第581話:彷徨傭兵 作:◆5Mp/UnDTiI
「本当に行かないのか?」
隻腕の少年が、もう一度同じ問いを口にする。
さきほどから状況は何も変わっていない。誰とも遭遇せず、何か異変を見つけたわけでもない。
城でいったん休息をとり、そして再び同じ面子で島を歩き回っている。
変わったものといえば時計の針の位置だけだった。短い方が十一、長い方が八を指している。
だがその程度の時間は、悠久を生きる『彼女』にとっては瞬きをしている内に過ぎ去ってしまうような時間だ。
返答は、変わらない。
「行かぬよ。それと、しつこい男は嫌われるぞ。のう、かなめや?」
「……なんであたしに振るんですか?」
「懇切丁寧に説明しても良いが?」
「――いいえ、遠慮しておきますっ……!」
状況は、変わらない。
相良宗介の左腕は相変わらず失われたままで、彼は少女を守るために強者の後を追う。
千鳥かなめは、ただ宗介についていく。
アシュラムは一言も発さぬまま、美姫の後を追っている。
そして美姫は、ただふらふらと気の向くままに歩き回っている。
(――いや、一応の目的はあるのか)
アシュラムは気づいていた。ただひとり会話に参加せずにいたため、思考に割く時間にはことかかない。
数時間前に放送があった。ただし死者をつたえる陰鬱な放送ではなく、希望をもたらそうとする宣告が。
内容を簡潔にまとめると、このゲームに対する宣戦布告。それとともに脱出のための仲間を集める呼びかけ。
罠かどうかはわからない。考察はいくらでもできる。実際に行ってみなければ、真実はわからない。
その放送を聞いて、城から出発した後、最初に美姫へ意見したのは隻腕の少年――相良宗介だった。
先ほどから繰り返しているように、とりあえず接触してみようという提案。
少年はあの集団にいい感情を抱いていない。それは先刻の相対からアシュラムも察していた。
だが、彼は同行者である少女を守ろうとしている。おそらく、そこからきた安全策なのだろう。
あの放送によって、他の参加者の多くはあの集団を目指すはず。同盟目的にしても、殲滅目的にしても。
そして敵対する者を打ち倒し、庇護を求めるものを取り込み、そうしてあの集団が大きいものになったとしたら、この吸血鬼は目の敵にされる可能性が高い。
アシュラムは別段、自分以外の美姫の同行者である二人に対して特別な感情を抱いてはいない。
それでもその意見に反対するとこはなかったし、あの吸血鬼ならば首を突っ込むだろうと思っていた。
だが予想に反して、美姫は首を振った。縦ではなく、横に。
そして、それからは放送があった地点――C-6の周囲をゆっくりとしたペースで歩くに留まっていた。
おそらく、少年を焦らして楽しんでいるのだろう。その証拠に、少年はどこか落ち着かない風で意見を繰り返している。
(だが――奇妙だ)
焦らして楽しんでいる。それはそうだろう。美姫が優先するのは己の娯楽であり、それ以外の何者でもない。
だが、ならば放送をした集団に接触する方を選ぶのではないだろうか。
あれほど大々的な宣言をした集団だ。これから何か大きな動きがあるであろうことは容易に予想できる。
この吸血鬼風に言えばそちらの方が面白いだろう。
確証はない。もしかしたら集団に接触しようとした他者を掻き乱すつもりなのかもしれないし、それこそただの気まぐれなのかもしれない。
それでもやはりただ延々と歩き続ける美姫を、アシュラムはらしくないと感じていた。
(……まあ、いい)
それまでの思考を切り捨て、アシュラムは胸中さえも沈黙させる。
状況は変わらない。ならば、自分はただ自分の意志に従って美姫のあとを追うだけだ。
隻腕の少年が、もう一度同じ問いを口にする。
さきほどから状況は何も変わっていない。誰とも遭遇せず、何か異変を見つけたわけでもない。
城でいったん休息をとり、そして再び同じ面子で島を歩き回っている。
変わったものといえば時計の針の位置だけだった。短い方が十一、長い方が八を指している。
だがその程度の時間は、悠久を生きる『彼女』にとっては瞬きをしている内に過ぎ去ってしまうような時間だ。
返答は、変わらない。
「行かぬよ。それと、しつこい男は嫌われるぞ。のう、かなめや?」
「……なんであたしに振るんですか?」
「懇切丁寧に説明しても良いが?」
「――いいえ、遠慮しておきますっ……!」
状況は、変わらない。
相良宗介の左腕は相変わらず失われたままで、彼は少女を守るために強者の後を追う。
千鳥かなめは、ただ宗介についていく。
アシュラムは一言も発さぬまま、美姫の後を追っている。
そして美姫は、ただふらふらと気の向くままに歩き回っている。
(――いや、一応の目的はあるのか)
アシュラムは気づいていた。ただひとり会話に参加せずにいたため、思考に割く時間にはことかかない。
数時間前に放送があった。ただし死者をつたえる陰鬱な放送ではなく、希望をもたらそうとする宣告が。
内容を簡潔にまとめると、このゲームに対する宣戦布告。それとともに脱出のための仲間を集める呼びかけ。
罠かどうかはわからない。考察はいくらでもできる。実際に行ってみなければ、真実はわからない。
その放送を聞いて、城から出発した後、最初に美姫へ意見したのは隻腕の少年――相良宗介だった。
先ほどから繰り返しているように、とりあえず接触してみようという提案。
少年はあの集団にいい感情を抱いていない。それは先刻の相対からアシュラムも察していた。
だが、彼は同行者である少女を守ろうとしている。おそらく、そこからきた安全策なのだろう。
あの放送によって、他の参加者の多くはあの集団を目指すはず。同盟目的にしても、殲滅目的にしても。
そして敵対する者を打ち倒し、庇護を求めるものを取り込み、そうしてあの集団が大きいものになったとしたら、この吸血鬼は目の敵にされる可能性が高い。
アシュラムは別段、自分以外の美姫の同行者である二人に対して特別な感情を抱いてはいない。
それでもその意見に反対するとこはなかったし、あの吸血鬼ならば首を突っ込むだろうと思っていた。
だが予想に反して、美姫は首を振った。縦ではなく、横に。
そして、それからは放送があった地点――C-6の周囲をゆっくりとしたペースで歩くに留まっていた。
おそらく、少年を焦らして楽しんでいるのだろう。その証拠に、少年はどこか落ち着かない風で意見を繰り返している。
(だが――奇妙だ)
焦らして楽しんでいる。それはそうだろう。美姫が優先するのは己の娯楽であり、それ以外の何者でもない。
だが、ならば放送をした集団に接触する方を選ぶのではないだろうか。
あれほど大々的な宣言をした集団だ。これから何か大きな動きがあるであろうことは容易に予想できる。
この吸血鬼風に言えばそちらの方が面白いだろう。
確証はない。もしかしたら集団に接触しようとした他者を掻き乱すつもりなのかもしれないし、それこそただの気まぐれなのかもしれない。
それでもやはりただ延々と歩き続ける美姫を、アシュラムはらしくないと感じていた。
(……まあ、いい)
それまでの思考を切り捨て、アシュラムは胸中さえも沈黙させる。
状況は変わらない。ならば、自分はただ自分の意志に従って美姫のあとを追うだけだ。
◇◇◇
状況は変わらない。状況を変えたくない。
美姫は歩いていた。ただ、歩いていた。
外面にこそ出さなかったが、その心中は穏やかとは言いがたい。
相良宗介や千鳥かなめで遊ぶことで誤魔化しているが、その焦燥にも似た感情は募るばかりだった。
(まったく、らしくない)
自分でも、そう思う。
彼女は生まれてこの方、したいようにしてきた。
欲しいものがあるのならば手に入れた。気に入らないものがあったのなら壊した。そうして生きてきた。
ただ――数少ないが、それができなかったこともあった。
彼女のものにならず、あまつさえ歯向かい、そして彼女を退けた存在。
それが、この島にある。
単身で自分に刃向かった男だ。おそらくこのゲームにも乗ってはいまい。
ならば、おそらく例の放送を行った集団に属しているだろう。あるいは、加わろうとするだろう。
仮に罠だとしても、あの男を打ち破ることのできる存在などありはしない。
さて、そして――自分はどうしたいのだろうか?
あの男はすぐ手の届く場所にいるともいえるし、永遠に手の届かないところにあるともいえる。
(会わせる顔は、文字通りない……か)
醜くただれた半顔を撫でながら、胸中で呟く。
この無粋な刻印によってもたらされる渇きは、おそらくアレと会ってしまえばどこまでも自分を衝き動かすだろう。
牙をあの美麗な首筋に打ち込むことを、いまの自分は自制できるか?
おそらく、無理だ。そしてそんな支配を自分は望んでいるわけではない。
だから会えなかった。会えば、自分は矜持を喪失するだろうから。
だが、ならば自分はなぜこんなところを何時間もうろうろと彷徨っている?
(――だとしたら本当にらしくないではないか、ええ?)
自嘲しながら、それでも彷徨うことはやめられない。
放送時間までは、待つ。そう決めていた。
そこで明かされる死者数によっては、あの集団と接触する以外の選択肢はなくなってしまうかもしれない。
自分はそれを忌避しているのか。あるいは、待ち望んでいるのか。
彼女は飢えていた。
『刻印』による制限は彼女の自制心を蝕んでいた。
身と喉が無性に乾き、本来なら耐えられる筈の誘惑にその身を焦がしていたのだ。
美姫は心のどこかで焦燥していた。お世辞にも精神状態はよくなかった。
そんな最悪の状態で、彼女は彷徨っていた。
美姫は歩いていた。ただ、歩いていた。
外面にこそ出さなかったが、その心中は穏やかとは言いがたい。
相良宗介や千鳥かなめで遊ぶことで誤魔化しているが、その焦燥にも似た感情は募るばかりだった。
(まったく、らしくない)
自分でも、そう思う。
彼女は生まれてこの方、したいようにしてきた。
欲しいものがあるのならば手に入れた。気に入らないものがあったのなら壊した。そうして生きてきた。
ただ――数少ないが、それができなかったこともあった。
彼女のものにならず、あまつさえ歯向かい、そして彼女を退けた存在。
それが、この島にある。
単身で自分に刃向かった男だ。おそらくこのゲームにも乗ってはいまい。
ならば、おそらく例の放送を行った集団に属しているだろう。あるいは、加わろうとするだろう。
仮に罠だとしても、あの男を打ち破ることのできる存在などありはしない。
さて、そして――自分はどうしたいのだろうか?
あの男はすぐ手の届く場所にいるともいえるし、永遠に手の届かないところにあるともいえる。
(会わせる顔は、文字通りない……か)
醜くただれた半顔を撫でながら、胸中で呟く。
この無粋な刻印によってもたらされる渇きは、おそらくアレと会ってしまえばどこまでも自分を衝き動かすだろう。
牙をあの美麗な首筋に打ち込むことを、いまの自分は自制できるか?
おそらく、無理だ。そしてそんな支配を自分は望んでいるわけではない。
だから会えなかった。会えば、自分は矜持を喪失するだろうから。
だが、ならば自分はなぜこんなところを何時間もうろうろと彷徨っている?
(――だとしたら本当にらしくないではないか、ええ?)
