新藤美枝

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&strong(){しんどう みえ} -所属 扶桑皇国海軍[[第582航空隊>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A]] -階級 少佐 -誕生日 8月28日 -固有魔法 『三次元空間把握能力』 -使用機材 --[[宮菱重工業 零式艦上戦闘脚二二型>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E5%BC%8F%E8%89%A6%E4%B8%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F]](181号機) -その他 --開戦前からウィッチとして活躍し、名指揮官としても知られる。 --扶桑海事変から参戦している大ベテランで、零式が初陣を飾った際の部隊指揮官であり、その卓越した指導力で赫々たる戦果を挙げた。 --遣欧艦隊機動部隊でも空母[[赤城>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%9F%8E_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)]]のウィッチ隊指揮官を務め、一時はリバウ航空隊の指揮官にも就任し、空母と地上部隊の指揮官を往復して指示を出した。 --自らが戦闘に参加するよりも上空で的確な指示を送るタイプで、指揮下の部隊では少数のウィッチでも常に効率的な戦闘を行なう事ができた。 ---固有魔法の力もあって、空母から出撃し、海洋上で全く目印がない所からでも確実に部下を連れ帰る事ができる。 --自身の空戦能力も極めて高く、零式の操縦性を存分に引き出した高度なアクロバット飛行を易々とこなす。 ---零式を知り尽くしており性能の限界も十分認識していた事から、リベリオン側から零式では共同作戦を行うのに性能不十分と通達があった際には、国内の反対を押し切ってすぐに紫電を使用機材に選定した。 -イメージモデル [[進藤三郎>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E8%97%A4%E4%B8%89%E9%83%8E]] (1911-2000) --その他 ---歴戦の戦闘機隊指揮官として知られる搭乗員で、零式艦上戦闘機が[[初戦果を挙げた空戦>http://wowow262.finito.fc2.com/diary8_zero12.html]]において指揮官を務めた事で有名。 ---広島県出身。 ---1932年に第60期[[海軍兵学校>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%85%B5%E5%AD%A6%E6%A0%A1_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)]]を卒業、1934年11月、第26期飛行学生として霞ヶ浦航空隊に入隊、翌年7月に教程を修了し[[大村航空隊>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A]]に配属。 ---1937年3月、[[加賀>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%B3%80_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)]]戦闘機隊分隊長、次いで12月には[[佐伯航空隊>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A]]に勤務。 ---1938年7月、第13航空隊付に補され中支戦線に進出、要地防空任務にあたった後、12月に内地帰還し大村航空隊に勤務。 ---1940年5月、第12航空隊分隊長を拝命し再び中支戦線に進出、漢口基地で零戦の錬成訓練にあたる。 ----零戦初出撃である同8月19日の第1回[[重慶>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%85%B6%E5%B8%82]]攻撃では陸攻隊を直掩して重慶上空に進攻したが、敵機を発見できず帰還。 ---同9月13日、零戦13機を率い重慶を再度攻撃。上空をデモ飛行中の敵戦闘機30機を捕捉して空戦に入り、自らの1機撃墜を含め27機を撃墜、味方の損失は無し。 ---同11月、第14航空隊に転属、次いで1941年4月には新編成の第1航空艦隊の旗艦である赤城の戦闘機隊分隊長に補され鹿児島基地に赴任、ハワイ作戦に備えた訓練にあたった。 ---[[真珠湾攻撃>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83]]では第二次攻撃隊制空隊指揮官としてフォード島のヒッカム飛行場銃撃に加わり、次いで蘭印攻略作戦、インド洋作戦に参加した後、1942年4月本土帰還。 ---[[徳島航空隊>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A]]飛行隊長を経て11月に[[第582航空隊>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%AB%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A]]飛行隊長に転じ前線復帰、1943年7月に第204航空隊飛行隊長、12月には[[龍鳳>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%B3%B3_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)]]戦闘機隊長を歴任しつつ[[ソロモン航空戦>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%A2%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84]]に参加。 ---1944年2月本土帰還、3月に[[第653航空隊>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%85%AD%E4%BA%94%E4%B8%89%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A]]飛行隊長、11月に第203航空隊飛行隊長を歴任。 ---1945年5月[[築波航空隊>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E6%B3%A2%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A]]に転属し、最後は戦闘402飛行隊を指揮し福知山基地で終戦を迎えた。 -出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第一集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集 // 「進藤三郎 零戦初空戦指揮官の生涯」収録 http://www.amazon.co.jp/dp/4769809654/
