ジェイル大橋

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ジェイル大橋」を以下のとおり復元します。
ベータ版8年度から参加。
数字的な目標や能力値へのこだわりは特にない。

以下はやってて感じたことなどをドキュメンタリー風に。
内容は個人の感想であり、効果などを保証するものではありません。
記述に問題や不快感がある場合は大橋までご遠慮なく申しつけ下さい。
敬称略。

最終更新 6/24 滝本編2

INDEX
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*初代 ジェイル大橋(8~17)
大卒22歳入団 早熟 AP:パワー 内野手

一族の祖。地獄(北海道)から野球を通じて人類を支配すべくやってきた悪魔である。
製作者と同名であり安易なネーミングを後悔するも今更どうしようもないので、製作者の分身であるということでひとつ手を打ちたい。

所謂大卒早熟でイーグルスにシーズン途中入団するやスタメンに定着、勝手がわからないためテレビゲームの片手間に練習をこなすも、まだまだプレイヤーの少ない時代ゆえ試合に出続け、強打者の片鱗を見せる。
余談となるがイーグルスにはこの年大卒野手が二人入団している。もう一人はあのいぶし銀、鮭のクリーム煮である。

プロ入り2年目には早くも.273、11本55点を叩き出し、ジェイルの将来は順風に見えた。
しかし4年目を迎えるシーズン、興味本位で受けたトレードにより移籍したライオンズで無事控え落ち。大海の広さを知る。

 &bold(){ジェイルの教訓1:出場機会のあるうちはトレードは慎重に}

ライオンズは暗黒のまっただ中ながらも楽しかった。
ここでスタメン枠を若き日の巣鴨隼矢と争う。内野手と外野手で1枠を争っているわけなのでDHを巻き込んだ非常に手間のかかったスタメン争いだった。パリーグでないと(少なくとも平和的には)できない起用である。
打撃型は能力が高くないうちは、開幕でスタメンに入れてもその後成績が安定しないのですぐ外される可能性があり、開幕直後に上振れが起こるとほぼ1年起用される反面、下振れが起こると控え生活に甘んじることになる。
早熟なのでこの時点で既に成長期は終わっており、知見は得ても有効な手立てはない。9番ファーストとして隔年でそこそこの活躍。

 &bold(){ジェイルの教訓2:スタメン定着には守備が要る}

その後たまたま一度行った食事会で黄色遺伝子のおしゃべり好きなやる気スイッチと出会い、つぶやきに数編の恋の歌など流しながら一年半を費やし結婚。この時点で既に通常期すら終わっている。結婚翌年、衰えを感じ引退。

イーグルス在籍時の2年目の成績が結局キャリアハイとなった。

通算成績
703試合 631安打 47本 238打点 14盗塁 4FP 打率 .238 出塁率 .296


*二代目 [[大槻ケンヂ]](18~35)
大学中退20歳入団 普通 AP:守備 外野手

普通の人間を愛してしまった悪魔ジェイルが結婚式で呑み過ぎた後、ライオンズ球団寮の共同流し台で口からオエッと産んだ子。埼玉県出身。
入団が20歳とやや遅いのは、プレイヤーが大卒早熟に懲りながらも、増えつつあるBBL人口を睨み、下積み期間が長くなることを嫌ったためである。
元ホークス投手コーチ太刀川広巳は若き日の大槻ケンヂを見た際の第一印象をのちにこう述懐している――、
――「外野手で守備APとは茨の道を行くなぁと思った」。

BBL選手になりたい、息子がそう口にしたその日から、ジェイルは毎日厳しい守備練習を彼に課した。守れない選手は打ち続けなければ未来はない。その点守備力はポジションを安定させる。狩猟採集から農耕へのパラダイムシフトである。
外野を志望したのは単にそこがライオンズの一番薄いところだったからで、つまり大槻は生まれ育った土地を離れたくなかったのである。しかし彼をドラフト指名したのは、都会のチーム、ジャイアンツであった。

