートへと歩を早める。
家族というものに対して良い思い出のない私にとって、その団欒を感じさせる音は不愉快だ。
薄手のコートのポケットに手を突っ込み、前を睨むようにして歩いた。
私は、独りで、こんな所で、何をしているんだろう。
私は、独りで、こんな所で、何をしているんだろう。
思わず、はぁとため息が出る。
ただモラトリアムの延長の為に大学へと進学し机上の空論ばかりを弄ぶ生活に、何の価値があるのだろう。
途端に悔しくなった。下唇をギュウと噛む。私は、独りだ。
ただモラトリアムの延長の為に大学へと進学し机上の空論ばかりを弄ぶ生活に、何の価値があるのだろう。
途端に悔しくなった。下唇をギュウと噛む。私は、独りだ。
――――暗闇。
気付けば私の視界に入る全ての外灯はその明りを失っていた。
広がる暗闇。月も星も雲に隠れ、空の輝きも期待出来そうにない。
住宅街にも関わらず、その全ての家に光が確認できない。
ただ暗闇が、私を覆っていた。
気付けば私の視界に入る全ての外灯はその明りを失っていた。
広がる暗闇。月も星も雲に隠れ、空の輝きも期待出来そうにない。
住宅街にも関わらず、その全ての家に光が確認できない。
ただ暗闇が、私を覆っていた。
こうなると本当に暗いものだなと思いつつも、足を運ぶには支障はないと判断する。
先ほどから止まっていた歩を再度進める。地面を軽く擦りながら歩く私の癖のせいで、気味の悪い音が空間を満たしている。
ざり、ざり。この癖も早く直したいところだ。
先ほどから止まっていた歩を再度進める。地面を軽く擦りながら歩く私の癖のせいで、気味の悪い音が空間を満たしている。
ざり、ざり。この癖も早く直したいところだ。
不気味な暗黒はまだ続いている。
しかしながら、よく目を凝らすと小さな明りが点滅しているのが確認できた。
恐らく私のアパートの手前にある自販機だろう。故障でもしているのかそれが放つ光は不規則に揺れていた。
そしてその不規則な光に照らされて、人の姿が見て取れる。髪の長い、女性のような体躯だ。
ギッギギと自販機に内臓されている蛍光灯が振動する音がする。苦手な音だ。
それ以外に私の足音しか聞こえない。これ程静かだから、離れた自販機の振動音も聞こえるのか。
その女性のような人影の左半分は見えない。自販機の光が弱いので右半分しか照らせていないのだ。
何かを買う様子もなく、体をこちらに向けて立ち尽くすそれは時折頭を掻き毟っている様だった。
しかしながら、よく目を凝らすと小さな明りが点滅しているのが確認できた。
恐らく私のアパートの手前にある自販機だろう。故障でもしているのかそれが放つ光は不規則に揺れていた。
そしてその不規則な光に照らされて、人の姿が見て取れる。髪の長い、女性のような体躯だ。
ギッギギと自販機に内臓されている蛍光灯が振動する音がする。苦手な音だ。
それ以外に私の足音しか聞こえない。これ程静かだから、離れた自販機の振動音も聞こえるのか。
その女性のような人影の左半分は見えない。自販機の光が弱いので右半分しか照らせていないのだ。
何かを買う様子もなく、体をこちらに向けて立ち尽くすそれは時折頭を掻き毟っている様だった。
その人影との距離が近づくにつれ、私の頭の隅がざわつく。
伊織の講義の時にみた夢。その中で私に問いかけた声。
それと同じ声が頭の片隅から私を嘲笑っている。
伊織の講義の時にみた夢。その中で私に問いかけた声。
それと同じ声が頭の片隅から私を嘲笑っている。
――――さぁ、人の子。お前の望んだ怪異だ。
ギッギ。
自販機の蛍光灯の放つ音だと思っていた。左半身が映らないのは光が足りないからだと思っていた。
目の前で頭を掻き毟る【ソレ】は、喉を鳴らしながら憤怒の表情を私に向けた。
目が一つしかない。鼻の穴も片方潰れている。顔面は所々皮膚が破れ、膿が破裂したような跡にまみれている。
喉からは赤いそうめんのようなものが穴から吹き零れ、ギッギと鈍く音を立てていた。
薄汚れた赤いワンピースは所々破れ、中から紫色に変色した皮膚が覗いている。
