何時の頃からか、一つのうわさが広まった。「パッショーネは食人鬼を飼っている」という噂だ。
曰く、「それは一国の首都を一夜にして喰らい尽くした」
曰く、「金に飽かせて護衛を集めた麻薬王が、髪の毛一本残さずこの世から消された」
曰く、「北欧を支配するギャングのボスが、この世の物ならぬ光景を見たかのような凄惨な形相の首だけ残して捕食された」
荒唐無稽な都市伝説もいいところであり、本気で信じる者は少なかったが、実のところ噂を裏付けるような事実は存在している。
そして、この夜噂に新たな1ページが付け加えられる。
ピル・ゲイツは世界的な大企業の会長であり、裏社会を支配する大親分であった。つい数か月ほど前までは。
彼は、最強と自負する己のスタンド『ウィンドーズ・レクイエム』の力を以てしてなお長い時間をかけてやっと築いた地位も失ってしまえばあっけなかった。
初めは、ほんの些細な野心であった。「パッショーネを傘下に収めたい」、そう考えるのも彼の力量からしてみれば自然な話であった。
しかし、計画を立てた翌日から、すべてが狂い始めた。
1日目。何者かによって会社の幹部が惨殺された。部下に犯人捜しを任せただけで、自身は何一つ動かなかった。
3日目。ゴルフ場に出向いている間に、自宅が爆破された。警備システムと選りすぐりのスタンド使いによって万全だったセキュリティだったはずなのに。
ありえない事態に激怒した。
一週間目。会社のコンピューターが外部から操られて誤作動を起こした。修復しようとした技術者は、機械から伸びたコード状のスタンドによって縊り殺された。
一月目。社員が皆殺しにされ、会社が倒産した。頼みのイルカ君は、そもそも敵の存在を認識してさえいなかった。
三月目。裏の部下が一人一人殺されていった。F3を何度連打しても、犯人の検索は出来なかった。
七月目。組織が遂に瓦解した。気も狂わんばかりになった彼は、落ち着きを取り戻そうと、なじみの娼婦を呼んだ。
そして、現在に至る。
気が付いた時、己の腰はすでに女の腰と一体化していた。女は、うっすらと笑いながら手刀で自身の首を刎ねた。腹部から見知らぬ女の顔が生えた。背後にはコートで醜くだぶついた肉体を包んだスタンドが発現していた。
「ふふ、初めまして。ここ数か月精一杯サービスしてあげたけど、楽しかったかしら?」
転がった生首には眼もくれず、女は妖艶な笑みを浮かべた。が、目は笑っていない。狂っていた。
「な、なんだ貴様は!」
我ながら間の抜けた問いだ、と彼は思ったが仕方がないかもしれない。なじみの女が、いきなり別の女に変わり、更にそれと自身が一体化しつつあるなんて状況で平静でいられるはずもなかった。
「私? 私は、そうね……誰でもいいじゃない。『食人鬼』って通り名が広がりすぎた所為か、それとも他者を取り込みすぎた所為か、最近自分という存在すらあやふやなのよね。心臓は昔の男、右腕はローマを根城にしていたギャングのボス、右目は、誰だったかな? まあいいわ、どうでもいいことだもの。で、足首は、今日はどこかの歌手のを取り付けてたはずよね。彼方此方の部位を日替わりで取り換えてるから時々訳が分からなくなってしまうわ。今回は、あなたに近づくためにこの子の首を借りたけど、どうも馴染まないから厭ね。個性の強い子はこれだから困るのよ」
彼女の言葉に、男はゾクりと背筋が震えるのを感じた。『食人鬼』の噂は、ゲイツも耳にしていた。あまりに荒唐無稽なので、聞いた時には笑い飛ばしたものだが、真実に直面した今では笑うなどとてもできたものではない。殺される、この女を殺さぬ限り自分が殺される! 気づいた時にはスタンドを発現させていた。
「『ウィンドーズ・レクイエム』ッ、シフト&デリィィィィィィィーーーーーーーーーーーーーートッ!」
存在を消滅させる必殺の一押し、だがそれは押されることはない。いや、指すら動いていなかった。よく見てみたら、自身のスタンドは半ば相手のスタンドに飲まれていた。ありえない出来事に思考が停止したゲイツの耳朶に、女は朱唇を寄せ、
