金曜日の夕暮れ時というのは、きっと多くの人が心躍らせる時間なのだと思う。その中には、やりたくも
ない学業や仕事から一時とはいえ解放されたというやや後ろ向きな喜びあり、もっと素直に楽しい週末がやっ
てきたというプラス思考な気持ちもあり、その辺は人それぞれだろう。
なんにせよ金曜のこの時間、人々の顔は一様に晴れやかだ。今私の目の前を次々と行き過ぎる中学生たち
も、生き生きとした表情で帰宅の途についている。そんな彼らのうちの何人かが、私に向けて怪訝そうな視
線を送ってくる。
無理もない。下校時刻の校門前に何をするでもなく無言で突っ立っている無意味に背の高い眼鏡の中年。
明らかに不審者だ。物騒な事件が頻発する昨今これを怪しいと思わないのは、逆に危機意識が欠けていると
言わざるを得ない。
とりあえずこういう時は堂々としているに限る。変に挙動不審になってしまっては、逆に不審さに拍車を
かけるばかりだ。
私は別にいかがわしいことをしようとしているわけでもないのだ。最近の女子中学生はスカートが短いな
と少し思ったくらいで。
「来ないな、月下君……」
私は人を待っていた。この校門から出てくるはずの、一人の少年を。
死にかけて助けられてまた死にかけたあの後日、私は早速行動を起こした。
岬陽太との再コンタクトと、
同時に私の身分を彼に明かすその許可を上から貰うこと。
許可は存外にあっさり下りた。まあ実を言えばちょっとした取引をしたのだが、これはわざわざ説明する
ほどのことでもない。
そう、思っていたより順調だった。岬陽太との再接触は困難を極めると予想していただけに、拍子抜けす
るほどだ。ここに来るまではそう思っていた。少し調子に乗っていた。イキっていたと言ってもいい。
最後の最後で計算外は起きた。本来私は一人でここにいるはずだった。誰かを同行させるつもりはまった
くなかった。というか考えもしなかったのだ。特にその同行者がもはや手の施しようもない終末期の中二病
患者で、もう夏になろうかというのに全身を真っ黒のゴスロリ衣装で固めた、かわいらしい本名があるのに
おかしな名前を自称している医者も見捨てる終末期の中二病患者(大事なことなので二回言った)だったり
する場合、私は全力で拒否っているはずだ。
なのに、いる。私の隣りにいるのだ、そんな子が。校門前にぼけっと突っ立っている私の隣りで彼女もま
た、黒い日傘の下で物言わずただ突っ立っている。
彼女の存在はおそらく、傍から見た私の不審さにますます磨きをかけているように思う。不審な中年の隣
りにちょこんと控えるゴスロリ少女。怪しい組み合わせだ。中学生たちの好奇の視線はおそらくこの少女に
も向けられているだろうが、そこはこの子のことだ、無表情かつ鋭い眼光で睨み返していると思われる。
「ドクトルJ」
不意に日傘の下から声がした。顔は合わせられないが、一応そちらに目をやる。
「ここは随分と不躾な輩が多いところね。さっきから無礼な視線を向けてくる者ばかり。いい加減虫酸が走るわ」
小さな体格の割に落ち着いた声で、日傘の少女――朝宮遥ちゃんがぶちぶちと呟く。黒い日傘の下からた
だ声だけが聞こえる。まるで日傘が喋っているみたいだ。
「うーむまあねえ、仕方ないよ遥じゃなくて白夜ちゃん。私たち明らかに怪しい者だし」
「唯そこにいるだけの存在を、唯そこにいるというだけで不審だという結論に帰する。如何にも愚者の愚者
による愚者のために愚者が創り出した理論ね。いえ、こんなものを理論と呼ぶことさえ腹立たしい。聞くに
値しない空論、暴論、妄論として唾棄すべきものだわ」
イライラが募って中二病発作が始まったようだ。空論暴論はいいとして、妄論ってなんだ? 私の語彙に
