朝日らしい、悪意と捏造に満ちたデッチ上げ記事です
以下ソースより引用。
「これをやろう!」
安倍晋三元首相が、自民党幹事長代理だった2005年1月、夕刊フジでの連載コラム「挑戦する政治」がスタートした。第1回の特別インタビューの取材日当日、朝日新聞が朝刊1面トップで、「NHK『慰安婦』番組改変」「中川昭 安倍『内容に誤り』」「前日、幹部呼び出し指摘」というタイトルの記事を掲載した。
インタビューのため議員会館の部屋に入ると、安倍氏は机の上に朝日新聞を広げて、冒頭のように言い切った。
当時、政治家がメディア、特に朝日新聞に異議を唱えるのはタブーに近かったが、安倍氏はまったく怯まなかった。
「朝日らしい、悪意と捏造(ねつぞう)に満ちた、デッチ上げ記事です」
「私がNHK幹部を呼びつけた事実はない。彼らが『NHK予算の説明をしたい』とアポイントを取ってやってきた」
「すでに永田町で話題になっていた特集番組について、同行していた番組関係者が説明してくれた」
安倍氏は、朝日新聞の報道を一刀両断したうえで、慰安婦問題の背後にある勢力とメディアの問題にまで切り込んだ。夕刊フジはこのインタビューを1面トップで報じた。朝日新聞が、慰安婦問題の大誤報を認めたのは14年8月である。
安倍氏の「挑戦する政治」は、第1次政権発足(06年9月)直前の官房長官時代まで続いた。
その後、民主党政権下で政治が混乱し、日本に暗雲が垂れ込めていた10年10月、安倍氏は夕刊フジで再び新たな連載コラム「突破する政治」を始めた。
(中略)
(中略)
保守政治家の先輩、石原慎太郎元都知事が鬼籍に入り、ロシアによるウクライナ侵攻が迫った22年2月、3度目の連載「日本の誇り」をスタートさせた。24年11月の米大統領選で、盟友であるドナルド・トランプ氏が復活する可能性を見据えて、自身の「3度目の登板」も考えていた。
安倍氏は22年7月8日、奈良市内で参院選の街頭演説中に凶弾に倒れた。憲政史上最長、通算8年8カ月政権を担当した安倍氏は夕刊フジに足かけ17年間、連載コラムやインタビューなどで登場し続けた。
引用ここまで
ソース
安倍晋三元首相、夕刊フジで足かけ17年「日本の誇り」凶弾に倒れ無念の絶筆 さらば夕刊フジhttps://www.sankei.com/article/20250127-R4QSBFEJMNKTNBQLZDYAQSAALQ/
安倍晋三元首相、夕刊フジで足かけ17年「日本の誇り」凶弾に倒れ無念の絶筆 さらば夕刊フジhttps://www.sankei.com/article/20250127-R4QSBFEJMNKTNBQLZDYAQSAALQ/