中東での利権を、
中華帝国の行動を黙認することで確保しようとした米国の目論見は完全に崩れ去った。
この混乱に終止符を打ったのが、アメリカ大統領、ジョージ・バラマの急死である。
公の報道はこうなっている。
某日深夜、ジョージ・バラマ大統領は、ホワイトハウス内のバスルームで倒れているのを、様子を見に来たバルモア夫人によって発見された。
死因は心臓発作。大統領は心臓に持病を抱えており、連日の激務により、最近では疲労を訴えることが多くなっていた。
ただし、「バルモア夫人の強い希望」により、検屍の類は一切されず、大統領の遺体は、家族だけの密葬の後、火葬によりこの世から消えた。
バルモア夫人はの後すぐにアメリカを離れ、フランスのニースに隠棲したが、夫人が、生活費の名目で中華帝国からかなりの金額を極秘裏に受け取っていた事実もある。
中華帝国にとって助けとなる決定打を打ち出せなかった大統領に対する報復により暗殺されたと、まことしやかに囁かれるのも無理はない。
彼の死因が、本当に心臓麻痺による死亡だったのかは、永遠に闇の中だ。
そのバラマの後釜になったのが、副大統領のジェームズ・タイラーだ。
彼もまた、親中派の一人と目される一人であり、中華帝国からバラマの後継者として期待された人物だった。
二選を目指し、志半ばで倒れたバラマの後任として大統領選挙に出馬することを表明した彼だったが―――
出馬表明の翌日、シカゴで暗殺された。
犯人は中国人によって仕事を失ったと主張するヒスパニック系の移民。
背後からサタデーナイトスペシャルの22口径3発を脳に受けた“タイラー候補”は、初演説ではなくその無惨な死体で翌日の朝刊の一面を飾った。
時間的に後継者を選択する余力を失った与党・民政党に、野党連邦党が送り出したニコラス・J・ベネット大統領候補を止めることは出来なかった。
実は、このベネットというギリシア移民の子孫を、中華帝国は理解しかねていた。
経済的にも中道的な発言を繰り返し、右派なのか左派なのか判然としない、日和見的な態度を繰り返すせいで、大統領候補でありながら、対するバラマに全く歯が立たないだろうと囁かれ続けた存在だ。
この男が大統領に就任したら?
その図式を、中華帝国は描くことが出来なかった。
むしろ、就任こそあり得ないと切って捨てる程度がふさわしい程度の認識しか持ち合わせていなかったともいう。
それが、中華帝国にとって最大の誤算であり、最大の悲劇の原因を生み出すことになる。
ベネットが対抗馬なしを理由に大統領に就任したのが、EU軍のバクダッド制圧の日だ。
このままでは世界戦争になる!
この最悪の事態を回避する手腕を、世界がベネットに期待していた。
新大統領は事態の収拾を目指す国際会議を提唱した。
中華帝国が、駐米大使の偉をホワイトハウスに送り込み、大統領となったベネットとの接触させたのは、その協力を求めたからに他ならない。
先のバラマ同様の尊大な態度を崩さない偉に対し、ベネットは全く動じることなく、やんわりとした態度ですべてを受け流し、狐につままれたような顔をした偉をあっさり追い返した。
それでも偉は、自分の威圧でベネットをうち負かしたと本国に報告した。
―――彼はバラマ以上に人形として有益でしょう。
CIAが諜報した偉の報告は、そんな感じでまとめられていた。
何をどうしたらそう思えるのか。
偉が本気でそう思っていたことは、後の関係者の証言からも明らかだ。
国際会議は、提唱からわずか数日後にはブリュッセルで開かれた。
すでにアフリカののど元まで占領下に置く圧倒的軍事力と、世界最大の経済力を保有する中華帝国に対し、各国は終始押され気味の交渉を余儀なくされた。
その中で、なぜか提唱した米国は、様々な、それこそ幼稚じみた理屈をもってまで会議への参加を延期し続けていた。
会議は混乱し、その中で中華帝国は自らの勝利を確信しつつあった。
それから数日後の中東。
アラビア海に浮かぶ沖縄県ほどの小さな島。
名をラピス島という。
その地理的条件と、大型艦艇が多数接岸出来る港を持つことから、歴史ある中継貿易の拠点として繁栄した英国の植民地だ。
アラビア海の制海権を掌握した中華帝国軍にとって目の上のたんこぶに等しい存在だが、その小さな規模から、あえて無視していた所だ。
ここに、米軍はバーレーンに向かう途中の艦隊を停泊させていた。
