
| 名前 | 九五式装甲軌道車 |
| 世代 | (世代なんて)ないです |
| 全長 | 4.53m |
| 全幅 | 2.50m |
| 最高速度(道路上) | 時速30km |
| 最高速度(軌道上) | 時速72km |
| 移動可能距離 | 235km |
| エンジン | DB51B 空冷4サイクル六気筒エンジン89馬力 |
| 主砲 | なし |
| 武装 | 十一年式機関銃 |
| 開発 | 帝国陸軍工廠 |
| 製造数 | 56台 |
概要
九五式装甲軌道車(ソキ)とは、1935年に帝国陸軍が採用したちょっぴり特殊な装甲車である。ここでは、Wikipediaにも情報が少ないこの珍【?】車両を見ていく。
さて、この九五式装甲軌道車、なんといっても一番の特徴は,,,
線 路 を 走 行 可 能 で あ る こ と
そう、この九五式装甲軌道車は軌道と付くだけあって軌道上(線路)を走行可能なのである!キャタピラも装備しているため、もちろん道路上や未舗装地も走破可能である。
こんな車両を軍用車両として採用したのは後にも先にも帝国陸軍くらいである。緑茶キメスギィ!
これらは主に鉄道連隊へ配備され、鉄路の占領、偵察...さらに鉄路付近の警備など様々な任務に従事した。
陸も線路も走れるということで、一見すると時間がかかりそうな線路⇔陸路の切り替えだが、以外にも時間はかからない
線路→陸路は約一分、陸路→線路は約三分と、どん兵衛ができるよりも早く切り替えが可能なのである。大和魂キメれば2分で行けるとかなんとか
また、これら一連の操作は車内から安全に行えるようになっている。

↑ソキの車体下部。このようにキャタピラの内側に鉄輪が設けられた。
さて、このように装甲車両が線路を走ることのメリットは2つある。
さて、この九五式装甲軌道車、なんといっても一番の特徴は,,,
線 路 を 走 行 可 能 で あ る こ と
そう、この九五式装甲軌道車は軌道と付くだけあって軌道上(線路)を走行可能なのである!キャタピラも装備しているため、もちろん道路上や未舗装地も走破可能である。
こんな車両を軍用車両として採用したのは後にも先にも帝国陸軍くらいである。
これらは主に鉄道連隊へ配備され、鉄路の占領、偵察...さらに鉄路付近の警備など様々な任務に従事した。
陸も線路も走れるということで、一見すると時間がかかりそうな線路⇔陸路の切り替えだが、以外にも時間はかからない
線路→陸路は約一分、陸路→線路は約三分と、どん兵衛ができるよりも早く切り替えが可能なのである。大和魂キメれば2分で行けるとかなんとか
また、これら一連の操作は車内から安全に行えるようになっている。

↑ソキの車体下部。このようにキャタピラの内側に鉄輪が設けられた。
さて、このように装甲車両が線路を走ることのメリットは2つある。
- 速度
一つ目のメリットはその速度。天候の影響を受けやすく、またどうしても速度の限られてしまう道や未舗装路などと比べて鉄路は天国そのもの。
どんな天候であっても安定して速度を出すことができて、そして安全。実際、本車も道路上での最高速度が30kmなのに対して線路ならば72kmでの移動が可能であった。この速度を生かした本車の主任務は鉄路の占領、警備から敵情視察、威力偵察等...はては敵地攻撃にまで使用され、この任務の多様さに対し、本車の速度と軌道車ならではの柔軟性が十分に発揮された。
どんな天候であっても安定して速度を出すことができて、そして安全。実際、本車も道路上での最高速度が30kmなのに対して線路ならば72kmでの移動が可能であった。この速度を生かした本車の主任務は鉄路の占領、警備から敵情視察、威力偵察等...はては敵地攻撃にまで使用され、この任務の多様さに対し、本車の速度と軌道車ならではの柔軟性が十分に発揮された。
- 機関車の代用
二つ目のメリットは、装甲車を状況によって機関車として使えるという点である。
本車が開発された1935年当時、今ほどトラックなどの自動車が発展しておらず、大規模に物資や人を運べる手段としては鉄道がほぼ唯一の選択肢であった。
さて、貨車を引くとなると当然機関車が必要になるわけだが、当時の機関車とは蒸気機関車。蒸気機関車とは石炭と水を大量に消費する割と燃費の悪いシステムであり意外と使い勝手の悪いものであった。
そこで軌道車の出番である。軌道車ならばその辺の戦車や自動車と使う燃料は同じだし、使わないときには装甲車としても活躍。さらに自衛火器付きで護衛までできる...と割といいことづくめなのである。
利点はさらにあった。鉄道の線路幅というものは国別に、もっと言えば会社ごとに採用している線路幅がバラバラなものである。(日本でもJRと私鉄では線路幅が違う。)広大な中国ならば、より一層線路幅はばらばら...しかし、従来の機関車では一つの線路幅にしか対応できず、それにより兵站が滞ることもしばしばあった。しかし、九五式装甲軌道車ならば様々な線路幅に対応することができた。この機能は当時前線において非常に重宝されたという。
さすがに機関車の代用とまではいかなかったが、それでも九一式軽貨物車をけん引できる能力は大いに兵站維持に貢献しただろう。

