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発端となる俺の言い方が少し悪かったな
・特定の政治家に蔑称をつけたり、その言動を害意をもってオモチャ化することの是非について
・政治家に対する中傷まがいの行為の容認について
これらについて悪と断じるのが俺の主張。政治にかこつけて暴言をSNS上に撒き散らす害悪な連中に辟易したのがその切欠だ。事実にもとづく痛烈な批判ならいざ知らず、本人の外見的特徴や持病をもとにしたいじりという、学校教育や社会生活においては問題扱いされるような行為が政治界隈で横行していたことに理不尽を感じたのだ。正義感に熱く社会と政治に興味をもつ連中が、なぜ特定の誰かに対しては人を人とも思わぬ発言を浴びせられるのか。
そのうえで、なお政治家に対する罵詈雑言を容認すると主張する者に、そのような行為の無意味さと効用の無さを提言するために、先ほどの「要点」を述べた形になる。 -
暴言を平気で吐く人間に自省を求めることが検閲というのならば、そんな民主主義は糞だ。
相手が権力者なら少々辛辣なことを言ってもいいのだガッハッハとふんぞり返る連中が、今までどんな暴言をSNSに撒き散らしてきたか。
批判が中心なのはわかる。だが、許されない発言も多かっただろう。
例えば、かつての安倍の持病であった潰瘍性大腸炎をもとにそれをなじるような発言の数々。これは政治批判か?権力者に対する罵倒の一部として容認されるべきか?同じ病で苦しむ者が数多くいて、原因不明の難病指定なのに、それをもとに下痢だのなんだのとなじることも容認されるべきと? -
権力者への罵倒が正義に適った訴えになるなどとは言っていない
「権力者への罵倒も容認される構造」は公益性の認められるものであり、権力者に対して向ける場合に限っては罵倒と批判を区別せず罵倒まで含めて言論の自由として保障すべきと主張している
相手の言っていることを殊更そうやって曲解して、揚げ足取りをしようとしないでいただきたい
罵詈雑言やなじりの是非を超越して「権力者へ向けられた、罵倒も含めた批判的・否定的な発言の存在が許されないこと」の方が極めて危険であり、不健全であり、大問題だと言っている
また私は目撃者がどう思うかは一切問題にしていない
目撃者が政治に熱心かどうかなども関係ない
目撃者がどう思うかやその影響がどうなるかよりも
・特定の政治家に蔑称をつけたり、その言動を害意をもってオモチャ化することが容認されないならばどうなるか
・政治家に対する中傷まがいの行為が容認されなければどうなるか
について取り上げている
一般人同士の政治議論の場がどうなるか、どうあるべきかはこの論点からずれた話に思えてならない
そしてあなたの主張は他人に委縮を求めるある種の検閲行為に繋がるものであり、問題だとも指摘している
『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない』
『この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果』
日本国憲法の言うこれらの『努力』に沿うのは、また『国民に保障する自由及び権利の保持』へ繋がるのは
・「容認すべきでない」と主張し、それに従い、また周囲にそれを説く方(権力者への罵倒が容認されない構造側)
・「容認すべきである」と主張し、それに従い、また周囲にそれを説く方(権力者への罵倒も容認される構造側)
どちらなのか。ちょっと3秒…いや3日ぐらい考えていただきたい -
長々と話したので要点を述べる。
1.批判したいなら罵詈雑言を使うな。嫌いな政治家への罵詈雑言の効用は自慰行為と同じ。気持ちよくなれるが、品性の下劣さが露呈するだけ。
2.罵詈雑言を使う理由に自民とネトウヨを使うな。今や昔における自民側のメディア戦略を非難しつつ、そのやり方を模倣するのは自己矛盾。言葉と態度にさえ気をつければ反自民は最強になる。
3.罵詈雑言は利敵行為。罵倒で喜ぶのは元から似た政治思想の同志だけ。最大の票田たる無党派層、無関心層を動かすどころか、その中から自民アンチのアンチを新たに生むおそれもある。自民と反自民が拮抗した際に同情票で負けるような事態にはするな。 -
アイツラが先にやってきたからやり返しただけ、自業自得ってか。
ネトウヨや自民サイドがやってたその手法によって、反ネトウヨ・反自民の思想を得た者もいるだろうに、その逆は起こらないと思うのか。
過去においては被害者だろうと将来的に加害者に転ずる可能性は考慮すべきだ。
既にSNSにおける反自民側の言動には、「対立意見を敵勢力の刺客か工作員と認定する」、「自陣営の意見に賛同しない無党派層や普通の人を見下す」、「理由をつけて罵詈雑言を放つ」といった傾向が見られる。かつてのネトウヨとまんま同じである。自民を憎むあまり、自民サイドと同じ穴の貉になりつつあることを自覚すべきだ。 -