“鈴谷(すずや)”は、そこにさしかかろうとしていた。
事態は、そこから始まる。
“鈴谷(すずや)”がラピス入港を目前にして航行を続けている。
「美奈代、美奈代っ!」
長旅により、ついに食事から麺類が消えた食堂で、ハム定食と鯖缶定食のどっちを食べようか迷っていた美奈代を、興奮気味の声が招いた。
窓際に立ったさつき達だ。
何人か、乗組員達も興味深げに外を眺めていた。
「どうした?」
「ほらほらっ!」
美奈代が窓をのぞくと、そこには“鈴谷(すずや)”と平行して飛行す緑のバケモノが2機いた。
ずんぐりとした機体にプロペラが6つ回っている。
機体のサイズはメサイアよりはるかに大きい、空を飛ぶ様はまさに“バケモノ”だ。
しかも、その翼には大きな日の丸が描かれている。
「随分と大きいな」
「八式飛行艇ですよ」
美晴が私物の一眼レフのデジカメを構えながら言った。
「八式?」
「往年の名機、二式飛行艇の後継機です。半世紀かかって、すべての性能でようやく二式を越えることが出来た、現代の名機です」
「ふぅん?」
美晴は熱心にそう言うが、美奈代はピンとこない。
ただ、“大きいのが飛んでいる”程度にしか思えない。
翼幅48メートル、最高速度550キロ、偵察時の航続距離は9500キロに達する飛行艇は他には存在しないとはいえ、機械音痴の美奈代にとって“飛べば皆同じ”程度の認識しかない。
しきりに“乗ってみたい”を繰り返す美晴とは違う。
「それで」
美奈代は窓から顔を離した。
「連中、何でこんな所飛んでいるんだ?」
「国際貢献の一環ですよ」
「?」
「海軍は、三ヶ月戦争の頃から、アフリカ近海の哨戒任務を担当しているんですよ。私達がヨーロッパルートを使えるのは、彼等の展開があってこそです」
「……感謝すべきか」
美奈代はそうつぶやくと、飛行艇に敬礼した。
「くそっ!」
受話器をアームレストに戻した美夜の口から舌打ちが漏れた。
「艦長?基地司令部は何と?」
「警戒任務にメサイアを回せ。その一点張りだ」
美夜は苦々しげに言った。
「基地司令はかなりの頑固者だ」
「哨戒ですか?」
「ミサイルの哨戒迎撃任務だ」
「ああ、それならメサイアは適任ですが―――」
副長はそこまで言ってようやく言葉の意味が理解出来た。
「つまり!」
「ラピスに反応弾が撃ち込まれる公算大。日本軍も警戒任務上、協力願いたし。言い分はそういうことだ」
「海軍がすでに飛行艇を派遣しているとは―――驚きでしたな」
「ウチの旦那共より、海軍の方がしっかりしているってことさ」
美夜は小さく微笑んだ。
「ラピス島からなら、中東の原油が輸出を再開した場合、あらゆる意味で警戒する拠点として申し分ないからな」
「では、我々はどうします?」
「明日には米艦隊の追加も入る。敵の狙いはそこだろう」
「大陸間弾道弾?」
「それなら、防空司令部からの通報一発で済む―――水と食料、任務終了後の休養、その辺が交換条件かな」
●中華帝国軍空母“鞍山”
「日本軍だと?」
―――ラピス島沖合にて航行中の飛行艦を確認。
その報告を受けた中華帝国海軍第四機動艦隊司令李提督は食事の手を止めた。
「はい。輸送タイプ1。随伴艦なし」
「……近衛騎士団(インペリアルガーズ)か」
李提督は壁の海図を見た。
「目的はラピス基地での補給か?」
「間違いないでしょう」
副官の海大校は顔色一つ変えずに頷いた。
「放っておいても構わないんだがな」
「現在、最も近い日本軍は、偵察部隊だけです。いかがなさいますか?」
「ここで我々の存在は明らかに出来ない。針路を変更しよう。本国からは?」
「現場の責任有る判断により善処せよ。ただし、無用の混乱は避けよ」
「有り難いお言葉だ……」
李提督は茶をすすると、席を立った。
「一々我々から仕掛けることで、我々の存在を暴露する必要もないだろう」
「党もその判断のようです」
海大校は頷いた。
「日本軍撃滅は現在の我々の任務ではありません」
「そうだ」
制帽を正しながら李提督は楽しげに頷いた。
「今の―――な」
「はい。今の、です」
「よろしい。手出しは無用。必要なら接触回避の手段を厭うな」
「了解です」
海大校は提督との打ち合わせを済ませ、艦橋に戻ろうとした。
甲板からは航空機の発艦音が轟き渡っている。
「―――ん?」
海大校は足を止めた。
発艦命令は出ていないはずだ。
それなのに何故?
