「牧島か……なんで君がこんなところに」
あまりに予期していないタイミングでの招かざる人物の出現に、私はすっかり動転していた。おかげでこんな
月並みな言葉しか発することができなかった。
「なんでだって? フン、神宮寺お前、まさか僕は飯を食わなくても生きていける人間だとでも思ってるのか?」
「……たまたま同じ豚カツ屋で飯を食ってただけ。そう言いたいわけか? 到底信じられんよ」
本来なら気の利いた皮肉の一つでも言ってやりたいところだが、今の私には言葉を選んでいる余裕がなかった。
そっくりそのまま思ったことを口にするのがやっとだ。
私のそんな内情を見透かしてか、牧島はその顔ににやりと陰湿な笑みを浮かべる。焦り余裕を失っている私を
見て愉しんでいる。そんなところだろう。
「まあ、信じる信じないはお前次第だ。好きにするといい。それより神宮寺、さっきの中学生たち、先に外に出
たんだろ? 大丈夫かなあ。最近は随分物騒じゃないか。心配だなあ」
より一層下卑た笑みを深くしながら放たれたその言葉は、ほぼ思考停止にあった私の脳に活力を与える電流と
して作用した。
この男が今日ここにいること。そしてこの時私の前に姿を現したこと。それらがもし偶然ではなかったならば、
この男の発言が持つ意味はただひとつしか考えられない。
その解答にたどり着くより一瞬早く、私の足はもう動きだしていた。一刻も早く店を出なければ。ただそれだ
けを思って。未来ある6つの瞳が元気に私を迎えてくれる、その光景を早く確認したくて。
「神宮寺秀祐。ちゃんと勘定は済ませろよ。食い逃げは立派に犯罪だ」
去り際。あくまでも我関せずの傍観者のような物言いでくだらない忠告をしてくる黒ずくめの男に、私は決し
て言ってはならない、それでも言うしかない正直な言葉を返す。
「牧島。あの子達の身に何かあれば……」
私は君を殺す。シンプルなその言葉を、私は心の中で呟くことしかできなかった。
ひどい矛盾だと思った。今この時、私は心底そう思っているというのに、声に出すことができない。
声に出してしまえば私は本当にそれを実行してしまいそうだと、心のどこかで自制する自分がいて。どうせ心底
そう思っているのだから言葉にしようがしまいが一緒だと囁く自分がいて。
だがそもそもあの子ども達が傷つけられたとして、本当に私はこの男を殺せるのかという、根本的な疑問を提起
する自分もいて。
自分の思考の中で全てを完結させようとする私は、結局その思考の中で矛盾をきたすばかりで先に進むことのな
い、卑怯で臆病な人間でしかない。
結局その先の言葉を継げないままに、私は出口へと足を向けた。最後に背中越しに聞いた牧島の言葉に、耳を貸
すことなどなかった。
飛び出すように店から出るとすぐ、私の目に飛び込んできた光景。それは考えうる中で最悪の事態……とは程遠
く、私は心の底から安堵した。とりあえず、店内での忌むべき遭遇などなかったことのように、努めて平静な声で
彼らに呼び掛ける。
「や、みんな。結構待たせちゃったね。ごめんよ」
私の声に、水野さんは笑顔を浮かべながら「ごちそうさまです」言って迎えてくれた。この子は本当によくでき
た娘さんだ。で、あとの二人はと言うと。
「水野さん。この子たちどうしてこんなしょぼくれてるの?」
陽太君も遥ちゃんももともと小柄なほうなのだが、その小柄な体たちが今ますます小さくしぼんでいた。がっく
りと俯き、表情も見えない。一体何があったというのだ? 牧島が言っていたことと関係があるとは思えないが……
「あー……ドクトルJさんを待ってる間、二人がまた発作を起こしちゃって。みっともないからやめろってちょっと
きつめにお説教したら、二人仲良くこんな調子に」