そして、その深淵に飲み込まれるようし存在する左半身には手も足も存在していなかった。
自販機の蛍光灯の放つ音だと思っていた。左半身が映らないのは光が足りないからだと思っていた。
目の前で頭を掻き毟る【ソレ】は、喉を鳴らしながら憤怒の表情を私に向けた。
目が一つしかない。鼻の穴も片方潰れている。顔面は所々皮膚が破れ、膿が破裂したような跡にまみれている。
喉からは赤いそうめんのようなものが穴から吹き零れ、ギッギと鈍く音を立てていた。
薄汚れた赤いワンピースは所々破れ、中から紫色に変色した皮膚が覗いている。
そして、その深淵に飲み込まれるようし存在する左半身には手も足も存在していなかった。
「カタワさん……」
思わず口から零れる名前。後ろの席で話されていた怪異なる化け物。
矛盾と情報の生んだ怪物がそこにいる。存在し得ない矛盾の空白を埋めるために誰かが作った空想の産物。
それが現実の質量と質感を伴ってそこに存在している。生々しい腐敗臭を纏って私を睨む。
背中を汗が伝う。
子供の私の背後の扉が、音も無く開いたあの時。
あの感覚。あの背骨ごと全身が波打つ感覚。
これは、恐怖だ。
怪異と出会っても何とかできる? 無理だ。本能がそれを否定している。
お前の望んだことダロ。頭の中私が笑う。ニゲテ、と幼い私が叫ぶ。
矛盾と情報の生んだ怪物がそこにいる。存在し得ない矛盾の空白を埋めるために誰かが作った空想の産物。
それが現実の質量と質感を伴ってそこに存在している。生々しい腐敗臭を纏って私を睨む。
背中を汗が伝う。
子供の私の背後の扉が、音も無く開いたあの時。
あの感覚。あの背骨ごと全身が波打つ感覚。
これは、恐怖だ。
怪異と出会っても何とかできる? 無理だ。本能がそれを否定している。
お前の望んだことダロ。頭の中私が笑う。ニゲテ、と幼い私が叫ぶ。
気付けば、ただ、怯えていた。
おかしい、ありえない、こんなこと。だって、あるわけないじゃないか。噂だ。噂のはずなんだ。
どこにでもある、誰かが作った、ただそれだけのもの。私は望んでいない。こんなことがあればいいだなんて思っていない。
私は嘘つきじゃないなんて証明の為に、こんな状況を求めていたなんて、ソレこそ嘘なんだ。
望んでいない。冗談じゃない。私は嘘つきでいい。私が怪異を望むのは、ホントにお化けはいるんだよって皆に認めて欲しいからじゃない。
鼓動が早い。涙が零れる。怖いからじゃない。惨めだからだ。
存在し得ない存在の肯定が、私の過去の弱さの肯定に繋がるなんて、惨めだ。
己の境遇からの逃避のための手段の怪異が、私の卑小さと弱さの証明だなんて、惨めだ。
どこにでもある、誰かが作った、ただそれだけのもの。私は望んでいない。こんなことがあればいいだなんて思っていない。
私は嘘つきじゃないなんて証明の為に、こんな状況を求めていたなんて、ソレこそ嘘なんだ。
望んでいない。冗談じゃない。私は嘘つきでいい。私が怪異を望むのは、ホントにお化けはいるんだよって皆に認めて欲しいからじゃない。
鼓動が早い。涙が零れる。怖いからじゃない。惨めだからだ。
存在し得ない存在の肯定が、私の過去の弱さの肯定に繋がるなんて、惨めだ。
己の境遇からの逃避のための手段の怪異が、私の卑小さと弱さの証明だなんて、惨めだ。
化け物が私を睨む。お前は惨めだと、消えろと睨む。
カタワさんの失ったパーツは上から互い違いになるようにないんだって。
でもね、たまに右手と右足ってあべこべになってないカタワさんがいるの。そのカタワさんに会ったら気をつけて。
物凄く怒ってるから。
「あ゛あ゛ぁ゛あぁあああああああ!!!!!」
唸りを上げる異形。立ちすくむ私。
人間いざと言う時には何も出来ない。指の一本も動かない。
カタワさんは自販機に爪を立てる。そのまま力任せに腕を下へと振り下ろす。
ガとキの連続した破壊音の末に五つの溝を深く刻む。
切り裂かれた自販機に己の末路を見る。潰れた膿から黄色い液体を滴らせ苦しそうに再度咆哮する異形。
ニゲロ、と誰かが叫ぶ。ムリダ、と私が叫ぶ。目を硬く閉じた。