享楽的だった父を反面教師に大槻は堅実に力をつけていったが、当時ジャイアンツは黄金期を迎えており外野の壁は厚かった。入団から3年間、彼は年に僅か1本ずつのヒットしか放っていない。
4年目を迎えたシーズン、遂に二番センターに抜擢されると、フル出場を果たし新人王と最優秀守備の表彰を受ける。この年すでに23歳。
翌年一番センターに定着。しかしチームは主力選手の引退や移籍が相次ぎ、坂道を転がるように年々順位を落としていった。守備の好きな大槻にとってレフト日ファミ、ライトSCP-049両選手に挟まれ外野全域を駆けずり回る日々は楽しかった反面、済し崩しに三番、四番を打つに至って三割程度の打率は何の役にも立たなくなった。
率の出せる優秀な選手は多かった、少しばかりの長打力さえあれば下位を脱出できる見込みがあったにも関わらず、天はジャイアンツを気に留めなかった。自らに適性がないことはわかり切っていたが連日激しい肉体改造を敢行。身体の頑健さを犠牲になんとかPWをD50に乗せ二度のベストナインを獲得するも、低迷するチームを浮上させるに到底至らなかった。
…大槻は父親の膂力が猛烈に羨ましかった。幼い頃に見たライオンズのあのユニフォーム姿、右腕を突き上げゆっくりとダイヤモンドを回る父が夢に蘇ったことも一度や二度ではなかった。

 &bold(){ケンヂの教訓1:打率はそれだけでは勝利に繋がらない}

ジャイアンツの編成の中でのチーム貢献に限界を感じた大槻は、30歳でようやく手にした初めてのFA権を行使し、前年6位のタイガースへ移籍した。この決断には勿論、3年総額9億円という破格の条件提示も大きく影響したことは言うまでもない。

古巣ジャイアンツも定期的に大量離脱を繰り返すチームであったが、新天地タイガースは控えめに言ってそれを上回る荒野であった。この年、大槻の入団と入れ替わりに計4人がFAでチームを去っている(関連:魚町事件)。
ミーティングルームではそのぶん熱烈な歓迎を受けた。同じく戦力流出にあえぐチームを見捨ててきた身には痛くもあったが嬉しかった、後はバットで応えるのみ。

このプレッシャーに精神力F19の大槻は空回りし、移籍初年は打撃不振、二年目は負傷離脱となかなか波に乗れなかった。特にこの二年目(29年度)のタイガースは94敗と深遠に沈んだ。トレードにて同年入団の仙波綾人とはこの頃よく傷を舐めあった、酒を片手に深夜まで語り合うも、しかし浮上の糸口は見えなかった。
だがこの間は悪い出来事ばかりではなかった。29年はエース首藤正道がFA権行使し残留。潮目は変わり始めていた。

補強ポイントでないところを探すほうが難しかった打線もじわじわと戦力充実し、足りないパーツがはっきりするに至り、ここでもジャイアンツ時代と同じ現象が起きた。還せる四番の不在。
四番センターとはひとつの浪漫として語られることもあるが実際のところはただただ悲惨である。

しかし30年オフ、大槻の運命を変える決定的な出来事が起きた。強豪スワローズから小豚ダブルのFA入団である。
彼は平時の打撃能力は凡庸だったがとにかく得点圏で強かった。ならば前でとにかく塁に出ればいい。幸いチャンスメイクする程度の腕力はある。後は仲間に任せればよく、何もかも自分でやる必要はない。大槻は久しぶりに野球が楽しいと思った。

 &bold(){ケンヂの教訓2:野球はチームでするもの}

このラーメン二郎の小豚ダブルは奇しくも父親ジェイル大橋の同期、鮭のクリーム煮の息子であった。
この30年は守護神森重文がFA権行使し残留。さらにトレードで理論派リーフⅡ世を獲得。最終順位は5位と順位をひとつ上げたに留まったが、得点を前年比+110、失点を-60と改善しチームは大きく変貌を遂げた。

雌伏のときは終わったのだ。

翌31年、タイガースの快進撃が始まる。前年5位から大きく躍進し2位。かねてから全盛期を迎えつつあった投手陣に打線がなんとか間に合った。この年、風来坊のリーフⅡ世がFA宣言残留。さらにトレードで堀田、シュタージ両投手を獲得し投手陣は厚みを増すも打線は薄氷一枚の状態が続く。のちに名選手に成長する中井りか、鬼塚流子も当時はまだ若かった。