自嘲しながら、それでも彷徨うことはやめられない。
放送時間までは、待つ。そう決めていた。
そこで明かされる死者数によっては、あの集団と接触する以外の選択肢はなくなってしまうかもしれない。
自分はそれを忌避しているのか。あるいは、待ち望んでいるのか。
彼女は飢えていた。
『刻印』による制限は彼女の自制心を蝕んでいた。
身と喉が無性に乾き、本来なら耐えられる筈の誘惑にその身を焦がしていたのだ。
美姫は心のどこかで焦燥していた。お世辞にも精神状態はよくなかった。
そんな最悪の状態で、彼女は彷徨っていた。
◇◇◇
状況は変わらない。できれば変わって欲しいけど、この場でそんな奇跡は望めない。
千鳥かなめは歩いていた。心配しながら歩いていた。
彼女の心配事は、無論相良宗介のことだ。
同じ世界から連れられてきた最後の知り合い――いや、彼女にとって彼はそれ以上の意味を持つ。
だからこそかなめは宗介のことを心配したし、また心配することもできる。傭兵の胸中に、どんな感情が蟠っているのか見透かせる。
(ソースケの奴、無理しちゃって……)
これまで戦争馬鹿だと罵ってきたが、それは撤回しよう。こいつはただの馬鹿だ。
先ほどの放送は、テッサの死の原因となった人物の声だった。
無論、かなめ自身もダナティアに対していい感情は抱いていない。
だがそれ以上に、相良宗介はダナティアを嫌悪しているだろう。
それでも宗介は行こうという。おそらくは、千鳥かなめを守るために。自分を押し殺してまで。
(ちゃんと嫌だっていったのに。ほんと馬鹿なんだから……)
かなめはちらりと宗介の左腕に――左腕があったところに視線をやった。
いまは、なにもない。処置は完璧にされているが、それでもなにもない。
幸か不幸か、彼女はこの島に来る前からドンパチに巻き込まれることが多々あった。
だから、わかる。兵士にとって、片腕を失うということがどれだけの喪失か、理解できる。
――いや、兵士にとって、というだけではない。体の一部を失うというのは、誰だってつらい事だ。
だというのに、そんな状況の中でさえ宗介は自身を一番に考えていない。
繰り返す。相良宗介はただの馬鹿だ。大馬鹿者だ。
だから、自分がフォローしよう。かなめは胸中で繰り返す。
こんな馬鹿に守られてばかりは癪ではないか。彼の左腕に自分はなろう。彼の足りない部分を補おう。
彼女の姉御肌ぶりが発揮された、というわけではない。
――ただ、想い人をこれ以上ぼろぼろにはしたくなかったのだ。
千鳥かなめは歩いていた。心配しながら歩いていた。
彼女の心配事は、無論相良宗介のことだ。
同じ世界から連れられてきた最後の知り合い――いや、彼女にとって彼はそれ以上の意味を持つ。
だからこそかなめは宗介のことを心配したし、また心配することもできる。傭兵の胸中に、どんな感情が蟠っているのか見透かせる。
(ソースケの奴、無理しちゃって……)
これまで戦争馬鹿だと罵ってきたが、それは撤回しよう。こいつはただの馬鹿だ。
先ほどの放送は、テッサの死の原因となった人物の声だった。
無論、かなめ自身もダナティアに対していい感情は抱いていない。
だがそれ以上に、相良宗介はダナティアを嫌悪しているだろう。
それでも宗介は行こうという。おそらくは、千鳥かなめを守るために。自分を押し殺してまで。
(ちゃんと嫌だっていったのに。ほんと馬鹿なんだから……)
かなめはちらりと宗介の左腕に――左腕があったところに視線をやった。
いまは、なにもない。処置は完璧にされているが、それでもなにもない。
幸か不幸か、彼女はこの島に来る前からドンパチに巻き込まれることが多々あった。
だから、わかる。兵士にとって、片腕を失うということがどれだけの喪失か、理解できる。
――いや、兵士にとって、というだけではない。体の一部を失うというのは、誰だってつらい事だ。
だというのに、そんな状況の中でさえ宗介は自身を一番に考えていない。
繰り返す。相良宗介はただの馬鹿だ。大馬鹿者だ。
だから、自分がフォローしよう。かなめは胸中で繰り返す。
こんな馬鹿に守られてばかりは癪ではないか。彼の左腕に自分はなろう。彼の足りない部分を補おう。
彼女の姉御肌ぶりが発揮された、というわけではない。
――ただ、想い人をこれ以上ぼろぼろにはしたくなかったのだ。
◇◇◇
状況が変化した。それも悪い方向に。
「――参ったね。まさか零崎君がやられるとは」
何とはなしに夜空など仰ぎながら、佐山・御言が呟く。
淑芳と零崎の戦いの様子は、ムキチを通して伝わっていた。
伝わってくる状況や言葉の端々等からどうやら零崎が優勢で、しかも約束通り殺人を犯さないようにしていることは分かっていた。
だから静観していたのだが――結果として零崎人識は敗北している。
「まあこんな不自然な環境なのだし、何が起こっても不思議は無いがね――死なずにいてくれたのは本当に幸いだった」
ふぅ、と知らぬ内に肺腑を限界まで膨張させていた呼気を吐き出す。
零崎が行動不能になった場合の取り決めをエルメスとしていたのは、不幸中の幸いだろう。
喋る二輪が草の獣を通して語った情報はふたつ。彼らの居場所と、そして相手の容姿。
まず、零崎は何かで拘束されて井戸に放り込まれた。
(死体をわざわざ縛るようなことはしないだろう。ならば、おそらく零崎君は生きている。
……相手がネクロフィリアでもない限りは、だが)
それでも生きている可能性は高いだろうし、どちらにしても確認はしなくてはならない。
そしてエルメスと草の獣は遊園地らしき場所に置き去りにされている。地図上でいうならばF-1の辺りか。
こちらは草の獣がいる限り場所を把握できるが、零崎の方はそうもいかない。
まあ、井戸の中ならば殺人鬼に襲われる可能性も低いだろうが――
(しかし奇妙だ。零崎君の要求を断り、なおかつ彼に勝利した上で殺しはしない。
ふむ。どうにも行動の原理が見えてこない)
相手は簡単に殺せる筈の零崎を殺さなかった。つまり優勝目的ではない。
ならば脱出目的か。だが仲間になる選択肢は放棄し、仮に単独での脱出が目的なら殺人は厭わないはず。
(あるいは狂人という線もあるな。冷静に見えたが――外面だけということか?)
そして、またあるいは――
(私と同じ、か。彼女が"悪役"に徹しているならば、何とかして上手くやりたいところだが)
悪役をこなすにしても、彼女のやり方では遠からずその身を滅ぼすだろう。
現に今回だって、零崎人識が佐山と約束を結んでいなければ彼女は死んでいた。
――なんにせよ、零崎君とは早めに合流しなくてはな。
とりあえずの方針を定め、佐山は倉庫の外壁に立てかけておいたG-Sp2を手にした。
そのまま藤花に呼びかけるでもなく、ドン、とドアに背を預け、
「さて、交渉を始めようか――まずはそちらの名前をお聞かせ願いたい」
現れた四人の来訪者たちを迎えた。
「――参ったね。まさか零崎君がやられるとは」
何とはなしに夜空など仰ぎながら、佐山・御言が呟く。
淑芳と零崎の戦いの様子は、ムキチを通して伝わっていた。
伝わってくる状況や言葉の端々等からどうやら零崎が優勢で、しかも約束通り殺人を犯さないようにしていることは分かっていた。
だから静観していたのだが――結果として零崎人識は敗北している。
「まあこんな不自然な環境なのだし、何が起こっても不思議は無いがね――死なずにいてくれたのは本当に幸いだった」
ふぅ、と知らぬ内に肺腑を限界まで膨張させていた呼気を吐き出す。
零崎が行動不能になった場合の取り決めをエルメスとしていたのは、不幸中の幸いだろう。
喋る二輪が草の獣を通して語った情報はふたつ。彼らの居場所と、そして相手の容姿。
まず、零崎は何かで拘束されて井戸に放り込まれた。
(死体をわざわざ縛るようなことはしないだろう。ならば、おそらく零崎君は生きている。
……相手がネクロフィリアでもない限りは、だが)
それでも生きている可能性は高いだろうし、どちらにしても確認はしなくてはならない。
そしてエルメスと草の獣は遊園地らしき場所に置き去りにされている。地図上でいうならばF-1の辺りか。
こちらは草の獣がいる限り場所を把握できるが、零崎の方はそうもいかない。
まあ、井戸の中ならば殺人鬼に襲われる可能性も低いだろうが――
(しかし奇妙だ。零崎君の要求を断り、なおかつ彼に勝利した上で殺しはしない。
ふむ。どうにも行動の原理が見えてこない)
相手は簡単に殺せる筈の零崎を殺さなかった。つまり優勝目的ではない。
ならば脱出目的か。だが仲間になる選択肢は放棄し、仮に単独での脱出が目的なら殺人は厭わないはず。
(あるいは狂人という線もあるな。冷静に見えたが――外面だけということか?)
そして、またあるいは――
(私と同じ、か。彼女が"悪役"に徹しているならば、何とかして上手くやりたいところだが)
悪役をこなすにしても、彼女のやり方では遠からずその身を滅ぼすだろう。
現に今回だって、零崎人識が佐山と約束を結んでいなければ彼女は死んでいた。
――なんにせよ、零崎君とは早めに合流しなくてはな。
とりあえずの方針を定め、佐山は倉庫の外壁に立てかけておいたG-Sp2を手にした。
そのまま藤花に呼びかけるでもなく、ドン、とドアに背を預け、
「さて、交渉を始めようか――まずはそちらの名前をお聞かせ願いたい」
現れた四人の来訪者たちを迎えた。
◇◇◇
「不躾な輩じゃな。名を尋ねるのならば、まずはそちらから名乗るべきではないか?」
「これは失礼した。ただこういう使い古されたやりとりも時にはしてみたかったものでね。
では改めて、私の名は佐山・御言。このゲームを忌み、終わらせようとする者だ」
月光の下、佐山と美姫は対峙していた。
アシュラムは美姫の斜め後ろ――二人の間に飛び込める位置で青龍偃月刀を構えている。
宗介と千鳥はさらにその後方。宗介が千鳥を庇い、アシュラムの背に隠れるようにして状況の推移を見守っていた。
今のところ、名乗りあった二人の態度に剣呑なものは見えない。
だが美姫の後ろに控える三人は、この吸血鬼の気まぐれさを知っていた。
瞬きを一回する間に目の前の佐山と名乗った優男の首が飛ぶかもしれない。
そんな警戒を他所に、美姫は恭しく頭を下げる佐山を値踏みするように眺めていた。
「礼儀は、それなりにわきまえておるようじゃの」
「無論だ。礼儀正しさは私の存在証明だよ。『礼儀正しい、故にそれは紳士佐山である』
……む、即興のせいかあまり語呂はよくないね」
「どうやら見込み違いじゃったようじゃ」
呆れたように、美姫。
そして――ふと思いついたかのように、ぽつりと尋ねた。
「おまえ、もしや親類に宮野というものがおらんか?」
「ん? 何かね、そんなに私に似ている者がいたのかね?
私ほどの紳士振りを発揮できる者など存在し得ないとは思うが、まあ世界は広いしね。
ああ、ちなみに私の親戚に宮野は居ないが、その方も参加者の――」
問いかける途中で、思い出す。
宮野。それは確か、教会の吸血鬼と、その騎士によって殺された――
「そうじゃ。会ってすぐに殺したが、な」
そしてその記憶を、目の前の怪物の言葉が裏付けた。
佐山が知っている中でも最悪の部類に属する殺人者。それが、目の前に居る。
「その表情からして、もう私のことは知っているようじゃな?」
「さほど詳しい訳ではないよ。貴女の名前は知らないことだしね。そちらはアシュラム氏でいいのかな?
後ろの二人は――どういった経緯でそこに居るのかは分からないが、相良宗介君と千鳥かなめ君かね?」
それでもあくまで平静を装って、佐山は吸血鬼の背後に佇んでいる者達に問いかけた。
騎士と少年少女は黙って小さく頷く――いや、アシュラムだけは小さく顎を動かした後、暫くぶりに口を開いた。
「……お前は、ミヤノの知り合いか」
「間接的ではあるが。彼と一時期行動を共にしていた者達に会ったし、その内の一人は我々と行動を共にしているよ」
その内の一人、というのは支給品扱いの兵長の事であったが、説明するとややこしくなりそうなので省く事にした。
幸い、アシュラムはそれを追求することはなかった。ただ、懺悔する様に頭を垂れる。
「ならば謝罪したい。ミヤノを実際に手に掛けたのはこの俺だ」
紡がれる贖いの言葉。佐山は片眉を跳ね上げてほう、と洩らした。
「貴方が彼を殺害した時の様子は聞き及んでいる。改心した、と受け取っていいのだろうか?」
「命を奪っておいて、都合が良すぎるとは理解している。だが――」
それで十分だというように手でそれ以上の言葉を制し、佐山が頷く。
「殊勝な心がけは評価しよう。だが貴方が謝罪するべきは私ではない。
言葉は取っておきたまえ。望むのなら、その言葉を使う場は私が設けよう」
「……感謝する」
言いたい事はそれだけだったのだろう。伏し目がちのまま、再びアシュラムは沈黙した。
「さてお待たせしたね、女史。良ければ貴女のお名前と、貴女自身が抱いている宮野氏の死についての考えをお聞かせ願えるかな?」
「私を待たせておいて、挙句さらに質問か。ま、構わぬが。
私を呼ぶのならば、唯、姫とでも呼ぶがよかろう。我が名にさほど意味はない。それと、奴の死についてだったか」
それこそ、その吸血鬼は今日の献立を決める程度の気軽さで、
「まあ、余興程度にはなった。その程度の感慨しか持ってはおらん。
ああ、ちなみにアシュラムが手を下したのは事実だが、その時は私が術を掛けて従わせていた。
故に、謝罪すべきは私じゃな。もっとも、それをする気は微塵もないが」
「……なるほど」
聞き及んでいた通りの人物だ、と胸中で言葉を継ぎ足す。
確かに危険人物だった。この島で出会った人物の中でもっとも注意を払うべき存在だ。
事態を好きなように混乱させ、そしてその混沌の中を直進できる強さと自信を持っている。
(自らを姫と呼称するような痛い性格でもあるようだしね)
先のアシュラムを庇う様な発言も、まさかそれが本心ではあるまい。
全ての元凶であることを認めた上で、『それがどうした?』と言っているのだ。
あるいは、零崎の時よりも彼女の説得は難しい――だが不可能ではないだろう。
自分は佐山・御言なのだから。
「単刀直入に言おう。その考えを悉く改める気はないだろうか?」
「ほう? これは大きく出たものよな」
どこか愉快そうに、美姫が呟く。
玩具を見つけた幼児のような笑みを浮かべながら。
「では聞くが、私がそれをせねばならぬ理由は?」
「究極的にいってしまえば、私がそうして欲しいからだね」
堂々と、佐山はそんな事を言ってのけた。
交渉とは要求と要求の擦り合わせだ。つまりお互いが納得できる妥協点を探しあう事である。
我が方の理由は正当である、という主張は負い目を覚えるような相手ならば有効だが、目の前の美女はその類ではないだろう。
この吸血鬼はどこまでも奔放。世界にも派閥にも縛られていない。ならば理由付けなど不要だ。
「即答か」
「ああ即答だ。私は私の目的を果たすために交渉し進撃する。
先ほども述べたが私の目的はこの無意味な殺戮を強要する舞台を打ち壊す事だ。
女史としても、こんな馬鹿げた行いに無理やり付き合わされるのは好ましくないのでは?」
「無論、あのような輩の言いなりになる私ではない」
首肯する美姫。だが、すぐに冷たい視線を佐山に送った。
「だがそれに関しては貴様も同じ事。貴様の目的に私が付き合う道理はどこにあるのかえ?