海提督はすぐ近くの艦内通話の受話器を取った。
「飛行管制か?この発進は何だ?」
「“天津”から上がった航空隊が!?すぐに引き返せっ!」
艦橋に怒鳴り込んできた李提督は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「艦長!誰がこんな命令を出した!」
艦橋で目を丸くしているのは、張艦長だ。
「で、ですが」
何故、自分が怒鳴られているのか全く分からない。
艦長はそういう顔をしていた。
「日本軍ですよ!?」
「自分の任務をわきまえろっ!現在においての艦隊の任務は哨戒だろうが!」
「しかしっ!」
姿勢を正した張艦長は叫ぶが如き声を張り上げた。
「小日本撃滅は、党から命じられた至上任務の一つでありますっ!」
党―――中華帝国における唯一の政党。皇帝支持者の集まり、“王政党”のことだ。
皇帝の権限をかさにやりたい放題、今回の開戦も皇帝の意向ではなく、党の判断によるとまことしやかに語られている。
その権限は、逆らえば中華帝国国内では生きていけない程。
当然、彼ら軍人にとって絶対服従の対象だ。
実際の所、海外大使館勤務も経験した李提督は、王政党のやり口は嫌ってはいたが、軍人である以上、その名には逆らえない。
対する張艦長は、軍人としてより党員として出世したような人物だ。
党の名を出せば全てが沈黙する。
党の正しさが全てに優先する。
それを地で主張して出世レースに勝ってきた、軍人としてはむしろ危険な人物だ。
「……艦長」
李提督はなだめるような声で艦長に告げた。
「我が国は、日本に対して正式な宣戦布告をしていない。ここで勝手に奴らを攻撃したら、日本に我が国に対する宣戦を許す口実を与えかねないのだ」
「し、しかしっ!」
「日本に対して宣戦布告していないのは、党の方針だ。その方針に横やりを入れるつもりか?」
「そ、それは……!」
艦長は狼狽しつつ、ようやく思いついた反論を答えた。
「すでに大韓帝国は」
「日本の経済力を甘く見るな。韓国は資産を凍結され、わずか数日で経済が破綻したんだぞ?同じ目を我が国にあわせるつもりか?」
「し、しかし……っ!」
「小日本だなんだの、敵を舐めてかかると痛い目に遭うぞ中佐。軍人たる者、常に敵を侮るな」
提督は真顔でそう諭した。
何しろ、日本は反応弾保有国だ。
互いに反応弾でつぶし合いになることなんて考えたくない。
何より、その口実を自分が作ったなんて御免被る。
「―――海大校」
李提督は、脇に控えていた海大校に命じた。
「攻撃部隊の撤退を確認するまで飛行隊の指揮を任せる。それと、本国にこの事態を報告しろ。いいか?絶対に本国を刺激しないように、報告の文面には気を付けろ」
「本国が攻撃命令を下したら?」
「―――その時は話は別だ」
「絶対に命じますっ!」
艦長は怒鳴った。
―――狂信者。
その目は、彼がそういう存在だと告げていた。
「このタイミングこそ、党が与えてくれた千載一遇のチャンスです!」
「党から与えられた命令は哨戒任務だっ!ここで我が艦隊の位置を暴露することは、党の命令に反しているぞっ!」
「―――っ!」
「これは艦隊司令としての厳命だっ!交戦は認めない、さっさと部隊を引き上げろっ!航空隊の指揮権及び艦隊の交戦権が私にあることを忘れるなっ!」
ここで手違いが生じる。
李提督にとっては、海大校に対する指示で自分の任務が終わったと思いこんだこと。
肝心の海大校は、通信管制を無視した党から送り込まれてきた莫大な通信への返答に手一杯になったこと。
最悪なことに、艦隊から離れて独立遊撃隊として通商破壊にあたる別働隊から敵輸送船団発見の報告がこの時入ったことは、後々まで海大校を後悔させることになる。
遊撃隊の位置はソコトラ島の沖合。
アデン湾から侵入する敵艦隊の哨戒も兼ねている。
そこからの通報だ。
「ソコトラ島沖合、艦種不明。一隻はタンカーと思われる」
それが遊撃隊からの報告だ。
ただ、“本当”にタンカーならその腹の中の油が敵に堕ちることだけは避けたい。
幸い、タンカーは遊撃隊から発進した航空機の攻撃可能なポジションにいる。
遊撃隊の指揮権は、提督から自分に移っていることもある。
だから、大校は“別働隊に”命じた。
―――航空隊は、各個に攻撃に移れ。
いつもの命令だ。
命じられた航空隊は、航空管制官の命令通りに戦うことになる。
本当に、いつものことなのだ。
それに、今の彼の敵は、目の前の書類だ。
提督から命じられた報告や、党幹部を満足させるためだけに求められる現在状況の報告―――しかも、党の定めた形式と時間を厳守する必要のある―――頭の痛い敵だ。