はない言葉だ。それと一応の補足だが、彼女は自分を『白夜』と呼称する。周囲にもこの名で呼ぶことを強
いており、私が呼び名を慌てて訂正したのはそれ故だ。本名で呼ぶとそれはもう大変なことになるから。
「ま、まあ私を見る視線は明らかに警戒感がこもってる感じするけど、白夜ちゃんのは違うんじゃないかな。
白夜ちゃん変わった服装してるし、そもそもかわいいからね、お人形さんみたいで」
この少女も中学生だ。我ながらそんな若い子に何を言ってるのだと思わざるを得ないが、これ以上機嫌を
損ねるのは死活問題だ。
と、眼下の黒い日傘がさわさわと揺れ、その影におさまっている小さな体がそそそと遠ざかっていく。ちょ
うど人間二人分ほどの間隔ができたところで彼女は足を止め、日傘の下から小さく顔を覗かせた。
「ドクトルJ、私は気付いてしまったわ。ドクトルJという人間に対する私の認識にはひとつ、重大にして
致命的な瑕疵が存在したことに」
わかりにくい。わかりにくいが、そう言う彼女の目には憐れみの色が浮かんでいた。
「不思議だったわ。何故貴方はあんな不躾な視線の数々にその矜持を辱められてまで、ここに留まっていら
れるのか。愚者の妄論で不審人物と決めつけられてなお、何故平気な顔をしていられるのか。それが私には
理解できなかった」
私には君自体が理解できない。君は一体何に気付いてどう結論付けようとしているんだ白夜ちゃん。
「ドクトルJ。貴方は……小児愛好者だったのね。岬月下を待ち伏せするという一見もっともらしい大義名
分を盾に、女子中学生の若々しく瑞々しい肌をその網膜に焼き付けていた。そうなのね」
「そうなのね、じゃなくて! 何をどうしたらそういう結論になったんだよもう」
迂闊に「人形みたいでかわいい」とか言った結果がこの様だ。この子の妄想エンジンの馬力を甘く見てい
るとこういうことになるのだが、どうも私はその辺の学習能力が低いようだ。
「現世の常識や理屈から言えばあの者たちと同じ中学生であるこの私に、貴方は「かわいい」と言ったのよ。
現世の常識や理屈抜きで考えても唯の中年男性である貴方が、ね。そこから導く解なんて――」
つらつらと地味に失礼な台詞も織り交ぜて語る遥ちゃんが、ふっと押し黙った。
「……感じるわ」
「え?」
「自ら輝くこともかなわず、絶対者たる太陽の光に縋りつく卑小で矮小な天体」
「はい?」
「穢れの白銀に抱かれし爛れた月が、恐れ多くもこの空に昇ろうとしているわ」
唐突に妄想エンジン全開。完全に置いてけぼりだ。ついて行く気もないのだが。しかし彼女の一見して意
味不明な言葉は、何かしらの寓意であることが往々にしてある。そして今回その意味は非常に単純明快だ。
「あれ? ど、ドクトルJ? それに白夜? お前らなんでこんなとこにいるんだ!?」
待ち人来(きた)る。私と遥ちゃんの姿を見つけて、彼のほうから寄ってきてくれたようだ。まあそれだ
け私たち二人組は目立っているのだろう。
「や。久しぶりだね、岬陽……月下君」
彼もまた遥ちゃんと同じ病気に罹患していて……もう説明が面倒になってきたので省く。
「岬月下。貴方とは決着をつけていなかった――」
「はいはいはいはい白夜ちゃんちょっと黙っててね後でゴデバのチョコ買ってあげるから。えーと、そちら
のお嬢さんは……」
陽太君の隣りで、明らかな不信と警戒の信号を送っている少女がいる。彼女については無論調べをつけて
いるが、こうしてあからさまに警戒されている以上、知らないふりをするのが吉だろう。
「ん? ああ、こいつは俺の幼馴染で
水野晶ってんだ。男みたいだけど、まあ見ての通り女だ一応はって痛ててててっ!」
「一言多いよ馬鹿陽太! そんな紹介の仕方があるか!」