&strong(){しんどう みえ} -所属 扶桑皇国海軍[[第582航空隊>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A]] -階級 少佐 -誕生日 8月28日 -使い魔 四国犬 -固有魔法 『三次元空間把握能力』 -使用機材 --[[宮菱重工業 零式艦上戦闘脚二二型>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E5%BC%8F%E8%89%A6%E4%B8%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F]](181号機) -その他 --開戦前からウィッチとして活躍し、名指揮官としても知られる。 --扶桑海事変から参戦している大ベテランで、零式が初陣を飾った際の部隊指揮官であり、その卓越した指導力で赫々たる戦果を挙げた。 --遣欧艦隊機動部隊でも空母[[赤城>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%9F%8E_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)]]のウィッチ隊指揮官を務め、一時はリバウ航空隊の指揮官にも就任し、空母と地上部隊の指揮官を往復して指示を出した。 --自らが戦闘に参加するよりも上空で的確な指示を送るタイプで、指揮下の部隊では少数のウィッチでも常に効率的な戦闘を行なう事ができた。 ---固有魔法の力もあって、空母から出撃し、海洋上で全く目印がない所からでも確実に部下を連れ帰る事ができる。 --自身の空戦能力も極めて高く、零式の操縦性を存分に引き出した高度なアクロバット飛行を易々とこなす。 ---零式を知り尽くしており性能の限界も十分認識していた事から、リベリオン側から零式では共同作戦を行うのに性能不十分と通達があった際には、国内の反対を押し切ってすぐに紫電を使用機材に選定した。 -声優 [[森谷里美>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E8%B0%B7%E9%87%8C%E7%BE%8E]] -イメージモデル [[進藤三郎>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E8%97%A4%E4%B8%89%E9%83%8E]] (1911-2000) --その他 ---歴戦の戦闘機隊指揮官として知られる搭乗員で、零式艦上戦闘機が[[初戦果を挙げた空戦>http://wowow262.finito.fc2.com/diary8_zero12.html]]において指揮官を務めた事で有名。 ---広島県出身。 ---1932年に第60期[[海軍兵学校>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%85%B5%E5%AD%A6%E6%A0%A1_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)]]を卒業、1934年11月、第26期飛行学生として霞ヶ浦航空隊に入隊、翌年7月に教程を修了し[[大村航空隊>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A]]に配属。 ---1937年3月、[[加賀>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%B3%80_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)]]戦闘機隊分隊長、次いで12月には[[佐伯航空隊>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A]]に勤務。 ---1938年7月、第13航空隊付に補され中支戦線に進出、要地防空任務にあたった後、12月に内地帰還し大村航空隊に勤務。 ---1940年5月、第12航空隊分隊長を拝命し再び中支戦線に進出、漢口基地で零戦の錬成訓練にあたる。 ----零戦初出撃である同8月19日の第1回[[重慶>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%85%B6%E5%B8%82]]攻撃では陸攻隊を直掩して重慶上空に進攻したが、敵機を発見できず帰還。 ---同9月13日、零戦13機を率い重慶を再度攻撃。上空をデモ飛行中の敵戦闘機30機を捕捉して空戦に入り、自らの1機撃墜を含め27機を撃墜、味方の損失は無し。 ---同11月、第14航空隊に転属、次いで1941年4月には新編成の第1航空艦隊の旗艦である赤城の戦闘機隊分隊長に補され鹿児島基地に赴任、ハワイ作戦に備えた訓練にあたった。 ---[[真珠湾攻撃>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83]]では第二次攻撃隊制空隊指揮官としてフォード島のヒッカム飛行場銃撃に加わり、次いで蘭印攻略作戦、インド洋作戦に参加した後、1942年4月本土帰還。 ---[[徳島航空隊>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A]]飛行隊長を経て11月に[[第582航空隊>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%AB%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A]]飛行隊長に転じ前線復帰、1943年7月に第204航空隊飛行隊長、12月には[[龍鳳>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%B3%B3_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)]]戦闘機隊長を歴任しつつ[[ソロモン航空戦>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%A2%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84]]に参加。 ---1944年2月本土帰還、3月に[[第653航空隊>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%85%AD%E4%BA%94%E4%B8%89%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A]]飛行隊長、11月に第203航空隊飛行隊長を歴任。 ---1945年5月[[築波航空隊>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E6%B3%A2%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A]]に転属し、最後は戦闘402飛行隊を指揮し福知山基地で終戦を迎えた。 -出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第一集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集/TVアニメ『ブレイブウィッチーズ』(2016年) // 「進藤三郎 零戦初空戦指揮官の生涯」収録 http://www.amazon.co.jp/dp/4769809654/

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