●“鈴谷(すずや)”
 一晩営倉にぶち込まれた都築は、翌日の朝には営倉から出された。
 取り調べに当たった美夜曰く、「ガキの色恋沙汰に関わっていられる程、軍隊はヒマではない」そうだ。
 元来、美奈代をその気にさせた後、あっさりとフィアに乗り換えた染谷が悪い。
 そう言われても、染谷自身が否定は出来ない。

 ―――違う。

 染谷こそが、反論する権利さえ持たないのだ。

 ―――優秀な模範生だが、それだけだった。

 最も期待されていた候補生が女性問題を引き起こしたとあっては、黙っていることは出来ない。
 指揮官として人物的な信頼を失った以上、染谷に部隊長を任せることは出来ない。
 否。
 部隊に置いておくことそのものが危険だという二宮の判断もあり、染谷はフィアと共に、ヨーロッパ経由で補給物資を運んできた輸送艦で、一足先に日本へ送り返された。
 実質上の更迭だ。

 ―――女性問題で更迭されたようなものだ。
 ―――染谷の軍人としての将来は終わった。

 二宮達、教官の意見は辛辣だ。
 優秀として将来を期待され、見限られた者ほど惨めな者はいない。
 宝石のように大切にされる立場から、ゴミ同然に見捨てられる。
 その落差と惨めさは、味わってみなければわからない。
 最初から期待されていない方が絶対に気楽だ。
 輸送艦に移乗する染谷達を見送った者が誰もいなかったのは、その証拠のようなもの。
 フィアがいなくなったことを嘆く男性整備兵が大量にいた位だ。

 何より、皆が去る者を構っている状態ではなかった。

 アフリカ奪還成功からずっとアフリカ近郊で待機を命じられ続けた“鈴谷(すずや)”に、ようやく指令が下ったのだ。
 曰く―――

「インド洋を突破し、本国へ帰還せよ」

 遠回しな自決命令下る。

 美夜が艦長日記にそう書き残したのも無理はない。
 輸送艦を改造しただけの飛行艦に、単独で敵が制海権と制空権を持つ空域を、数週間かかって移動し、生きて帰ってこいなどと言う方がどうかしているのだ。


 だが、その背後には、実は重大な世界情勢の変化があったことを、どうか理解して欲しい。
 EU軍によるアフリカ奪還からの10日間。
 それは、美奈代達がアフリカ上空で干されているだけでは終わらなかったのだ。

 “鈴谷(すずや)”は、陸から大きく離れたインド洋のど真ん中を航行し続けていた。
 陸に近ければ陸上基地から発進した敵航空機に発見されやすいという理由からだ。

 ―――いっそ、潜水機能があればなぁ。

 対空警戒に駆り出される都築とさつきが本気で語っていたのを聞いた美奈代は、口でこそ批判したものの、高々度警戒に出た後では、

 ―――大気圏離脱機能の方がいいんじゃない?

 そんなことさえ考える始末だった。



 アフリカ大陸から離れてから数日が経過。
 数回、中華帝国軍の偵察機のレーダー索敵にひっかかった。
 偵察飛行で、移動中の空母機動部隊を確認したこともあった。
 数日間、監視や追跡を受けていることもあった。
 その度に数時間に渡る対空戦闘態勢が敷かれ、美奈代達は対ミサイル迎撃戦モードのセッティングのミスなどで、二宮と長野からこっぴどく叱られた。
 戦わずに神経ばかりがすり減っていった。
 インド洋は残りわずかという所まで、“鈴谷(すずや)”は幸いにして、何事もなく到達したことが奇跡だと、皆が本気で思ったのも無理はない。 

 しかし、それはあくまで乗組員のレベルの話だ。
 インド洋もそろそろ終わる。
 美夜達“鈴谷(すずや)”司令部にとって、問題はこれからだった。


「どうするんです?」
 食堂で二宮と一緒になった美奈代は、目の前でハンバーグにかじりつく二宮に訊ねた。
「どうするとは?」
「これから先、どうやって日本へ帰るんですか?」
「今まで通りだな」
「陸上機や艦艇がうようよいるマラッカ海峡を突破するんでしょう?」

 交通の要衝―――マラッカ海峡強行突破。

 それは、突然司令部より命令された合流期限までに目標海域に到達するために不可避な手段だった。
 艦内では、撃沈される可能性が99%か99.9%かと不毛な議論さえわき上がっている。