一本足とは思えぬ速さでこちらへ向かってくるカタワさんをかわす術は、今の私にはない。
己の無力さと矮小さを自覚したまま死ぬ。殺される。
人間いざと言う時には何も出来ない。指の一本も動かない。
カタワさんは自販機に爪を立てる。そのまま力任せに腕を下へと振り下ろす。
ガとキの連続した破壊音の末に五つの溝を深く刻む。
切り裂かれた自販機に己の末路を見る。潰れた膿から黄色い液体を滴らせ苦しそうに再度咆哮する異形。
ニゲロ、と誰かが叫ぶ。ムリダ、と私が叫ぶ。目を硬く閉じた。
一本足とは思えぬ速さでこちらへ向かってくるカタワさんをかわす術は、今の私にはない。
己の無力さと矮小さを自覚したまま死ぬ。殺される。
そんなの、嫌だ。
列車の急停止のような高音が静寂を引き裂いた。
薄く目を開けると、そこには突き出されたカタワさんの右腕の先が火花を上げているのが見える。
何かに遮られる様にして奴の腕はそれ以上進まない。
再度、より強い力を持って刺突を繰り出す。が、同じように不可視の壁に遮られるようにして火花が上がるばかりである。
何が起こっているのか私は理解できなかった。未だ生を保っていられるのが幸福に感じられない。
薄く目を開けると、そこには突き出されたカタワさんの右腕の先が火花を上げているのが見える。
何かに遮られる様にして奴の腕はそれ以上進まない。
再度、より強い力を持って刺突を繰り出す。が、同じように不可視の壁に遮られるようにして火花が上がるばかりである。
何が起こっているのか私は理解できなかった。未だ生を保っていられるのが幸福に感じられない。
「があああああああああああああ!!!!!!!」
咆哮が耳を劈く。と同時に怪物の体が宙へ舞い、そのまま半壊した自販機に叩けつけられた。
轟音をもって破壊された自販機に埋もれるようにしてめり込んでいるその異形は、最早視認ができない。
生きているのか、死んでいるのか。
轟音をもって破壊された自販機に埋もれるようにしてめり込んでいるその異形は、最早視認ができない。
生きているのか、死んでいるのか。
――――シャン。
鈴の音が、光の存在を否定する世界に響いた。
ロングコートを翻し、女が先ほどまでカタワさんがいた場所へ降り立つ。
高い位置で一本に結われた漆黒の長髪が遅れてふわりと降りる。
凛とした顔に細身の体躯。この女が先ほどの化け物を吹き飛ばした原因だとすると、あまりにも儚い。
女は眉をひそめて軽く手首を回すと、完全にアウトだわと短く漏らした。
ロングコートを翻し、女が先ほどまでカタワさんがいた場所へ降り立つ。
高い位置で一本に結われた漆黒の長髪が遅れてふわりと降りる。
凛とした顔に細身の体躯。この女が先ほどの化け物を吹き飛ばした原因だとすると、あまりにも儚い。
女は眉をひそめて軽く手首を回すと、完全にアウトだわと短く漏らした。
「連続で撃つからだ」
野太い声が女に呼びかける。だがその声の主が見当たらない。
「あなたは……」
「あんた、生きてる?」
「……」
「あんた、生きてる?」
「……」
答えることが出来ない。生命機関は正常に作動し、思考も出来る。その思考を人体に伝達させ動かすことが出来る。
だか、私は、私の小さな自尊心は、それに保たれていた私の心は、死んだ。
だか、私は、私の小さな自尊心は、それに保たれていた私の心は、死んだ。
「生き人形かこいつは。結局ガラクタだな」
「うっせ。しゃべんな」
「うっせ。しゃべんな」
見えない何かと女が会話をする。私は俯いて下唇をかみ締める。
「ビビった? 発狂? 廃人コース? もしもし?」
女は私の目の前で手を振ってみせる。そのスレンダーな体でどうやってあの化け物を吹きとばしたのか。
この応答にすら答えることの出来ない私の悔しさは膨れ上がるばかりで、女はそんな私を見て悲しそうな表情を浮かべる。
またかよ、と言いながら女は軽く私の額に触れる。
今にも泣き出しそうな、ごめんなという言葉。思わず私も涙を零す。
やはり私は、惨めだ。
