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対馬ストロングキャッツ | |
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昨日投げたツーシーム | - 球 | |
対馬市民 | - 人 | |
最終更新 | 2025-08-01 00:53:59 (Fri) | |
現在時刻 | 2025-10-06 17:12:56 (Mon) |
球団名 | 対馬ストロングキャッツ |
略称 | ストロングキャッツ/TSM |
本拠地 | 長崎県対馬 |
チームカラー | オレンジレッド |
所属 | SBL αリーグ |
親会社 | 投猫倶楽部 |
投猫倶楽部ロゴ![]() |
球団ロゴ(SAVATIO作)![]() |
球団ロゴ(M4N作)![]() ![]() |
役職 | 背番号 | 画像 | 選手名 / 投打 / 出身地 経歴 / コメント | |
監督 | 19 | ![]() |
「逆襲!生ラムネ」 (ランチョンマッチョ) |
左投左打 台湾 |
ロンドンユグドラシルライオンズ(1290-1297)沼津シャイニーレイサーズ(1298-1304)対馬ストロングキャッツ(1305-1314)【コーチ】対馬ストロングキャッツ(1315)【監督】対馬ストロングキャッツ(1316-) | ||||
お菓子売り場を追い出された後、三球団を渡り歩いた台湾のジャーニーマン。綺麗な球筋と精神力で新人の頃から投げ続けMVPなどタイトルを獲得した。 前監督の背番号91を受け継ぐ19番で強猫軍団を率いる。 | ||||
コーチ | 39 | ![]() |
ツシムナゲネコ5世 (なげねこ) |
右投右打 沖縄県 |
東京エンペラーズ(134-141)兵庫チーターズ(142-143)福岡ダイヤモンドホーンズ(144-147)埼玉ライガーズ(148-151)愛知ドルフィンズ(152-153) | ||||
現役時代はサイドハンドの好投手として球場を沸かせた。オーナーの6代前にあたる選手だけに、監督より権力が強いとの噂もあり。 会いたい人はDiscordに行くとほぼ必ず会う事が出来るらしい。 | ||||
コーチ | 2 | ![]() |
タマモクロス (ピーちゃん) |
右投両打 北海道 |
愛知ドルフィンズ(642-644)千葉スカイオーシャンズ(645-656)宮城コンドルス(657-663)【監督】対馬ストロングキャッツ(665-885)【コーチ】対馬ストロングキャッツ(1130-) | ||||
かつて対馬強猫軍の黄金期を築いた名監督がコーチとして新たに支える。間違っても赤ちゃんプレイをしに来たわけでは無いのであしからず。 | ||||
コーチ | 2 | ![]() |
伊吹萃香🍶 (カフェイン) |
右投左打 京都府 |
対馬ストロングキャッツ(1122-1142)【コーチ】対馬ストロングキャッツ(1143-) | ||||
いつも酒に酔っ払いながら、気分が良い時ごく稀にwikiの更新をしているコーチ。 |
+ | まふ監督時代(368〜403) |
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+ | らぃず監督時代(404〜483) |
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+ | カフェイン監督時代(484〜663) |
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+ | ピーちゃん監督時代(664〜885) |
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+ | sironoir監督時代(886〜1100) |
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+ | カピバラ監督時代(1101〜1204) |
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+ | Lumelte監督時代(1205〜1315) |
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+ | ランチョンマッチョ監督時代(1316〜) |
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+ | 368年度〜 |
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+ | 詳しい受賞条件はこちら |
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〈表彰について〉
飛猫会による表彰には「競技者表彰」と「特別表彰」の二つの賞が存在します。
対馬ストロングキャッツで「レンタルトレードを除いた移籍無し」でプレイし、顕著な成績を収めた選手に贈られる。
複数球団にまたがって記録を達成した選手は対象外となり、レンタルトレードの場合対馬に所属した期間での記録となる。 一選手に対して贈られるため、同一製作者が複数回受賞することも可能。 授賞基準は以下の表のいずれかを満たしたもの。
球団の運営や発展に大きく寄与した人物に贈られる。
授賞基準は以下のいずれかを満たしたもの。
①世代をまたいで「連続100年」以上、対馬ストロングキャッツで選手育成を皆勤した製作者(休止期間がある場合はカウントをリセット)
②世代をまたいで「通算246年」以上、対馬ストロングキャッツで選手育成をした製作者 ③オーナーによる特別選考
製作者単位で管理を行うため、同一理由での表彰は一人一度のみとなる。
従って①および②など、複数の授賞基準を満たした場合は、同じ製作者でも再度の表彰となる。
なお、競技者表彰・特別表彰どちらも原則「対象者による申請の後」審査を行う。
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受賞条件 | |||
野手 | 3000安打 | 500本塁打 | 500FP |
投手 | 200勝 | 400HP | 400セーブ |
+ | [競技者表彰] |
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+ | [特別表彰] |
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+ | 368年度〜487年度入団 |
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+ | 対馬ストロングキャッツ用語集 |
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○○定期!
