権利の章典


 エーデマルクの『権利の章典』とは、2396年12月議会において制定された『臣民の権利および自由を宣言し、王位継承を定める法律』の通称であり、エーデマルクのもっとも重要な憲法的文書である。


成立


 2396年6月、革命がおこり、エーデマルク国王ヘルマン3世がクォーテラに逃亡した。
 同年11月、事態収拾のため召集された仮議会は憲法的諸原則を『権利宣言』としてまとめ、これの承認を条件としてインレ公エーリク・ストレームならびに公妃ハンナ=マリー(ヘルマン3世の娘)をエーデマルク王国の共同君主とすることを決議した。両人はこれを承認したため、国王エーリクならびに女王ハンナ=マリーとして即位した。
 このような革命の措置に法的効力を与えるため、『権利宣言』に若干の補足を行って法律化したものが『権利の章典』である。


内容


 先王ヘルマン3世の行った不法行為の指摘から始まり、それらが将来の君主たちによって繰り返されないよう次のような要旨で13項目が列挙される。

[1]国王は議会の承認なしに法律を新規に定める権限をもたない。
[2]国王は議会の承認なしに法律の適用または執行を停止する権限をもたない。
[3]宗教関係の事件に関して、かつて存在した宗教裁判所を設立する授権状やその他これに類するいっさいの授権状および裁判所は違法である。
[4]国王は議会の承認なしに国王の使用に供するための金銭の徴収はできない。
[5]国王は議会の承認なしに常備軍に属さない臣民を徴兵することはできない。
[6]国王は議会の承認なしに特定の宗教の行事に参加してはならない。また、特定の宗教の信徒に他の宗教の信徒を優越する権限を認めてはならない。
[7]臣民には請願権がある。
[8]議会の議員の選挙は自由でなければならない。
[9]議会における言論あるいは議事手続きは院外で問責されない。
[10]過大な保釈金・過大な罰金および残忍な刑罰を求めてはならない。
[11]陪審員は正当な方法で選ばれなければならない。
[12]有罪判決の前にその者に課せられるべき罰金または没収物について約束することは違法であり無効である。
[13]苦情救済と法律の修正・強化・保全のため議会はしばしば開かれなければならない。

 なお、これら13項目にまとめられたエーデマルク人の『権利と自由』の根拠として、『その一つ一つが全部、この王国の人民の真の、古来から伝えられた、疑う余地のない』ものとして理解されなければならないと述べられている。


意義


 『権利の章典』は、連合王国成立後のエーデマルクの政治体制の骨格を成す法律である。
 そこには、『古来から伝えられた権利と自由の回復』という政治構造の連続面が前面に出ているものの、『国王の法律適用停止権』および『法律適用免除権の否定』など、議会による王権の制限の強化という断絶面のあることも注意する必要がある。それはフレデリク1世即位時にはじまる、1世紀に近い国王と議会のあいだの対立抗争の結末を示すものであった。
 同時に、宗教や裁判についてエーデマルク王の特権が廃止されたことにより、ノルフェルト王国やスオラ属州との摩擦も一時緩和されている。したがって連合王国の連帯がより強固になったとする見方もある。

 ストレーム王朝終盤には、ビョルン2世率いる王国軍によって議会が武力で強制解散され効力の停止が宣言されたが、そののちレーヴ王朝始祖であるアドルフが政権を奪取し『権利の章典』の効力を認めて復活。現在もなおエーデマルク連合王国の根幹をなすものとして支持されている。




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最終更新:2015年10月30日 16:27