車種名 | V1T |
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クラス | E |
最高出力 | 125ps |
車体重量 | 725kg |
パワーウェイトレシオ | 5.8 |
吸気形式 | 自然吸気 |
駆動方式 | RR |
入手金額 | |
0-100km/h加速 | 6.97sec. |
最高速度 | 152km/h |
メモ | ドイツ生まれの大衆車。 世界中で愛される「かぶと虫」 |
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概要
元ネタ解説
フォルクスワーゲン・タイプ1「ビートル」


ナチス・ドイツの政策下で生まれた車。名前通りの「大衆車」として支持された名車である。
ナチスはアウトバーンの建設とともに「国民全員が自動車を所有できるようにする」という公約を打ち出す。その実現のため、自身もカーマニアであった党首のA.ヒトラーはのちにポルシェの創業者となる技術者、F.ポルシェに国民車の設計を依頼。事あるごとに小型車の計画を立てていたポルシェはその度に様々な要因で計画頓挫の憂き目にあっていたようで、ヒトラーの提案はまさに渡りに船であったと言えよう。
ヒトラーが要求した性能は以下の通り。
ナチスはアウトバーンの建設とともに「国民全員が自動車を所有できるようにする」という公約を打ち出す。その実現のため、自身もカーマニアであった党首のA.ヒトラーはのちにポルシェの創業者となる技術者、F.ポルシェに国民車の設計を依頼。事あるごとに小型車の計画を立てていたポルシェはその度に様々な要因で計画頓挫の憂き目にあっていたようで、ヒトラーの提案はまさに渡りに船であったと言えよう。
ヒトラーが要求した性能は以下の通り。
- 頑丈で長期間にわたって大きな修繕を必要とせず、維持費が安いこと。
- 一般的な家庭の家族(大人2人、子供3人)が乗車できること。
- 巡航速度100km/hを達成できること。
- 100kmでの燃料消費量を7Lに抑える(≒14.3km/L)こと。
- 耐久性の観点から空冷エンジンを採用すること。
そして、何よりヒトラーが強調したのは以下の点、
- 1000マルク以下で販売できること。
であった。
当時のドイツにはオペルが送り出したP4という車両がいたものの、値段もスペックもヒトラーが要求するものには達しておらず、やはり開発は必要であったのだ。
大量生産のためにすでにその技術を実現していたフォードの視察なども行い、ポルシェは1938年、ついにのちのタイプ1の原型となるプロトタイプ「V303」を完成させる。生産工場の定礎はヒトラー立ち会いのもとで行われ、同時に発表されたV303は演説を行なったヒトラー自身によって「KdFワーゲン」と名付けられたのであった。しかし、1939年に第二次世界大戦が勃発すると、量産車KdFワーゲンの生産は僅か630台にしてストップ。工場ではKdFワーゲンのコンポーネンツを生かして軍用車が生産される。それが有名な「キューベルワーゲン」と「シュビムワーゲン」であった。
1945年に終戦を迎え、荒廃したドイツ。工場も甚大な被害を被っていたが、この車はその設計があまりにも先進的すぎたせいか、連合国の占領政策による接収は免れた。そして同年、早くもイギリス占領下で現地のドイツ人たちにより工場は復旧され、生産が開始したのである。この時にタイプ1の名称が正式に与えられた。
流線型のボディを動かす心臓部は4ストローク水平対向空冷4気筒エンジン。初期型は1Lながら最終的には1.6Lまで排気量が拡大されるも、ドライブトレインの基本配置は元々の完成度の高さも相まって踏襲され続けた。空冷エンジンながらオイルクーラーを標準装備し、冷却性能も良好。カラカラした音などと表現されるエンジン音は確かにうるさかったようだが、一方で耐久性や整備性は抜きん出て良かったようである。整備性についてはファンミーティングでエンジン脱着競争が行われるレベルで、エンジン交換までもが容易だったという。このエンジンをリヤにマウントし、後輪を駆動。これによって大きな室内空間を手に入れるに至った。足回りは前が2段式トレーリングアーム、リヤがシングルトレーリングアームを採用。さらに車格に対して大きめのタイヤも功を奏し、悪路での走破性も良好だったようだ。
この構造は先述のキューベルの悪路走破性の良さにも繋がっており、さらにこのシャーシを応用してバスのボディを持つタイプ2「サンバ」やクーペボディの「カルマン」など、同じコンポーネンツを流用した一族が数多く存在している。そして、ビートルらの生産で得られた利益は西ドイツの復興に大きく貢献したのである。
ビートルの堅牢さは当然だがラリーでも健在。ケニアを中心に行われ、路面状況が過酷なことで知られるサファリラリーに出走した際は53年、54年、62年に総合優勝を遂げるなど、大衆車としては破格な耐久性と走破性をまざまざと見せつけた。
これほど先進的な設計を持っていても月日の流れとは残酷なもので、ビートルはだんだんとその設計の古さが否めなくなってくる。フォルクスワーゲンは新規車種の開発に失敗し続け、最早前時代的なビートルを主力車種として販売。この間の1972年2月17日、ビートルの生産台数は15,007,034台を達成。T型フォードの15,007,033台を追い抜き名実ともに世界一売れた車の地位を確立した。ちなみに、輸送機器に話を広げたとしても単一モデルでビートル以上のセールスを達成したのは、1億台売れたホンダ・スーパーカブのみである。←お前何なんだよ。