だが―――
「本当にいいんですか?」
通信管制官の一人がしつこくそう聞いてくる。
提督の命令通り、日本軍接近の報告を、波風立てないように準備していた大校は、その管制官を見ることもなく怒鳴った。
「いいと言っているだろう!いつも通りだ!武器使用自由、全力で叩けっ!」
「り、了解―――大校の命令と判断します」
管制官は震える声で命じた。
「艦隊司令部より紅6へ、攻撃を許可する。対艦ミサイル使用自由」
「―――おい」
紅6
対艦ミサイル。
その名にひっかかった中佐は、文面を書く手を止めた。
嫌な予感どころ騒ぎではない。
しらずに、声が震えてしまう。
「貴様―――今、どこに命令を出した?」
「ですから」
管制官の顔を見て大校は青くなった。
それは、日本軍に向かった部隊と通信を続けていた管制官だった。
「攻撃命令を発しました。大校の命令で」
「馬鹿者ぉっ!」
紅6は日本軍に向かいかけ、管制官からの撤退命令に断固抗議しつづけていた空母航空隊のコールサイン。
対艦ミサイルは、言うまでもないだろう。
「間違いないな?」
隊長はジャミングのひどい通信記録を、部下に確認を命じつつ、自らも耳で確認した。
「艦隊司令部は、攻撃を許可しました」
「録音、しっかり保存しておけ?。―――日本軍を叩くっ!」
「了解っ!」
「ミサイル接近っ!数10っ!」
レーダー担当の木村が悲鳴に近い声をあげた。
「墜とせっ!」
“鈴谷(すずや)”に設置されているML(マジックレーザー)砲が火を噴いた。
抜けるような青空に、光が走った後に白煙の柱が生まれた。
「FGF、全展開しますかっ!?」
「まだ早いっ!ML(マジックレーザー)だけで十分だ。余計なエネルギーを消費するな!生きて帰れなくなるぞ!?」
「はいっ!」
「うわ……すごっ」
戦闘機が編隊を組んで接近する。
戦闘機を間近で初めて見たさつきはしきりに感心するだけだ。
チカチカチカチカッ!
“鈴谷(すずや)”の舷側にあるランプが激しく点滅を開始したのはその時だ。
緑の点滅と赤と黄色の3色。
「何?」
「警告です」
教えてくれたのはさつき騎のMC(メサイアコントローラー)、愛沢中尉だ。
「国際法規定のFGF(フリーグラビティ・フィールド)警告です」
「何でそんなもの出すんです?」
「FGF(フリーグラビティ・フィールド)は目に見えません。通常航行時には、接触しないように警告する必要があります」
「今、戦闘中ですよ?」
「これでぶつかったら、向こうが悪くなるんです」
「―――成る程」
「バカ者っ!」
同じ頃、海大校は李提督から大目玉を食らっていた。
「誰が攻撃しろと命じたっ!飛行隊には戦闘停止を命じろっ!飛行艦だ、メサイアを搭載してはずだぞ!?」
「間に合いませんっ!」
そんな口論に近い会話を続ける二人の後ろで、艦長が手に持つ金属の筒が火を噴いた。
迎撃されたミサイルが光と煙の球に変わった。
ズズン……ッ!!
遠くで爆発音が響く。
もう恐怖感すら感じない美夜は木村に訊ねた。
「都合、これで何発目だ?」
「48発目ですっ!」
「その数、四方八方から―――よく撃つ」
対艦ミサイルは決して安い代物ではない。
それを48発だ。
感心する以外にない。
いい加減、あきらめてくれないだろうか。
美夜は内心でそう願っていた。
だが―――
「艦長、二宮中佐からです」
「―――私……えっ!?」
美夜はインターホン越しに伝えられた情報に思わず驚いてしまった。
「今度は爆装してきたぁ!?」
空母“天津”の艦橋から運び出されたのは、李提督と海大校。
その頭部からは血を流し、力無く手足を伸ばしている。
死んでいるのだ。
「―――党は小日本と戦えと命じられた」
張艦長とその部下が銃を手に艦橋から送り出される二人の死体を見送る。
「その命令に従えない敗北主義者は、我が国には要らない」
艦橋の通路から放り出された死体が海に消えていく。
「Su-30飛行隊の収容急げ。対艦ミサイルが効かないなら、爆撃にて出撃しろ」
それから一時間後。
中華帝国軍の爆撃を試みた機すべてが空母に引き返してきた。
全機生還だ。
「畜生っ!」
パイロットの一人が、キャノピーを叩いて降りてきた。
「何てザマだっ!」
パイロットは、即座に機体の下、パイロンを取り付けているハードポイントを見た。
「―――くそっ!」
翼下の10個あるハードポイントは、一つ残らずきれいに破壊されていた。
「たった一通過だぞ!?それでこれかっ!?」
ガシャンッ!
