Project Sparkを開発しているTeam DakotaのテクニカルディレクターであるSoren Hannibal氏は、近年はゲーム開発志望者に対する障壁がとても多く、特に最初の一つがあまりにも大きいと語ります。
現在では、プログラミングを始めようと思ったら、あまりにたくさんの選択肢があるというだけでなく、始めるにあたって知っておくべき情報がたくさんある。昔、私がコモドール64でプログラミングを始めようと思ったとき、一緒に本がついてきたのでそれを読んで勉強することができた。今では、プログラムを始めようとしたらまず正しいパッケージを見つけて、ダウンロードして、さらにコンパイルの仕方まで理解しなければならない。最初のコードの一行を書く前には、今ではたくさんの異なったことを知る必要がある。興味があるとおもったことでも、学ぶために何か月も費やす必要がある。
早い年齢のうちに、プログラミングの概念とロジックについての簡単な手引きを受けさせることは、将来的にみると、少数の優秀なゲーム開発者を生み出すよりもはるかに産業にとって多くをもたらすだろう、と記者は指摘しています。
そうしないと、ソフトウェア産業全体を見てもこの世界に飛び込もうとする世代がまるまる失うのではないかと思っている。クリエイティブなビデオゲームを作ることは、ソフトウェアエンジニアリングにとって完璧な導入口になるのではないかな? ゲームは、すぐにフィードバックを返してくれる。将来先の道に進んだとしても同じ概念、同じものの考えを学ぶことになるので、疎外感を感じることはないだろう。
プレイヤーにゲームを作らせるという考え方は、新しいものではない。Hannnibal氏は、Project Sparkで影響を受けた最も大きいものの一つに、Sensible Softwareがコモドール64で出した、「Shoot-'Em-Up 開発キット」を挙げる。最近ではもっと知名度のある取り組みとして、リトルビックプラネット、Trials Evolution、バトルブロックシアターなどのようなものもある。
一つキーとなる要素というのが、それらのゲームはすべて、まずゲームが一番であってエディターが二番ということだ。彼らは、まず、あらかじめたくさんの作成済みレベルを用意して出荷する。それも自分の想定する特定のジャンルのレベルだ。そして、作るよりもまずプレイする方に優先度を置く。その結果として、エディターを使うプレイヤーというのはごくまれな割合にとどまるわけだ。Project Sparkは違う。なぜなら、われわれにとってクリエートするのが体験の中心だからだ。我々は作る楽しみを生み出そうとするのであって、脅迫を生み出すつもりはない。だから、自分にあったレベルで楽しめばいいし、だからProject Sparkは「フリーサイズ」でのデザインを行っていない。
2009年に、マイクロソフトはKudoというツールをXbox Liveのインディーズゲームとしてリリースした。5$で購入できるこのプログラムは、かわいい絵の手助けを借りながら、単純なIf-Thenの構文でAIの行動を組み立てて、シンプルな3Dゲームを作成することができた。しかし、Kudoはほんの一握りのユーザーによるコミュニティに過ぎなかったが、Project Sparkではそのアイデアを取りながらきちんとしたチームを組み、背後ではマイクロソフトが大きな重点を置いている。
こうした制度的な支援制度は、今までのKoduやTrials、バトルブロックシアターなどの取り組みから得た教訓の一つだ。そしてこういう支援というのは、ユーザー生成コンテンツに内在するような頭痛の種に取り組むときに大いに手助けとなる。
こうした経験から得られたいいニュースというのは、コミュニティーを気遣うユーザーがたくさんいるということだ。もちろん、ツールで自由に作れるとなると、不適切なものを作れるような方法も増えてくる。だから、ひどい内容のゲームの割合はおそらくそれほど高くはないとしても、ひどいコンテンツを作る方法も多様化するだろう。
この問題に取り組むため、開発者はゲームを二つに区分けすることになる。キュレーションされているか、されていないかだ。小さなインターネットチームがプロジェクトを監視し、不適切なコンテンツを含まない、興味深くて人気のあるコンテンツをキュレーションする。さらに、十分な数のユーザーが不適切と判断した場合、モデレーションチームがレビューして最終判決をするまで、そのコンテンツを隠すことになる。
(続きは後日)
最終更新:2013年11月05日 23:56