【九千坊(きゅうせんぼう)】
九州に渡来して来た
河童たちの親分。九千匹の河童たちを従えていたことから、九千坊という尊称をもって呼ばれていたと言う。熊本県の球磨川を本拠地として九千坊たちは暮らし、河童を各地に増やしていったと語られる。
戦国時代、河童の一人が加藤清正の愛していた小姓を水に引き込んで殺した事に端を発した。怒り心頭に達した清正は領内の高僧を集めて川に河童たちを封印し、河童たちの天敵である猿の大群を放って一挙に川狩りを行なった。九千坊は、清正の軍に対して和睦を出し、熊本領内で以後悪さをしないと河童たちに誓わせたと伝わる。
【河童たちの渡来】
仁徳天皇の時代に、河童たちは西土から海を越えて日東に渡来したと言い伝えられている。河童たちの故郷は黄河の水源近くにあると言い、そこで暮らしていたが気候の変化から水場を失ったため、新たな楽土を求めてシルクロード(古代の絹の交易路)を通じて各地を南東へ放浪し、日東に到ったとされる。
九千坊たち西土の河童たちは、水源で発生している事から察せられるように、他の河童たちとは異なり「
蒭霊が受肉したもの」ではなく、水の霊(みづち)や罔象女に属する妖怪たちである。九千坊たちが根を張った北九州を中心に水神としての河童信仰が見られたのも、この点に由来する。
最終更新:2021年06月05日 20:33