ハードポイントに、そのパイロットが触れようとした時だ。
コクピットの近くですごい音がした。
パイロットがその音に驚いて後ろを見ると、機体の破孔から金属の棒が1本地面に落下していた。
何だ?
パイロットは、その金属の棒が何か、即座にはわからなかった。
「中尉―――よく無事でしたね」
駆け寄ってきた顔なじみの整備兵に気づき、彼はその金属の棒の正体を訊ねた。
整備兵は言った。
「機関砲の銃身ですよ。敵の攻撃が砲を撃ち抜いたんです」
「そんな馬鹿な!俺は敵艦に1万程度しか接近していないぞ!?そんなまぐれが!」
「まぐれじゃないですよ。自分は経験がありますけど……メサイアの攻撃ってのは、それくらい正確なんですよ。中尉」
「……」
「中尉、これが初陣でしたっけ?」
「……ああ」
「ならよかった。メサイア相手に生きて帰ることが出来ただけでもハクが付きますよ」
Su-30部隊が去った後は、静寂のみが支配する航海が続く。
ラピス島まではもうすぐだ。
「中華の脅威は去った……か?」
「私、しばらくラーメン食べたくない。中華って言葉見るだけで吐き気がする」
「同感だな」
「美奈代、いい機会だからダイエットしなよ」
「うるさいっ!それにしても」
美奈代はそれが疑問だった。
「こんな所に何で中華帝国軍が?」
「哨戒ですよ」
牧野中尉が答えた。
「敵が米軍の進出を怖れている証拠です。もしかしたら、我々を米軍と誤認したのかもしれません」
「―――ってことは?」
「“鈴谷(すずや)”の警戒レーダーは捜索範囲が狭いです」
牧野中尉の言葉に、コンソールを操作する音が混じる。
「ラピス島まで、我々の出番ですよ?」
「敵は一体?」
「ここまで来るなら敵は空母機動部隊。そのお腹にはとっておきの厄介者が入っているはずです」
「厄介者?」
「はい」
コンソールパネルを操作する牧野中尉は、ちらりと通信モニター上の美奈代を見た。
「このフネを地上から蒸発させることの出来る厄介者です」
スホーイ部隊に苦渋を舐めさせた“鈴谷(すずや)”はそのままラピス島へと逃げ込んだ。
「やっと落ち着くことが出来るな」
平然とした様子の宗像は手すりに寄りかかった。
入港を開始した“鈴谷(すずや)”の背後では、米海軍空母“シャングリラ・テキサス”が補給艦から燃料を受け取っている。
米艦隊と帝国海軍の艦艇50隻。
海兵隊と陸軍部隊を含めれば10万近い兵力が、このラピス島に集結している中だ。
喧噪はあるものの、それでも十分のどかというべき空気が美奈代達を包む。
爆音を轟かせながら、“プレステ2”が“鈴谷(すずや)”上空をフライパスしていくのを、美奈代達は甲板でのんびりしながら見守るだけ。
海軍がEUに貸しを作る意味で派遣している飛行艇だ。
「―――ねぇ」
甲板に大の字に転がって、その様子をぼんやりと眺めていた美奈代がぽつりと言った
「“アレ”には、どうやったら乗れるかな」
「“アレ”?」
美奈代は無言で遠ざかっていく“プレステ2”を指さした。
「PS2ですか?」
「メサイア操縦資格じゃ無理かな」
「無理無理」
さつきは笑った。
「戦車兵に潜水艦操縦させるようなもんだよ」
「……そうか」
「ここが気に入っちゃったんでしょ」
「……うん」
美奈代は「うんっ」と伸びをした。
「青が一杯の―――なんて言うのかな?こんな広くて、どこまでも行けそうな……吸い込まれそうな―――上手く言えないけど、とにかくそんな世界……私は好きだ」
「この戦いが終わったら」
美晴は悪戯っぽく笑った。
「南方県の事務官にでも転属希望出したらどうです?パラオやグアムあたりで」
「―――悪くないけど」
美奈代は小さく笑った。
「あの飛行艇のパイロットを目指したいな」
「本気?」
さつきはあきれ顔だ。
「海軍のシゴキはきついよ?」
「私は―――」
美奈代は、もう遠ざかってしまった飛行艇が飛び去った方角を指さして、
「この“青い世界”を自由に飛べる、あの“飛行艇”っていうのに乗ってみたいだけだ」
「PS-2は綺麗なデザインですもんね」
美晴は笑った。
「それなら美奈代さん、民間のパイロット目指した方がいいですよ。PS-2の民間版は、八式飛行艇と一緒に、東亜航空の南方航路路線で就航してますし」
「……そうか」
そっちもあったか。
美奈代はそう思ったが、
「やめておけ」
そう言ったのは宗像だ。
「人の命は重いぞ。下手をすれば、重みで翼が折れる」
