臆病者は、静かに願う > 13


 ――んーと、女の子なら『美月』で、男の子なら『太陽』、なんてどう?
 あー、『美月』はいいにしても、『太陽』は直球すぎないか?
 ――んー、やっぱりそう思う? 微妙に親バカっぽいよね。じゃあどうしよっか。
 単純にひっくり返せばいいんじゃないか? 『陽太』と。

 ――プッ、めっさ安易ね。
 うるさいな。じゃあもう『太陽』って書いて『プロミネンス』とかにするか? 安易じゃないだろ?
 ――うわー、痛々しいけどこのご時世いないって言い切れないのが複雑だわ。
 いないだろさすがに。

 ――わっかんないよー……ってなんか脱線してるわね。わたしはいいと思うよその直球な安易さ。
 ほんとにいいと思ってんのかな。なんか釈然としないな。
 ――さてさて、母親似のかわいい美月ちゃんかな? 父親似の残念な陽太君かな? あなたはどっちがいい――

 ひねくれた俺はもちろん、父親似の残念な陽太君と答えた。それからしばらくして、美希のお腹の子は
女の子だとわかった。俺と美希との間の一人目の子どもは「美月」と名付けられた女の子で、だからもしかしたら
いたかもしれない「陽太」という名の男の子は、本当に「もしかしたら」の存在になった。


 ――あなたー、おかえりー!
 お、おう、ただいま美月。いい加減おかあさんの真似するのやめような。
 ――えー、どうしてー?
 ほら、お父さんは美月のお父さんであって、あなたじゃないからさ。

 ――よくわかんない!
 うーむ……あのね、お父さんを「あなた」って呼んでいいのは、世界中でおかあさんだけなんだよ。
 ――えー、どうしてー?
 うむむー……子どもの「どうして」はなんでこうも手強いんだろ……。美希さーん! 助けてくださーい!

 ――ふふ、子ども特有の理屈っぽさね。
 お前に似たんだな。将来が心配な子だ。
 ――この時期はみんなこんなもんよ。それにしても、あなたをあなたって呼んでいいのはわたしだけなんて、あなたはほんとに――

 わたしが大好きなのね。あの時、美希はそう言って笑った。恥ずかしさと少しの悔しさで、俺は素直に肯定はし
なかった。本当は、側にいなくなってもう何年もの月日が流れた今でも忘れられないほどに、彼女のことが大好き
だったというのに。

 ああ、そうだよ。俺は君が大好きなんだよ。君がいなくなってから、世界はどうしようもなくつまらなく感じて。
しかたないだろ? 俺に「生きる意味」を与えてくれたものが、突然消えてなくなってしまったんだから。
 なあ美希、こんな俺はどうしたらいいと思う? 俺は……どうしたいんだと思う?

「……どこまでも情けない男だなこいつは」
 そんな寝言をつぶやきながら、私は優しくて残酷な夢から現実へと帰ってきた。言ってみて思ったが、目覚めながら
発した寝言は寝言に分類するべきなのか、それともただの独り言なのだろうか。まあどちらであろうと何の問題も現れ
はしないが、この寝言の中にある「こいつ」というのが、夢の中の「俺」へ当てた言葉であることだけは断言しておく。

 私の夢は構成が微妙に複雑になっていて、いかにも「夢」という感じなのだが、それについてここで説明を加える
ことは控えたい。ムダに長くなる上、大して面白くもない。そして何より、そんなことをしている場合ではない。

「ああ、よかった。気がつきましたか、神宮寺さん」
 どこぞから、聞き覚えのある声が響く。それはついさっき聞いたばかりの声でもあり、またずっと以前から耳にした
ことのある声でもあった。それにはあえて答えず、私はまず状況把握に努めることにする。

 と言っても、あえて「努める」とか言うほどのこともなく、状況はあっさりと飲み込めた。ガラスの窓。その向こう
を規則的なスピードで流れていく夜の街の光。時折起こる眠気を催しそうな震動。どうやら私は車の後部座席に寝かさ
れていたようだ。気がついたら車の後部座席にいた、という状況は、正直拉致という言葉以外適切なものが見当たらな
いのだが、その点は私の脳みそにかすかに残っている直近の記憶をたどれば説明がつく。

「比留間慎也博士、ですか?」
 さっき一言を発して以降、答えない私を急かすでもなく黙々と車を運転するその人物の背中に、確信を持って問いか
ける。

 キメラに対して能力を連続発動した後、比留間博士が背後から颯爽と登場した直後に、私はリバウンドに襲われた。
連続発動した分のリバウンドはすさまじく、今度こそ私は死ぬのだろうと思ったほどだ。当然のことその時点で私の
意識は途切れている。さすがにもう目を覚ますことはないと覚悟していたのだが……

 などといまだ熱の抜けない脳みそを限界酷使して考えていたところ、車がキッと音を立てて止まった。何のことはなく、
ただ信号にひっかかったようだ。そのタイミングを待っていたのかどうなのか、運転席の人物はひょいとこちらへ顔
をのぞかせながら、
「ええ、その通り。お会いできて光栄です。少し穏やかでない出会いになってしまいましたけどね」
 さわやかにそう言って、これまた涼しげに微笑んだ。