この応答にすら答えることの出来ない私の悔しさは膨れ上がるばかりで、女はそんな私を見て悲しそうな表情を浮かべる。
またかよ、と言いながら女は軽く私の額に触れる。
今にも泣き出しそうな、ごめんなという言葉。思わず私も涙を零す。
やはり私は、惨めだ。
畜生、と短く漏らした女の腹部から一本の槍が生えた。
ごぽ、という音と同時に女の口から血が零れる。
女は一瞬苦悶の表情を浮かべると、私を抱えて前方へと飛んだ。
女の腹から槍がずるりと抜けた。
ガクリと膝を地に付き、口の中の血液を吐き出す。
ごぽ、という音と同時に女の口から血が零れる。
女は一瞬苦悶の表情を浮かべると、私を抱えて前方へと飛んだ。
女の腹から槍がずるりと抜けた。
ガクリと膝を地に付き、口の中の血液を吐き出す。
「大丈夫ですか!」
「ちゃんと喋れるなら元からそうしろ阿呆」
「ちゃんと喋れるなら元からそうしろ阿呆」
脇腹に開いた穴を片手で塞ぎ、もう一方で口元の血を拭う。
女の肩越しに、一本槍――――その血塗れの片腕を嬉しそうに見つめるカタワさんが見えた。
その血を自分の顔に塗りつける。
女の肩越しに、一本槍――――その血塗れの片腕を嬉しそうに見つめるカタワさんが見えた。
その血を自分の顔に塗りつける。
「モドレ、モドレ、モドレ、モドレ、モドレ、モドレ」
呪詛のように同じ言葉を繰り返しながら女の血液を塗りたくる。嬉しそうに、胸糞悪くなるほどの笑みを浮かべて。
体の端々をビクンと痙攣させて、なお喚起に打ち振るえている。
体の端々をビクンと痙攣させて、なお喚起に打ち振るえている。
「ドアホ、なんでパラドックスが滅してないのを言わなかった」
「お前が喋るなと言ったからだ」
「ぜってぇ面白がってんだろ糞が」
「喋ると背中の穴から血が噴水みたいに出て面白いぞ」
「ぶっ殺す」
「『契約者』ならパラドックスの消滅の有無くらい判断できると」
「あー、もういい。いずれにせよ穴はもう塞がんねェよボケナス」
「お前が喋るなと言ったからだ」
「ぜってぇ面白がってんだろ糞が」
「喋ると背中の穴から血が噴水みたいに出て面白いぞ」
「ぶっ殺す」
「『契約者』ならパラドックスの消滅の有無くらい判断できると」
「あー、もういい。いずれにせよ穴はもう塞がんねェよボケナス」
見えない何かと会話する彼女はしっかりと後ろの怪異の塊に気付いているようだった。
それから、後ろの化け物にも声を掛ける。
それから、後ろの化け物にも声を掛ける。
「おい化け物。どんなに人間の血を塗りたくっても、目も鼻も耳も元には戻らねェよ。
その情報は流れてからまだ日が浅い。ここ最近付属された情報だ。影響が弱すぎる。
その情報が完全にパラドックスに定着するまで少なくともこの地方都市全域にその設定が行き渡る必要がある」
その情報は流れてからまだ日が浅い。ここ最近付属された情報だ。影響が弱すぎる。
その情報が完全にパラドックスに定着するまで少なくともこの地方都市全域にその設定が行き渡る必要がある」
カタワさんは血を塗りたくっていた手を止め、女の方に向き直る。女は続ける。
「あと三日もあれば、この地区の異常なエーテル情報化合率も加味して余裕で間に合ったな。だが、ここで終わりだ。
その醜い異形のまま、くたばれパラドックス」
その醜い異形のまま、くたばれパラドックス」
「モドラナイ? ニンゲンニ、モドラナイ?」
「元から人間じゃねェだろ。てめェはただの化け物だ、ボケ」
静……。
一瞬の静寂。天使が通っただとか、ハッピーアイスクリームといえばアイスをおごって貰えるとか、そんな噂のある静寂。
その静寂を食い破る。カタワさんの、泣き声。
一瞬の静寂。天使が通っただとか、ハッピーアイスクリームといえばアイスをおごって貰えるとか、そんな噂のある静寂。
その静寂を食い破る。カタワさんの、泣き声。
「モド! モドレナイ! モドラナイ! モドリタイ! キャアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
女の頭部目掛けて鉄槌のような豪腕が振るわれる。直撃すればトマトのように頭が吹き飛ぶだろう。