「それでも」
美奈代は海の向こうを指さした。
「ああいうのより、よっぽど私の趣味には合う」
「ジェットよりプロペラ―――デジタルよりアナログな泉にはお似合いだな」
宗像は笑って美奈代が指さした海の方を見た。
黒い点が10以上、こちらに向かってくる。
ぽつりぽつりと、黒い点は時間を経るごとに増えてくる。
「―――待て?」
「ん?」
「今日、発進した戦闘機があったか?」
「宗像ぁ、あるわけないじゃん」
さつきは首を横に振った。
「ラピス島は戦闘機離着陸出来ないもん」
「じゃあ、アレはなんだ?あれ、スホーイだぞ」
皆が立ち上がって海を見たその瞬間、
サイレンが鳴り響いた。
「高度を上げろっ!」
無線機に怒鳴るのは、中華帝国海軍空母“天津”攻撃隊長呉大尉だ。
迫り来る島と無数の船舶を前に、彼は歓喜するよりむしろ驚愕していた。
「こうも簡単に取らせるかっ!?」
米軍の機動部隊が集結している海域に、何の抵抗もなく入り込めたことが、呉大尉には信じられない。
「一体こりゃ?」
すでに爆撃の射程に入ったというのに、未だに対空砲さえ上がってこない。
まぁいい。
余計なことを考えるな。
俺達ゃ、爆弾を落とせばいいんだ。
それで帰ることが出来る。
つまり、これは天佑だ。
呉大尉は自分をそう言い聞かせた。
「いけっ!」
呉大尉は、パイロンに吊した爆弾を敵めがけて投下した。
ズズゥゥゥンッ!
“鈴谷(すずや)”の上空をSu-30が通過する衝撃が走り、美奈代達は半ば吹き飛ばされて甲板に転がった。
「な、何っ!?」
後一歩で甲板から海に落ちるところだった美奈代は、驚いて空を見上げた。
「見てわからないのか?」
宗像だ。
「教えてやろう。これは空襲というのだ」
「いや、そういうことじゃなくて」
美奈代が驚いたのは、こんな事態でも平然としていられる宗像の神経であり、同時に―――
「宗像ぁっ!」
「なんだ?」
「どさくさに紛れて何してるっ!―――きゃんっ!」
「うむ―――85のBと見た」
抱きすくめる要領で、美奈代の胸をわしづかみにする非常識さだ。
「違うっ!」
美奈代はムキになって怒鳴った。
「これでもCはあるっ!」
「む?それは違う。絶対カップが合っていないはずだ」
「二人ともっ!」
反論しようと口を開いた美奈代を止めたのは美晴だ。
「現状、わかってますっ!?」
「すまん」
美奈代達が立ち上がろうとした途端―――
ズンッ!
「きゃっ!?」
爆発音に、思わず美奈代は甲板に伏せた。
空母と“鈴谷(すずや)”の構造物が邪魔でわからないが、どこかに被害が生じたのは間違いない。
恐る恐る顔を上げた時、その視界に紅蓮の色を含んだ黒い柱が映る。
「やられたのは!?」
「あっち―――米軍の方っ!」
「何で反撃しないんだ!?」
「するのは私達ですよっ!」
「ちっ!総員搭乗っ!」
―――ついていない。
米第9任務部隊司令官ジョージ・キャンベルは部下の肩を借りながら、内心でそう毒づいた。
さっきまで質素だが、きちんと整理整頓が行き届いていた感のあった室内は、惨憺たる有様だった。
窓ガラスは全て砕け、窓から侵入した爆風が調度品のすべてをひっくり返し、風に流れて入り込む煙が呼吸さえ困難にさせる。
何より、負傷したり、死んで床に転がる将校の死体は目も当てられない。
その光景を目の当たりにする自分もまた、体中に痛みが走る。
「提督―――ご無事で?」
副官のリー大佐がキャンベル提督の額にハンカチを当てながら訊ねる。
「大したことはない―――何が起きた?」
「中華帝国軍の奇襲です」
「……最悪だな」
キャンベル提督がそう思うのも無理はない。
この場に居合わせたのは、日英米三軍の司令部同士。緊急の会合中だった。
議題は―――
ラピス島周辺における、レーダーの使用不能、通信障害が発生。
これだ。
原因に関する見解は一つ。
狩野粒子。
レーダー上と、通信における障害程度なら、粒子レベルは低い。
問題は、狩野粒子が何故、この海域で確認されたか。
―――原因はともかく、現実の事態に対処すべきだ。
―――両軍共に、哨戒機を上げ、警戒に徹する。
会合は、そんな軍人らしい現実主義的な結論で終わろうとしていた。
その時、こう言ったのが誰だったのか、キャンベル提督は思い出せない。
―――狩野粒子を中華帝国軍が使ったものなら、笑えませんな。
―――全くだ。一体、連中はどこから狩野粒子を手に入れたんだ?