 正直な気持ち、いまだに少し信じられないところだ。日本が世界に誇る能力研究のパイオニア、比留間慎也。
十年が経った今、メディアへの露出は一時ほど減ったとは言え、その知名度と影響力は少しも翳ってはいないはずだ。
そんな世界的権威がどうしてまたこんなところにひょっこりと現れたのだろうか……うーむ、ダメだな。ムダに熱を帯
びた頭では、ロクな答えにたどり着けない気がする。とにかく理由や経緯は何であれ、比留間博士が目の前にいる。
今はそれだけはっきりと認識しておけばいいはずだ。それに何より、私には気になってしかたがないことがあるのだ。

「比留間博士。あの子たちはどうなったんですか?」
 何をおいても、それだけが心配だった。車の中にあの子たちが一緒にいる様子はないから、比留間博士が面倒を見て
くれているのは私だけなのだろう(なんかすごく情けない)。キメラも牧島も撤退していたし、あれから大事に至るこ
とはないとは思うのだが……

「安心してください。彼らは三人とも無傷です。今頃はみんな無事に家に帰り着いてる頃じゃないかな」
「ああ。そうなんですか……ならよかった」
「彼らはみんなあなたのことを心配していましたよ。僕があなたを車に乗せようとした時も、「どこに連れていく気か」と
散々揉めました」

 信号が青になって再び私に背を向けた比留間博士は、苦笑いを浮かべているんだろう疲れた口調でそう語る。
「あなたは子どもに好かれやすい人柄なのでしょうね。少しうらやましいな」
「……はあ、どうなんでしょうか。まあ少なくとも私自身は子どもが好きですがね」
 この言葉を聞いて、比留間博士はクスリと笑い、

「そりゃそうでしょう。そうでもなければあんな無茶な真似はできないし、しません普通は」
 嫌みのない口調でそう言って、最後にまた一段と楽しそうに笑った。ひとしきり笑った後、彼はまた真面目な声色に
なった。

「まあ実際は笑いごとではありませんけどね。僕が最近開発した試薬を投与しなければ、あなたは今でも生死の境目を行っ
たり来たりの状態だったかもしれませんから」
 何か言葉を返そうと思ったが、できなかった。左腕がジンジンと痛み始め、何かと思って見れば、見るんじゃなかっ
た思うくらいに痛々しい歯型と血痕が目に飛び込んできて、もう完全に固まってしまったのだ。目が覚めた直後はおそ
らくマヒしていたか、むしろキメラに噛まれたこと自体を忘れていたためにその痛みも忘れていたのだろう。その時の
状況を少しずつ思い出し始めた今、痛みも一緒に思い出したというオチだ。
 そんなわけで青い顔してだんまりな私に構わず、比留間博士は続けた。

「今夜のことについて僕から説明したい、逆にあなたから説明してほしいことがいくつもあります。ですが」
 そこまで言って、比留間博士は言葉を区切った。後ろから少しだけ見える横顔からは、次の言葉は読み取れなかった。

「ですが、何よりも優先すべき話がある。僕はそのために今日、こうしてあなたの前に現れました」
 ここに至り、私はようやく思いだした。私が岬陽太と再びのコンタクトを取ろうと考えた、その理由を。端的に言えば、
一連のERDO職員襲撃事件の黒幕にご登場願うため、だったはずだ。そして今こうして、新たなる登場人物が目の前
にいる。あまりにも予想の範疇を上回り過ぎていて、こんな考えに至りもしなかったのだが。

 そう、それはあまりにも突飛過ぎる。私と比留間慎也に直接の接点などない。何より比留間博士は世界に名だたる
能力研究者だ。日本国内においてその名は時の総理大臣以上に知れ渡っているし、世間的な人気も未だに高い。そんな
人物がだ。そんな人物が、私のようなしがない没個性的小市民の命を狙うような真似をするものか――

 などと一人深刻真剣に没入していたところ、
「神宮寺さん。着きましたよ」
 と、あくまで爽やかな声で呼ばれた。

 さて、着いたとはどういうことだろう。まあ勿論目的地に着いたということで間違いないのだろうが、目的地がど
こかなど知らされてもいないのだから反応のしようもない。窓の外を見てもあまり明かりはなく、不安な心持ちが増
すばかりだ。とは言っても、このまま他人の車に居座るわけにもいかない……とヘタレた思案を見透かしたかのよう
に比留間博士。

「ああ、そういえば目的地を教えていませんでしたね。警戒するのも無理ありません。でも大丈夫です」
 言いながら、私を置いて車を降りる。その所作がまた実に軽快で、絵になっている。後に続けと言うことなのだろう。
ああ、笑顔で手招きまでしている。軽く腹が立つくらいに爽やかなその笑顔を横目に、私は後部座席のドアを開けた。

 車の中から見ていたのとやはり変わらず、ずいぶんと明かりが乏しい場所だった。街の明かりと思しきものは遠目
にしか見とめられない。そんなだから一瞬、都心から離れた郊外に立つムダに敷地のでかい贅沢な邸宅にでも連れて
こられたのかと思った。それが比留間博士の自宅だったりするのなら、ちゃっかり有名人のお宅訪問を果たせたとし
て微妙にテンションが上がるところだが、残念ながらと言うべきか、それは違っていた。

「ようこそ、ERDOの神宮寺秀祐研究員。さあどうぞこちらへ。僕、比留間慎也の研究施設をご案内しますよ」


 つづく


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最終更新:2011年05月05日 01:21
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