「おバカさんねぇ、あなたと私はもう一体化しつつあるのよ。あなたのスタンドはもう私のスタンドの一部なの。どうにかできるわけないでしょ? 説明も済んだし、それじゃあね。晩餐になってもらわなきゃ」
囁いた直後女の肉体が薄い膜状に伸びてゲイツの全身を包んだ。その表面にはいつしか鋭い牙が生えており、そして、
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっっっっっっっ!」
絶叫は咀嚼音にかき消された。
本体名―ピル・ゲイツ(ビル・ゲイツに非ず)
スタンド名―ウィンドーズ・レクイエム(ジョルナータの夕食として生のまま美味しく食べられ死亡)
翌日のことである。女は、ネアポリスにいた。彼女の目の前に、二人の男が座っていた。
「ボス、対象は始末いたしました」
妖艶な笑みを浮かべて成果を報告する女に、『パッショーネ』のボスと参謀は軽くうなずいてみせたが、両者の眉には濃い憂慮の色が表れている。
「ボス、どうなさいました?」
「……ジョルナータ、君が数ヶ月出ている間に、幹部が数人殺られました。警戒を強めてなお被害が出ています。一昨日はサーレーが殺られ、昨日はドンナが襲われました。幸い、命は取り留めましたが、重傷です。彼の心臓が常人より右寄りでなければ、死者が一人増えていたことでしょう」
ボスの声には幽かな怒りが滲んでいた。当たり前だ、幹部格が連続して殺されるということは、組織の看板に、ひいてはボスの顔に泥を塗ることを意味している。幹部を殺されて何もできないようなギャングは、いつしかシノギさえうまくいかなくなってしまうのだ。
「へぇ……、それは聞き捨てなりませんね。どうです、私に調査をお任せ願えませんか? 必ずケリをつけてみせますが」
ジョルナータの口ぶりにも変化が見られた。先ほどまでの平板な話し方に変わって、おもちゃを見つけた子供のように楽しげな声に変わっていた。ローマでの一件の後、ボスの手によって組織における「最終手段」としての役割を与えられてから彼女はこういう声を出すようになった。人を殺すこと以外に愉悦を見いだせなくなった女の声だ。
それにまぎれもない嫌悪を感じながら、幹部が封筒を取り出し、
「ドンナのやつにいわせりゃ、相手はまるで『時間を加速させた』かのような速度で襲いかかってきたそうだ。奴の動体視力でさえ、一発ぶち込んでやるだけでやっとだったらしい。今回の敵を甘く見るんじゃねぇぞ。
ほれ、そいつがこの件を解決するために編成されたチームの資料だ。おめーが指揮するんだから、きっちり確認するんだな。……っと、忘れるとこだったぜ。サーレーの娘が、親父の仇をとるとかでニホンから来てやがる。なるべく関わらせたくはねぇが、一応調べておくんだな」
投げ渡された封筒を手に、ジョルナータはうっすらと笑った。まるで、余計なお世話と言いたげな表情を残し、彼女は身を翻す。その背中が見えなくなってやっと参謀はホッと息を吐いた。
「行ったか……。あのゲス女、あんまり使いたくぁねぇんだがな」
「しかし、このような場合何よりも頼りになるのは事実です。少なくとも、必要でない限りは民間人を巻き込みはしませんしね」
「必要だったら、ローマの人間全部喰らって恥じねぇけどな」
その一月の後のことである。彼女に死が訪れたのは。
彼女と、そのチームは遂に幹部を連続で殺害した男の正体を割り出し、追い詰めるのに成功した。しかし、男のスタンド『アメイジング・グレイス』の能力は彼女らの想像を絶していた。「時の支流を生み出して操る」能力による超機動は、受けた傷を巻き戻す治癒力は、個人の時を止める力は、次々と歴戦のギャングたちを屠っていく。そして、その魔手はジョルナータにまで及んだ。
彼女は、時の流れの外から男に襲いかかった。これまでのいかなるスタンドすら対抗することのできなかった彼女だけの世界へと、男を引きずり込んで対処する。その目的は半ば成功し、半ば失敗した。敵の能力は『時の支流を操る』ことである、それを時の本流の外に引きずり出すということは、畢竟『時の流れの外に時を持ち込む』ことに他ならない――!