(笑えなかったな)
キャンベル提督はため息一つ、頭を強く振ると、自力で立ち上がった。
「チンクも、絶妙なタイミングで仕掛けてきたな」
「提督」
副官の一人、ハスラー大佐がキャンベル提督に進言した。
「本気で、そうお考えですか?」
「ん?」
「魔族軍の侵略と呼応するが如きタイミングで近隣諸国へ武力侵攻。さらに、この狩野粒子を前にして……」
「君は―――」
「自分は断言します。連中は、魔族軍とつながっています!」
「根拠は?」
「根拠!?」
ハスラー大佐は、上官に怒鳴った。
「周りを見てくださいっ!これで十分でしょう!」
ハスラー大佐の指さした先には、このラピス島までの航海を、その苦楽を共にしてきた司令部のスタッフ達のなれの果てが転がっていた。
「チンク共がこんなことしなければ、こいつらは“こう”ならずに済んだ!第一、我が軍はまだ宣戦布告すらしていない!中立宣言国ですよ!?」
「……っ」
「中華帝国軍が接近するタイミングで、この辺一帯が狩野粒子に汚染された!中華帝国軍が散布したと宣言して世論が信じればそれでいいんですよ、提督っ!」
「……とりあえず」
提督は答えた。
「政治的な話はペンタゴンとホワイトハウスに委ねよう。私の権限は国と国民から任された艦隊の範囲に限定されている」
「全ては、提督の報告にかかっています―――ホワイトハウスが、世論が我々に報復を許すか否か」
「善処しよう」
「安全が確保されるまで、シェルターに入ってください。今、艦隊に戻るのは危険です」
「その前に艦隊に対空戦闘を命じろ。メサイア隊は全騎戦闘態勢」
そこまで言いかけたキャンベル提督の声を遮ったのは、日本から送り込まれてきた飛行艇部隊を束ねる有馬司令の怒鳴り声だ。
「対潜警戒怠るなっ!」
壁にかかっていた電話相手に、それまでの温厚さは微塵も感じることは出来ない。
「水中から来られたらアウトだぞ!それから、“鈴谷(すずや)”を上げろっ!空襲が終わったら送り狼をさせるんだ!」
日本語がわからないキャンベル提督には、彼が何と言っているかわからない。
ただ、
タイセン。
ケーカイ
職業柄、キャンベル提督が知っている数少ない日本語の語彙にその言葉があった。
アリマは対潜警戒を命じた。
何故?
狩野粒子。
その存在が念頭にあったキャンベル提督は、その理由に即座に思い当たった。
彼は部下への命令を追加した。
「全艦、ソナー警戒。対潜兵装は即時発射可能にしろ、何隻か、対潜任務のため環礁から出せ。最悪―――」
提督は空襲の続く窓の外を睨んだ。
「アトミック爆雷の使用を」
「し、しかしっ!」
「“あれ”の使用は、大統領から私に一任されている」
「潜水艦相手にですか?」
「ジャック。メサイア隊を攻撃に出せ。それから君」
キャンベル提督は狼狽する副官をあきれ顔で見た。
「それは、地中海で我が軍が、何にどんな目にあわされたか分かった上での発言か?」
同じ頃、
大型輸送艦隊の中では、詰め込まれたメサイア“グレイファントム”達が目覚めようとしていた。
「なんてザマよ!」
モニターやスクリーン、そして計器類の光が走るコクピットの中でそう喚いたのは、ステラだ。
本国へ戻った途端、ハワイでメサイアごと輸送艦に押し込められた彼女もまた、他の乗組員や騎士同様、数週間ぶりになる明日の上陸を楽しみにしていた矢先だった。
この騒ぎでは上陸はお預けだろう。
「こちらステラ・コールマン!ハッチ開けてっ!」
「こちら発艦司令所だ!メサイア使用許可は下りていない!」
「このままフネごと一緒に沈めっていうのっ!?」
「―――今、許可入った!」
直立不動の体勢で搭載されているグレイファントムの頭上でハッチが開かれる。
油圧でゆっくりと開く仕組みのハッチは、まるで亀の歩みさながらに遅く、たまらずステラは―――
「邪魔よっ!」
ベキィッ!!