「あ、そう……はは」
一体どんな説教を垂れたのだろうか。あの陽太君と遥ちゃんが二人して、廊下に立たされて晒し者にされてる小
学生みたいにみじめっぽい姿で、完膚なきまでにヘコんでいる。とりあえず私も今後、水野さんの怒りに触れるよ
うなバカな真似はしないようにしないと。
などと、あまり彼らが無事だったという安心感に浸っていられる場合でもないのだった。とにかく一刻も早く彼
らを帰してあげないといけない。だがその前に、やはり一応確認はしておいたほうがいいだろう。
「水野さん。この子たちにありがたいお説教を垂れている間、何か変わったことはなかったかい?」
唐突な問いに一瞬怪訝そうな顔になった水野さんが、数秒の間の後に口を開きかけたのとまさに同じ時。
「変わったことなんて何もありませんでしたよ、ドクトルJさん」
おそらく水野さんの口から発せられるはずだったろうその言葉は、私の背後から、爬虫類の声音で聞こえてきた。
まあ、遅かれ早かれ出てくるのだろうとは思っていたから、今度はもう驚きも動揺も特に感じない。ただこの子
ども達とあの男が、面を突き合わせて出会う事態になってしまったことだけは心残りだが。
「だ、誰ですか? あの人。ドクトルJさんの知り合い?」
「知り合いと言えば知り合いだ。できれば君たちは関わらせたくない知り合いだ」
水野さんに背を向けながら言ったその言葉は、聞きようによっては冷たく突き放したように聞こえただろうか。
だがそう言うしかないのだからしかたがなかった。そんな私の悩みも、牧島はあっさり打ち破ってくれる。
「初めまして、
水野晶さん。そして後ろで小さくなってるお二人さん。まあ、君たちは初対面じゃないんだけど、
覚えてくれてるかねえ」
「ハッ! 忘れようったって忘れられるわけねえぜ。そうだろ白夜」
「ええ、当然よ。答えるのも愚かしいほどに当然ね。因縁のメビウスで繋がれた存在だもの。幾度転生を繰り返そ
うとも、忘れることなどあり得ないわ」
これはまずい。活気づいてしまっている。ついさっきまで半泣きでしょぼくれてたでしょうが君達。これも全部
牧島のせいだな。それにしても、そうだったか。彼らは前回の事件の時、すでにこの男と出会っていたんだな。だ
からどうだということはないのだが、彼らの厨二力が俄かに最大限まで高まってしまったのはかなりの誤算だ。
「その二人……月下君と白夜さん、だったか。神宮寺、お前は知ってたか? 前の事件での彼ら二人の戦いぶり。
素晴らしかったよ。僕は素直に感心したね。能力の可能性ってのはまだまだ未知数。努力や組み合わせ次第で、そ
の価値はいくらでも高められる。それを教えてもらった気がしたよ」
その発言は、牧島にしては随分まともなものだった。それは常々私が思っていることでもあったのだ。だからと
言って、今気を緩めていいというわけではなかった。
「せっかくだから神宮寺。お前も今ここで見てみるといい。前にお前がリバウンドでくたばってる間、彼らがどん
な風にキメラを、そしてケルベロスさえも退治したのか。興味あるだろ? 能力研究者としては」
「ハッ、またワン公相手ってか? いい加減自分で戦ってみせろっての」
と、威勢のいい言葉を吐きながら堂々と割り込んでくる陽太君。彼のこの自信と余裕にみちあふれた態度は一体
何を根拠にしているのだろうか。
「ひひっ、まあそう言うなよ月下君。今回のはちょいと改良してあるからさ。楽しんでもらえると思うよ」
歪んだ笑みを浮かべながらそう言うと、牧島は右手をスッと掲げ、彼の正面の空間を手刀で切るように素早く振
り下ろす。一瞬の間があって、その空間に細い亀裂のような筋が出現。さらに牧島がその亀裂に添えるように右手
を差し出すと――
