雲の上。
鳥すら飛ばぬような高い場所を、その船は飛んでいた。
大陸広しといえども、何隻もない巨大な錬金術飛行船。
少女は外の見える小さなガラス窓に張り付いていた。
真剣な眼差しは、雲に船が落とす翼の影へと注がれ、輝ける太陽をものともせずにじっと外を見続けていた。
「何がそんなに面白いのかね?」
背後に控えていた初老の男が尋ねる。
「すごいのよ、ずっと同じペースで動いているの。疲れないのかしら?」
「機械は疲れたりせんよ」
そういって男は笑う。
「でも、質の悪い機械はすぐこわれちゃうから、こんなに長く・・故障もせずに動いてるなんて、やっぱりすごい」
そういいながら、男を少女が振り返る。
「こんなすごいものを作った場所に、つれてってくれるなんて、ありがとうございます」
彼女は折り目正しくお辞儀をすると、男を見上げた。
「まだ信じられないの。田舎育ちの私が、空飛ぶ船に乗って、学校に行けるなんて」
「なに。気にするほどのことではないさ。大暗黒期以前の世界に比べたら、今はどこも田舎だろう。そうだろう?」
優しい声で、少女の灰色の髪を撫でる。
「それでも、まぁ・・ショアベルツは都会にはかわりない。お前がこれから通う学校が、いかに街の外にあるとはいえ、街と無関係で生活できるはずもなかろうし・・」
「ダイジョウブ。根拠はないけど、頑張って勉強します!街にだって、きっとすぐ慣れてみせます。共通語の文字も勉強したし、なんとかなるわ」
「そうかい?」
彼女は自信満々に頷いた。
彼女の名は、ロザリー。
今年で15になる・・・だいたい。
だいたい、というのは、彼女がどこでいつ生まれたのかはっきりしないせいだ。
育ての親が何度も変わる中で、彼女は『学校に入れてくれる』という老紳士とであった。
彼女のいた田舎には、多少の読み書きを教えてくれる神殿がある程度で、本格的な学校は皆無だった。
「都会の学校、なんていい響きなの!」
彼女は二つ返事で学校行きを選んだ。
そして今、彼女は都会も都会。大陸で最も栄える町へと、やってきた。
「はっへぇ・・・」
淡いココア色の建物が、広い道を半分ほど影で覆うほどに高く、左右に続いていた。
道は質のいいサフランイエローの煉瓦が敷き詰められ、延々と続いていた。
「空の上からみたときは小さいと思ったのに・・」
彼女は、町を案内しようか、という老紳士の誘いを断っていた。
船着場に下りてくるまでに見えた町が、想像よりも小さく感じたからだ。
しかし、甘すぎた。熟れたリンゴよりも甘く。
「ちょっと道をあけておくれよ!」
背後から怒鳴られて、慌ててロザリーは道の端へと飛び退く。
数頭の馬に引かれた大きな馬車が彼女を追い抜かして進んでいく。
馬も車も、見たこともないサイズだ。
御車台に座るたくましい人は、なんと女性だった。
「はうぁ・・・」
あっけにとられて馬車を見送る。
すっかりおのぼりさんと化したロザリーは、それでもめげずに、街の中のほうへと歩いていった。
「学校は確か街の外なのよね。でも、船着場のある方じゃなかったから、きっと別の出入り口から出るんだわ。他の出口を探さなきゃ」
そうつぶやきながら、彼女は通りを歩き続けた。20分ほど歩いた頃、ようやく彼女は、広場にぶつかった。
とてつもなく背の高い時計台。そして、大きな噴水を持つ広場。
女神アエマが水瓶を掲げた姿が、噴水の真ん中に、白い石で設えてあった。
その近くに、ひとつの集団がいた。
集団なら他にも、商いをする人々はいた。しかし、その集団だけは全く違っていた。
彼らは、思い思いに違う服装をして、大きな荷物を持っていた。
そして、彼らは街の中でありながら、武器を持ち、それでいて、咎められている雰囲気もない。
「あれが、冒険者さん・・・?」
ロザリーは、興味本位で、彼らに近づいていった。
真っ先に気がついたのは、なめし革の服を着た、一番身軽そうな男だった。
「なんだ?嬢ちゃん。迷子か?」
「えっと・・・冒険者さん、ですよね?」
「そうだけど?」
男は肩をすくめて、何を聞くんだ?と笑いを含めてそう言い返した。
「どうなさいましたか?わたくしで力になれることでしたら、なんでもおっしゃってみてください」
マホガニー色のローブを着た品のよさそうな女性が、ロザリーの前に進み出る。
「私、行きたい場所があって、でも場所が分からなくって・・」
「ショアベルツははじめてか?」
「はい」
「まぁ、それは大変。この町ってとっても大きいんですのよ。わたくしなんて、こちらにきてもう半年も経ちますけれど、今でもワレリーの案内がないと、外が出歩けないんですのよ」
「えぇっ!?」
女性に両手を握られて、恐ろしいことを聞かされ、ロザリーは目を丸くした。
「安心しろ嬢ちゃん。まともな人間なら、1日もあれば大雑把な道は覚える。こいつが方向音痴なだけだ」
「そ、そうなんですか・・?」
「そうなんです。何度も練習するんですけど、未だに一人で市場まで行けなくって・・」
さめざめと泣き出す女性。
ワレリーと呼ばれた男のほうはそれを無視して、話を進めた。
「で、どこいきたいんだ?」
「フォリアの学堂、、ってわかりますか?」
「あー・・・あそこか」
ワレリーが面倒くさそうに視線を泳がせる。
「あそこへ行くならだなぁ・・心の準備と、俺への案内賃がいるな」
「そ、そんなに遠いんですか?!」
ワレリーはあさってのほうを向いて、しかし、右手はしっかりとロザリーへの案内賃要求をしていた。
しかしその手を、女性が遮る。
「ひどいわワレリー! 学校への道案内ごときにお金を求めるなんて!」
「道案内という正統なサービスで金をとるのは、子供だってやってることじゃねーか!!」
「わたくしにはお金をせがまないじゃありませんか」
「あのな、旧知の仲のお前と、見ず知らずのこの嬢ちゃんとじゃ、無料サービスの範囲に差がある。それだけだろ」
「あ、あのー・・・」
ロザリーは女性が怒り出す手前で控えめに手を上げた。
「行き方だけわかればいいんです。まだ太陽も出ているし、方角と距離がわかれば一人でもダイジョウブですから」
「だ、だいじょうぶですか!?この街とっても大きいんですよ?」
「行き方がわかれば、お前じゃない限り普通いけるっての。お前が音痴すぎるだけだ、メフィナ」
「でも・・・どうせ買い物が終わったら、私を学校まで送ってくれるじゃありませんか。はじめての方を一人で放り出して、困ったことになったら・・」
“学校”という単語をメフィナが口に出した瞬間、ワレリーが頭を抱えた。
ロザリーはというと、
「学校の人・・・なんですか?」
と真顔で尋ねただけだった。
「えぇ。学生です」
「俺も一応な。籍だけだが」
「私は、ちゃんとマジメに授業に出ていますけれどね。ワレリーったら全然・・」
「俺は研究提出で点数稼いでるからいいんだよ。魔法を覚えるメイジや、知識を詰め込むセージと違って、アルケミストは、研究して何ぼの世界。理論がわかってりゃ、授業はいいって何度言ったらわかるんだよ」
「アルケミストなんですか!?」
「俺はな」