グレイファントムの左腕でハッチを殴り飛ばしてしまった。
「こらっ、ステラっ!」
ハッチが海面に落下する音を聞いたイルマが怒鳴る。
「あーあっ!あなたこれ、給料から天引きされるわよ!?」
「恐いこと言わないでよっ!必要な措置でしょ!?こちらステラ、緊急発進のため、すべての発進シークエンスを省略するっ!」
「ステラっ!始末書は書けよ!?」
発艦司令所の士官もステラに怒鳴った。
「発艦司令所よりグレイファントム全騎。ハッチ解放次第、自力浮揚開始許可!」
「サンクスっ!」
重力力場の理論を用いた一種のブースターを吹かしながら、グレイファントムが甲板上に出る。
甲板上に設置されていたウェポンラックが開き、ステラはそこから90ミリ速射砲を引き出した。
「敵はどこっ!?」
すでに対空砲が全艦から盛大に打ち上げられている。
「右っ!」
「右?」
ピーッ!
ステラは右を振り向き様、コクピットに響いた接触警報の意味を即座に悟ることが出来た。
スクリーン一杯に、炎上しながら迫ってくるSu-30が映し出されていたのだ。
速射砲で撃墜するヒマはない。
「うそぉぉぉっ!」
ドンッ!
鼓膜がどうにかなりそうな爆発音と、シェーカーの中に放り込まれたような衝撃がステラ達を襲う。
とっさに構えたシールドにSu-30の体当たりをまともに喰らったステラ騎は、一度海面まではじき飛ばされた。
そのまま落下しなかったのは、イマラのブースターコントロールが絶妙だったからとしか言い様がない。
「な、なんてことしてくれるのよぉっ!」
ステラは騎体を甲板に再び降ろすと、辺りを見回した。
「い、一体、何がどうなって―――?」
グレイファントムの目から見たラピス島基地は酷い有様だ。
滑走路は爆弾で穴だらけで、車が何台かひっくり返っていた。
青い空も、今では黒い煙に覆われている。
そんな中、ステラ達の輸送艦の間近では、爆撃をまともに喰らい、真っ二つにへし折られた別な輸送艦が、舳先を天に向けて沈もうとしている。
さらにその隣。
もう一隻、輸送艦が激しく炎上していた。
艦の構造物のあちこちで走る爆発は、艦内に残っていた弾薬が激しく誘爆を繰り返している証拠だ。
最近の輸送艦は乗組員がほんの数名だとステラは誰かに聞いていた。
だから、乗組員が脱出出来ればいい。
そう思っていた。
だが―――
ステラはモニターをズームさせてその輸送艦を見て青くなった。
炎上しているのは、物資輸送艦じゃない。
兵員輸送艦だ。
兵士達が炎と煙に巻かれ、甲板から次々と海に転がり落ちていく。
艦の横腹にまともに爆弾を受けたらしい。
もうもうと立ち上る煙の中、大きく抉られた艦体が見て取れる。
艦自体が受けた被害からして、艦内にいた兵士達は無事ではないはずだ。
「……神よ」
全身を炎に包まれ、まるで踊るように海に飛び込んだ兵士を見たステラは、思わず首から提げたロザリオを握りしめた。
その直後、輸送艦のボイラーに海水が侵入したんだろう、艦の後部、煙突の下あたりから今までで最大級の爆発が発生。
煙突を含む艦上部構造物が、甲板にいた兵士達を巻き込んで根こそぎ吹き飛んだ。
「……っ」
「ステラ」
呆然とするステラに、殺気だった声のイマラから通信が入る。
「敵空母の位置が判明したわ」
「どうするの?」
「今、この海域にある飛行艦は一隻だけ。インペリアルガーズの、“スズヤ”ってフネ」
「それが?」
「―――“スズヤ”は敵空母艦隊に殴り込むわ」
「私達は?」
「飛んで帰ってくる位のことは、このグレイファントムにも出来るでしょう?」
ハッチが開き、グレイファントム達が次々と甲板に出てくる。
「成る程?」
その光景を見たステラは、楽しそうにコントロールユニットを握った。
「お手伝いくらいは、させてもらえそうね」
最終更新:2010年07月25日 21:02