ジェイル大橋

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ジェイル大橋 - (2018/05/03 (木) 10:27:50) の編集履歴(バックアップ)


ベータ版8年度から参加。
数字的な目標や作成選手へのこだわりは特にない。

以下はやってて感じたことなどをドキュメンタリー風に。
内容は個人の感想であり、効果などを保証するものではありません。

  • 初代 ジェイル大橋 大卒22歳入団 早熟 AP:パワー 内野手
一族の祖。地獄(北海道)から野球を通じて人類を支配すべくやってきた悪魔である。
製作者と同名であり安易なネーミングを後悔するも今更どうしようもないので製作者の分身であると強弁して良しとするしかない。

所謂大卒早熟でイーグルスにシーズン途中入団するやスタメンに定着、勝手がわからないためテレビゲームの片手間に練習をこなすも、まだまだプレイヤーの少ない時代ゆえ試合に出続け、強打者の片鱗を見せる。
余談となるがイーグルスにはこの年大卒野手が二人入団している。もう一人はあのいぶし銀、鮭のクリーム煮選手である。

ジェイルの将来は順風に見えた。しかし4年目を迎えるシーズン、興味本位で受けたトレードにより移籍したライオンズで無事控え落ち。大海の広さを知る。

 ジェイルの教訓1:出場機会のあるうちはトレードは慎重に

ライオンズは暗黒のまっただ中ながらも楽しかった。
ここでスタメン枠を若き日の巣鴨選手と争う。内野手と外野手で1枠を争っているわけなのでDHを巻き込んだ非常に手間のかかったスタメン争いだった。パリーグでないと(少なくとも平和的には)できない起用である。
打撃型は能力が高くないうちは、開幕でスタメンに入れてもその後成績が安定しないのですぐ外される可能性があり、開幕直後に上振れが起こるとほぼ1年起用される反面、下振れが起こると控え生活に甘んじることになる。
早熟なのでこの時点で既に成長期は終わっており、知見は得ても有効な手立てはない。9番ファーストとして隔年でそこそこの活躍。

 ジェイルの教訓2:スタメン定着には守備が要る

その後たまたま一度行った食事会で黄色遺伝子のおしゃべり好きなやる気スイッチと出会い、つぶやきに数編の恋の歌など流しながら一年半を費やし結婚。この時点で既に通常期すら終わっている。結婚翌年、衰えを感じ引退。


  • 二代目 大槻ケンヂ 大学中退20歳入団 普通 AP:守備 外野手
普通の人間を愛してしまった悪魔ジェイルが結婚式で呑み過ぎた後、ライオンズ球団寮の共同流し台で口からオエッと産んだ子。埼玉県出身。
入団が20歳とやや遅いのは、プレイヤーが大卒早熟に懲りながらも、増えつつあるBBL人口を睨み、下積み期間が長くなることを嫌ったためである。
元ホークス投手コーチ太刀川広巳は若き日の大槻ケンヂを見た際の第一印象をのちにこう述懐している――、
――「外野手で守備APとは茨の道を行くなぁと思った」。

BBL選手になりたい、息子がそう口にしたその日から、ジェイルは毎日厳しい守備練習を彼に課した。守れない選手は打ち続けなければ未来はない。その点守備力はポジションを安定させる。狩猟採集から農耕へのパラダイムシフトである。
外野を志望したのは単にそこがライオンズの一番薄いところだったからで、つまり大槻は生まれ育った土地を離れたくなかったのである。しかし彼をドラフト指名したのは、都会のチーム、ジャイアンツであった。

享楽的だった父を反面教師に大槻は堅実に力をつけていったが、当時ジャイアンツは黄金期を迎えており外野の壁は厚かった。入団から3年間、彼は年に僅か1本ずつのヒットしか放っていない。
4年目を迎えたシーズン、遂に二番センターに抜擢されると、フル出場を果たし新人王と最優秀守備の表彰を受ける。この年すでに23歳。
翌年一番センターに定着。しかしチームは主力選手の引退や移籍が相次ぎ、坂道を転がるように年々順位を落としていった。守備の好きな大槻にとってレフト日ファミ、ライトSCP-049両選手に挟まれ外野全域を駆けずり回る日々は楽しかった反面、済し崩しに三番、四番を打つに至って三割程度の打率は何の役にも立たなくなった。
率の出せる優秀な選手は多かった、少しばかりの長打力さえあれば下位を脱出できる見込みがあったにも関わらず、天はジャイアンツを気に留めなかった。自らに適性がないことはわかり切っていたが連日激しい肉体改造を敢行。身体の頑健さを犠牲になんとかPWをD50に乗せ二度のベストナインを獲得するも、低迷するチームを浮上させるに到底至らなかった。
…大槻は父親の腕力が猛烈に羨ましかった。幼い頃に見たライオンズのあのユニフォーム姿、右腕を突き上げゆっくりとダイヤモンドを回る父が夢に蘇ったことも一度や二度ではなかった。

 ケンヂの教訓1:打率はそれだけでは勝利に繋がらない

ジャイアンツの編成の中でのチーム貢献に限界を感じた大槻は、30歳でようやく手にした初めてのFA権を行使し、前年6位のタイガースへ移籍した。この決断には勿論、3年総額9億円という破格の条件提示も大きく影響したことは言うまでもない。

~つづく~