↑九一式軽貨物車をけん引する九五式装甲軌道車
本車が開発された1935年当時、今ほどトラックなどの自動車が発展しておらず、大規模に物資や人を運べる手段としては鉄道がほぼ唯一の選択肢であった。
さて、貨車を引くとなると当然機関車が必要になるわけだが、当時の機関車とは蒸気機関車。蒸気機関車とは石炭と水を大量に消費する割と燃費の悪いシステムであり意外と使い勝手の悪いものであった。
そこで軌道車の出番である。軌道車ならばその辺の戦車や自動車と使う燃料は同じだし、使わないときには装甲車としても活躍。さらに自衛火器付きで護衛までできる...と割といいことづくめなのである。
利点はさらにあった。鉄道の線路幅というものは国別に、もっと言えば会社ごとに採用している線路幅がバラバラなものである。(日本でもJRと私鉄では線路幅が違う。)広大な中国ならば、より一層線路幅はばらばら...しかし、従来の機関車では一つの線路幅にしか対応できず、それにより兵站が滞ることもしばしばあった。しかし、九五式装甲軌道車ならば様々な線路幅に対応することができた。この機能は当時前線において非常に重宝されたという。
さすがに機関車の代用とまではいかなかったが、それでも九一式軽貨物車をけん引できる能力は大いに兵站維持に貢献しただろう。

↑九一式軽貨物車をけん引する九五式装甲軌道車
歴史
さて、ここまで紹介した九五式装甲軌道車は、それまで運用されていた装輪式装甲軌道車の発展型である。ここでは、ソキにいたるまでの歴史を見ていこう。
時はさかのぼること1914年。中国大陸の青島にて日本軍が現地鉄道会社の軌道車を徴用して使用。これが日本軍における最初の軌道車の使用例であった。
その後の1919年から始まったシベリア出兵において、輸送の要であった鉄道の警備に迫られた日本軍は、鹵獲装甲列車とともに自動車魔改造軌道車を投入。
ウラジオストク派遣ではチ式装甲自動車やス式軌道自動車、ウ式軽軌道車などが投入。これらは銃座付きキューポラを装備していて、鉄道警備に従事できた。当時の鉄道ではゲリラ活動が相次ぎ、鉄道警備の重要性はますます向上していた。それだけ当時の鉄道の重要性は高かったのである。
さて、そうして大陸における軌道車の重要性を認識した日本軍は1930年、石川島自動車制作に専用の装甲軌道車の制作を依頼。いくつかの試作車を経て完成したのが、九五式の前身といっても過言ではない九一式広軌道車である。これは、初めて軌道車で装甲が採用され、120mほど先からの7.6mm程度の銃弾に耐えることができた。
また、本車の特徴として、九四式脱線器なる珍兵器が搭載されているという点があげられる。正直言ってこれがどんな兵器なのかはさっぱり不明()これは筆者所有の資料にもほとんど記載がないレベルのマイナー珍兵器であるが、本兵器を搭載した九一式の貴重な写真が残っていたので、ここに掲載しておく。

時はさかのぼること1914年。中国大陸の青島にて日本軍が現地鉄道会社の軌道車を徴用して使用。これが日本軍における最初の軌道車の使用例であった。
その後の1919年から始まったシベリア出兵において、輸送の要であった鉄道の警備に迫られた日本軍は、鹵獲装甲列車とともに自動車魔改造軌道車を投入。
ウラジオストク派遣ではチ式装甲自動車やス式軌道自動車、ウ式軽軌道車などが投入。これらは銃座付きキューポラを装備していて、鉄道警備に従事できた。当時の鉄道ではゲリラ活動が相次ぎ、鉄道警備の重要性はますます向上していた。それだけ当時の鉄道の重要性は高かったのである。
さて、そうして大陸における軌道車の重要性を認識した日本軍は1930年、石川島自動車制作に専用の装甲軌道車の制作を依頼。いくつかの試作車を経て完成したのが、九五式の前身といっても過言ではない九一式広軌道車である。これは、初めて軌道車で装甲が採用され、120mほど先からの7.6mm程度の銃弾に耐えることができた。
また、本車の特徴として、九四式脱線器なる珍兵器が搭載されているという点があげられる。

