【刑部姫(おさかべひめ)】
刑部姫は、姫路城の天守閣最上部に宿っており、数多くの狐と蝙蝠を従え、十二単衣を身にまとった貴人の姿をしていると語られる。姫路城の建てられている姫山(日女道丘、ひめじのおか)に古くから祀られていた霊が刑部姫であるとされている。
豊臣秀吉が姫路城を新たに築城する際、刑部大神として祀られていた刑部姫を町外れに移してしまった。すると姫路城を任された池田輝政の元に「播磨のあるじ」と名乗る天狗が現れるようになり、「城内に刑部大神を祀る祠を建てよ」と何度も訴えて来たと言う。やがて輝政は病気となり、城に刑部大神の祠を設ける事で快方に向かったとされる。
都から落ちて来た刑部親王と娘が、姫山の地で亡くなり、両者を祀ったのが「おさかべ」と称される由来であるとされる。しかし、姫山には『播磨国風土記』にも日女(ひめ)という呼ばれ方が見られ、刑部親王も国史では母と共に奈良県の宇智に幽閉されて死んだとされており、あくまでこれは名称の由来として結びつけられた伝説であると見られる。
【毅魄・英霊】
英魂毅魄とも称される。仏教などでは武将などは修羅道に堕ちるとされる事が多いが、英主たる優れた武将の霊は鬼神(毅魄・英霊)に転じるとも考えられている。
刑部姫も、そのような英主たる霊が転じた毅魄・英霊にあたる。古くは女性を首長とした一族は各地に存在しており、そのような英主たる姫が祀られ、鬼神となったのが刑部姫であると言えよう。南北朝の時代に同地に建てられた城の名が当初は姫山城であったのも、江戸時代に入ってから徳川・松平氏の治めるいくつかの城に刑部姫が祀られていたのも、最大の理由はそこにあり、その布武の力によって領土の安定を願ったものと見える。
花と刑部姫
刑部姫は、木花咲耶姫と同体であるとも語られており、木花咲耶姫の荒魂に当たるようでもある。「英霊」は「ミタマ」とよまれる。「英」は「花」を意味する。
天狗と刑部姫
「播磨のあるじ」と名乗って現われたという天狗は、刑部姫に従う狐であったと考えられる。狐と天狗は古くは密接に関連しており、修験道では天狗の乗物として狐が描かれる事が非常に多い。
最終更新:2025年01月31日 16:49