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臆病者は、静かに願う > 4


 彼は、シルスクはどんな能力を持っているのだろうか。そう思っていた。
 その能力は相当に強力なものなんだろうな。勝手ながらそこまで想像していた。

 だから今私の眼前に広がる光景は、まったくもって予想の範疇を越えに越えていた。

「しかしこいつさっきから観察してりゃあ、どうも突進するしか能がないらしいな。失敗作なのかもし
れんが、いずれにしても知能は初期型キメラ以下だな」
 余裕さえ感じるそのセリフを放つシルスクの手には、左右一本ずつダガーが握られている。

 だがそれだけなのだ。何がって、彼の武器が。彼は能力を発動させる素振りは欠片も見せず、ただ二
本のダガーのみで、あの悪魔を仕留めるつもりでいるらしい。

 無謀じゃないか? という意見が私の中で当然上がったが、ガーゴイルの様子をつぶさに観察して、
その意見は一時保留することになった。
 さっきガーゴイルの滞空高度が下がっているように感じたのは、やはり気のせいではなかった。

 ガーゴイルの羽ばたきは、左右で安定しなくなっている。それに気付いて奴の翼を凝視してみると。
「……ナイフ、か? いつの間に?」

 遠くて断定はできないが、その左翼にナイフらしきものが突き刺さっていた。しかも三本もだ。そん
なものがそんなところにあると思わない私は、思わず感嘆の声を上げてしまっていた。

 言うまでもないが、私があいつの攻撃を受けた時は、ナイフなんて刺さっていなかった。無意識のう
ちに私にナイフ投げの神様が降臨したのでなければ、それができる人物は一人だけだ。

「ほらほら、自慢の突進見せてみろよ。どうせお前はそれしかできねえんだろ?」
 現実に顕現した悪魔さえも挑発するように、だらけたポーズを見せるその人物。手にしたダガーをジャ
グリングしながら、ヒューッと口笛まで吹いてみせた。

 知能の足りていないらしい悪魔がそのあからさまな挑発に乗ったのかどうかは定かでない。が、そう
としか思えないタイミングで

『グビャアアアアアアァアアァァアァァァアアァァァァアァァァァァアァァァ』

 と耳を覆いたくなるような不快な咆哮を一つ上げ、その次の瞬間には――シルスクの頭上へと降って
きていた。

 危ない! のあの字も出せなかった。そしてその必要すらなかった。ガーゴイルの急襲を、シルス
クは難なく回避していたのだ。さっきの私のような大袈裟な回避とは真逆の、最小かつ一分の無駄も
ない身のこなしで。

 常人にできることではない。しかしあれが彼の能力によるものだとは、なぜか思えなかった。それ
は約十年間、能力についての研究に携わってきた者としての経験に基づく勘みたいなものだ。今の彼
は本当の意味で、生身の人間なのだ。

 驚嘆すべき生身の青年は、態勢もそのままに反撃に出る。手近にある悪魔の左翼をダガーで切り裂く。
 彼の狙いは私にもなんとなくわかった。だが、どうやらその当ては外れそうに見えた。

『グビャアアッ』
 と醜く苦しげに叫び、ガーゴイルはまたすぐに飛び立とうとする。

 左翼を集中して傷めることで、面倒な飛行能力を奪うこと。それがシルスクの狙いだったのだろう。
空中から突進して離脱、を繰り返すあいつが飛べなくなれば、後は彼の戦闘能力ならどうにでもなり
そうではある。

 だが、その目論見もむなしく。左翼を切り裂かれながらも悪魔は態勢を整え、強く大地を蹴った。
まんまと己のフィールドへ逃げ去るガーゴイル。しかしシルスクはその背中を見送りながら――笑っ
ている。少なくとも、私にはそう見えた。

「やーれやれ。こいつはあんまり使いたくないんだがな。俺、高いところ苦手だし」
 そう言って、通信機の隣に提げている何かを手に取る。見たところ拳銃のようだ。おい待て。彼、
さっき部下に火器の使用を禁じてた気がするんだが。