野手の補強があれば上に行ける。それは誰の目にも明らかだった、しかしフロントの考えは違った。
32年、黒幕博士を獲得。33年、伊良部秀輝を獲得。マリーンズからの二年連続エース移籍は世間に衝撃を与えた。
32年には大槻は二度目のFA宣言をして残留。獲得に名乗り出た球団の中には故郷ライオンズの名もあったが、最早大槻にタイガースを離れる理由はなかった。
33年は氷精ちゃん、ラグラージをはじめとする計7名のFA宣言残留。
翌34年、バファローズ帝国の瓦解に乗じ七尾百合子を獲得。さらに齋藤飛鳥との大型トレードでジャイアンツからK.D.ピロレーターを獲得。
既にBBLに並ぶものはないと称される先発投手陣をなおも補強し、野手は現有戦力の底上げで頑張れという球団の熱いメッセージである。貴重な強打の野手であった齋藤飛鳥を放出し、空いた内野に守備もこなすカレーうどんを獲得するに至りその方針は猶更はっきりした。
…野球は守りから。その球団の方針に選手団は従うしかなかった。

32年、2位。
33年、3位。
34年、2位。
大槻は既に全盛期を過ぎ、自らの選手生命がもう長くないことを悟る。この頃は体力の低下との闘い。
順位は2位でもゲーム差は10。黄金期を迎えたカープの壁は厚かった。
大砲の補強さえあれば。一年が過ぎるごとに暗黒期を支えたベテランがまた一人と去り、チームを焦燥感が覆った。

そして迎えた35年、チームは球界一のクローザー岡田奈々を獲得。さらに遅咲きの強打者、山南敬助がレフトに定着。
役者は揃った。

シーズン開幕直後、暗黒時代を支えたエース首藤が引退を宣言。そこから堰を切ったように打線が繋がり、元より鉄壁の投手陣を強力に援護した。打線の破壊力を武器に追い縋るスワローズを突き放し優勝。

その優勝の決まった試合、グラウンドに大槻の姿は、なかった。

少し前から欠場の続く大槻を世間は訝しんだ。首脳陣との不仲説。グラウンド外での失態説。副業の影響説。様々な憶測が流れたが、理由は至極単純だった。
体の限界。もう走れない。
往年の身体能力は既になく、打撃も衰えを隠せない大槻に約束されたポジションは、今や見違えるほどに強くなったタイガースにはもうなかった。

悲願の優勝を見届け、ゆっくりと歓喜の輪に加わる。
若手にからかわれ、楽しい日々を過ごし、少しずつ強くなっていくチームを見守った、…幸せだった。
春先には絶対に辞めないと言っていたのに。遣り残したことがもうない。清々しい気分だった。

レギュラーシーズンを終え、引退宣言。

ポストシーズンはベンチから見守った。
まだ満足に試合に出られなかったあの頃、ジャイアンツのベンチから身を乗り出し、必死に声を出したあの頃の記憶が蘇る。

チームはシーズン中の勢いそのままにポストシーズンを突破しBBLシリーズへ進出。
パリーグから勝ち上がってきたのは、600点打線と称された百獣の王ライオンズ。幼い頃にやりきれない気持ちで父の背中と交互に見つめた、最下位と5位を行き来していた頃の面影はどこにもなかった。

年間682得点を誇る打線と、防御率1点台の投手陣の対決に世間の注目が集まる。

初戦こそお株を奪われる投手戦で落とすも、そこからはタイガース打線が爆発。三連勝で王手をかけ臨んだ第五戦。
33年ぶりBBL1の懸かった先発のマウンドは首藤。
そしてスターティングメンバーには、八番ライト大槻の名があった。

これで決まると確信したかのような采配。しかし老兵にも意地がある。思い出起用とは言わせない。ライオンズ先発騎士タカユキから先制の一打を放ち一塁ベース上に拳を突き上げる。…この景色を見るのもあと僅か。

