【両面宿儺(りょうめんすくな)】
顔や手足が二人分(顔は二つ、手と足は合計八本ある)あったという鬼神。古代に飛騨地方(岐阜県)を支配していたとされる。
和珥(わに)氏の祖にあたる武振熊(たけふるくま)によって討伐されたと『日本書紀』には記されている。武振熊は武内宿祢(たけのうちのすくね)と共に忍熊王討伐も行っており、武臣として知られる。
体の部位が二人分ある点は「陰陽両義」と称されており、日と月を同時に宿している存在と考えられている。二つある顔は、日面・月面とも称される。またその体は不死であるとも語られる。
蜂賀の岩屋
蜂賀(八賀)の岩屋で誕生したとも、蜂谷の岩屋に長らく暮らしていたとも言われる。両面宿儺の住む岩屋には、深く清らかな湖があったり、多種多様な草木が繁茂していたりしたという。
その存在と岩屋とが色濃く結びつけられている点にも、日や月との関係が考えられていた形跡が見られる。
宿儺の武具
両面宿儺が四つの手に持っていたとされる武具には次の四種がある。
両面宿儺の伝承は土地の修験者に故実として吸収された結果、現在は寺院に多く残されている。このうち特に「斧」や「錫杖」は修験者たちによって後年、観世音菩薩に見立てられ「両面尊」などと讃えられ祀られた際に加えられたもので、『扶桑略記』にも弓を用いたという記述があり、元来は「弓」であったと考えられる。
膕窪(よぼろくぼ)
両面宿儺には合計四つの足があるというが、いずれの足にも「よぼろくぼ」つまり「ひざの裏のくぼみ」が無かったと語られている。これは、その性格が乱雑乱暴で、足を常に投げ出して座っていたことを仮に形容したものだともいう。
【位山(くらいやま)】
合戦に敗走した両面宿儺が岩屋を去り、根城にしていたとされる山。最終的に位山で武振熊に討伐された両面宿儺は、美しい木を差し出した。それは仁徳天皇に捧げられ、以後は帝位の者が用いる笏(しゃく)は位山の木を用いて作られるようになったと語られている。
両面宿儺は、この山に古くから存在した神あるいは、高度な木工技術を持っていた技能集団の尊崇していた存在の象徴であったとも考えられている。
樹木と両面宿儺
両面宿儺は樹木と結びつきが強い。『日龍峰寺縁起』では姿を隠す際に檜の木を植え、そこに自身の二つの顔と似た顔が生じたら祀るように言い残したという伝説が記されている。また、笏に用いられる位山の木はイチイノキ(一位の木)であり、これは弓の素材としても知られる。
最終更新:2022年01月12日 15:55