正直に吐露しよう。私は間違っていた。週末にいきなり自宅に押しかけるのは流石に気が引けるからと、
平日の放課後に
岬陽太を訪ねることにした私の判断は底抜けに迂闊だった。
我ながらあまりに浅はかで愚かだと思う。放課後という時間がいつのことを指すのかという、この国で
義務教育を受けた者ならば簡単に答えを出せることに思い至っていれば、こんな悲劇は起きなかったのだ。
「うっわーやっべこの豚カツうめぇ! つーかこのソースが最っ高! 高いだけある!」
向かい、岬陽太君の注文:薩摩の黒豚ロースカツ三百グラムとどんぶりごはん特盛りセット御膳。通称
『漢気あふれる漢の豚カツ御膳』。お値段二千五百円。高すぎる。
「豚カツなど庶民の食べ物だと思っていたけど、意外といけるわ。私としたことが、先入観という魔物に
囚われて目が曇っていたようね」
隣、朝宮遥ちゃんの注文:薩摩の黒豚フィレカツ百七十グラムとしそ巻きチーズカツのダブル御膳。お
値段二千円。フィレは高い。
「こら陽太、せっかくおごってもらってるんだから味わって食べなよ! がっつくなみっともない」
陽太君の隣、
水野晶さんの注文:海老フライと牡蠣フライとその他諸々海からの贈り物御膳。このネー
ミングセンスはどうかと思うが、実際メニューにそう書いてあるので仕方がない。お値段二千円。
しめて総額六千五百円となる。私がちびちびと大切に飲んでいるホットコーヒーを含めると七千百円だ。
一日の夕食だけで七千百円て。これを悲劇と言わずしてなんと言うべきか、少なくとも私の中にはそれ以
外の語彙は見当たらない。
こんなはずではなかった。なさすぎた。しかしつまるところ私の判断が甘かったのだ。放課後、しかも
週最終日の放課後を迎えた中学生の食欲と開放感というものを、私は計算に入れていなかった。
それが念頭にあれば、以前の出会いの時に快く食事をおごった手前、陽太君が私に晩飯をたかってくる
ことは予想できたはずだった。駅前にオープンした少しお高めの豚カツ専門店を所望されることさえも、
頭が秋晴れの空の如く冴えわたっている時の私であれば勘付けたかもしれない。
まあもう何を言おうが考えようが遅い。次……なんてものがあるのかどうかもわからないが、もしある
ならその時は、放課後には絶対会いに来ないようにするとしよう。同じ失敗は二度としない。それこそが
私、神宮寺秀祐の流儀だ。……気のせいだろうか。なんかどこかで聞いたことのあるフレーズのような。
「あの、ど、ドクトルJさんは食べないんですか?」
一人でいじけモードに入っていた私を現実へ連れ帰ってくれたのは、今日直接は初めて会う少女、水野
さんの一言だった。学校からの道すがら、彼女の警戒心を解くことにはすでに成功している。……なんか
私、軽くいかがわしい人みたいじゃないか?
一応彼女は私を『厨二病妄想に付き合わされている哀れな大人』と認識してくれている(これはこれで
哀しい)らしく、『ドクトルJ』と呼ぶことに抵抗してくれている。だがそれ以外の呼び方がわからない
のでそう呼ぶしかなく、結果どもっている。
「晶、ヤボなこと聞くな。ドクトルJはコーヒーさえあれば栄養を賄えるし、頭も働く人なんだ」
「その通りよ水晶姫。彼は研究所でもコーヒーばかり飲んでいるの。体に障るからやめなさいと言ってい
るのだけどね。困ったものだわ。貴女からも何か言ってあげて頂戴水晶姫」
ってちょっと待て。変に考え事をして間を作ったせいで、また余計な設定を追加されてしまったぞ。そ
れにしてもなんなのだこの二人の息の合い方。まだ二回目の出会いのはずでしょ?