「な、何なの? あれ」
その亀裂を中心として大きく円状に広がった、禍々しい色をした奇妙な空間を目の当たりにして、水野さんが怯
えたような声を出す。それに答えを返そうとした私よりも早く、こんな状況でも妙に落ち着いた厨二病患者達の声
が響いた。
「場所と場所とを繋ぐ穴。さしづめそんなところだろ」
「ええ。『時界の門扉【アビス・ゲート】』。以前私たちの前から忽然と消えたように見えた時も、この能力を使ったのね」
……正直なところ、彼らは素で能力鑑定士としてやっていけそうな気がする。ネーミングセンスだけはどうにか
しないといけないが、分析は非常に的確だ。牧島の夜間能力は、一種のワームホールを作り出す能力と言えば話が
早い。あの禍々しく渦を描く空間をくぐることで、牧島が指定した任意の地点にあっという間にたどり着くこと
ができるのだ。そしてそれは、その逆もありと言える。
「あ、あれ! なんか出てきたよ! き、キメラ……?」
再度水野さんの怯えたような声。不謹慎だし申し訳ないという気持ちはあるが、彼女のような反応が一番自然で
当然なものなのだと、少し安心してしまう。
彼女の言葉通り、禍々しい空間からは、すっかり正気を失った不気味な犬らしきものが二匹湧いてきていた。こ
れがさっき言った「逆」というやつだ。向こう側からこちら側へ出てくることも可能というわけだ。と、そろそろ冷
静に解説していられる時間も終わりだろう。
「こうなりゃもうやるっきゃねえな。あの野郎、今度は逃がさねえ。準備いいか白夜」
「いつでも」
あくまで彼らはやる気だった。どれだけ醜悪な化物がその前に現れようとも、彼らは怯む様子なんてかけらも見
せない。それが厨二病という厄介な病が生み出すかりそめの勇気なんだとしても、そのバカ正直さはいっそすがすが
しいとさえ思う。そんな無謀と紙一重の勇気を持つ彼らを素直にうらやましいと思う。それでも今この時だけは、
彼らの勇気を挫かなければならない。
「月下君! 白夜ちゃん! やめるんだ! あのキメラ、以前のものとは明らかに違う! 怪我じゃ済まないぞ!」
「んなことはわかってるよ。わかってても、やらなきゃいけない時ってのはある」
一歩前に出たその背中は、固い決意に溢れていた。何が彼らをそこまでさせるのか、私にはもはやわからない。何
か有効な手立てをくれまいかと水野さんに視線を向けると、いつになく険しい表情で、牧島の能力で出現した二匹の
キメラを凝視していた。
恐怖で強張っている、というわけではなさそうだった。思えば出現してからあのキメラたちは、結局あの場所から
ほぼ動いていない。その不可解な挙動には、牧島さえ首を傾げているようだった。その事実でピンと来た。あのキメ
ラたちは、水野さんの能力で動きを封じられているのだ。「動くな」と強く念じているのだろう。いずれにせよ、こ
の間に陽太君たちをなんとかしなければ。
「陽太君。どうしても戦うって言うのか?」
「愚問だな。鎖で繋がれた以上、あいつと俺達はいずれまた出会う。なら決着はさっさと着けるべきだ」
「まったく同感ね」
決して揺らぐことはないのだろう。だから私も一時、厨二病に侵されてみることにした。それはいろんな意味で、
苦渋の選択だった。
「そうか。なら仕方ないな。君には眠ってもらうよ、月下君」
できる限り、冷たい声で言ったつもりだった。それが彼の耳にはどんな風に響いたかはもちろんわからない。ただ
振り向いた彼の表情は、年相応のあどけない驚きに満ちていた。チクリと心が痛む。
「ドクトルJ!? 何、を……」
フェイタル・スクリーマー。この能力を初めて人に向けて使うその対象は、
岬陽太。私自身、そんなことになると
は思ってもいなかった。