自由に喰らい、自由に壊し、自由に救い、自由に愛す。それが私じゃ。
私を曲げる理由は見当たらんな」
「少なくとも、我々はこの悪趣味な脚本に付き合う気がない、という一点で共通している」
その視線を飄々と受け流しながら、佐山。
「ならば、その部分では協力し合えると思うのだが?」
「協力――協力と言ったか?」
艶然とした笑みを浮かべながら、美姫が繰り返す。
そして、ゆったりとした動作で右腕を前に突き出し、空を撫でる様に僅かに動かした。
少なくとも、そうとしか見えなかった。
だがそれだけにしては反応があまりにも激烈すぎた。
まるで対戦車地雷でも炸裂したかのように一瞬で地面が破裂、轟音と共に土を巻き上げる。
だがそれでいて土塊がぼとぼとと落ちてくるということはなかった。
熱量でも発生したのか、あるいは砕いたのか。とにかく土は全て細かな砂へと変じ、宙に漂っている。
それが同時に三箇所、佐山の立っている場所からほんの数十センチしか離れていない場所で起きた現象だった。
「もちろん、今ので貴様を狙う事も出来た」
美姫は右腕を下ろしながら、あからさまに殺気を込めた言葉を突き立てる。
「実力の差は理解できたか? 惰弱な人間風情が、よりにもよって私と“協力”?
何様のつもりか。私の足下に跪き、床に九度頭を擦り付けながら庇護を求めるのが筋であろうが。
言葉を撤回せよ。さもなくば、この一帯ごと芥にしてくれようぞ」
美姫の豹変に、宗介とかなめが息を呑む。
この吸血鬼が本気で力を振るった所を、彼らは未だ見てはいない。
理解していたつもりだったが、それでも現実に起きた事はあまりにも常識はずれ。
この怪物は、あまりにも絶対的である――そう思わざるを得ないような光景だった。
――そんな中で、
「……砂を巻き上げるのなら、先に警告して欲しかったね」
コホコホと咽ながら、佐山はパタパタと手を振って砂を散らす努力をしていた。
緊張感など微塵も存在しない、かなり情けない姿だった。
何とはなしに、かなめは半眼になりながら――愛用のハリセンが手元に無い事を悔やみつつ――呟いた。
「あのー、そのパタパタってあんまり効果ないと思いますけど……砂を撹拌してるだけだし」
「むう、一理ある。だがまあ、形式美という奴だよこれは。ところで君はマスクなど所持していないかね?」
「すいません、無いです」
「そうか……いやいや悔やむ事など無い。佐山・御言の役に立てぬからといってそう悲観的になるのはよくない事だよ。
それに視覚を阻むことなく顔面に装着でき、尚且つ通気性が確保できるほど薄い布地の存在を君が忘れているだけという可能性もある」
「……重ねてすいませんが、何の事だか」
「ふむ、君はノーパン派かね?」
「千鳥、落ち着け。千鳥!」
凶悪な釘バットをゆらり、と振り上げるかなめを必死に静止する宗介。
そんな微笑ましい(と、佐山は断じた)光景を放置し、再び美姫に向き直る。
「武力を前提とした交渉は確かに有効だ。実際、女史の力には恐れ入った。
だが私はそういった存在と交渉を重ねる身でね。一々こんなものに気圧されていたら勤まらない。
それに、本人にやる気が無いと分かっていればそれは全くの無意味というものだよ」
「――なるほど、の」
美姫はあっさりと殺気を霧散させると、改めて値踏みするように目の前の男を見つめた。
「どうして私が本気ではないと?」
「理由は幾つかあるが、総合的に半分以上は勘かな。
とりあえず一つ目としては、貴女が他者の同行を許している点だ」
アシュラム。宗介。かなめ。
三人の同行者。それを順繰りに佐山は見つめた。
「先ほどの攻撃、正直なにをされたのかさっぱり分からなかった。それなりに非常識な経験はあるつもりなのだがね。
つまり女史の力は私の見識を超えるものなのだろう。それほどの力を持っているのなら、どうも平和主義者というわけでもないようだし、気に入らないものを皆殺しにできるだろう。
だが私の聞き及ぶ限りにおいては、貴女はそちらの相良君に非効率な試験を課し、今は亡き宮野氏を試すようにアシュラム氏をけしかけた。
これらの事実から、女史が殺戮以外の何かに執着しているということが推察できる」
「まさに推察でしかないな」
美姫は鼻で笑った。
「なんとも不確実な賭けにでたものじゃ。私を計るなどと、分不相応な」
「なに、人材の見極めも悪役の適正のひとつさ。細々しているものを含めれば理由は他にもあったしね。
ああ、それとついでだ。私の方からも協力に値する所を示すとしようか」
呟きと同時、佐山の姿がその場から消えた。
目にも留まらぬ速さで動いた、のではない――気配も反作用もなく、ただ突然にして美姫の知覚から掻き消えたのだ。
美姫の目が細められる。それはちょうど近眼の人間が細かな文字を見ようとする仕草にも似ていた。
「まあ即興だがね。多少見苦しい所はあったかもしれないが」
唐突に声。消えた地点から一歩も動かずに、佐山は芝居がかった動作でお辞儀などしてみせている。
先ほどまでと変わっていることはひとつだけだった。佐山が持っていた白い槍が、思いっきり地面に突き立てられている。
美姫の目にその瞬間を見せることなく、だ。
「最初に私がそちらに対し全くもって敵意が無いということを理解して貰ったうえで、先ほどの言葉を返そう。
“もちろん、今ので貴様を狙う事も出来た”」
佐山が発したその言葉を受け取り、美姫はしばらく黙考するように口を閉ざした。
反対に、宗介とかなめはボソボソとなにやら会話している。
(ねえ、今、なんか普通に槍を地面に突き刺しただけよね……?)
(ああ、そのようにしか見えなかったが)
(なんか物凄いシュールな絵面なんだけど、この状態)
ちなみに先ほどの歩法は美姫のみを対象にしていたので、かなめ達の目にはそういう風にしか映っていない。
沈黙を破ったのは美姫だった。何かを決めたようにひとつ頷き、佐山に向かい問いかける。
「そういうことか?」
「どういうことかは分からないが、貴女の聡明さに期待しよう。そういうことだ」
「姿が見え辛くなる程度の子供騙しの手品とはいえ、その種までは見破れなんだ。
私が知らぬ術がある、井の中の蛙であるとお前は言いたいのであろ? そこに協力する利があると」
佐山の戯言に付き合う気は無いらしく、美姫は淡々と考察だけ口にする。
めげずに、世界の中心。
「女史ならば蛙というよりは竜だろうがね。その通りだ。
殺し合いに乗っておらず、その上で本当に協力が必要ないと言えるのはこの島から脱出した者だけだよ。
なるほど、貴女の力は確かに凄まじいものだ。だが万能ではない。まだ脱出を果たしていないのだから。
協力し合えばそれを果たせる、あるいは果たし易くなるというのは明白だろう」
「例えば、これか?」
美姫が刻印の刻まれた腕を示す。
「手慰みに調べてみたが、解析できたのは凡そ9割、といったところじゃな。
まあ確かに残りの解析くらいなら貴様らにもできるか」
「なんとも頼もしい言葉だろうか。それで、どうだろう。協力して貰えるだろうか」
「構わん」
あっさりと吸血鬼は首を縦に振った。そのあまりの軽さに同行者達の目が見開かれる。
「が、その前にふたつほど尋ねておくことがある」
「何かね?」
「まず一つ目」
美姫が白魚のような指を一本、ぴっ、と佐山の前に立てる。
「先ほども述べたように、私は宮野を殺した張本人じゃ。
お前の連れに宮野の仲間がいるようだが、私が謝罪をする程度で免罪符は下るかの?」
「先ほどアシュラム氏にも言ったとおり、そちらに謝罪の意思があるのなら私が平和的な話し合いの場を用意する。
その後の事までは――すまないが正直断言できないね。無論、和解できるように尽力するが」
「そうか。つまり、お前自身はそれを許す、というのじゃな?」
「……その、つもりだ」
佐山は心臓を撫で付けた。肉越しに触れた臓器に異常は無い筈だが、僅かにちくりとした痛みを感じたのだ。
数十分前に兵長に指摘され、宮下藤花に助言を受け、だが今もなお見つかっていない『解答』。
それを再度指摘するような吸血鬼の言葉は、果たして偶然か?
(いや――なんにしても、まずはこの交渉を取り纏めることだ)
あくまで埃を払っただけ、という仕草を演じ、心臓から手を離す。
「そして、二つ目」
再び美姫の指が蠢く。二本目を立てることはせずに、既に立てていた指が佐山の方に向けられた。
放たれた質問は、奇妙なものだった。
「お前が、佐山なのだな?」
訝しむような表情を浮かべる佐山。その表情の理由は無論、名前を再度問われた事に関して。
だがそのことを気にしている時点で――
既に、彼は術中に捕らわれているのだといえた。
「その通り。何かね、先ほどの自己紹介では不足だったかね? ならばあと七通りの自己紹介方を――」
「要らぬ。それよりも、わたしはお前宛の言伝を頼まれていた」
その発言で、佐山の表情が僅かに動く。
何故か、胸に焦燥感が沸いていた。心臓を再び押さえつける。
彼宛てにわざわざ伝言を残すのは、今まで殆ど情報が無かった自分の仲間達の可能性が高い。
そして、その中でも最も知りたかった人物の名前は――
「……ほう? 誰からかね?」
「名前は、知らぬ」
――その吸血鬼の顔が邪悪に歪んでいて。
「聞く前に、殺してしまったからの」
今度の心臓の痛みは、撫でる程度では治まらなかった。
ナイフで一突きにされたような激痛。歯を食いしばった為、その苦痛はしっかりと顔に出てしまっただろう。
「おや、どこか具合でも悪いのかえ?」
「いや大丈夫……大丈夫だ」
嬲るような笑みを浮かべている吸血鬼に、佐山は自分に言い聞かせるように返した。
――落ち着け、まだそうと決まったわけではない。
「それで……私宛に言伝を頼んだという人物は、どのような外見だったのか教えてもらえないだろうか」
発する言葉を練るのにやけに時間がかかった。
それは単に心臓の痛みのためか、それとも答えを聞きたくなかったからか。
言葉を受けて、美姫はしばらく間を空けた。視線は佐山を固定。だが迷うではなく、どこか焦らすような視線だ。
佐山の頭が最悪の想像で一杯になる頃、ようやく美姫が口を開く。
間は僅か十秒ほどだっただろう。だが佐山にとってはもはや耐えられないほど長い時間。
そして――吸血鬼の発した最悪が彼を直撃した。
「やや小柄で、髪を腰の辺りまで伸ばしていた少女じゃった。
ああ、適度に肉が付いていたので中々美味ではあったの」
無慈悲にも、聞きたくなかった答えが告げられた。
鈴を転がすような音色で笑うのとは対象に、その言葉には底の見えない悪意があった。
そして、もはや認めたくなくとも認めるしかなかった。
彼宛に伝言を遺す、ロングヘアの少女。
この島で、その条件に当てはまるのはおそらく一人しか居ない。
「新、庄くん」
呆然と、意味なく名を呟く。
「ああ、やはりお前の連れであったか。犯す前も喰らう前も、佐山という名をしきりに呟いていたからな。
ちなみに言伝とはそれじゃよ。遺言、いや断末魔といった方が正しかったかもしれんが。
しかし、そうか。それは悪い事をしたの」
吸血鬼の紡ぐ冒涜の言葉が、そのままクリアすぎるほど佐山の脳内で再生された。
吸血鬼に組み敷かれる新庄・運切。すでに四肢は千切れ達磨となり、辺りは一面赤く染まっている。
血が失われすぎたからか、彼女はさして涙を流してはいない。
代わりに血に塗れた彼女の顔が佐山の脳髄を圧迫する。力なく蠢く彼女の口許が眼球を圧倒する。
彼女は最期まで――縋るように彼の名を呼んでいた。
気づかぬ内、佐山は膝を突いていた。
激しく跳ねる心臓が零れぬよう片手で押さえ、もう片方の手で地面に突っ伏すのを防ぐ。
その、どこか跪いているようにも見える姿勢の佐山の頭上から、美姫は言葉を落下させた。
「まあ、済んでしまった事は仕方ない。謝罪しよう。
殺してしまって、ごめんなさい」
誠意など欠片も篭っていない言葉を吐く吸血鬼。
佐山は痛みに体を痙攣させながら顔を上げた。そこにあるのは美姫の笑み。
「さて、これで晴れて我々は仲間というわけじゃ。
さ、今度はお前の仲間を紹介してくれぬかの?」
その時、佐山は自分がどんな表情をしているのか分からなかった。
「不躾な輩じゃな。名を尋ねるのならば、まずはそちらから名乗るべきではないか?」
「これは失礼した。ただこういう使い古されたやりとりも時にはしてみたかったものでね。
では改めて、私の名は佐山・御言。このゲームを忌み、終わらせようとする者だ」
月光の下、佐山と美姫は対峙していた。
アシュラムは美姫の斜め後ろ――二人の間に飛び込める位置で青龍偃月刀を構えている。
宗介と千鳥はさらにその後方。宗介が千鳥を庇い、アシュラムの背に隠れるようにして状況の推移を見守っていた。
今のところ、名乗りあった二人の態度に剣呑なものは見えない。
だが美姫の後ろに控える三人は、この吸血鬼の気まぐれさを知っていた。
瞬きを一回する間に目の前の佐山と名乗った優男の首が飛ぶかもしれない。
そんな警戒を他所に、美姫は恭しく頭を下げる佐山を値踏みするように眺めていた。
「礼儀は、それなりにわきまえておるようじゃの」
「無論だ。礼儀正しさは私の存在証明だよ。『礼儀正しい、故にそれは紳士佐山である』
……む、即興のせいかあまり語呂はよくないね」
「どうやら見込み違いじゃったようじゃ」
呆れたように、美姫。
そして――ふと思いついたかのように、ぽつりと尋ねた。
「おまえ、もしや親類に宮野というものがおらんか?」
「ん? 何かね、そんなに私に似ている者がいたのかね?