「それがどうした。遺髪と遺書は日本を出る前に書いたんだろう?」
 そんな危機を前に二宮は平然とした顔で食事を続けている。
 よく平気だなと、美奈代は感心するしかない。
「常に名誉の戦死は覚悟の上」
 二宮はきっぱりと言い切った。
「軍人とは、そういうものだと教えていたつもりだが?」
「乗組員には家族がいます。そりゃ、私はいいですよ?」
 美奈代は食事の手を止めた。
「私はどうせ身寄りないですから、遺書だって、両親の永代供養頼んでいるお寺の住職さんと、弁護士さんに送るだけですから」
「お前、はやく結婚して家庭を持て。その歳でその身の上は、聞いていて気の毒すぎる」
「フラレたばかりの身に、よくも言いますね」
「男はほかにもいる。そうだ、都築なんてどうだ?」
「人生をドブに捨てるつもりはありません」
「そうきっぱり言うな。嫁にいけば玉の輿は玉の輿なんだぞ?」
「アレと四六時中顔を合わせていたら気が狂います。なら、教官どうぞ」
「……最近」
 二宮は従兵がもってきたハンバーグを真っ二つに切り分けるとその半分を無造作に口の中に放り込んだ。
「もぐもぐ……やたら反抗的な反応が多くなってきたな」
「何とでも。それで、どうやってアフリカから日本へ?」
「美夜―――平野艦長も頭を抱えている」
 二宮は残りのハンバーグと、美奈代のトレイに乗っていたチキンの香草焼きを目にも止まらぬ早さで口の中に放り込んだ。
「“戻ってこい”としか言わなかった司令部が、明後日までにマラッカを突破してカリマンタン島まで出ろと言ってきた」
「カリマンタン島?」
 美奈代は、運がなかったと顔をしかめた。
「ボルネオだ。地図で見ておけ。マラッカを突破して、それからまっすぐ行けばぶつかる」
「……はぁ」
「まったく、この撤退でさえ意味がわからないというのに、なぜボルネオなんて敵の支配地域へ向かえなんて命令が出てくるのか」
「……この数日は」
 美奈代は言った。
「司令部は“鈴谷(すずや)”を囮にするつもりだったのでは?」
「囮?」
「ええ」
 美奈代は頷いた。
「メサイアを搭載した“鈴谷(すずや)”をインド洋に置く。そうすれば、中華帝国軍は“鈴谷(すずや)”を警戒して大規模な行動に出られない。
 マラッカから向こうに何かあっても、部隊を下手に動かせない」
「向こうは空母もいた」
「空母機動部隊が“鈴谷(すずや)”に手を出さなかったのは、メサイアによる被害を恐れたから。
 多分、中華帝国軍内部(むこうさん)でメサイアのやりくりがつかないって、そんな事情もあったかもしれませんけど」
「……」
「“鈴谷(すずや)”一隻でも、その気になれば輸送ルートの破壊くらいは出来ますから」
「考えすぎだ」と、二宮は言った。
「それは、今の“鈴谷(すずや)”の戦力を考えた上での言葉か?」
「敵は知りません」
 美奈代は答えた。
「ここにメサイアを搭載した飛行艦が存在する―――そこに意味があるんです。実際の戦力は関係ありません」
「……ちっ」
 憮然とした顔で二宮は珈琲に手を伸ばした。
「教え子に教えられた……か」
「それで?」
「そんな嘘が通らなくなるのがこれからだ」
 二宮は静かに頷いた。
「マラッカに入り込む前に“鈴谷(すずや)”は、沈むぞ」
「縁起でもない」
「可能性は高い。確実に、この船は沈む」
「……」
「……それで」
 二宮は、テーブルに載った皿を脇に押しのけ、テーブルに身を乗り出した。
「何か、いい案があれば聞くぞ?」
「いい案って?」
 美奈代はあきれ顔で答えた。
「それを考えるのが、士官のお仕事じゃないんですか?私は兵隊以下の候補生ですよ?」
「都合のいい時だけ身分に逃げるな」
「なら、教官のお手本を求めます」
「厳しいな。広く意見を求めているだけだ」
「ものは言い様ですね」
「それこそ何とでも言え―――意見、あるか?」
「……うーん」
 美奈代はふと、船窓の外を見た。
 鉛色の曇り空が一杯に広がっていた。
「……」
 なぜか、美奈代はじっ。と窓の外を眺めたまま動かない。
「―――まぁ」
 そんな美奈代を前に、苦笑しながら二宮は言った。
「メサイアだけなら、超低空飛行なりで敵陣突破も何とかなるだろうが、時速20キロ程度の飛行艦ではどうしようもないな」
「……」
 美奈代は無言で席を立つと、何故か壁に貼り付けられた新聞の所に向かった。
「ん?」
 二宮の見ている所で、美奈代は壁に貼り付けられたいくつもの新聞記事をあれこれ探した後、一枚の紙を壁から剥がしてきた。
「ありました」
「どうした?」
「あくまで案ですけど」
 美奈代が二宮の前に置いたのは、気象予報図だった。
「ん?」
「台風、発生したんですよ」
「こっちでの呼び名はサイクロンだ」
 二宮は首を傾げながら答えた。
「どっちにしても、だから天候が悪くなっている。もうそろそろ雨の中だ」
「規模はかなり大きいですし、存在する時間も長いとあります。動きはインド洋からベンガル湾へ向けて、ほとんど真横へ移動している」
「詳しくはないが、珍しい動きなのだろう?」
「私だって気象関係は素人です」
 美奈代は、チラリと二宮を見た。
「―――これ、使えませんか?」
「これ?」
 二宮は、美奈代と気象図を交互に見た。
「これ、とは?」
「この台風―――じゃない、サイクロン」
「……」
「……」
 二宮は、ジッと。美奈代を見つめた後、肩をすくめた。
「漫画の見過ぎだ」
「暴風雨の中、対空ミサイルが使い物になると思いますか?」
「使い物にはなるだろうが」
「本当に?」
「……これほどのサイクロンだ」
 観念したように、二宮は顔をしかめた。
「中華帝国軍が現地に持ち込んでいる野戦型対空レーダーが作動しているとは考えづらいな」
「それなら」
「平野艦長には私から進言しておこう。採用されたら飯くらいおごってもらえるだろう」
 二宮はトレイを手に席を立った。
「……ああ、そうそう」
「はい?」
「平野艦長は、命令違反覚悟の上で、南極海からタスマン海経由で太平洋に出るルートを考えていたそうだ」
「前言撤回します。忘れてください」
「そうはいかん」
 二宮は楽しげに言った。
「泉の発案でリスクを背負ったとなれば、平野艦長や私は恨みを買わずに済む」
「待ってください」
 美奈代は、ギョッとなって席を立った。
「ま、ままさか、艦長や教官達の悩む所って」
「わかったか?」
 美奈代は、これほど意地の悪い人の笑みを見たことがなかった。
 二宮の浮かべた笑顔とは、そういうものだった。
「リスクに対する責任を、“個人的に”どうやって回避するか―――そういうことだ」
最終更新:2010年07月25日 21:08