「必死で逃げる奴ほど追いかけたくなる。俺はそういう男なんだよ」
 落ち着いた声でそう叫んで(なんか矛盾している気もするが)、その銃らしきものを飛翔する悪魔に向ける。
よく見ると拳銃にしては少し安っぽい気がした。その印象が正しかったことを証明したのは、一つには
気が抜けるような軽い発砲音。

 そしてもう一つ。
「よし命中。まあ当然だけどな」
 自信満々に言ったシルスクの体は、今完全に宙に浮いていた。手にした銃から悪魔に向けて打ちこ
まれた、一本のワイヤーに吊り上げられて。

 私はもう笑いがこみ上げるのを隠せなかった。
 空を飛ぶ醜悪な怪物と、それにワイヤーで追随するイケメンヒーロー。こんなシーンはハリウッド
のアクション映画くらいでしかあり得ないものだ。そんな光景が今現実として、目の前で繰り広げら
れているのだ。

 笑いがおさまると次は、胸が熱くなった。ワイヤーを巻き取って一気にガーゴイルに迫るシルスク。
もはやワイヤーではなく、彼自身の腕で悪魔の脚をしかと捉えていた。

 手に汗握る。ますます胸が熱くなる。それはまさに、若い時分にアクションヒーローに覚えたあの感覚。
「がんばれ」
 彼はこんな言葉は必要としていないだろう。それでも今の私は、そう言いたくてしかたがなかった。

 右に左に身をよじって暴れまくるガーゴイルだが、シルスクの体は安定しているように見えた。既
に脚を越え、胴体にがっちりしがみついている。
 高度は実にビルの四、五階に相当する高さ。落ちればあまり見たくない光景が広がるだろう。だが
そんな危惧さえ野暮に思えるほど、彼の態勢は揺るがない。

 さきほどの突進回避もそうだが、彼の身体能力は人間の限界値まで達しているんじゃないだろうか。
そうでもなければ足場もない空中で、あれだけ暴れる相手の体をよじ登るなんて芸当はできないと思う。

 なんであれ、もはや勝敗は決している。背後から胴体にしがみついたシルスクからは、悪魔の後頭
部が丸見えのはずだ。ちょうど先刻、私が彼に組み伏せられた時のように。あの時と決定的に異なる
ことは――

 私には振り下ろされなかった右手のダガーが、悪魔の首元へと突き立てられたことくらいだろう。

 肉がアスファルトに叩きつけられる惨い音を伴って、首からダガーを生やした悪魔が落ちてくる。
その憐れな敗者の背中で衝撃を吸収するように美しく着地したのは、返り血にまみれたヒーロー。
 彼の反応は予想できたが、それでも駆けよらずにいられなかった。

「おっおい、大丈夫なのか?」
「ん? なんだ、あんたまだいたのか。避難しろって言ったろ」
 やっぱり言われてしまった。でも想像していたよりは高圧的でも、冷たく突き放す感じでもなかった。

「あんまり近づくな。まだこいつ、完全に死んじゃいないからな」
 言い捨てて彼は、また通信機を手にした。私はまだピクピク動いている悪魔に気が行ってしまって、
彼が何を話していたかはまったくわからなかった。

「さて、と。さああんた。そろそろ本当に立ち去った方がいいぞ。でないといろいろ面倒をかけるこ
とになる」

 さっきまでより低い声で、そして返り血で凄みを増した表情で私を見つめて、彼はそう言った。
 私とて馬鹿ではない。彼がいわゆる『普通の』人間ではないことは、すでに十分すぎるほど理解して
いる。その彼が言う『面倒なこと』とは、やはり『普通の』面倒なことではないだろう。

 別に長居をする理由もない。二点ほど心に引っ掛かっているものはあるが、聞いたところで教えて
もらえるはずもなく、その為にここに留まるほどのことでもない。

「そうだな。あばらと腰も痛むことだし、さっさと医者にでも行くことにするよ。助けてくれてあり
がとう、シルスクさん」
「だから助けたわけじゃないって。ああそれと、今日は週末だから医者は開いてないと思うぞ。湿布
でも貼って我慢しておきな」

 別れ際の他愛ない言葉にもどこまでも冷静に、血まみれのダーティなヒーローはしっかり突っ込ん
でくれた。


 つづく

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最終更新:2010年07月17日 17:25
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