もちろん死に至らしめるつもりなど毛頭ない。心拍数を急激に平時より高めることで、朦朧状態に陥らせるだけ
だ。それであれば、自身へのリバウンドも軽くて済む。
「ドクトルJ!? これは何の真似!?」
「陽太! 陽太! ドクトルJさん! なんで!?」
私のそんな計算を、この子たちが知るはずもない。私を責めるのはもっともだろう。
反論するつもりはない。全て甘んじて受けなければならない。わかってもらおうとも、許してもらおうとも思って
いない。それでもせめて、これだけは言っておかなければ。
「ごめんよ、月下君。苦しい思いをさせて」
それ以上の余裕はなかった。水野さんの能力から解放されたキメラが、ついにその牙をひん剥いて駆けて来ていた。
「君たち、絶対動くなよ」
言いながら一匹に照準を合わせ、すぐさま能力を発動する。BPM:1に設定されたその犬は、それでもまだ元気
に走ろうとしていた。が、数歩の後へたりこみ、口角から泡を吹き始めた。
しかし、私にできるのはそこまでだった。もう一匹の接近を食い止める術を、もう私は持ち得ない。幸いリバウンド
の発生は遅れているようだが、能力の再発動は間に合わない距離だった。さすがにもう、諦めざるを得なかった。
「くっ……うぐあぁあぁぁっ!」
キメラの禍々しい牙が、左前腕に食い込んだ。あまりの激痛に一瞬気を失いかけたが、なんとか持ち直す。幸いか
首に食らいつけなかったキメラはすぐに離れていき、少し距離ができた。しかし犬に噛まれるのがこんなに痛いとは。
それなりに値の張るスーツに穴が空き、赤い液体が噴き出している。こんな姿は後ろにいる子ども達に見せるもんじゃ
ない。
もうさっさとけりを着けるに限る。さっきのリバウンドはまだ来ておらず、能力再発動は可能だと判断できる。その
代わり、次に来るリバウンドが凄いことになるだろうが。
構うものか。私には今守らなければならないものがある。自分の子どものような世代の少年たち三人の命を、私一
人の命で守ることができる。猿でもわかる損得勘定だ。
迷うことなどない。また今にも飛びかからんとしているキメラに、私は右手をかざす。
「やめて! ドクトルJ! その能力は禁忌だと何度も言ってるでしょう!」
悲痛な声が背後から聞こえる。なんだかんだで心配してくれるんだよね遥ちゃん。ありがとう。
心の中でそう最後のお礼を言って、能力を発動しようと集中した、その時だった。
『キュウン、キュンキュン』
キメラの様子がおかしくなった。まるで何かに、おそらく私たちの後方にいる何かに怯えるように後ずさりを始めた。
そして声が聞こえた。
「誰かを守るために命を捨てる。それは一見とても美しく見える。だが、僕はその手の美談はあまり好みではない」
その声が聞こえた途端、牧島の様子もまたおかしくなった。
「チッ、なんだってわざわざこんなところまで」
小さくそう吐き捨てて、牧島は自分の能力で作り出した穴へと飛び込み、あっさりと姿を消してしまった。
あまりの状況の変化に、私は軽く置いてけぼりを喰らっていた。水野さんの驚く声に振り向かなければ、もうし
ばらくそのままだったかもしれない。
だが、振り向いた先にたたずんでいた人物の姿を見とめて、私は再度固まった。
「初めまして、神宮寺秀祐さん。お会いしたいと思っていました。おっと、まずはきちんと自己紹介をしなければ」
そんなものは必要なかった。私は彼を知っている。能力研究のパイオニアで、世界的権威。
「
比留間慎也、博士……」
「おや、ご存知でしたか。光栄です」
眼鏡をくいっと軽く押し上げながら、さわやかな笑顔を浮かべて。
不世出の天才、比留間慎也が、確かにそこにいた。
つづく
登場キャラクター
最終更新:2011年02月19日 21:22