偉人がいっぱいストロングキャッツ
ポジティブキャッツ
ミラクルキャッツ
ストゼロプシュー
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+ | COM監督事件 |
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402年度に越後屋監督が辞任しらぃずコーチが新しく監督に就任するーーーーーー
はずだったのだが、らぃずコーチが辞める時期を1年間違ってしまい、不在となった監督の席にCOMが来てしまった。 COM監督は就任するとすぐに改革を初め、前年にチーム内首位打者だった鉄平選手を「守備が悪い」とベンチに下げ、チームの功労者である藤増選手もベンチに下げようとした。 コーチの意見も聞かず、他球団からのトレードも受け付けない姿はチームに大きな衝撃を与えた。
COM監督に対する不安の声が高まる中で開幕を迎えたが、意外にもCOM監督率いるストロングキャッツは勝ち星を挙げ続け、最終的には当時の球団史上最多勝利数(79勝)を残し、2年連続のAクラスとなった。
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+ | らぃず監督胴上げされない |
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SBL創設38年目にして初優勝を成し遂げた対馬ストロングキャッツ。しかし胴上げされたのは初優勝に導いたらぃず監督ではなくーーーーー
オーナーのツシムナゲネコ11世だった。 その真相はこちらの記事から(ダイマ) https://bbl.webliru.com/information.php?info=sn&id=354 ちなみにSBLシリーズは負けてしまったのでらぃず監督の胴上げは幻となってしまった。 |
+ | 初優勝の時のこと |
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対馬ストロングキャッツはSBLが創設されてから万年Bクラス、400年度までAクラスはたったの2回だけだった。
しかし400年度から対馬は勝ち続け優勝まで出来るほど成長した。その陰には色んな選手、コーチ、監督の努力があったーーーーー 頑張ってミーティングルームで話したり補強をしてくれる監督。データベースを作り育成をしやすくしてくれた選手。そしてなにより、ミーティングルームを盛り上げ対馬ストロングキャッツを楽しくて居心地の良いチームにしてくれた皆が、この優勝を導いたのだろう。 万年Bクラスの対馬が優勝したのは充分"珍事件"だということでここに記す。 ![]() |
+ | 怪盗にゃんぼ?とキリ番のレス |
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怪盗にゃんぼ?とは、対馬ストロングキャッツのミーティングルームにてレス数のキリ番目が近づくと、キリ番目のレスを踏もうと現れる謎の怪盗である。現れる時には
「予告状
ミーティングルームの○○○○レス目はあおいが頂く 怪盗にゃんぼ?」
と予告状が届く
以下はキリ番目の記録
ーー1000レス目
怪盗にゃんぼ?はしっかりレスするも何故か1000レス目が消え1001レス目を踏んでしまう。
ーー2000レス目
ナナチ選手より6秒ほどレスが遅れたため怪盗にゃんぼ?は2001レス目を踏んでしまう。なおナナチ選手自身は気付かず2000レス目を踏んでいた。
ーー3000レス目
予告状を出しておきながらも深夜に更新されていたため怪盗にゃんぼ?は寝過ごしていた。
ーー4000レス目
またもナナチ選手に4000レス目を踏まれ、さらに盗塁王を獲得していたokane選手にもスピードで負けたため4002レス目を踏んでしまう。
ーー5000レス目
僅か2秒の差でナナチ選手より怪盗にゃんぼ?が早くレスし、5000レス目を踏むことに成功した。これ以降怪盗にゃんぼ?が現れる事は無かった。
一説には同時期に活躍していたにゃんぼ🐱投手(389-411)ではないかと言われている。
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+ | 引き分けだらけの469年度SBLシリーズ |
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対馬ストロングキャッツと秘密ドリフターズの間で行われた469年度のSBLシリーズ。どちらも12球団屈指の打線を誇り乱打戦になるかと予想されていたがーーーーー
いよいよシリーズが始まり第一試合目にストロングキャッツが4-2で勝利した後、第二試合目から異変の幕が開けられる。
2-2で第二試合が引き分けになると、そのまま第三試合も1-1で引き分け。第四試合も2-2で引き分けとなってしまい、シリーズで三試合連続引き分けという珍事?が起きてしまった。
その後は第五試合目でストロングキャッツとドリフターズの得失点差が並び、最終戦までもつれ込んだ熱い名シリーズとなった。
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+ | でちゅねの乱 |
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時は656年度、次期監督として目されていたタマモクロスを相手にバブらせまくっていたのはこの選手、妖怪でちゅね遊びだ。
https://bbl.webliru.com/information.php?info=sp&id=7031 ![]()
宮崎ジャパリフェニックスに入団した彼女はFAを獲得次第対馬へと戻る計画があった。しかし何ということか、FAを宣言しても対馬からのオファーがないではないか。これに対馬discordは紛糾、当の選手含め、当時のあのお肩(38)監督も「俺が悪い」と言う事態となったーーーーーーー