にも拘らず女は動かない。静かに目を閉じ、私の頬に掌を重ねている。
来る! と私が叫んでも一向に迎撃の姿勢を見せない。いや、女の体は最早迎撃出来るだけの状況ではないのかもしれない。
脇腹に開いた穴からは、今なお湧き水のようにどす黒い液体が滾々と流れ出ている。
にも拘らず女は動かない。静かに目を閉じ、私の頬に掌を重ねている。
来る! と私が叫んでも一向に迎撃の姿勢を見せない。いや、女の体は最早迎撃出来るだけの状況ではないのかもしれない。
脇腹に開いた穴からは、今なお湧き水のようにどす黒い液体が滾々と流れ出ている。
「おい間抜け。ラスト、双崩」
女は小さな声でそう告げた。
え、と私が声を上げるより早く、了解との返答が誰もいない空間から帰ってきた。お前死ぬな、とその後に続けて。
え、と私が声を上げるより早く、了解との返答が誰もいない空間から帰ってきた。お前死ぬな、とその後に続けて。
化け物の異様に捩じれた体躯から最大級の溜めをもって放たれる横薙ぎの拳。遠心力という武器を纏い女を粉々にせんと轟音をもって急接近する。
と同時、女は体をカタワさんに向ける。左足のひざを地面につけたまま、右足を強く踏み込む。
その衝撃でアスファルトが大きく揺れる。先ほどまで女に抱きとめられた体が地に落ちる。女の腹部からは血が噴出す。
カタワさんの右腕が女の頭部へ吸い込まれるような軌跡を描いて近づく。女は腹の痛みに顔をしかめるがそれも一瞬。
飛来する豪腕だが所詮腕。人体の一部の形を成している限り、彼女の技は通用する。
素早く化け物の二の腕に右手の甲を滑り込ませる。そのまま自分の肘の側面を硬く握られた拳の下へあてがう。
幾度となく潜り抜けてきたパラドックスとの戦闘。経験と鍛錬が、一分の遅れすら許されないシビアなタイミングを完全に合致させた。
と同時、女は体をカタワさんに向ける。左足のひざを地面につけたまま、右足を強く踏み込む。
その衝撃でアスファルトが大きく揺れる。先ほどまで女に抱きとめられた体が地に落ちる。女の腹部からは血が噴出す。
カタワさんの右腕が女の頭部へ吸い込まれるような軌跡を描いて近づく。女は腹の痛みに顔をしかめるがそれも一瞬。
飛来する豪腕だが所詮腕。人体の一部の形を成している限り、彼女の技は通用する。
素早く化け物の二の腕に右手の甲を滑り込ませる。そのまま自分の肘の側面を硬く握られた拳の下へあてがう。
幾度となく潜り抜けてきたパラドックスとの戦闘。経験と鍛錬が、一分の遅れすら許されないシビアなタイミングを完全に合致させた。
女はそのまま己の右腕ごと化け物の体を、大きく逸らす。ぐら付き崩れるカタワさん体に叩き込まれる、二度目の『崩』
「――――仙華双崩」
捻るように回転を加えた左掌を、異形の腹部を押し上げるようにブチ当てる。
十分に練られた勁とはいえないが、崩れた体にとって十分すぎる威力の一撃である。
十分に練られた勁とはいえないが、崩れた体にとって十分すぎる威力の一撃である。
螺旋勁。急速反転による遠心力の発生を丹田経由で勁に変換し打ち込む。
いわばアンチマテリアルライフル。
標的の内外問わず蹂躙しつくすための、透しの勁。
いわばアンチマテリアルライフル。
標的の内外問わず蹂躙しつくすための、透しの勁。
ギッと息を漏らし、そしてそのままガクリと膝を突き、更に横倒しになる異形。
ヴァエ゛エ゛と死にかけの蝉の様な音を喉からだし苦しみももがいている。
血液と吐瀉物を撒き散らしてなお、消えはしない。
私はあまりの出来事に声を無くしていたが、女のほうも地面に倒れこんだのと酷い異臭で我に返った。
あわてて女を抱き起こし声を掛ける。
ヴァエ゛エ゛と死にかけの蝉の様な音を喉からだし苦しみももがいている。
血液と吐瀉物を撒き散らしてなお、消えはしない。
私はあまりの出来事に声を無くしていたが、女のほうも地面に倒れこんだのと酷い異臭で我に返った。
あわてて女を抱き起こし声を掛ける。
「大丈夫ですか! ねぇ、ちょっと!」