私ほどの紳士振りを発揮できる者など存在し得ないとは思うが、まあ世界は広いしね。
ああ、ちなみに私の親戚に宮野は居ないが、その方も参加者の――」
問いかける途中で、思い出す。
宮野。それは確か、教会の吸血鬼と、その騎士によって殺された――
「そうじゃ。会ってすぐに殺したが、な」
そしてその記憶を、目の前の怪物の言葉が裏付けた。
佐山が知っている中でも最悪の部類に属する殺人者。それが、目の前に居る。
「その表情からして、もう私のことは知っているようじゃな?」
「さほど詳しい訳ではないよ。貴女の名前は知らないことだしね。そちらはアシュラム氏でいいのかな?
後ろの二人は――どういった経緯でそこに居るのかは分からないが、相良宗介君と千鳥かなめ君かね?」
それでもあくまで平静を装って、佐山は吸血鬼の背後に佇んでいる者達に問いかけた。
騎士と少年少女は黙って小さく頷く――いや、アシュラムだけは小さく顎を動かした後、暫くぶりに口を開いた。
「……お前は、ミヤノの知り合いか」
「間接的ではあるが。彼と一時期行動を共にしていた者達に会ったし、その内の一人は我々と行動を共にしているよ」
その内の一人、というのは支給品扱いの兵長の事であったが、説明するとややこしくなりそうなので省く事にした。
幸い、アシュラムはそれを追求することはなかった。ただ、懺悔する様に頭を垂れる。
「ならば謝罪したい。ミヤノを実際に手に掛けたのはこの俺だ」
紡がれる贖いの言葉。佐山は片眉を跳ね上げてほう、と洩らした。
「貴方が彼を殺害した時の様子は聞き及んでいる。改心した、と受け取っていいのだろうか?」
「命を奪っておいて、都合が良すぎるとは理解している。だが――」
それで十分だというように手でそれ以上の言葉を制し、佐山が頷く。
「殊勝な心がけは評価しよう。だが貴方が謝罪するべきは私ではない。
言葉は取っておきたまえ。望むのなら、その言葉を使う場は私が設けよう」
「……感謝する」
言いたい事はそれだけだったのだろう。伏し目がちのまま、再びアシュラムは沈黙した。
「さてお待たせしたね、女史。良ければ貴女のお名前と、貴女自身が抱いている宮野氏の死についての考えをお聞かせ願えるかな?」
「私を待たせておいて、挙句さらに質問か。ま、構わぬが。
私を呼ぶのならば、唯、姫とでも呼ぶがよかろう。我が名にさほど意味はない。それと、奴の死についてだったか」
それこそ、その吸血鬼は今日の献立を決める程度の気軽さで、
「まあ、余興程度にはなった。その程度の感慨しか持ってはおらん。
ああ、ちなみにアシュラムが手を下したのは事実だが、その時は私が術を掛けて従わせていた。
故に、謝罪すべきは私じゃな。もっとも、それをする気は微塵もないが」
「……なるほど」
聞き及んでいた通りの人物だ、と胸中で言葉を継ぎ足す。
確かに危険人物だった。この島で出会った人物の中でもっとも注意を払うべき存在だ。
事態を好きなように混乱させ、そしてその混沌の中を直進できる強さと自信を持っている。
(自らを姫と呼称するような痛い性格でもあるようだしね)
先のアシュラムを庇う様な発言も、まさかそれが本心ではあるまい。
全ての元凶であることを認めた上で、『それがどうした?』と言っているのだ。
あるいは、零崎の時よりも彼女の説得は難しい――だが不可能ではないだろう。
自分は佐山・御言なのだから。
「単刀直入に言おう。その考えを悉く改める気はないだろうか?」
「ほう? これは大きく出たものよな」
どこか愉快そうに、美姫が呟く。
玩具を見つけた幼児のような笑みを浮かべながら。
「では聞くが、私がそれをせねばならぬ理由は?」
「究極的にいってしまえば、私がそうして欲しいからだね」
堂々と、佐山はそんな事を言ってのけた。
交渉とは要求と要求の擦り合わせだ。つまりお互いが納得できる妥協点を探しあう事である。
我が方の理由は正当である、という主張は負い目を覚えるような相手ならば有効だが、目の前の美女はその類ではないだろう。
この吸血鬼はどこまでも奔放。世界にも派閥にも縛られていない。ならば理由付けなど不要だ。
「即答か」
「ああ即答だ。私は私の目的を果たすために交渉し進撃する。
先ほども述べたが私の目的はこの無意味な殺戮を強要する舞台を打ち壊す事だ。
女史としても、こんな馬鹿げた行いに無理やり付き合わされるのは好ましくないのでは?」
「無論、あのような輩の言いなりになる私ではない」
首肯する美姫。だが、すぐに冷たい視線を佐山に送った。
「だがそれに関しては貴様も同じ事。貴様の目的に私が付き合う道理はどこにあるのかえ?
自由に喰らい、自由に壊し、自由に救い、自由に愛す。それが私じゃ。
私を曲げる理由は見当たらんな」
「少なくとも、我々はこの悪趣味な脚本に付き合う気がない、という一点で共通している」
その視線を飄々と受け流しながら、佐山。
「ならば、その部分では協力し合えると思うのだが?」
「協力――協力と言ったか?」
艶然とした笑みを浮かべながら、美姫が繰り返す。
そして、ゆったりとした動作で右腕を前に突き出し、空を撫でる様に僅かに動かした。
少なくとも、そうとしか見えなかった。
だがそれだけにしては反応があまりにも激烈すぎた。
まるで対戦車地雷でも炸裂したかのように一瞬で地面が破裂、轟音と共に土を巻き上げる。
だがそれでいて土塊がぼとぼとと落ちてくるということはなかった。
熱量でも発生したのか、あるいは砕いたのか。とにかく土は全て細かな砂へと変じ、宙に漂っている。
それが同時に三箇所、佐山の立っている場所からほんの数十センチしか離れていない場所で起きた現象だった。
「もちろん、今ので貴様を狙う事も出来た」
美姫は右腕を下ろしながら、あからさまに殺気を込めた言葉を突き立てる。
「実力の差は理解できたか? 惰弱な人間風情が、よりにもよって私と“協力”?
何様のつもりか。私の足下に跪き、床に九度頭を擦り付けながら庇護を求めるのが筋であろうが。
言葉を撤回せよ。さもなくば、この一帯ごと芥にしてくれようぞ」
美姫の豹変に、宗介とかなめが息を呑む。
この吸血鬼が本気で力を振るった所を、彼らは未だ見てはいない。
理解していたつもりだったが、それでも現実に起きた事はあまりにも常識はずれ。
この怪物は、あまりにも絶対的である――そう思わざるを得ないような光景だった。
――そんな中で、
「……砂を巻き上げるのなら、先に警告して欲しかったね」
コホコホと咽ながら、佐山はパタパタと手を振って砂を散らす努力をしていた。
緊張感など微塵も存在しない、かなり情けない姿だった。
何とはなしに、かなめは半眼になりながら――愛用のハリセンが手元に無い事を悔やみつつ――呟いた。
「あのー、そのパタパタってあんまり効果ないと思いますけど……砂を撹拌してるだけだし」
「むう、一理ある。だがまあ、形式美という奴だよこれは。ところで君はマスクなど所持していないかね?」
「すいません、無いです」
「そうか……いやいや悔やむ事など無い。佐山・御言の役に立てぬからといってそう悲観的になるのはよくない事だよ。
それに視覚を阻むことなく顔面に装着でき、尚且つ通気性が確保できるほど薄い布地の存在を君が忘れているだけという可能性もある」
「……重ねてすいませんが、何の事だか」
「ふむ、君はノーパン派かね?」
「千鳥、落ち着け。千鳥!」
凶悪な釘バットをゆらり、と振り上げるかなめを必死に静止する宗介。
そんな微笑ましい(と、佐山は断じた)光景を放置し、再び美姫に向き直る。
「武力を前提とした交渉は確かに有効だ。実際、女史の力には恐れ入った。
だが私はそういった存在と交渉を重ねる身でね。一々こんなものに気圧されていたら勤まらない。
それに、本人にやる気が無いと分かっていればそれは全くの無意味というものだよ」
「――なるほど、の」
美姫はあっさりと殺気を霧散させると、改めて値踏みするように目の前の男を見つめた。
「どうして私が本気ではないと?」
「理由は幾つかあるが、総合的に半分以上は勘かな。
とりあえず一つ目としては、貴女が他者の同行を許している点だ」
アシュラム。宗介。かなめ。
三人の同行者。それを順繰りに佐山は見つめた。
「先ほどの攻撃、正直なにをされたのかさっぱり分からなかった。それなりに非常識な経験はあるつもりなのだがね。
つまり女史の力は私の見識を超えるものなのだろう。それほどの力を持っているのなら、どうも平和主義者というわけでもないようだし、気に入らないものを皆殺しにできるだろう。
だが私の聞き及ぶ限りにおいては、貴女はそちらの相良君に非効率な試験を課し、今は亡き宮野氏を試すようにアシュラム氏をけしかけた。
これらの事実から、女史が殺戮以外の何かに執着しているということが推察できる」
「まさに推察でしかないな」
美姫は鼻で笑った。
「なんとも不確実な賭けにでたものじゃ。私を計るなどと、分不相応な」
「なに、人材の見極めも悪役の適正のひとつさ。細々しているものを含めれば理由は他にもあったしね。
ああ、それとついでだ。私の方からも協力に値する所を示すとしようか」
呟きと同時、佐山の姿がその場から消えた。
目にも留まらぬ速さで動いた、のではない――気配も反作用もなく、ただ突然にして美姫の知覚から掻き消えたのだ。
美姫の目が細められる。それはちょうど近眼の人間が細かな文字を見ようとする仕草にも似ていた。
「まあ即興だがね。多少見苦しい所はあったかもしれないが」
唐突に声。消えた地点から一歩も動かずに、佐山は芝居がかった動作でお辞儀などしてみせている。
先ほどまでと変わっていることはひとつだけだった。佐山が持っていた白い槍が、思いっきり地面に突き立てられている。
美姫の目にその瞬間を見せることなく、だ。
「最初に私がそちらに対し全くもって敵意が無いということを理解して貰ったうえで、先ほどの言葉を返そう。
“もちろん、今ので貴様を狙う事も出来た”」
佐山が発したその言葉を受け取り、美姫はしばらく黙考するように口を閉ざした。
反対に、宗介とかなめはボソボソとなにやら会話している。
(ねえ、今、なんか普通に槍を地面に突き刺しただけよね……?)
(ああ、そのようにしか見えなかったが)
(なんか物凄いシュールな絵面なんだけど、この状態)
ちなみに先ほどの歩法は美姫のみを対象にしていたので、かなめ達の目にはそういう風にしか映っていない。
沈黙を破ったのは美姫だった。何かを決めたようにひとつ頷き、佐山に向かい問いかける。
「そういうことか?」
「どういうことかは分からないが、貴女の聡明さに期待しよう。そういうことだ」
「姿が見え辛くなる程度の子供騙しの手品とはいえ、その種までは見破れなんだ。
私が知らぬ術がある、井の中の蛙であるとお前は言いたいのであろ? そこに協力する利があると」
佐山の戯言に付き合う気は無いらしく、美姫は淡々と考察だけ口にする。
めげずに、世界の中心。
「女史ならば蛙というよりは竜だろうがね。その通りだ。
殺し合いに乗っておらず、その上で本当に協力が必要ないと言えるのはこの島から脱出した者だけだよ。
なるほど、貴女の力は確かに凄まじいものだ。だが万能ではない。まだ脱出を果たしていないのだから。
協力し合えばそれを果たせる、あるいは果たし易くなるというのは明白だろう」
「例えば、これか?」
美姫が刻印の刻まれた腕を示す。
「手慰みに調べてみたが、解析できたのは凡そ9割、といったところじゃな。
まあ確かに残りの解析くらいなら貴様らにもできるか」
「なんとも頼もしい言葉だろうか。それで、どうだろう。協力して貰えるだろうか」
「構わん」
あっさりと吸血鬼は首を縦に振った。そのあまりの軽さに同行者達の目が見開かれる。
「が、その前にふたつほど尋ねておくことがある」
「何かね?」
「まず一つ目」
美姫が白魚のような指を一本、ぴっ、と佐山の前に立てる。
「先ほども述べたように、私は宮野を殺した張本人じゃ。
お前の連れに宮野の仲間がいるようだが、私が謝罪をする程度で免罪符は下るかの?」
「先ほどアシュラム氏にも言ったとおり、そちらに謝罪の意思があるのなら私が平和的な話し合いの場を用意する。
その後の事までは――すまないが正直断言できないね。無論、和解できるように尽力するが」
「そうか。つまり、お前自身はそれを許す、というのじゃな?」
「……その、つもりだ」
佐山は心臓を撫で付けた。肉越しに触れた臓器に異常は無い筈だが、僅かにちくりとした痛みを感じたのだ。
数十分前に兵長に指摘され、宮下藤花に助言を受け、だが今もなお見つかっていない『解答』。
それを再度指摘するような吸血鬼の言葉は、果たして偶然か?