実際この事件が起きた背景には、SBLのFAは監督がシーズン終了前にオファーしなくてはならないというシステムを選手側が聞かない限り分からない、BBL特有の情報伝達の少なさが原因となっていたと思われる。
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+ | 消えた赤天狗 |
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588年度からあのお肩(38)監督の下で働いていた{赤天狗}コーチ。主に編成担当としてキャッツ史上類を見ないほどの敏腕を発揮していたのだが、監督の退任が間近に迫る中忽然と姿を消した。
この突然の、夜逃げのような早さの退任は一時話題となり悲しみの声や感謝の声などがつぶやき欄でもつぶやかれた。
ちなみに退任理由についてはオリンピックが終わって開発しなきゃと焦った説、夏にしか現れない説など諸説ある。 |
+ | 36-6 |
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ピーちゃん政権初の連覇となり念願のSBLシリーズ制覇を目指したが、その結果は完膚なきまでの敗北だった。そのあまりの大敗ぶりが例の〇イガース対〇リーンズの日本シリーズに似ていた為以下のコピペ改編まで生まれてしまった。
674年の対馬は、αリーグを制した勢いそのまま日本一を目指していたが、秋田相手に伝説の36-6を喫しストレート負け。
時は流れ、対馬はXXX年にもSBLシリーズに進出して秋田と対戦。だが主にN○Kの中継において、攻守交代のインターバル時などで、「秋田の直近のSBLシリーズの戦いぶり」として、674年SBLシリーズの映像が対馬ファンへの嫌がらせかというほど繰り返し流されたのである。
これにより、野○chやな○Jでは674年の対馬ネタが再びブレイク。「36-6」の関連スレが乱立され、あのトラウマを容赦なくえぐり出される事に耐えかねたひとりの対馬ファンが、悲痛な声でこう叫んだのである。
「なんでや!対馬関係ないやろ!」
なお、その後BBL機構では千葉スカイオーシャンズと兵庫チーターズのBBLシリーズで33-3が生まれたとか生まれなかったとか。
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+ | 緊急SOS!αのゴールデングラブ全部取る大作戦 |
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危険な守備に悩まされる対馬投手のSOSに出動!
エラーが大量発生し困っているグラウンドの土を全部抜き、そこには何が潜んでいるのかを大調査!そこには予想だにしない生物の姿が!?
という冗談は置いておき、この珍事件が発生したのは677年度。順位は3位と特筆するものはないのだが驚くべきはそのチーム防御率2.32、失点数は当然リーグナンバーワンで2位と100得点以上も離れるという結果だった。
当然ここまで抑える投手陣も素晴らしいが野手陣も素晴らしかった。SBLとは思えないほど守備を極めており、平均守備値は55となる珍しいシーズンであった。 |
+ | 強猫打線 |
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記念すべき700年を目前にした699年。タマモクロス政権下の対馬はかつてないほどの打線が仕上がっていた。
チーム平均ミート66、パワー62の通り、打線に6人もパワーC以上が存在する圧倒的暴力であったが、これで優勝しないんだから野球は不思議である。 ![]() ![]() |
+ | 915、917の悪夢 |
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886年に才東タンホイザ監督が就任しおよそ30年......戦力的には十分なものが揃っているにも関わらず、キャッツ軍は未だ一度も胴上げすることが出来ずにいた!
それには名将ヤス率いるビルダーズやリコリスの存在があるのだが細かいことは置いといて、特に目立った二つのシーズンについて話を進めよう。
リーグトップの投手陣を誇った915年では、序盤から首位に立つなど快進撃であったキャッツだったがシーズン終盤に徐々に失速。
迫る最終戦キャッツが勝ちリコリスが負ければ優勝という大一番でビルダーズに打線を封じられ、惜しくも優勝を譲ることとなった。
引退やFAで戦力を減らしながらも一昨年のリベンジに燃えるキャッツは、監督の予祝...もといミラクルキャッツの号令で途中10連勝などを挟み2位に4ゲーム差をつけたが、ビルダーズが驚異の追い上げを見せ136試合目消化時点で残りの試合キャッツ全勝かつビルダーズ全敗でしか優勝できない状況となってしまう。
しかしここからミラクルキャッツが発揮されたかビルダーズとの直接対決も含め対馬が四連勝と望みを繋げる。だが負けられなくなったビルダーズも意地を見せ最終戦ビリーズに勝利し、球場のライブビューイングで見ていた監督はベンチで項垂れることとなってしまった。
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+ | 額縁に飾られる7代目監督 |
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Lumelte監督退任の時期が迫る1315年。ミーティングルームでは各選手たちに監督自らお礼の言葉を述べていた。
そして同時期、ミーティングルームのレス数にも記念すべき10000というキリ番に近づきつつあった。
密かにキリ番を狙っていたなげねこオーナー、しかし普段"あばれ"ている男に上手く踏めるはずもなく...結果Lumelte監督が踏むこととなった。
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そしてその際発した監督の言葉により、彼のレスはここ珍事件で飾られることになったのだ。
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