1974年、ついに待望の新しい主力車種、ゴルフが登場。前輪駆動式を採用したゴルフにバトンタッチをしたビートルは1978年、ドイツ本国での生産が終了された。一方でノックダウン生産がされていたメキシコなどではその後も継続して生産が行われ、現地のアシとして親しまれた他各国のビートルマニアによって「新車で買えるビートル」として輸入された事例もあるようだ。
2003年7月30日。メキシコで最後の1台がラインオフし、ビートルは60年、開発も含めると70年にわたる長い歴史に幕を下ろす。この間に生産された台数は驚異の21,629,464台。ビートルの愛称で親しまれたこの車は、いまだに根強いファンも多く、世界各国で愛され続けている。
自動車、大衆車そのものの在り方を問いかけ、それに応える形で生まれたタイプ1「ビートル」。民衆に愛された理由は、普段使いに耐えうる走行性能と、乗り続けやすい実用性を兼ね備えた車であったからに違いない。ビートルはすべての自動車を代表する「フォルクスワーゲン」であり、自動車史の金字塔なのである。
当時のドイツにはオペルが送り出したP4という車両がいたものの、値段もスペックもヒトラーが要求するものには達しておらず、やはり開発は必要であったのだ。
大量生産のためにすでにその技術を実現していたフォードの視察なども行い、ポルシェは1938年、ついにのちのタイプ1の原型となるプロトタイプ「V303」を完成させる。生産工場の定礎はヒトラー立ち会いのもとで行われ、同時に発表されたV303は演説を行なったヒトラー自身によって「KdFワーゲン」と名付けられたのであった。しかし、1939年に第二次世界大戦が勃発すると、量産車KdFワーゲンの生産は僅か630台にしてストップ。工場ではKdFワーゲンのコンポーネンツを生かして軍用車が生産される。それが有名な「キューベルワーゲン」と「シュビムワーゲン」であった。
1945年に終戦を迎え、荒廃したドイツ。工場も甚大な被害を被っていたが、この車はその設計があまりにも先進的すぎたせいか、連合国の占領政策による接収は免れた。そして同年、早くもイギリス占領下で現地のドイツ人たちにより工場は復旧され、生産が開始したのである。この時にタイプ1の名称が正式に与えられた。
流線型のボディを動かす心臓部は4ストローク水平対向空冷4気筒エンジン。初期型は1Lながら最終的には1.6Lまで排気量が拡大されるも、ドライブトレインの基本配置は元々の完成度の高さも相まって踏襲され続けた。空冷エンジンながらオイルクーラーを標準装備し、冷却性能も良好。カラカラした音などと表現されるエンジン音は確かにうるさかったようだが、一方で耐久性や整備性は抜きん出て良かったようである。整備性についてはファンミーティングでエンジン脱着競争が行われるレベルで、エンジン交換までもが容易だったという。このエンジンをリヤにマウントし、後輪を駆動。これによって大きな室内空間を手に入れるに至った。足回りは前が2段式トレーリングアーム、リヤがシングルトレーリングアームを採用。さらに車格に対して大きめのタイヤも功を奏し、悪路での走破性も良好だったようだ。
この構造は先述のキューベルの悪路走破性の良さにも繋がっており、さらにこのシャーシを応用してバスのボディを持つタイプ2「サンバ」やクーペボディの「カルマン」など、同じコンポーネンツを流用した一族が数多く存在している。そして、ビートルらの生産で得られた利益は西ドイツの復興に大きく貢献したのである。
ビートルの堅牢さは当然だがラリーでも健在。ケニアを中心に行われ、路面状況が過酷なことで知られるサファリラリーに出走した際は53年、54年、62年に総合優勝を遂げるなど、大衆車としては破格な耐久性と走破性をまざまざと見せつけた。
これほど先進的な設計を持っていても月日の流れとは残酷なもので、ビートルはだんだんとその設計の古さが否めなくなってくる。フォルクスワーゲンは新規車種の開発に失敗し続け、最早前時代的なビートルを主力車種として販売。この間の1972年2月17日、ビートルの生産台数は15,007,034台を達成。T型フォードの15,007,033台を追い抜き名実ともに世界一売れた車の地位を確立した。ちなみに、輸送機器に話を広げたとしても単一モデルでビートル以上のセールスを達成したのは、1億台売れたホンダ・スーパーカブのみである。←お前何なんだよ。
1974年、ついに待望の新しい主力車種、ゴルフが登場。前輪駆動式を採用したゴルフにバトンタッチをしたビートルは1978年、ドイツ本国での生産が終了された。一方でノックダウン生産がされていたメキシコなどではその後も継続して生産が行われ、現地のアシとして親しまれた他各国のビートルマニアによって「新車で買えるビートル」として輸入された事例もあるようだ。
2003年7月30日。メキシコで最後の1台がラインオフし、ビートルは60年、開発も含めると70年にわたる長い歴史に幕を下ろす。この間に生産された台数は驚異の21,629,464台。ビートルの愛称で親しまれたこの車は、いまだに根強いファンも多く、世界各国で愛され続けている。
自動車、大衆車そのものの在り方を問いかけ、それに応える形で生まれたタイプ1「ビートル」。民衆に愛された理由は、普段使いに耐えうる走行性能と、乗り続けやすい実用性を兼ね備えた車であったからに違いない。ビートルはすべての自動車を代表する「フォルクスワーゲン」であり、自動車史の金字塔なのである。