意味の無い罵倒ですら、容認されるべきか。
民主主義を守るためという大義名分があれば、罵詈雑言も、人の病気をなじるような発言も、正義にかなった訴えになるというわけか。
政治に熱心な人間ならそう思えるだろうが、それ以外の視点も考慮するべきだ。
大義名分のためなら権力者に浴びせる汚言も結構と考え、それを実行し続けた連中の主張を国や権力者はスルーするしかないだろう。
でも、それをSNSの中で目撃する第三者は違う。たとえその非難がある程度の理由や相当性をもって為されたものであっても、品性下劣な言葉での罵倒は心証が悪い。同調する者と同じくらい、それに反発する者を生む。
汚い言葉で誰かを罵れば、少なからず同情が生まれる。実際、自民や安倍を肯定する者の中には反自民サイドの言動の攻撃性の高さを理由に挙げるものも見たことがある。反自民の権力批判の名を借りた罵倒が、言わば敵に塩を送っていたのだろう。そのことも自民サイドは理解し、利用していた可能性もあると思う。
市民と権力者の非対称性など、君みたいに政治問題に熱烈な興味を持つ者にとっては当然の話だが、そうでない者あるいは政治議論における品行方正さを重んじる者たちからすれば、醜い罵詈雑言は利敵行為にしかならない。 -
聖帝語録という題名をストレートに安倍晋三語録に変えることを提案します
なぜ隠語にするのか。ストレートにして世に広めるべき -
https://news.yahoo.co.jp/articles/45f6b7e96c328e247b23dcd97480abb2a5bba243
「裏切り者は許さない」
ずいぶん辛口だ -
いわばまさに構ってちゃんなので、レスバしても無駄なのであります。
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何時の時代だろうと関係ない
これは一般人と権力者という非対称的な力関係や構造に問題がある
一般人に向ける罵倒や批判等の否定的な発言と、権力者に向ける否定的な発言には構造的に致命的な差がある
権力者はその気になれば一般人をその強権でもって排除や弾圧することが可能であり、これらはハッキリ分けて考えなければならない
そして我々の生活、言うなれば我々の命に大きな影響力を持つ政権与党・行政府の権力者、もっと言えば権力分立を蔑ろにせんとした聖帝のような、権力はガンガンガンガン使うものなんですよなどと言ってしまう人治政治権力者に向ける罵倒こそ保護されるべきと私は主張する
権力を持たない個人でしかない一般人の言論の自由を保障するならば、権力者に対して向ける場合に限っては罵倒と批判を区別せず罵倒まで含めて保障すべきだろう
罵倒と批判の線引きというものは曖昧なところがあり、線引きを決めるのは受け手側になるが、権力者がその線引きを決定するということがどれほど恐ろしいかわかるだろうか
権力者の受け取り方次第で一般人が攻撃される事態が起こりうるのである
もしそれが罪に問われるならば刑事罰で裁判になるかもしれないが、判検交流による癒着や国側に有利な判決を下す裁判官が出世するような司法の有様での裁判となるのだ
それに刑事罰に問わなくとも弾圧方法は他にあるだろう
翻って「権力者に向かって一般人が罵倒をしても咎められることがない構造には公益性がある」と考える
どのような公益性があるか。それは表現の自由・言論の自由が保障されるということである
例外として罵倒が完全なるデマであればそれは保障しなくて良いとは思うが、「公益性のあるデマ」などという奇怪な判例もあるためデマすら時と場合によっては保障されるのだろう
あなたは『政治家に対する中傷まがいの行為の容認』を問題として主張しているが、それを容認しない方が問題だろう
それは民主主義社会において避けなければならない検閲、言論弾圧への道だ
権力者が行わなくとも検閲や言論弾圧は問題だ(それは戦前戦中から得られた教訓である)
権力者に向けるものであるならば、意味の無い罵倒ですら「意味の無い罵倒だよ」程度の態度で"容認"することが言論の自由の保障された民主主義社会では肝要なのだ
故事の理屈を理解できていたのか非常に疑わしいと言わざるを得ない -
その故事の理屈は理解できるが、SNSどころかメディアが限られていた時代の話を、現代の政治批判の文脈で引用するのは無理がある。
戦場で部下として従え、生死を共にした間柄の兵士からイジられるなら効くだろうが、顔も名前も分からない誰かが罵詈雑言を浴びせてきたところで、それが反省のきっかけになるか?よくて「アンチが何か言ってるわ、ムカつく」としかならない。
そのくらい割り切れる精神構造でなければ、為政者などという職業は精神的にもたないだろうからな。
実際、反自民を貫いた者たちの中には、安倍の悪手や失敗をなじるどころか、病気を馬鹿にするというドン引き案件をやった連中までいたが、彼らの望む通りの政策が実現されることは無かった。罵倒に意味は無い。
114.48.248.15