「あ、じゃあど、ドクトルJさん。僕の牡蠣フライ食べますか?」
「ああいや、いいよ。気にしないで。コーヒーさえあれば栄養を賄えるのは言い過ぎにしても、今はあん
まりお腹すいてないんだ。私牡蠣は苦手だしね。昔見事に食当たって以来」
嘘をつくなと反抗してぐうと鳴きだしそうな腹を軽く殴りつつ、向かいの席の水野さんに最高の作り笑
顔を返す。本当は牡蠣大好きなのだ私。
「よっしゃ晶そういうことならその牡蠣フライはこの俺が貰ってやる! 感謝せいって痛て痛て痛てててて!」
「馬鹿陽太! ドクトルJさんが食べないなら僕がちゃんと食べるってば! 僕だってお腹空いてるんだから」
横から伸びてきた大食い少年の手に、テーブルの隅に置かれている爪楊枝をぐさりと突き刺して応戦す
る水野さん。仲よさそうだ。
「うふふ、いい気味。無様ね。ええ、実に無様よ岬月下。水晶姫、もっと痛ぶってあげて」
私の隣りからはそんな声。君はほんと穏やかじゃないね遥ちゃん。というか水晶姫はもう確定なんだね。
がんばって水野さん。
「あー痛っつー……爪楊枝で血が出るとかよっぽどだぞマジで。っとんなことより、だ。ドクトルJ、説明
しろ」
「はい?」
「はい? じゃないだろ。説明だ」
「いや、何を説明?」
振りが唐突過ぎてまるで対応できない私を見て、陽太君は露骨にため息をつき、映画とかでアメリカ人が
よくやる「まったくこいつはニブいGUYだぜHAHAHA!」的ジェスチャーをして見せる。むかつく。
「白夜。このすっとぼけたお前のマスターにわかるように一から十まで余さず言ってやってくれねえか」
「どうして私が。しかもドクトルJが私のマスターですって? 世迷言はほどほどにすることね。岬月下。
貴方はあくまでも私の敵、決して相容れることなどかなわぬ者同士。そんな貴方の言葉足らずな発言の意図
を、どうしてわざわざこの私が斟酌しなければならないのかしら。到底承服できかねるわね」
そして突然始まりました厨二発作の応酬! もう私にできることはない!
「なんだと? ……はっはーん。さては白夜、お前も俺が何の事を言ってるのかわからねえんだろ」
「な!? なんて無礼な……この白夜を……愚者呼ばわり……! ふ、ふふふ……いいわ岬月下。そんなに
お望みなら聞かせてあげる。貴方を天上の大海へと導く者の詩を。壮大にして荘厳なる調べ、深き慈愛の中
に非情さと残酷ささえ併せ持つ、戦慄すら覚えるほど悲痛にして無垢なる旋律を」
「お、おい白夜待て。ここは豚カツ屋さんの店内だぞ! 一般人に迷惑をかけるな!」
「ふふ、今更怖気づいたのかしら岬月下。でももう遅いわ。貴方は大罪を犯したの。私の逆鱗に触れるとい
う大罪を。その深すぎる業を償う手段は唯一つ。速やかなる処断。それだけよ。さあ、理解できたら覚悟を
決めなさい岬月下」
そう言って遥ちゃん攻撃態勢。対して陽太君も能力を使って何か食べ物を出そうという態勢。今はまだ日
が出てるから、陽太君的に大した物は出せない気もするが。まあどっちもがんばれーわー。
「チッ、そこまで言うならしゃあねえ。今ここで決着つけてやるぜ白夜って痛ででででででで!」
威勢だけはよかった陽太少年あっさりダウン。しかし原因は遥ちゃんの攻撃ではなく、
「もーいい加減うるさいよ陽太! 小学生じゃあるまいし、お店の中でギャーギャー騒ぐな!」
水野さんの爪楊枝攻撃だった。さっきよりさらにいい感じで突き刺さったらしい。陽太君はすっかり涙目だ。
「す、水晶姫。邪魔をしないで。この者は私を愚弄したの。私自ら罰を――」
「白夜ちゃんも! この馬鹿と一緒になって騒がないの!」
なんということでしょう。遥ちゃんが喝を入れられている。しかも同世代の女の子に。というか水野さん、
水晶姫呼ばわりはいいのだろうか。この際そこにもツッコんでいいと思うのだが。
「そ、そんな!? く……水晶姫が言うのならば仕方ないわね。確かに大人げなかったわ。ごめんなさい」
いや君大人じゃないしねというツッコミは置いといて。遥ちゃんがあっさり謝ったよ。明日地球は大丈夫
かな。しかしまあ水野さん、やっぱり陽太君で慣れてるだけのことはあるんだろう。厨二病患者のあしらい
方のコツを掴んでいるのかもしれない。これからは密かに厨二病マスターと呼ぶことにしよう。
「うんうん、普通に楽しく食べようね。あそうだ白夜ちゃん、そのしそ巻きチーズカツひとつくれない?」
「え? これ? ええ、別にいいわ。貴女にあげる」
やったと言いながらチーズカツを自分の皿に移す水野さん。それにちらりと目をやりつつ、自分のカツを
またちびちびと口に運ぶ遥ちゃん。一人手の甲をおさえながら涙目の陽太君。
これはきっとどこにでもある微笑ましい日常の一コマだ。すっかり冷めつつあるホットコーヒーを大切に
飲み下しつつ、私はもう少しの間もともとの目的を放置しておくことにした。
つづく
登場キャラクター
最終更新:2010年11月21日 12:38