「あ゛? 大丈夫に見えるかフシアナ。体中痛ェよボケ」
「あ゛? 大丈夫に見えるかフシアナ。体中痛ェよボケ」
悪態をついてはいるが、額に珠のように汗が浮かび体温も高い。
目の焦点もあっていないように思える。
目の焦点もあっていないように思える。
「おい、まだだ。まだ滅せていない。やはり、この都市は異常だ。この程度のパラドックスが『口裂け』並みの耐久をしている」
野太い声の主の言葉に、マジで? と女は答える。
「ウチはもう無理。これ以上はマジでデッドする」
「『契約者』だ。それ位分かる。処置しなければ残り二時間程度の命だ」
「くそ、誰かに連絡して助けてもらうか」
「ダメだ。それでは私の情報量が増えない」
「お前、ウチと自分どっちが大事だカス」
「無論、私だ」
「……契約解除してェ!っ痛ェ!」
「私はエーテル体に干渉する能力を持ち合わせていないから、もうちょっとお前頑張れ」
「そろそろ体外にしとけハゲカス。あーもうどうすりゃ納得すんだよ。もう早く連絡入れて帰りたい」
「……そのガキを使うのはどうだ」
「『契約者』だ。それ位分かる。処置しなければ残り二時間程度の命だ」
「くそ、誰かに連絡して助けてもらうか」
「ダメだ。それでは私の情報量が増えない」
「お前、ウチと自分どっちが大事だカス」
「無論、私だ」
「……契約解除してェ!っ痛ェ!」
「私はエーテル体に干渉する能力を持ち合わせていないから、もうちょっとお前頑張れ」
「そろそろ体外にしとけハゲカス。あーもうどうすりゃ納得すんだよ。もう早く連絡入れて帰りたい」
「……そのガキを使うのはどうだ」
不可視の野太い声の主と死にかけの女の会話は、ある一つの結論で纏まったらしい。
非常に嫌な予感がする。先ほど己の矮小さに打ちひしがれていた者には到底不可能な何かを私にやらせる算段だ。
非常に嫌な予感がする。先ほど己の矮小さに打ちひしがれていた者には到底不可能な何かを私にやらせる算段だ。
「仮契約程度でも十分……上手く行けば適合体もゲットか」
「どうだ、美味い話であろう」
「よっしゃ、背に腹は代えられネェ。背にも腹にも穴は開いてるが、それでいこう。おい、お前」
「どうだ、美味い話であろう」
「よっしゃ、背に腹は代えられネェ。背にも腹にも穴は開いてるが、それでいこう。おい、お前」
……はい。私は苦笑いをして返事をする。額に汗を浮かべた女も薄ら笑いを浮かべている。
野太い声が私に話しかける。
野太い声が私に話しかける。
「餓鬼、今からお前にそのパラドクスを滅してもらう」
「なに、簡単だぜェ。二秒で終わりだ」
「む、無理です! 私みたいな一般人には」
「なに、簡単だぜェ。二秒で終わりだ」
「む、無理です! 私みたいな一般人には」
海老の背に包丁を入れたときのように痙攣を繰り返すカタワさんを横目に私は答える。
「一般人? 笑わせんなタコスケ。自分からこっちに来といてそんな言い訳通用するか」
「奴には『一般人』を引きずり込むだけの力は残されていなかった。お前は自らこちらへと歩を踏み出したのだ」
「さっきからなんなんですか! こっちってなんなんですか!」
「奴には『一般人』を引きずり込むだけの力は残されていなかった。お前は自らこちらへと歩を踏み出したのだ」
「さっきからなんなんですか! こっちってなんなんですか!」
ロア、と女は口の端を吊り上げて答える。
深淵、と野太い声は嘲笑うように答える。
深淵、と野太い声は嘲笑うように答える。
「さぁ人の子。お前の名を示せ。仮契約だから名だけでいい。さぁ、名を」
野太い声がゆっくりと言葉を紡ぐ。私は、それに逆らうことが許されていないかのように口を開いた。
「……薫。薫です」
「薫か。厭な名だ。だがまぁ仕方あるまい。さぁ薫。矛盾を滅するために矛盾を欲せ。お前を象る矛盾を見せろ!」
野太い声が叫びを上げる。瞬間、私の目の前から黒い光が溢れ出す。この夜よりも暗い暗い輝きが空間を歪めるように湧き出す。
心臓が痛い。誰かに強く握られているような感覚。呼吸ができない。眼球の裏で蟲が這いずっている。痛い。痛い!