(いや――なんにしても、まずはこの交渉を取り纏めることだ)
あくまで埃を払っただけ、という仕草を演じ、心臓から手を離す。
「そして、二つ目」
再び美姫の指が蠢く。二本目を立てることはせずに、既に立てていた指が佐山の方に向けられた。
放たれた質問は、奇妙なものだった。
「お前が、佐山なのだな?」
訝しむような表情を浮かべる佐山。その表情の理由は無論、名前を再度問われた事に関して。
だがそのことを気にしている時点で――
既に、彼は術中に捕らわれているのだといえた。
「その通り。何かね、先ほどの自己紹介では不足だったかね? ならばあと七通りの自己紹介方を――」
「要らぬ。それよりも、わたしはお前宛の言伝を頼まれていた」
その発言で、佐山の表情が僅かに動く。
何故か、胸に焦燥感が沸いていた。心臓を再び押さえつける。
彼宛てにわざわざ伝言を残すのは、今まで殆ど情報が無かった自分の仲間達の可能性が高い。
そして、その中でも最も知りたかった人物の名前は――
「……ほう? 誰からかね?」
「名前は、知らぬ」
――その吸血鬼の顔が邪悪に歪んでいて。
「聞く前に、殺してしまったからの」
今度の心臓の痛みは、撫でる程度では治まらなかった。
ナイフで一突きにされたような激痛。歯を食いしばった為、その苦痛はしっかりと顔に出てしまっただろう。
「おや、どこか具合でも悪いのかえ?」
「いや大丈夫……大丈夫だ」
嬲るような笑みを浮かべている吸血鬼に、佐山は自分に言い聞かせるように返した。
――落ち着け、まだそうと決まったわけではない。
「それで……私宛に言伝を頼んだという人物は、どのような外見だったのか教えてもらえないだろうか」
発する言葉を練るのにやけに時間がかかった。
それは単に心臓の痛みのためか、それとも答えを聞きたくなかったからか。
言葉を受けて、美姫はしばらく間を空けた。視線は佐山を固定。だが迷うではなく、どこか焦らすような視線だ。
佐山の頭が最悪の想像で一杯になる頃、ようやく美姫が口を開く。
間は僅か十秒ほどだっただろう。だが佐山にとってはもはや耐えられないほど長い時間。
そして――吸血鬼の発した最悪が彼を直撃した。
「やや小柄で、髪を腰の辺りまで伸ばしていた少女じゃった。
ああ、適度に肉が付いていたので中々美味ではあったの」
無慈悲にも、聞きたくなかった答えが告げられた。
鈴を転がすような音色で笑うのとは対象に、その言葉には底の見えない悪意があった。
そして、もはや認めたくなくとも認めるしかなかった。
彼宛に伝言を遺す、ロングヘアの少女。
この島で、その条件に当てはまるのはおそらく一人しか居ない。
「新、庄くん」
呆然と、意味なく名を呟く。
「ああ、やはりお前の連れであったか。犯す前も喰らう前も、佐山という名をしきりに呟いていたからな。
ちなみに言伝とはそれじゃよ。遺言、いや断末魔といった方が正しかったかもしれんが。
しかし、そうか。それは悪い事をしたの」
吸血鬼の紡ぐ冒涜の言葉が、そのままクリアすぎるほど佐山の脳内で再生された。
吸血鬼に組み敷かれる新庄・運切。すでに四肢は千切れ達磨となり、辺りは一面赤く染まっている。
血が失われすぎたからか、彼女はさして涙を流してはいない。
代わりに血に塗れた彼女の顔が佐山の脳髄を圧迫する。力なく蠢く彼女の口許が眼球を圧倒する。
彼女は最期まで――縋るように彼の名を呼んでいた。
気づかぬ内、佐山は膝を突いていた。
激しく跳ねる心臓が零れぬよう片手で押さえ、もう片方の手で地面に突っ伏すのを防ぐ。
その、どこか跪いているようにも見える姿勢の佐山の頭上から、美姫は言葉を落下させた。
「まあ、済んでしまった事は仕方ない。謝罪しよう。
殺してしまって、ごめんなさい」
誠意など欠片も篭っていない言葉を吐く吸血鬼。
佐山は痛みに体を痙攣させながら顔を上げた。そこにあるのは美姫の笑み。
「さて、これで晴れて我々は仲間というわけじゃ。
さ、今度はお前の仲間を紹介してくれぬかの?」
その時、佐山は自分がどんな表情をしているのか分からなかった。
◇◇◇
状況はどうなっているのだろうか。
薄暗い倉庫の中、兵長は黙りこくっていた。
スピーカーから垂れ流されている名前の知らないピアノサックス曲がBGMの役割を果たしていたが、
その曲はあまりに長く、既に耳に馴染み過ぎていた。ならば静寂と大差はない。
こうしていると旅をしていた時のことを思い出す。
脳裏に浮かぶ光景は電車の中。車窓を背にし、自分は備え付けの小机の上でゲリラ局の音楽を受信していた。
そしてその傍には、黒髪の少女が――
ため息を吐く。もっとも、それはスピーカーを介し小さなノイズに化けただけだったが。
キーリはもういない。
死には慣れていた筈だった。戦争中はそれこそ兵士という職であったし、なにより自分自身が死んでいる。
だが――それも、何年も何十年も昔のことだったということだ。
すっかり忘れていた。ぽっかりと空き、そして痛みを発する胸中の空間。その感覚を忘れていた。
埋める為の手段も思い出せない。ただ、キーリを殺した奴は許せなかった。
頭に血が上り易い性質だとは自覚している。そいつが目の前に現れれば、自分は躊躇いなく復讐を果たそうとするだろう。
佐山・御言。その時になったら、あいつはどう反応するだろうか。
これまで自分の暴走は未然に防がれていた。だが仇を前にして電源を落とされるようなへまをするつもりはない。
(……知るか。勝手にやるさ)
再度ノイズを吐き出し、その思考を打ち止める。
考えることを止めれば自然と周囲に注意が移った。
目の前には宮下藤花とかいう少女がダンボールを座布団代わりにして座っている。
小屋に入って休息をし始めてから三十分ほどだろうか?
畳まれていたダンボールを組み直して作った台の上に乗せてもらった時に礼を言って以来、彼女との間に会話はない。
兵長はキーリのことで頭が一杯だったし、藤花は先ほどの兵長と佐山の遣り取りを見ていたから気まずいのだろう。
彼女は目線を伏せたままコンクリートの床を見つめていた。
肩まで伸ばした黒髪が垂れて表情の大部分を隠しているその様子から、何とはなしに目を逸らす。
そうしてしまえば、あとは特にすることもなかった。
意識しなければどうということもないが、一端気づいてしまうと空白という奴はどうにも苦痛である。
居心地悪く、視線が落ち着かない。
「――歌っているんですか?」
『……あ?』
しばらくして、空白を破ったのは少女だった。
唐突な質問に思わず短い疑問符で返事をしてしまう。さぞ柄が悪く聞こえてしまっただろう。
弁解するか、相手の言葉の意味を吟味するか。悩んでいるうちに少女が言葉を接ぐ。
「いや、あの……そういう風に聞こえたんですけど」
ごにょごにょと尻すぼみになって行く少女。
『あ、ああ、その、いや、いいんだ』
はた、と経過してその事実が過去になった瞬間、自ら愕然とする。
再び口を噤もうとした少女の姿を見て、自分は反射的に言葉を紡いでいた。
その理由は知っていた。だが理解したくはなかった。
(ああ、くそ――もうどうとでもなれ)
混沌とした胸中に整理をつけず、継ぐように言葉を紡いだ。
『しかし、歌か。俺、歌ってたか? 流れてる曲じゃなくて?』
「多分……あ、でも本人が疑問系なら歌ってないですよね。すいません」
『いや、分からんさ。長年ラジオなんかやってるとな、たまにそういうこともある』
「そうなんですか?」
『そうさ。嬢ちゃんもラジオになればきっと分かるぞ』
「笑えないですよ、それ」
そう言いながらも、藤花の口元には軽口に対する可笑しそうな笑みが浮かんでいた。
兵長も釣られて笑う。共有した笑みは自然と会話を引き出した。
『嬢ちゃんは音楽、好きか? 糞ッ垂れた教会のじゃなくて――ああ、そういや住んでた世界が違うんだっけか』
「そうですね。それだけ聞くとちょっと変な意味に聞こえますけど」
『違えねえや。異世界やらなにやら、実際にこういう状況にでもならなけりゃ頭のイカレタ戯言だわな』
「ああ、うん、確かにそういう意味にも取れますね――でもちょっと私の意図した意味とは違うかも」
『? どういうこった』
兵長が尋ね返すと、藤花は人差し指を唇に当てながら考え込むように少しだけ宙を仰いだ。
「なんていうか、ほら、よくいうじゃないですか。
さっき言ってた音楽とか、そういう専門的な分野で活躍している人とは住んでる世界が違うんだー、とかって」
『ああ、そういう意味か』
得心がいった、という風に兵長。
だがひとつ気になった事があった。尋ねる。
『違ってたら悪ぃんだが、もしかしてそいつは嬢ちゃん自身の意見か?』
図星だったらしい。藤花は大げさに目を見開き、兵長を良く当たる占い師でも見るかのような目で見つめた。
「……分かるんですか?」
『まあ、似たような奴が身近に居てな』
「女の子?」
『いんや。嬢ちゃんとは違って、手のかかる面倒くさくてどうしようもない餓鬼みたいな奴さ』
ふうん、と藤花は相槌を打ちながら何とはなしに喋るラジオを手に取った。
拒絶されない事を確かめると、そのままスピーカーが外を向くように抱え込む。
「私が付き合ってる人なんです。デザイン系のところでバイトをしていて、将来はそっちに進むらしくて。
それで……ちょっと、最近ぎすぎすしちゃってたんです。でも――」
何かを言おうとしたのだろう。藤花は口を開き、舌に言葉を乗せ――だが結局外には出さずに飲み込んだ。
『……』
腕から伝わる体の震えから、兵長はそれがどんな種類の言葉だったのか推察することができた。
兵長も似た気持ちを経験した事がある。戦場へ赴く時の家族との別れだ。
それは誰かに二度と会えなくなるかもしれないという恐怖。軍人であった自分でさえ逃れることはできなかった。
ならば、覚悟もなしにこんな場所に放り込まれたこの子はどれだけ不安なのか――
『……嬢ちゃん、ちぃとチャンネルを変えてもらってもいいか?』
「えっ、あ、はい」
少女の細い指がラジオのツマミに触れる。
この空間には奇妙なことに複数のラジオ用の電波が流れている。目当てのものが流れているように兵長は祈った。
『そう、少しずつ――いや、行き過ぎだ。二メモリ戻してくれ』
微妙な調整が成功する。奇しくもそれはあのゲリラ局の周波数チャンネルと同じだった。
兵長のスピーカーから望んでいた音波が放射される。
ギターとベースとドラム。それらが刻むリズムに乗せて叫ばれる歌詞。
『ロックは好きか?』
「あんまり聞かないかな。兵長さんは好きなんですか?」
『ああ、ロックはいい。生きる事を謳った歌さ』
兵長が何を言おうとしているか悟ったのだろう。その程度にこの少女は聡い。
『自分の足で歩いていこう、自分の道を見つけて進もう――まあ、独りでそれが出来るのは強い奴だけかもしれねえ』
(あの佐山みてえな、な)
言外に、苦く認めた。あの男は強い。無論、それが最良というわけではないが。
『けどな、別にあんたはひとりじゃねえさ。その彼氏さんがいる。
なら別にその彼氏さんもひとりって訳じゃねえだろう。嬢ちゃんがいる。
それにな、この場にだって――』
口を塞いだ。
塞がざるを得なかった。それは口にしてもいい言葉なのか。
自分が力になると言うだけならば簡単だ。
――だが、責任は取れるか?