明鏡止水となった胸のなか遠く六甲颪がきこえる。

先発首藤は8回途中1失点の力投で後をリリーフに託す。イニング途中登板の氷精ちゃんが8回9回をシャットアウト。打線の援護を待つ。
後のないライオンズも必死の継投。打線ばかりが取り沙汰されたチームだが、投手力もなければそもそもこの舞台には立てない。
試合は膠着し、迎えた延長10回。表の攻撃を守護神岡田がいつも通りに退け、その裏。カレーうどんを二塁に置いて回った打席は小豚ダブル。
投じられた球は魅入られるように内側へ。捉えた打球は放物線を描き、ライオンズファンで埋まったレフトスタンドに突き刺さった。

均衡が、破られたのだ。

地鳴りのような歓声を浴びてゆっくりと本塁ベースを踏みベンチへ戻ってくる小豚を、大槻は両腕を広げて迎えた。終に試合が決まる、それは同時にこの最高の相棒との別れの時が来たことを意味する。 

この後チームはBBL特別ルールでさらに1点を加え、ゲームセット。
タイガース、2年度以来33年ぶりBBL完全制覇。

ベンチから飛び出した大槻は涙で溢れた両眼を拭おうともしなかった。遂に来た。ここまで連れて来てもらった。
首藤とともに監督よりも先に宙に舞い、それからチームメンバーひとりひとりの手を握った。

ああ、これで終わったんだ、とだけ思った。いい野球人生だった。

大阪の街はこの33年ぶりの快挙に沸いた。市民に混じり道頓堀に飛び込んだカレーうどんは後ろ髪が少し溶けた。
タイガースでの優勝を見ることなく去ったOB・OGからも、チームへ次々に祝福の言葉が届いた。
移籍からの8年間ですら決して短くはなかった。33年という時間の流れに思いを馳せ、優勝できてよかったと心底から思った、穏やかな気分だった。

野球っていいもんだ。
BBL屈指の幸せな野球人生が、幕を閉じた。

通算成績
2095試合 2408安打 123本 675打点 124盗塁 149FP 打率 .284 出塁率 .337


*三代目 [[滝本晃司]](36~62)
高卒18歳入団 晩成 AP:制球 投手

長男大槻ケンヂのFA移籍に伴う引越しを手伝いに来た悪魔ジェイルが新居で呑み過ぎた翌朝、風呂場で口からオエッと産んだ子。大阪府出身。
風来坊の父親はその後間もなく姿を消したため、彼は人間で言うところの18歳相当まで、独身の兄と人情溢れる大阪の街に愛情たっぷり育てられた。

毎年コンスタントに3割10本程度を打ちながら外野グラウンドを狭しと駆け回る兄は地元では超のつく人気者だったが、弟は間近にあったその背を追わなかった。若い視線の先にいたのはマウンド上の孤高のエース。滝本はその姿に憧れ、いつしか投手を志した。
あの大槻の弟、そう言われ続けて育った彼にとって、時に滑稽なまで感情を剥き出しチームを鼓舞する兄の姿は、決して嫌いではないけれどもどこか正視に堪えない時があった。その滝本が降る日も照る日も黙々と投げ続けるその背に憧れたのはある種の道理であったかもしれない。32番のレプリカユニフォームを羽織り、足繁く甲子園球場に通った、終にBBLシリーズを制し兄と共に胴上げされるその姿に涙があふれた。
兄は家に帰れば変わらず笑ってそこにいるだろうが、エースはこれを最後にもうあのマウンドに帰ってはこない。

翌年、滝本はドラフト指名を受け生まれて初めて大阪の街を離れる。行き先は仙台、父ジェイルが最初に敲いた門である。甲子園球場からは遠く離れてしまったが、それも却って丁度よかった。首藤のいないタイガースは滝本にとってはよく似た別の何かだった。

当時のイーグルスはリリーフが手薄で、即戦力とは言い難い滝本も一年目の開幕からブルペン入りし、その後も連日のようにマウンドに上がった。
彼が特別だったわけではない、見渡せばブルペンには同じ年頃の投手しかいなかった。そこには葉桜花子、今中慎二をはじめ後の球界に轟くことになる名前が並んでいたが、当時の彼らが知る由もない。毎日皆で纏まって試合前練習をこなし、揃ってブルペンに待機し、同じ寮へ帰って騒ぐ。未だチームの浮沈を背負わない若い身には思い悩むことは少ない。今日も明日もマウンドに立てる。…それだけで毎日が楽しかった。