黒光は際限なく溢れ続けるかと思われたがやがて収縮を始める。その空間ごと切り取るように収束する。
心臓が痛い。誰かに強く握られているような感覚。呼吸ができない。眼球の裏で蟲が這いずっている。痛い。痛い!
黒光は際限なく溢れ続けるかと思われたがやがて収縮を始める。その空間ごと切り取るように収束する。
腕が、浮いていた。
獣と人間を合わせたような掌。中指には気味の悪い色を放つ指輪がはめられている。手首から肩口までは手甲のようなもので覆われていた。
「仮ではここまでだ。名も明かせん。だが、力は確かに譲渡する。制限はあるがな」
心臓の鼓動は更に大きくなる。眼球の裏だけでなく血管の隅々まで蟲が這いずっている感覚がある。
吐息が熱い。耳鳴りがする。断続的に続く断末魔のような耳鳴り。
薄皮一枚外で悪意が渦を巻いて私を祝福している。
爪の先に燈る焔。何もかも引き裂いてしまいたい衝動。慟哭。
気分がいい。気持ちがいい。
吐息が熱い。耳鳴りがする。断続的に続く断末魔のような耳鳴り。
薄皮一枚外で悪意が渦を巻いて私を祝福している。
爪の先に燈る焔。何もかも引き裂いてしまいたい衝動。慟哭。
気分がいい。気持ちがいい。
「上玉だ。ラッキーだねえェ」
女がいひひと子供のような無垢な顔で笑った。
仮とは言え契約者だ、このくらいでないと困ると腕が喋った。
仮とは言え契約者だ、このくらいでないと困ると腕が喋った。
「ど う す れ ば い い」
自分の物とは思えないほど下衆びた声が喉から出た。口の端が吊り上ってるのが分かる。
目が半月上に歪んでるのが分かる。怪異だ。私は怪異になった。怪異の証明が私だ。
最高だ。今まで私を蔑んだ奴ら全部ぶっ殺せそうだ。殺せる絶対殺せる。
目が半月上に歪んでるのが分かる。怪異だ。私は怪異になった。怪異の証明が私だ。
最高だ。今まで私を蔑んだ奴ら全部ぶっ殺せそうだ。殺せる絶対殺せる。
「簡単だ。この腕が触った部分を思ったようにぶっ壊せ。ただし武器は不可だ。お前の身体だけでぶっ壊せ」
武器なんて要らない。拳が、脚が、口が、指があるじゃないか!
宙を漂う腕がゆっくりと降下を始める。やがて汚物に塗れるように痙攣を繰り返す獲物の頭部の高さで止まる。
そしてそのまま優しく、優しくその頭をなで始めた。
そしてそのまま優しく、優しくその頭をなで始めた。
そこ、そこなんだね。そこを壊せばいいんだね。私ね、さっき凄いのを見たんだ。地面を揺るがすほどの踏みつけ。
あれ、やりたいなぁ。
大きく右足を振り上げる。上がるギリギリの高さまで。精一杯。目一杯。その分だけ威力が上がる。きっと、上がる。
ここで、これを壊してしまうのが勿体無いと若干の逡巡があったが、すぐに解消される。
だって。だってこの世にはまだまだ一杯、矛盾【化け物】はいるんだもの。
あれ、やりたいなぁ。
大きく右足を振り上げる。上がるギリギリの高さまで。精一杯。目一杯。その分だけ威力が上がる。きっと、上がる。
ここで、これを壊してしまうのが勿体無いと若干の逡巡があったが、すぐに解消される。
だって。だってこの世にはまだまだ一杯、矛盾【化け物】はいるんだもの。
私は思い切り足を振り下ろした。
――――ぐちゃ……。
"怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。"
To Be Continued…