『――お』
「兵長さんは、優しいな」
遮る様に、藤花が言葉を重ねた。
抱きしめる様にラジオの筐体を腕の中に沈める。
「とても暖かいです」
『……基盤が、か?』
「いいえ、くれた言葉が。兵長さんみたいなお父さんが欲しかった、かな」
音楽は人に変化を与える。
アップテンポのリズムは彼女の沈んだ気持ちを少しだけ支えるのに役立ったのだろう。
そして、少なからず兵長の言葉も。
(偽善、だな)
だが、暖かい肉の中で兵長は皮肉気に自嘲していた。
会話を続けようとしたのも、彼女を励まそうとしたのも、宮下藤花という少女の事を思ってではない。
自分はこの娘にキーリを重ね合わせている。
自らを嘲る様に認めた。共通点は俯き具合と黒髪だけ。それなのに自分は彼女にキーリの役割を求めてしまった。
慰めるための言葉も、音楽も、本当はこの少女ではない別の少女に向けて放たれているのだ。
(ああ、馬鹿みたいだな、俺は――)
「そんなことはないさ。君自身が言ったことだよ」
至近から浴びせられた声に、兵長は驚愕した。
ラジオのチャンネルが切り替わるように、変化は唐突にして一瞬。
宮下藤花の口から紡がれていたにも関わらず、それは決して宮下藤花ではない。
「人は誰しもひとりじゃあない。その中には君自身も含まれているはずだ。
君の言葉は確かに宮下藤花の助けとなっている。なら君も宮下藤花に助けて貰えばいい。
だって君が言ったんだろう、人はひとりじゃあ生きられないっていうのは――」
抱きしめていたラジオをダンボールの上に戻し、そいつは兵長と対面した。
『お前――誰だ』
問いかけに、宮下藤花の顔をした人物は左右非対称の奇妙な笑みを返す。
いつの間にかロックンロールは終わり、部屋の中にはワーグナーが鳴り響いていた。
◇◇◇
薄暗い倉庫の中、兵長は黙りこくっていた。
スピーカーから垂れ流されている名前の知らないピアノサックス曲がBGMの役割を果たしていたが、
その曲はあまりに長く、既に耳に馴染み過ぎていた。ならば静寂と大差はない。
こうしていると旅をしていた時のことを思い出す。
脳裏に浮かぶ光景は電車の中。車窓を背にし、自分は備え付けの小机の上でゲリラ局の音楽を受信していた。
そしてその傍には、黒髪の少女が――
ため息を吐く。もっとも、それはスピーカーを介し小さなノイズに化けただけだったが。
キーリはもういない。
死には慣れていた筈だった。戦争中はそれこそ兵士という職であったし、なにより自分自身が死んでいる。
だが――それも、何年も何十年も昔のことだったということだ。
すっかり忘れていた。ぽっかりと空き、そして痛みを発する胸中の空間。その感覚を忘れていた。
埋める為の手段も思い出せない。ただ、キーリを殺した奴は許せなかった。
頭に血が上り易い性質だとは自覚している。そいつが目の前に現れれば、自分は躊躇いなく復讐を果たそうとするだろう。
佐山・御言。その時になったら、あいつはどう反応するだろうか。
これまで自分の暴走は未然に防がれていた。だが仇を前にして電源を落とされるようなへまをするつもりはない。
(……知るか。勝手にやるさ)
再度ノイズを吐き出し、その思考を打ち止める。
考えることを止めれば自然と周囲に注意が移った。
目の前には宮下藤花とかいう少女がダンボールを座布団代わりにして座っている。
小屋に入って休息をし始めてから三十分ほどだろうか?
畳まれていたダンボールを組み直して作った台の上に乗せてもらった時に礼を言って以来、彼女との間に会話はない。
兵長はキーリのことで頭が一杯だったし、藤花は先ほどの兵長と佐山の遣り取りを見ていたから気まずいのだろう。
彼女は目線を伏せたままコンクリートの床を見つめていた。
肩まで伸ばした黒髪が垂れて表情の大部分を隠しているその様子から、何とはなしに目を逸らす。
そうしてしまえば、あとは特にすることもなかった。
意識しなければどうということもないが、一端気づいてしまうと空白という奴はどうにも苦痛である。
居心地悪く、視線が落ち着かない。
「――歌っているんですか?」
『……あ?』
しばらくして、空白を破ったのは少女だった。
唐突な質問に思わず短い疑問符で返事をしてしまう。さぞ柄が悪く聞こえてしまっただろう。
弁解するか、相手の言葉の意味を吟味するか。悩んでいるうちに少女が言葉を接ぐ。
「いや、あの……そういう風に聞こえたんですけど」
ごにょごにょと尻すぼみになって行く少女。
『あ、ああ、その、いや、いいんだ』
はた、と経過してその事実が過去になった瞬間、自ら愕然とする。
再び口を噤もうとした少女の姿を見て、自分は反射的に言葉を紡いでいた。
その理由は知っていた。だが理解したくはなかった。
(ああ、くそ――もうどうとでもなれ)
混沌とした胸中に整理をつけず、継ぐように言葉を紡いだ。
『しかし、歌か。俺、歌ってたか? 流れてる曲じゃなくて?』
「多分……あ、でも本人が疑問系なら歌ってないですよね。すいません」
『いや、分からんさ。長年ラジオなんかやってるとな、たまにそういうこともある』
「そうなんですか?」
『そうさ。嬢ちゃんもラジオになればきっと分かるぞ』
「笑えないですよ、それ」
そう言いながらも、藤花の口元には軽口に対する可笑しそうな笑みが浮かんでいた。
兵長も釣られて笑う。共有した笑みは自然と会話を引き出した。
『嬢ちゃんは音楽、好きか? 糞ッ垂れた教会のじゃなくて――ああ、そういや住んでた世界が違うんだっけか』
「そうですね。それだけ聞くとちょっと変な意味に聞こえますけど」
『違えねえや。異世界やらなにやら、実際にこういう状況にでもならなけりゃ頭のイカレタ戯言だわな』
「ああ、うん、確かにそういう意味にも取れますね――でもちょっと私の意図した意味とは違うかも」
『? どういうこった』
兵長が尋ね返すと、藤花は人差し指を唇に当てながら考え込むように少しだけ宙を仰いだ。
「なんていうか、ほら、よくいうじゃないですか。
さっき言ってた音楽とか、そういう専門的な分野で活躍している人とは住んでる世界が違うんだー、とかって」
『ああ、そういう意味か』
得心がいった、という風に兵長。
だがひとつ気になった事があった。尋ねる。
『違ってたら悪ぃんだが、もしかしてそいつは嬢ちゃん自身の意見か?』
図星だったらしい。藤花は大げさに目を見開き、兵長を良く当たる占い師でも見るかのような目で見つめた。
「……分かるんですか?」
『まあ、似たような奴が身近に居てな』
「女の子?」
『いんや。嬢ちゃんとは違って、手のかかる面倒くさくてどうしようもない餓鬼みたいな奴さ』
ふうん、と藤花は相槌を打ちながら何とはなしに喋るラジオを手に取った。
拒絶されない事を確かめると、そのままスピーカーが外を向くように抱え込む。
「私が付き合ってる人なんです。デザイン系のところでバイトをしていて、将来はそっちに進むらしくて。
それで……ちょっと、最近ぎすぎすしちゃってたんです。でも――」
何かを言おうとしたのだろう。藤花は口を開き、舌に言葉を乗せ――だが結局外には出さずに飲み込んだ。
『……』
腕から伝わる体の震えから、兵長はそれがどんな種類の言葉だったのか推察することができた。
兵長も似た気持ちを経験した事がある。戦場へ赴く時の家族との別れだ。
それは誰かに二度と会えなくなるかもしれないという恐怖。軍人であった自分でさえ逃れることはできなかった。
ならば、覚悟もなしにこんな場所に放り込まれたこの子はどれだけ不安なのか――
『……嬢ちゃん、ちぃとチャンネルを変えてもらってもいいか?』
「えっ、あ、はい」
少女の細い指がラジオのツマミに触れる。
この空間には奇妙なことに複数のラジオ用の電波が流れている。目当てのものが流れているように兵長は祈った。
『そう、少しずつ――いや、行き過ぎだ。二メモリ戻してくれ』
微妙な調整が成功する。奇しくもそれはあのゲリラ局の周波数チャンネルと同じだった。
兵長のスピーカーから望んでいた音波が放射される。
ギターとベースとドラム。それらが刻むリズムに乗せて叫ばれる歌詞。
『ロックは好きか?』
「あんまり聞かないかな。兵長さんは好きなんですか?」
『ああ、ロックはいい。生きる事を謳った歌さ』
兵長が何を言おうとしているか悟ったのだろう。その程度にこの少女は聡い。
『自分の足で歩いていこう、自分の道を見つけて進もう――まあ、独りでそれが出来るのは強い奴だけかもしれねえ』
(あの佐山みてえな、な)
言外に、苦く認めた。あの男は強い。無論、それが最良というわけではないが。
『けどな、別にあんたはひとりじゃねえさ。その彼氏さんがいる。
なら別にその彼氏さんもひとりって訳じゃねえだろう。嬢ちゃんがいる。
それにな、この場にだって――』
口を塞いだ。
塞がざるを得なかった。それは口にしてもいい言葉なのか。
自分が力になると言うだけならば簡単だ。
――だが、責任は取れるか?
『――お』
「兵長さんは、優しいな」
遮る様に、藤花が言葉を重ねた。
抱きしめる様にラジオの筐体を腕の中に沈める。
「とても暖かいです」
『……基盤が、か?』
「いいえ、くれた言葉が。兵長さんみたいなお父さんが欲しかった、かな」
音楽は人に変化を与える。
アップテンポのリズムは彼女の沈んだ気持ちを少しだけ支えるのに役立ったのだろう。
そして、少なからず兵長の言葉も。
(偽善、だな)
だが、暖かい肉の中で兵長は皮肉気に自嘲していた。
会話を続けようとしたのも、彼女を励まそうとしたのも、宮下藤花という少女の事を思ってではない。
自分はこの娘にキーリを重ね合わせている。
自らを嘲る様に認めた。共通点は俯き具合と黒髪だけ。それなのに自分は彼女にキーリの役割を求めてしまった。
慰めるための言葉も、音楽も、本当はこの少女ではない別の少女に向けて放たれているのだ。
(ああ、馬鹿みたいだな、俺は――)
「そんなことはないさ。君自身が言ったことだよ」
至近から浴びせられた声に、兵長は驚愕した。
ラジオのチャンネルが切り替わるように、変化は唐突にして一瞬。
宮下藤花の口から紡がれていたにも関わらず、それは決して宮下藤花ではない。
「人は誰しもひとりじゃあない。その中には君自身も含まれているはずだ。
君の言葉は確かに宮下藤花の助けとなっている。なら君も宮下藤花に助けて貰えばいい。
だって君が言ったんだろう、人はひとりじゃあ生きられないっていうのは――」
抱きしめていたラジオをダンボールの上に戻し、そいつは兵長と対面した。
『お前――誰だ』
問いかけに、宮下藤花の顔をした人物は左右非対称の奇妙な笑みを返す。
いつの間にかロックンロールは終わり、部屋の中にはワーグナーが鳴り響いていた。
◇◇◇
両手で土を握り締めた。
本当なら裂けてしまいそうな心臓を押さえたかった。だがそんな余裕はない。
それに今の自分が掴めば心臓は逆に潰れてしまうだろう。激痛の中、佐山は静かにそれを認めた。
拳が軋んだ。指の骨が撓った。筋力を全く制御できていない。
だがそれは狭心症がもたらす激痛の為か?