そうして幸運にも労せず一軍定着を果たした滝本だったが、彼はプロ入り後も暫くは「大槻の弟」という目に晒された。奇しくも同じ球団に指名されたにも関わらず、「ジェイルの息子」ではなかった。それもそのはず、長くスターダムを歩いた兄に比べ、BBL界に父の残したものはあまりに僅かだ。ましてイーグルスにはたった3年の在籍。
本当にここにいたのか。信じられないくらいに痕跡がなかった。50余年の月日は人の世にとってあまりに長いと知った…、当時を偲べるようなものは何ひとつ残されてはいなかった。

いつしか、イーグルスでの生活も4年が過ぎた。…雨で試合の流れたある日のことだった。暇に飽かして気紛れに球団寮備え付けのイーグルス年史を読み漁った滝本は、そこにたった1箇所、父の残した爪痕を見つけた。
BBL9年度、イーグルスは3位でプレーオフに出場し、そこでホークスにストレート負けを喫する。この1stステージでチームが挙げた唯一の得点、それを叩き出したのが、若き日の父だった。
短い野球人生のキャリアハイとなった年の集大成が確かにそこに刻み込まれていた、顧みられることもなく埋もれていたそれをこの手掘り起こした。
…胸騒ぎがした。
探したかった訳でもなく、本当に暇つぶしが欲しくて手に取ったはずが、無意識に一桁年度の終わり頃を開き、当然、そこに尋ね当たった。自分のルーツを求める心が、彼の両の手を、無意識のうち動かしたのに相違なかった。

滝本は父の野球している姿を見たことがない。兄の口を通して語り聞かせられたことがあるだけ。本質でお伽話と大差がない。
そもそも本当にBBL選手だったのかどうかすら疑わしいとさえどこかで思っていた。
たまにフラリと姿を現したと思えば遠く地平に沈む夕陽をみつめ、誰に聴かせる風でもなくギターを抱え、悪魔のブルースなんか唄っている、そのいっぽうで何かと理由をつけて地獄の実家には帰りたがらない。…それが滝本の知る父の姿だった。

だが球団史の片隅、父はそこに確かに存在していた。逸る心に戸惑う頭を置き去りにして手が勝手に巻末資料を捲る。年度別成績BBL8年度の項。シーズン途中に入団し即一軍起用。背番号42番。強打のファースト。翌年フル出場を果たし55打点。期待を一身に浴びたであろうその翌年にはしかし出場機会を減らし、オフにトレード。
それらの事実から、父はおそらく助っ人外国人のような感覚で実験的に雇われたのだと滝本は察した。
そこで仮にジェイルが大活躍を収めていたら、その後悪魔の選手登録には球界全体で何らかの制限が設けられたことだろう。しかし、その後の顛末は周知のとおりである。地獄からの助っ人ジェイルはトレードの末実働たった10年で球界を去り、その結果、彼の子供たちは何の制約もなくドラフトで指名される権利をもつ。
そもそも悪魔が特別野球が上手いとは聞いたことがない。球界側からオファーが来るわけはないから、恐らくは自分から売り込んだのだ。父はなぜ住み慣れた地獄を離れ地上の世界を目指したのだろう。そこで大した成功を収めるでもなく時の流れに半ば埋もれ、人の世に雑じり暮らしている。

寮の部屋にいつからか敷いたままの布団に寝転がり見つめた薄汚れた天井、確かに父の背中が見えた。

…その年のオフのことだった。滝本はひとり球団事務所に呼ばれ、他球団からトレードの話が持ちかけられたと聞かされた。

トレードの行き先は選手本人に事前通告されないが、選手間での情報交換によって当たりを付けられることがある。何気なくSNS上へと自分のトレード情報を投げかけると、果たして、すぐに反応があった。
その相手はライオンズ天野剛治。出場機会を求める、少し年長の外野手だった。
勿論、彼とトレードになると決まったわけではない、あくまで年齢や年俸、タイミングからの推測である。さらに、このままイーグルスに留まれば出場機会はおそらく保障される。それでも滝本は行ってみたかった。かつて父が暮らし母と出会い、そして兄が生まれたその場所へ。

~つづく~

*四代目 宮沢和史
高卒社会人20歳入団 正弦波 AP:速球 投手

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