概要
当記事では、セトルラームの思想について纏める。
幸福追求の原則
「還元とは、創作であり、消費であり、分配である」
セトルラームの文化を端的に纏めた表現として、恵みによる吉兆の社会という言葉がある。端的に説明すると、「恵みをもたらす者には、必ず報酬を与えなければならない」ことを意味し、古くから上流階級の営みとして推奨された。セトルラームにおいて「自己犠牲の精神」を求めることは必ずしも正義ではなく、むしろイノベーションの蓄積を妨げる反社会的行為として指弾されるからだ。このような思想から一定の権力制限を重んじたが、「労働者」もまた生産階級の一形態として解釈されると、次第に近代的な人権思想を受け入れる土壌が整ってきたのである。このような経緯を経て、更に時代が進むと、単なる「消費者」もまた社会の発展に寄与するものと定義された。福祉政策が充実し、人々に生活の余裕が生まれると必然的に新たな発見がなされ、これまでの価値観に囚われない独自の還元思想が生まれたのである。ここで述べるところの還元とは、人々が向上心を失わず社会の活力を維持するための手法を指し、あらゆる者に散財の公益性を自覚させることを目的とした。そうした言説を許容する社会においては、必然的に消費が向上し、それだけ大規模な投資が生まれるのである。
強制しない社会
「貧しい者には物質を、富める者には名誉を与えよう」
今日のセトルラームにおいて、労働を美徳とする概念は廃れて久しく、全ての国民が思い思いの趣味に没頭している。充実した福祉政策は時として精査の対象となり、批判されることも度々あるが、上述の還元思想が広まる中、不必要な出費(主に人件費)を忌み嫌う政財界の利害と調整する形で普及した。その段階に至って、最も重要視される生き方は独自に研鑽を積み重ねつつ新たな価値を生み出すこと。余暇の保障から生じる創作活動は人々の心に彩りをもたらし、莫大な消費行動もまた次の投資に繋がる尊き信仰として奨励されたのである。あらゆる個人に完璧な幸福追及権を保障することは人類の精神性を高める第一原則として推進され、社会責任論の定着に至った。苦役から解放された多くの国民にとって、新しい世代を誕生させることは新しき友を迎えるのと同じ感覚であり、種々の問題は残るものの良き行いとして許容されている。若き世代に苦役(労働、結婚、育児)を引き継ぐ思想は時代遅れとされて久しく、科学の力によって解決することが美徳とされた。
刺激を求める国民性
「徒然なるままに興じるが良い。さすれば救われるであろう」
病気や貧困、労働など、あらゆる苦痛から解放され、暇を持て余す多くの国民にとって時の過ごし方は死活問題とされる。その傾向は大方の夢を叶える量子
ビルド・ネットワークの普及から先鋭化し、現実社会において肉体を持つ意味すら希薄化してしまった。ある者は実体に囚われることの有害性を訴え、ある者は熱的死を迎えるであろう未来の価値に疑問を呈したのである。社会は心の在り方を巡る重厚な哲学的論争の時代へと突き進み、不思議なことに物質的な欲求が満たされるにつれて人々の精神は荒んでいった。以上の結果を重く見て、苦役の復活を主張する懐古主義者の運動も頻発したが、遠い過去の貧困を忌み嫌う不老リベラル層の抵抗に直面し、根本的な解決策を見出すことなく膠着した平和に甘んじてきたのだという。この間、人々の関心を引いたのは、現実逃避も困難ではないこの時代に、如何にして自己実現を成し遂げるべきか研究を続けることであった。創作による自己研鑽もまた活力を維持するための一手段として奨励されたが、虚無であることの苦痛を和らげるために毎日何らかの祭りを開催し、暴動すらも楽しむという。そのような享楽傾向は苦役からの解放を主導する政府の方針とも合致し、文化創作の一環として黙認されるに至った。
闘争競技が推奨されるのもガス抜きに腐心する政財界の思惑によるところが大きい。
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最終更新:2024年11月25日 00:40