すかさず背後からこめかみをグリグリされる陽太君。彼らのパワーバランスがよくわかる。
「水野晶さんだね。どうぞよろしく。私はじんぐ――」
「晶、この人はドクトルJって言って、能力を研究する自称天才のマッドサイエンティストだ」
「ちょっと陽太、また勝手に変な設定作ってるでしょ! とうとう他人まで巻き込んで――」
「お待ちなさいフロイライン」
とここで喋らなくていい子が喋り出した。私はまるで話に入れてもらえない。このままだと私まで残念
な人の仲間入りをしてしまうというのに。念のため注釈をしておくと、ドイツ語の「フロイライン」は英
語の「ミス」にあたる言葉だ。何故遥ちゃんが突然ドイツ語を発したのかはまるで不明だが。
「岬月下の言葉は妄想でも物語でもなく間違いなく真実よ。この男の名はドクトルJ。能力という狂気に
憑かれた悲業の探究者よ」
おい、妄想と物語が全開じゃないか。私の内心はさておき、さっきからこの中二少女が気になっていた
らしい水野さん、恐る恐るといった様子で口を開く。
「あのー、あなた様は……?」
「……私としたことが。自己紹介もなく人と言葉を交わしてしまうなどと。非礼をここに詫びるわ。私の
名は白夜。夜の闇を祓う者、白夜よ」
「びゃ、白夜、さん。あ、私は水野晶です。よ、よろしくね」
ぺこりとお辞儀をしながら水野さん。これだけ痛々しい中二少女にも礼儀正しい。いい子だ水野さん。
「ところでフロイライン。アキラとはどんな漢字を書くのかしら」
「え? えーっと……ああ、結晶の『晶』だよ」
疑いもなく快い返事をする水野さん。それを聞いて何事か考え出す遥ちゃん。こういう時、彼女の頭
の中で巡らされる思考はたいがいロクでもない。
「水野晶……水ノ晶……水の晶……。そう、貴女だったのね」
「え? な、何が」
「水晶のように美しく、水晶のように気高く、水晶のように脆く儚く。占術師の未来予知にも使われる水
晶、それと同じくその瞳はこの世の理全てを映す鏡。その心に水晶を抱く乙女、貴女の名は……そう、
水晶姫(すいしょうき)。こんなところでめぐり逢えるなんて」
妄想エンジンはとどまるところを知らない。どこまで加速すれば気が済むのだろうか。一体なんなのだ
『すいしょうき』って。私の心配をよそに、遥ちゃんはどこかうっとりとした様子で滔々と語る。水野さん大迷惑だ。
うっとりとしたままの遥ちゃんがふらふらと水野さんに近づき、その手を彼女へと伸ばす。わけもわか
らない様子の水野さん。その二人の間に、もはや私とともに蚊帳の外になりかけていた陽太君が割って
入る。
「おい何の真似だ白夜! 晶に手を出すな!」
「邪魔をしないで頂戴岬月下。ようやくめぐり逢えた水晶姫、私は彼女を手に入れなければならないの。
本来貴方のような者が側にいることが赦される存在ではないのよ、彼女は」
「何だと? ハッ、お前とは共闘したこともあったが、どうやら何かの間違いだったみたいだな。白夜!
今日こそ決着をつけてやる!」
「ふふっ、威勢のいいこと。やはりこうなることが、私と貴方に科せられた宿命なのね岬月下」
そう言ってにらみ合う終末期中二病患者二人。冷静に周囲を見ると、校門から出てくる中学生たちがこ
ちらを見てクスクスと笑っている。おいおい、まさか私も仲間だと思われてるんじゃなかろうな。普段は
陽太君の中二病を上手くいなしているらしい水野さんも、さすがにこの共鳴を止めることはできないよう
で、すでに軽く放心している。
当初の見立ては間違っていなかった。やはり、一筋縄ではいかない。改めてそれを認識した、金曜日の
夕暮れだった。
つづく
登場キャラクター
最終更新:2010年10月03日 20:11