セッション間シーン 5.1 クローヴ
長かったブランドバーク卿杯がようやく明日で終わる。
こんなに長く、疲れる祭りには初めての経験で、彼はだいぶ疲れていた。傷こそ癒されているが、ソロコロシアム決勝の会場裏での戦いは、思ったよりも疲労が激しかった。
出会ったこともなかった知識上の魔族レライエとの戦い。最後の一線を分けたのは、彼の改心の一撃ともいうべき炎の魔法で。長く続いた通路裏の戦いの成果で、会場は爆破されることもなく、無事に決勝戦を行なえていた。
あんなボロボロの戦いの後でも、血まみれになったまま応援スタンドに駆けていったカシスとは違い、一刻も早く休みたいという心境であった彼は、市庁舎にとってかえし、そこで今回の依頼の完了を知ったのだ。
ゲート閉鎖の任務が多少方向のちがう最後を迎えたが、約束どおりの支払いを市長秘書はしてくれた。それに不満は無い。
街では、アガサ・ウェリンディア三度目の優勝が祝われていて、最後の夜を騒いでいた。
「だいぶ大変な山だったみたいね」
約束どおり、リュクレースは六つ花の宿にいた。
既に仕事の内容を知っているのか、彼女の口元には余裕の笑みが浮かんでいた。
同じテーブルの向かいに腰を下ろすと、店員を呼び止めて、故郷の料理を注文する。
ここはアザン都市同盟の人間の常宿。六つ花というのは、アザンの代名詞。雪と氷の国アザンは6つの都市で、6つの花弁。それゆえ、六つ花の国と自称する。
「頼んであったことは、調べられましたか?」
彼女は、故郷では値の張るぶどう酒にわずかに口をつけていた。
「ゲートを開いたのは、強弓のレウホーンという魔族。レウホーンはコロセウム爆破で要人を抹殺、別働で先に陽動作戦をとった黒のマリアが予想外にも倒されたので、マリアの任務まで兼任しようとして失敗。レウホーンはもうゲートを通って撤退済みよ」
「黒幕はレライエじゃなかった?」
「レライエ程度の固体名の無い魔族が陣頭指揮を執ることはありえない。レウホーンは何らかのアクシデントを予測して、あなたが動くよりも先に逃亡した。だからあなた方の任務にとっての最終関門はレライエに繰り下がった。それだけよ」
多少の驚きを隠せない彼に、リュクレースは微笑んでいた。
諜報とはいえ、魔族の懐をさぐることは危険がつき物だ。固有名詞のある魔族を相手に探りを入れて、平然としていられる。彼女の慣れぶりがうかがえた。
「しかし。とんでもないことに足を突っ込んだものね」
「そんな余裕なあなたこそ、普段とんでもないことをしてるんじゃないですか?」
むっとして言い返すと、ワインレッドの瞳が不敵に輝いた。
「私は…“一滴の月光”の意思のままに動くだけよ。たとえ相手がデュークやマーキスでもそれが魔族なら、月光の守護を信じれば恐れるに値しない」
一瞬ぞっとする。それくらい、自信に満ち溢れた瞳。年の功なのか、任務への経験の差なのか、彼女からの威圧感をこれほど感じるのもまた珍しい。
彼が何も言わずにいると、
「お前はまだ若いのだから、今はじっくりこの国で根を下ろし、陽光を受けて成熟することを考えればいいのよ。月光の守護を忘れることなく」
諭すような優しい声で、母か姉のように彼女は告げる。
「……あの御方も、そうお望みです」
そう言うと、彼女は席を立った。
まだ料理を待つ彼は、付き合ってはくれないのかと目で咎める。
「ごめんなさいね。待ち人がいてね。さっき到着の知らせを受けたから、行かないと」
「その人に会ったら、もう帰るんですか?」
声をかけて振り返った彼女の微笑みは、どこか冴えた月を思い出させた。
「それはまだ、月のみぞ知る…といったところね」
一瞬、熱気あふれるこの国で、故郷の月を見た気がした。