我々、オクシレインは国際社会と協力し、人類のより良き発展を目指します。さあ、自由と民主、自律を全ての国家に広げようじゃありませんか。
――センジュ・アン・アクセルン・ヴィン・アンニオ
センジュ・アン・アクセルン・ヴィン・アンニオ(
オクシレイン語:þenʒ an aksern vin annio)とは、オクシレイン大衆自由国のXX代目大統領。センジュ・フエルの男性。
略歴
少年時代
共立公暦477年3月21日、センジュは時計修理屋の家庭に生まれる。義務教育を受ける数年間の間、センジュは時計屋の子供として通りを行き交って、仕事の手伝いをするなど親孝行な子供として地域に知られていた。一方でセンジュは夜を惜しんで学業に励むなど人目につかない所で努力をし、学業での評価を勝ち得ていた。ある日、センジュが夜ふかしのし過ぎで体調を崩したときは住んでいる通りの住民達が矢継ぎ早にご飯やら何やらを差し入れてくたほどに彼の人望は高かったのだった。
人物
- 彼は良い生まれであるがゆえにサールメン・アン・オサールン・ヴィン・レンザイアとの関係は複雑である。しかし、お互いに総統・頭領になってから、奇妙な信頼関係を構築している。
- 都合が悪くなるとすぐに御手洗いに逃げる。彼の「御手洗いに行ってきますね」は決め台詞(?)ともなっている。しかし、危急の事態においては逃げずに立ち向かう姿をサールメンからは認められている。
- 帝国の国境封鎖にまつわる外交交渉では、各所での調整に奔走。努力の結果、民間人及び外交使節に関する非常時保護条約の成立に至った。全てが終わった後、センジュはサールメンとの極秘会議中に意識を失って倒れた。サールメンに介助されながら、病院に運ばれた彼の容態は安定したが、足は豆だらけ、栄養失調状態、不眠に眼精疲労などが溜まり限界状態になっていたという。意識が戻ったセンジュに対して、サールメンは「二度と無理はしないで」と激怒されたらしい。
- 共立公暦632年、民間人及び外交使節に関する非常時保護条約の提携のお礼に連合帝国からトローネ皇帝が初めてオクシレインを訪問した際に国家元首として応対した。まさかありえないと思われた来訪の実現により、センジュの方向性は間違っていなかったことが国民にも理解されるようになった。
ギャラリー
最終更新:2025年01月24日 23:16