(違う)
痛覚は悲鳴を上げている。枯れるほどの絶叫。掠れて消えそうになるほどの大音声。
だが自分の胸中は何処までもしじまを保っていた。
(私は冷静だ)
そう何処までもクールだ。そして何処までも強烈に――
視線を上げる。見える光景は地面から離れ、こちらを見下す吸血鬼の微笑みのみを映した。
自分は冷静だ。決して揺れない。
だって頭の中は新庄君の死に顔で一杯だから。
それだけが頭と胸の内を占めている。許容量はとうに限界。張り裂けて漏れ出しそうなほど。
だから自分は冷静だ。徹頭徹尾、やり抜こう。
(ああ、私は――)
声が響いていた。耳朶の奥から。ならばそれは自分の声だ。
実際に声帯を震わすのは止めておこう。それをしてしまえばチャンスはなくなる。だから胸の中で呟こう。
――私は、貴様を殺したい。
大切なモノを奪った貴様を許さない。新庄君に叩き付けた陵辱を万倍にして返そう。肉を削ぎ、骨を砕き、目を抉り、四肢を落として硫酸を垂らし刃物を刺し縄で縊り圧力で破裂させ炎で焼き冷気で凍らせ鎚で砕こう。
万の呪詛を唱え、億の行為で追い立てよう。
彼を思い立たせたのは新庄の死。行動を促進させたのはつい先ほど聞いた宮下藤花の言葉。
『ただ、“状況が悪い”ってだけでなかったことにしちゃったら、殺された人達が思っていたこと全部が否定されるような気がしたの』
彼女の言い分。それは正しい。正しかったと身に染みて理解する。
ああそうだ。そんなのは嘘だ。新庄君が否定される。そんなことは許すものか。
さあ進撃しよう。幸い手段はすぐ傍にある。G-Sp2。世界を構成する概念核を叩き込まれて無事な存在などいない。
吸血鬼と視線が合った。いままで見ていたのに視線は不思議と合っていなかった。焦点すら結べていなかったか。
(私は死ぬかな)
おそらく死ぬだろう。吸血鬼に一矢報いることなく、佐山・御言は死ぬ。
だが自分の命など知らぬ、下らぬと佐山は断じた。それよりも自分にとって大切なものがある。
それは誇りだ。新庄・運切の誇り。彼女の死した後さえそれは残る。
ならば、その誇りを汚したままになどしておけるものか。
脳裏には走馬灯。いくつも閃いては消える運切の姿。
そして。
唐突に気づいて、佐山は立ち上がった。
膝と手に付着した土汚れを払い落とし、努めて冷静な声を絞り出す。
「――虚言を弄すはやめたまえ。美姫女史」
「ほう、私が嘘を? 一体なんのことやら」
「貴女は新庄くんを殺してなどいない――そう言ったのだ」
吸血鬼の嘘を、看破した。
美姫が微笑む。それは正解の証左。佐山は続けた。
「女史は新庄くんの容姿をこう形容した。"やや小柄で、髪を腰の辺りまで伸ばしていた少女だった"、と。
なるほど、それは正しくして新庄くんだ。だが一面に過ぎない」
「一面?」
「新庄くんの名前が呼ばれたのは第二回目の放送の時だ。つまり新庄君は午前六時から正午までの間に死んでしまったことになる」
ため息をつき、佐山は再度、膝と掌に付着した土をどこか腹ただしげに払う動作をしてみせた。それはまるで落ちぬと分かっている汚れを無理に落とそうとしているかのようでもある。
「私としたことが失念していたよ――その間、新庄君は切だ。男性の体なのだよ。ああ、分からないか。新庄君は日中は男性、夜は女性に性別が変化する人でね」
美姫が苦笑した――悪戯がばれた童子のような笑み。
そう、人の死を騙り、それをもって人を弄んだとしても、それはこの吸血鬼にしてみれば軽い悪戯でしかない。
嘘を認めたということだろう。その証左である微笑みを睨みながら、佐山は推理する。
「女史が如何に強力な力を持っていようが存在しない人物は殺せない。おそらくこんなところではないかな。女史はどこかで新庄くんの亡骸を発見した――新庄くんの性別変化が死後も働くかどうかなど知りようもないことだが、きっと働いたのだろうね。女史の発見時、彼女は"運"だった。そして新庄くんの荷物には、私の名前のところに印のあった名簿が残されていた。女史はそこから私の知り合いだと判断して、今の悪質な試金石にした――」
「おっと、それは間違いじゃ。私はただお前の思い浮かべた想い人の像を読んだに過ぎんよ」
そう言って、美姫は腕を振るった。
佐山の全身を新鮮な涼気が撫でる。二人を包んでいた見ることも感じることもできぬ奇妙な薄皮が剥がれるような感覚。
「え、っと? あれ? さっきまで二人でずっと睨みあってたのに――」
かなめが不思議そうに首をかしげている。
どうやら外からでは中がどう動いているか分からなくする、概念空間のようなものが美姫の手によって展開されていたらしい。佐山は不快そうに眉をしかめた。
「こんな小細工にも気づかないとはね――私も堕ちたものだ。例の奇妙な焦燥感も女史が?」
「そう怖い顔をするな。ちょっとしたお遊びではないか――」
美姫は微笑んだ。
嫣然とした、哂い。
「――そしてそのお遊びで、お前は一瞬、憎しみに心を奪われたな」
「……痛いところをついてくれるね」
そう、それは事実だ。たとえ美姫が嘘をついていても。たとえ美姫が心を僅かにかき乱す術を行使していても。
佐山・御言はあの時、確かに新庄・運切を殺した犯人を許せなかった。
それは、当然だ。新庄をなかったことにすることなどできない。
だがそれならば、自分はそれほどまでに残酷な決断を他人に迫っていたということか。
その傷を撫でるが如く、美姫の言葉は止まらない。
「脆い、脆いな。お前の心は脆い。私が愛した魔人達の域には達しておらん。当事者の立場になれば容易く決意は鈍る。心の臓になにやら抱えているな? 真に強者であることを謳うのなら、その程度振り払って見せろ」
「全く持って、女史の言うとおりだ」
佐山が苦虫を噛んだような表情を浮かべて頷く。
自分は、佐山・御言は探していた答えを突きつけられた。
自分の仲間を殺した者が仲間になろうと言ってきた時、自分はそれを許容できるのか。
――否。できない。できなかったというのは先の遣り取りで証明された。
その在りようは無様のひとこと。あれほど殺人者の許容を説いておいて、いざ自分の番になればそれができない。当たり前だ。口先で形作る理想など、所詮リアルには敵わない。
それは佐山・御言の敗北だ――完膚なきまでに、自分は口先だけだったという証明。
だが、それでも。
「……だが、その言葉は私だけに語るには真に迫りすぎている。失礼だが、それは女史にも言えることなのでは?」
佐山・御言は言葉を失わない。
その瞳には確かに自嘲がある。だが、諦観の色だけはどこにもない。
予想もしていなかった反撃。美姫は一瞬、きょとんと何を言われたか分からないような表情を浮かべ――
「ふ、ふふ、ふははははは――!」
楽しげな声が上がる。夜天を切り裂くが如き哄笑。
可笑しくてたまらぬといった風に、美姫は高らかに笑った。
美姫の脳裏には未だ焼きついて離れない魔界都市のマン・サーチャーの美麗な表情。
そうだ、と美姫は笑った。自分もまだ振り払えてはいない。
それを見抜いたのはただの人間だった。そう、目の前の青年は本質的にただの人間でしかない。だが、
「魔人でもない人間風情が、弱みを看破されてなお強者を装うか! 強者を装うことができるか!」
「当然だ。コテンパンにされた程度で諦めるのなら、はなから脱出など説いていないよ。佐山の名は悪役を任ずる――悪役は糾弾されてこそ悪役だ」
そう、佐山・御言は失敗した。新庄を殺した犯人を許せなかった。
答えは見つかった――そして、その答えを前にしてどうするべきかも。
「ああ、そうだ。私は新庄くんを殺した犯人を許せないだろう――だが、だからどうしたという。私にできないことでも他人におしつけよう。それが最善に必要であるというなら、そうする。それが佐山の姓だ。悪役の本質だ」
手を差し伸べる。相手は舞台最強の吸血鬼。このゲーム盤をひっくり返すどころか叩き割りかねない規格外。そんな存在に、まるで引っ張ってやるから手を出せとでもいう風に。
「さあ、美姫女史――貴女はよりにもよってこの佐山・御言を試したのだ。いまこの場で合否通知をいただこうか」
かつて彼の魔界都市を未曾有の危機に陥れた吸血鬼に向かって、あまりにも傲岸不遜なその言葉に、当の吸血鬼はくつくつと笑う。笑いながら手を伸ばす。硝子細工の如く繊細にして、生半可な概念など切り裂いてしまうであろう凶手。
その手が、佐山の手を握り返した。
「お前は面白い。その心が、この場でどれだけ保つのか――私はその行く末を見てみたくなった。下になってやるのも、また一興」
ぞくりと怖気にも快感にも似た感覚がその白い指を伝って佐山を捕える。
引き返せはしない。この吸血鬼を抱き込んでしまっては、もうきっと引き返せない。
(上等だ。もとよりこの世界に退路などない)
ならば、誓いを。
「我らはただ前方にのみ進撃を開始する。姫よ、誓えるのなら――」
悪役が口にしたその言葉を、美姫が繰り返した。
「――Tes(テスタメント)」
ここに契約は完了した。
本当なら裂けてしまいそうな心臓を押さえたかった。だがそんな余裕はない。
それに今の自分が掴めば心臓は逆に潰れてしまうだろう。激痛の中、佐山は静かにそれを認めた。
拳が軋んだ。指の骨が撓った。筋力を全く制御できていない。
だがそれは狭心症がもたらす激痛の為か?
(違う)
痛覚は悲鳴を上げている。枯れるほどの絶叫。掠れて消えそうになるほどの大音声。
だが自分の胸中は何処までもしじまを保っていた。
(私は冷静だ)
そう何処までもクールだ。そして何処までも強烈に――
視線を上げる。見える光景は地面から離れ、こちらを見下す吸血鬼の微笑みのみを映した。
自分は冷静だ。決して揺れない。
だって頭の中は新庄君の死に顔で一杯だから。
それだけが頭と胸の内を占めている。許容量はとうに限界。張り裂けて漏れ出しそうなほど。
だから自分は冷静だ。徹頭徹尾、やり抜こう。
(ああ、私は――)
声が響いていた。耳朶の奥から。ならばそれは自分の声だ。
実際に声帯を震わすのは止めておこう。それをしてしまえばチャンスはなくなる。だから胸の中で呟こう。
――私は、貴様を殺したい。
大切なモノを奪った貴様を許さない。新庄君に叩き付けた陵辱を万倍にして返そう。肉を削ぎ、骨を砕き、目を抉り、四肢を落として硫酸を垂らし刃物を刺し縄で縊り圧力で破裂させ炎で焼き冷気で凍らせ鎚で砕こう。
万の呪詛を唱え、億の行為で追い立てよう。
彼を思い立たせたのは新庄の死。行動を促進させたのはつい先ほど聞いた宮下藤花の言葉。
『ただ、“状況が悪い”ってだけでなかったことにしちゃったら、殺された人達が思っていたこと全部が否定されるような気がしたの』
彼女の言い分。それは正しい。正しかったと身に染みて理解する。
ああそうだ。そんなのは嘘だ。新庄君が否定される。そんなことは許すものか。
さあ進撃しよう。幸い手段はすぐ傍にある。G-Sp2。世界を構成する概念核を叩き込まれて無事な存在などいない。
吸血鬼と視線が合った。いままで見ていたのに視線は不思議と合っていなかった。焦点すら結べていなかったか。
(私は死ぬかな)
おそらく死ぬだろう。吸血鬼に一矢報いることなく、佐山・御言は死ぬ。
だが自分の命など知らぬ、下らぬと佐山は断じた。それよりも自分にとって大切なものがある。
それは誇りだ。新庄・運切の誇り。彼女の死した後さえそれは残る。
ならば、その誇りを汚したままになどしておけるものか。
脳裏には走馬灯。いくつも閃いては消える運切の姿。
そして。
唐突に気づいて、佐山は立ち上がった。
膝と手に付着した土汚れを払い落とし、努めて冷静な声を絞り出す。
「――虚言を弄すはやめたまえ。美姫女史」
「ほう、私が嘘を? 一体なんのことやら」
「貴女は新庄くんを殺してなどいない――そう言ったのだ」
吸血鬼の嘘を、看破した。
美姫が微笑む。それは正解の証左。佐山は続けた。
「女史は新庄くんの容姿をこう形容した。"やや小柄で、髪を腰の辺りまで伸ばしていた少女だった"、と。
なるほど、それは正しくして新庄くんだ。だが一面に過ぎない」
「一面?」
「新庄くんの名前が呼ばれたのは第二回目の放送の時だ。つまり新庄君は午前六時から正午までの間に死んでしまったことになる」
ため息をつき、佐山は再度、膝と掌に付着した土をどこか腹ただしげに払う動作をしてみせた。それはまるで落ちぬと分かっている汚れを無理に落とそうとしているかのようでもある。
「私としたことが失念していたよ――その間、新庄君は切だ。男性の体なのだよ。ああ、分からないか。新庄君は日中は男性、夜は女性に性別が変化する人でね」
美姫が苦笑した――悪戯がばれた童子のような笑み。
そう、人の死を騙り、それをもって人を弄んだとしても、それはこの吸血鬼にしてみれば軽い悪戯でしかない。
嘘を認めたということだろう。その証左である微笑みを睨みながら、佐山は推理する。
「女史が如何に強力な力を持っていようが存在しない人物は殺せない。おそらくこんなところではないかな。女史はどこかで新庄くんの亡骸を発見した――新庄くんの性別変化が死後も働くかどうかなど知りようもないことだが、きっと働いたのだろうね。女史の発見時、彼女は"運"だった。そして新庄くんの荷物には、私の名前のところに印のあった名簿が残されていた。女史はそこから私の知り合いだと判断して、今の悪質な試金石にした――」
「おっと、それは間違いじゃ。私はただお前の思い浮かべた想い人の像を読んだに過ぎんよ」
そう言って、美姫は腕を振るった。
佐山の全身を新鮮な涼気が撫でる。二人を包んでいた見ることも感じることもできぬ奇妙な薄皮が剥がれるような感覚。
「え、っと? あれ? さっきまで二人でずっと睨みあってたのに――」
かなめが不思議そうに首をかしげている。
どうやら外からでは中がどう動いているか分からなくする、概念空間のようなものが美姫の手によって展開されていたらしい。佐山は不快そうに眉をしかめた。
「こんな小細工にも気づかないとはね――私も堕ちたものだ。例の奇妙な焦燥感も女史が?」
「そう怖い顔をするな。ちょっとしたお遊びではないか――」
美姫は微笑んだ。
嫣然とした、哂い。
「――そしてそのお遊びで、お前は一瞬、憎しみに心を奪われたな」
「……痛いところをついてくれるね」
そう、それは事実だ。たとえ美姫が嘘をついていても。たとえ美姫が心を僅かにかき乱す術を行使していても。
佐山・御言はあの時、確かに新庄・運切を殺した犯人を許せなかった。
それは、当然だ。新庄をなかったことにすることなどできない。
だがそれならば、自分はそれほどまでに残酷な決断を他人に迫っていたということか。
その傷を撫でるが如く、美姫の言葉は止まらない。