そういえば...
ここまで根気強くクソ長文に付き合ってくださった皆様へ
ひとつ疑問に思うことはないだろうか?そう、何を隠そうこの車両...
まともな武装がない!!!
こんなにも優れているのに!!!ついているのは歩兵用の十一年式機関銃くらいで、それすらも固定武装ではない。なんならそれすらつけられずに鹵獲したチェコ製機関銃を使っていた..なんていう話まである。
なぜチハやハ号のような主砲をつけなかったのか?これには日本陸軍のとある慣習がかかわっている...
特筆すべきは、九五式装甲軌道車にはもともと固定武装として6.5mm機関銃が搭載予定であったということである。しかし、ここで待ったをかけたのが陸軍歩兵科であった。
当時、歩兵科の管轄には戦車がいた。そして九五式装甲軌道車もまるで戦車の砲塔のようなキューポラを持ちながらも、これは工兵所属の車両であった。
これに対し歩兵科は、「砲塔に固定武装があったら、それは戦車ではないか!そのようなものは工兵は持つべきではなく、歩兵科が管轄するべきである!」と反対。結果として、工兵側が譲歩する形で固定武装の装備は実現ならず...というわけである。こういった話は戦時中、よく見られた。
海軍と陸軍の対立は有名な話であるが、実は両軍の内部においても対立構造はあったのである。
ひとつ疑問に思うことはないだろうか?そう、何を隠そうこの車両...
まともな武装がない!!!
こんなにも優れているのに!!!ついているのは歩兵用の十一年式機関銃くらいで、それすらも固定武装ではない。なんならそれすらつけられずに鹵獲したチェコ製機関銃を使っていた..なんていう話まである。
なぜチハやハ号のような主砲をつけなかったのか?これには日本陸軍のとある慣習がかかわっている...
特筆すべきは、九五式装甲軌道車にはもともと固定武装として6.5mm機関銃が搭載予定であったということである。しかし、ここで待ったをかけたのが陸軍歩兵科であった。
当時、歩兵科の管轄には戦車がいた。そして九五式装甲軌道車もまるで戦車の砲塔のようなキューポラを持ちながらも、これは工兵所属の車両であった。
これに対し歩兵科は、「砲塔に固定武装があったら、それは戦車ではないか!そのようなものは工兵は持つべきではなく、歩兵科が管轄するべきである!」と反対。結果として、工兵側が譲歩する形で固定武装の装備は実現ならず...というわけである。こういった話は戦時中、よく見られた。
海軍と陸軍の対立は有名な話であるが、実は両軍の内部においても対立構造はあったのである。
小ネタ
- 実はまだいる軌道車の子孫たち
さて、ここで紹介した線路と道路を行き来する軌道車は、実は現代においても活躍を続けている。
それこそが、阿佐海岸鉄道阿佐東線で運行されているDMV(デュアル・モード・ヴィークル)である。これはソキと同じシステムで陸路ではバスとして、そしてそのまま線路上に上がって気動車としても運航できるすげーーーヤツなのだ。

↑DMVの例。ソキの血もちょっとくらいは牽いてるかもしれない...
それこそが、阿佐海岸鉄道阿佐東線で運行されているDMV(デュアル・モード・ヴィークル)である。これはソキと同じシステムで陸路ではバスとして、そしてそのまま線路上に上がって気動車としても運航できるすげーーーヤツなのだ。

↑DMVの例。ソキの血もちょっとくらいは牽いてるかもしれない...
- なぜか意外と残ってるソキたち
さて、前述したように非常にマイナーかつ生産数も少ない九五式装甲軌道車。さすがにもう残ってないだろ...と思いきや、まだいるんです。しかも二両。
一両は現在モスクワに、もう一両は北京にいる。モスクワのほうはご丁寧に日本軍迷彩に塗装され、軌道上に乗った状態で展示されている。情勢が安定したら一度訪れてみるのもいいかもしれない。横にはなぜかまっ黄色に塗装されたAMX-13くんがいる。なんかピカチュウみたい(((
一両は現在モスクワに、もう一両は北京にいる。モスクワのほうはご丁寧に日本軍迷彩に塗装され、軌道上に乗った状態で展示されている。情勢が安定したら一度訪れてみるのもいいかもしれない。横にはなぜかまっ黄色に塗装されたAMX-13くんがいる。
- うっかりアサヒと陸軍くん
まずはこの画像を見てほしい。

これはアサヒグラスという当時の雑誌に載せられた九五式装甲軌道車の写真である。
一見、ただの装甲車の画像に見えるだろう。当時、九五式装甲軌道車は軍機密であったという点さえ除けば,,,
そう、なんとあろうことか陸軍省はこの軍機密の写真をうっかり検閲済みの公表OK画像として公開(おそらく九五式装甲軌道車の存在自体知らなかったものと思われる。)そして、その写真をアサヒが取り上げ雑誌に堂々と掲載してしまったのである。おそらく担当者は大目玉を食らっただろう...

これはアサヒグラスという当時の雑誌に載せられた九五式装甲軌道車の写真である。
一見、ただの装甲車の画像に見えるだろう。当時、九五式装甲軌道車は軍機密であったという点さえ除けば,,,
そう、なんとあろうことか陸軍省はこの軍機密の写真をうっかり検閲済みの公表OK画像として公開(おそらく九五式装甲軌道車の存在自体知らなかったものと思われる。)そして、その写真をアサヒが取り上げ雑誌に堂々と掲載してしまったのである。おそらく担当者は大目玉を食らっただろう...