「終わりだ、ジョルナータ・ジョイエッロォッ!」
『アメイジング・グレイス』の拳が、ジョルナータの頭を襲った。確かに、彼女は体の別の部位から臓器を作り出すことはできる。しかし、それはあくまでも別の臓器である。同じ臓器は作れない。そして、オリジナルのものを失ってしまえば取り返しのつかない臓器が一つだけ存在した。脳である。それを、男は理解していた。
加速した拳が、ジョルナータの頭部を砕く、砕く、また砕く。脳がすり潰され、えぐられ、まき散らされる。脳組織が完全に破壊されゆく中、彼女は自身の意識が、自我が失われていくのを知った。男の攻撃を受けた瞬間、苦痛のあまり思わず能力を解除してしまったのだ。時の流れの中にいる限り、彼女は死を免れえない。
(そう……、死ぬのね。いいわ、文句が言えるような人間ではないのだから)
静かな諦めが残る意識を包み込もうとしたその時、彼女の瞳にある姿が映った。それは、やむなく任務に加えることになった少女の姿。
「父の仇を討ちたい!」
ひたむきだった声が耳に蘇る。真摯に頼み込んだ姿を忘れられない。彼女の決意は、心に浸み込んでいた。少女との交流は、狂乱の直中で生きていた女の心に何かを蘇らせていた。かつて彼女が持っていた宝石のように輝く意志を、少女の瞳に秘められた水晶のごとく透き通る熱意が照らしていた。
(あの子を、死なせたくはない!)
最後の感情は、死してなお女の肉体を突き動かした。頭を破壊されたスタンドの腕が、自身の胸部へと突き刺さる。それは、何か尖った物を体内から引きずり出し、残る力を振り絞ってそれを投擲する。
「受け取りなさい、ジョーカ!」
ジョルナータの口から洩れたのは断末魔ではない、希望を託す言祝ぎの声!
それは、続く『アメイジング・グレイス』の拳で彼女の全身が砕かれてなお空気を震わせ、少女の耳に届く。ジョルナータの思いが託された『矢』と共に。
本体名―ジョルナータ・ジョイエッロ(堕落し、食人鬼へと成り下がった主人公)
スタンド名―インハリット・スターズ:エンドゲーム・エニグマ(『アメイジング・グレイス』に敗北、死亡)
結論から言おう、男は間に合わなかった。彼が、上野譲華に追いついた時、彼女は手に矢を握っていた。
「『矢』はスタンドを高みに導く、と聞いているわ。これは、ジョルナータさんの遺志、そしてあなたに殺されていった仲間たちの遺志!
みんなの遺志を受け継ぎ、あたしはあんたと戦う! 『矢』よ、あたしに力をちょうだい!」
『矢』は振り下ろされ、少女のスタンド『クリスタル・エンパイア』を貫く。光が、世界に満ちた。
【インハリット】オリスタSSスレ「宝石の刻(とき)」【スターズ】ノーマルルート END
使用させていただいたスタンド
No.142 | |
【スタンド名】 | ウィンドーズ・レクイエム |
【本体】 | ピル・ゲイツ |
【能力】 | Windowsのショートカットキーを使う |
No.217 | |
【スタンド名】 | クリスタル・エンパイア |
【本体】 | 上野譲華 |
【能力】 | 触ったものを透明にする |
No.872 | |
【スタンド名】 | アメイジング・グレイス |
【本体】 | 正体不明 |
【能力】 | 時間の流れに「支流」を作り出し、対象を別の時間の流れへと送り込む |
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