「脆い、脆いな。お前の心は脆い。私が愛した魔人達の域には達しておらん。当事者の立場になれば容易く決意は鈍る。心の臓になにやら抱えているな? 真に強者であることを謳うのなら、その程度振り払って見せろ」
「全く持って、女史の言うとおりだ」
佐山が苦虫を噛んだような表情を浮かべて頷く。
自分は、佐山・御言は探していた答えを突きつけられた。
自分の仲間を殺した者が仲間になろうと言ってきた時、自分はそれを許容できるのか。
――否。できない。できなかったというのは先の遣り取りで証明された。
その在りようは無様のひとこと。あれほど殺人者の許容を説いておいて、いざ自分の番になればそれができない。当たり前だ。口先で形作る理想など、所詮リアルには敵わない。
それは佐山・御言の敗北だ――完膚なきまでに、自分は口先だけだったという証明。
だが、それでも。
「……だが、その言葉は私だけに語るには真に迫りすぎている。失礼だが、それは女史にも言えることなのでは?」
佐山・御言は言葉を失わない。
その瞳には確かに自嘲がある。だが、諦観の色だけはどこにもない。
予想もしていなかった反撃。美姫は一瞬、きょとんと何を言われたか分からないような表情を浮かべ――
「ふ、ふふ、ふははははは――!」
楽しげな声が上がる。夜天を切り裂くが如き哄笑。
可笑しくてたまらぬといった風に、美姫は高らかに笑った。
美姫の脳裏には未だ焼きついて離れない魔界都市のマン・サーチャーの美麗な表情。
そうだ、と美姫は笑った。自分もまだ振り払えてはいない。
それを見抜いたのはただの人間だった。そう、目の前の青年は本質的にただの人間でしかない。だが、
「魔人でもない人間風情が、弱みを看破されてなお強者を装うか! 強者を装うことができるか!」
「当然だ。コテンパンにされた程度で諦めるのなら、はなから脱出など説いていないよ。佐山の名は悪役を任ずる――悪役は糾弾されてこそ悪役だ」
そう、佐山・御言は失敗した。新庄を殺した犯人を許せなかった。
答えは見つかった――そして、その答えを前にしてどうするべきかも。
「ああ、そうだ。私は新庄くんを殺した犯人を許せないだろう――だが、だからどうしたという。私にできないことでも他人におしつけよう。それが最善に必要であるというなら、そうする。それが佐山の姓だ。悪役の本質だ」
手を差し伸べる。相手は舞台最強の吸血鬼。このゲーム盤をひっくり返すどころか叩き割りかねない規格外。そんな存在に、まるで引っ張ってやるから手を出せとでもいう風に。
「さあ、美姫女史――貴女はよりにもよってこの佐山・御言を試したのだ。いまこの場で合否通知をいただこうか」
かつて彼の魔界都市を未曾有の危機に陥れた吸血鬼に向かって、あまりにも傲岸不遜なその言葉に、当の吸血鬼はくつくつと笑う。笑いながら手を伸ばす。硝子細工の如く繊細にして、生半可な概念など切り裂いてしまうであろう凶手。
その手が、佐山の手を握り返した。
「お前は面白い。その心が、この場でどれだけ保つのか――私はその行く末を見てみたくなった。下になってやるのも、また一興」
ぞくりと怖気にも快感にも似た感覚がその白い指を伝って佐山を捕える。
引き返せはしない。この吸血鬼を抱き込んでしまっては、もうきっと引き返せない。
(上等だ。もとよりこの世界に退路などない)
ならば、誓いを。
「我らはただ前方にのみ進撃を開始する。姫よ、誓えるのなら――」
悪役が口にしたその言葉を、美姫が繰り返した。
「――Tes(テスタメント)」
ここに契約は完了した。
◇◇◇
状況は移ろっていく。これは真理だ。
(ならば俺がすべきことは、俺とチドリにとって都合の良いように状況を推移させることだ)
握手を交わす美姫と佐山をいつも通りのむっつり顔で眺めながら、だが胸中に計画を秘めて宗介は独りごちる。
相良宗介は傭兵である。
傭兵が通常の軍属と最も違う点は責任が軽いということ。そしてその分、組織的な庇護は受けにくいということ。
だから傭兵は生き抜く為の術に長けている。
この美姫のもとに居るのもそうした判断からだ。幸い、この化け物は自分とチドリを敵視していない。だからその威を借りている。核の傘のようなものだ。
問題は、その傘自体がいつ襲ってくるか分からないということ。
今までは気にならなかったリスクだ。それを度外視できるほどにこの吸血鬼の力は強大だった。
だがここにいるのがベストかどうか、少し考えざるを得ない状況になってしまった。
原因は例のダナティアの放送だ。自分が考えているより遥かに早く、そして多くの仲間を彼女は得ている。
第三回目の放送までで出た死者の総数は60。参加者の半数が死んだ。
ダナティアの言葉を信じるなら、彼女の仲間は12名。残りの参加者の五分の一を占めている。
いや、死者が出ることも考えればそれ以上だ。おそらく現在、この島で最も多く情報と人材を手中に収めている。
対して、この吸血鬼は強い。だが強いだけだ。
強く在ることはできるだろうが、その他は何もできまい。
例えばそれは組織だった行動だ。自分とこの吸血鬼は仲間ではない。自分たちが勝手に吸血鬼の後をつけて回っているだけとすら言える。
おそらく、遠からずダナティアの擁する組織とこの吸血鬼は対立しあう。そしてダナティアと美姫、両名とも干戈を交えることに関しては躊躇わない人種だ。
その際どちらが勝つかというのは魔術等の超能力に対して理解の薄い自分には分からない。
分かるのは、数が多いというのはそれだけで脅威であるということ。
美姫とダナティア組が戦闘になった際、その中で果たして自分は生き残れるのか?
(まず、無理だ)
自分が万全の状態で相応の装備を持ち、ゲリラ戦にでも徹すれば殲滅も不可能ではないだろう。
だが現実はどうか。自分は片腕を喪失し、武装は全て失った。
千鳥かなめ。放り出すことの出来ないしがらみも抱え込んでしまった。
美姫は核のように他者に対する脅しにはなるが、実際に自分たちを守ってくれるかどうは不確実。そんな信頼性の低いものに自分の命を預けられる筈もない。状況はこれ以上ないほど最悪。
(そう、無理だ――なら、状況を変えるしかない)
宗旨替え。美姫の元を去り、別の集団へ付く。
(現状、もっとも強い勢力はダナティア組だろう――チドリはああ言っていたし俺自身も大佐殿のことで蟠りはあるが、生き残る上でそんなことは考えるべきことではない。状況はそういう風に変わってしまった)
先の決別の言葉を撤回し、必要ならば相手の靴を舐めてでもダナティア組につく。
相良宗介にとっての最優先事項は、千鳥かなめを生かすことなのだから。
美姫に集団への接触を何度も促していたのもその布石。
この吸血鬼は自分たちを嬲るようにして遊んでいる。だからダナティア組の近くに行きたいような素振りを見せれば、それに対して昼に持ちかけられた取引のような、何らかのリアクションを取るだろうと考えていた。
結果は上々。美姫はふらふらとダナティア組みの根城の近くを焦らす様に彷徨い、こうして別の参加者の組と共同できている。少なくとも、目の前の佐山と名乗った人物は吸血鬼より組み易しそうだ。
(そう――何も変わっていない。俺は、絶対にチドリを守る。どんな汚いことをしても、俺のプライドを粉砕してでも。それが俺の戦いだ)
隻腕の傭兵の戦争は銃火を閃かせず、ただ静かに進行していく――
(ならば俺がすべきことは、俺とチドリにとって都合の良いように状況を推移させることだ)
握手を交わす美姫と佐山をいつも通りのむっつり顔で眺めながら、だが胸中に計画を秘めて宗介は独りごちる。
相良宗介は傭兵である。
傭兵が通常の軍属と最も違う点は責任が軽いということ。そしてその分、組織的な庇護は受けにくいということ。
だから傭兵は生き抜く為の術に長けている。
この美姫のもとに居るのもそうした判断からだ。幸い、この化け物は自分とチドリを敵視していない。だからその威を借りている。核の傘のようなものだ。
問題は、その傘自体がいつ襲ってくるか分からないということ。
今までは気にならなかったリスクだ。それを度外視できるほどにこの吸血鬼の力は強大だった。
だがここにいるのがベストかどうか、少し考えざるを得ない状況になってしまった。
原因は例のダナティアの放送だ。自分が考えているより遥かに早く、そして多くの仲間を彼女は得ている。
第三回目の放送までで出た死者の総数は60。参加者の半数が死んだ。
ダナティアの言葉を信じるなら、彼女の仲間は12名。残りの参加者の五分の一を占めている。
いや、死者が出ることも考えればそれ以上だ。おそらく現在、この島で最も多く情報と人材を手中に収めている。
対して、この吸血鬼は強い。だが強いだけだ。
強く在ることはできるだろうが、その他は何もできまい。
例えばそれは組織だった行動だ。自分とこの吸血鬼は仲間ではない。自分たちが勝手に吸血鬼の後をつけて回っているだけとすら言える。
おそらく、遠からずダナティアの擁する組織とこの吸血鬼は対立しあう。そしてダナティアと美姫、両名とも干戈を交えることに関しては躊躇わない人種だ。
その際どちらが勝つかというのは魔術等の超能力に対して理解の薄い自分には分からない。
分かるのは、数が多いというのはそれだけで脅威であるということ。
美姫とダナティア組が戦闘になった際、その中で果たして自分は生き残れるのか?
(まず、無理だ)
自分が万全の状態で相応の装備を持ち、ゲリラ戦にでも徹すれば殲滅も不可能ではないだろう。
だが現実はどうか。自分は片腕を喪失し、武装は全て失った。
千鳥かなめ。放り出すことの出来ないしがらみも抱え込んでしまった。
美姫は核のように他者に対する脅しにはなるが、実際に自分たちを守ってくれるかどうは不確実。そんな信頼性の低いものに自分の命を預けられる筈もない。状況はこれ以上ないほど最悪。
(そう、無理だ――なら、状況を変えるしかない)
宗旨替え。美姫の元を去り、別の集団へ付く。
(現状、もっとも強い勢力はダナティア組だろう――チドリはああ言っていたし俺自身も大佐殿のことで蟠りはあるが、生き残る上でそんなことは考えるべきことではない。状況はそういう風に変わってしまった)
先の決別の言葉を撤回し、必要ならば相手の靴を舐めてでもダナティア組につく。
相良宗介にとっての最優先事項は、千鳥かなめを生かすことなのだから。
美姫に集団への接触を何度も促していたのもその布石。
この吸血鬼は自分たちを嬲るようにして遊んでいる。だからダナティア組の近くに行きたいような素振りを見せれば、それに対して昼に持ちかけられた取引のような、何らかのリアクションを取るだろうと考えていた。
結果は上々。美姫はふらふらとダナティア組みの根城の近くを焦らす様に彷徨い、こうして別の参加者の組と共同できている。少なくとも、目の前の佐山と名乗った人物は吸血鬼より組み易しそうだ。
(そう――何も変わっていない。俺は、絶対にチドリを守る。どんな汚いことをしても、俺のプライドを粉砕してでも。それが俺の戦いだ)
隻腕の傭兵の戦争は銃火を閃かせず、ただ静かに進行していく――
◇◇◇
そして、数分後には第四回目の放送が始まる。
秋せつらの名を含んだ放送が。
ダナティア・アリール・アンクルージュの名を含んだ放送が。
風見・千里の名を含んだ放送が。
ハーヴェイの名を含んだ放送が。
いくつもの死を孕んだ放送は、いったいどのように状況を変化させるのか。
それはまだ、誰も知らない。
秋せつらの名を含んだ放送が。
ダナティア・アリール・アンクルージュの名を含んだ放送が。
風見・千里の名を含んだ放送が。
ハーヴェイの名を含んだ放送が。
いくつもの死を孕んだ放送は、いったいどのように状況を変化させるのか。
それはまだ、誰も知らない。
【E-4/倉庫前/1日目・23:58】
【佐山・御言】
[状態]:左掌に貫通傷(物が強く握れない)。服がぼろぼろ。疲労回復中。
[装備]: G-Sp2 (ガスプツー)、木竜ムキチの割り箸(疲労回復効果発揮中)、閃光手榴弾一個
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1800ml)
PSG-1の弾丸(数量不明)、地下水脈の地図
[思考]:放送まで待機。悪役としての今後の指針を明確にしたい。
参加者すべてを団結させ、この場から脱出する。
[備考]:親族の話に加え、新庄の話でも狭心症が起こる(若干克服)
【佐山・御言】
[状態]:左掌に貫通傷(物が強く握れない)。服がぼろぼろ。疲労回復中。
[装備]: G-Sp2 (ガスプツー)、木竜ムキチの割り箸(疲労回復効果発揮中)、閃光手榴弾一個
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1800ml)
PSG-1の弾丸(数量不明)、地下水脈の地図
[思考]:放送まで待機。悪役としての今後の指針を明確にしたい。
参加者すべてを団結させ、この場から脱出する。
[備考]:親族の話に加え、新庄の話でも狭心症が起こる(若干克服)
【美姫】
[状態]:通常
[装備]:なし
[道具]:支給品一式(パン6食分・水2000ml)
[思考]:気の向くままに行動する/アシュラムをどうするか
/ダナティアたちに会うかどうかは第四回放送を聞いてから決める
[備考]:何かを感知したのは確かだが、何をどれくらい把握しているのかは不明。
[状態]:通常
[装備]:なし
[道具]:支給品一式(パン6食分・水2000ml)
[思考]:気の向くままに行動する/アシュラムをどうするか
/ダナティアたちに会うかどうかは第四回放送を聞いてから決める
[備考]:何かを感知したのは確かだが、何をどれくらい把握しているのかは不明。
【相良宗介】
[状態]:健康、ただし左腕喪失
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:どんな手段をとっても生き残る/かなめを死守する
[状態]:健康、ただし左腕喪失
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]:どんな手段をとっても生き残る/かなめを死守する
【E-4/倉庫/1日目・23:58】
【宮下藤花(ブギーポップ)】
[状態]:休息中
[装備]:兵長
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1500ml) 、ブギーポップの衣装
[思考]:佐山に同行。殺人者を許せない。
【宮下藤花(ブギーポップ)】
[状態]:休息中
[装備]:兵長
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1500ml) 、ブギーポップの衣装
[思考]:佐山に同行。殺人者を許せない。