ヴァルトルート・クルピンスキー

「ヴァルトルート・クルピンスキー」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
ヴァルトルート・クルピンスキー」を以下のとおり復元します。
&strong(){WALTRUD KRUPINSKI}
-所属 カールスラント空軍第52戦闘航空団第6中隊
-階級
--少尉(JG52所属時)
--大尉(1944年末のカールスラント空軍所属時)
--中尉(1944年末の第502統合戦闘航空団所属時)
-身長 175cm
-年齢 18歳(1944年末)
-誕生日 11月11日
-愛称
--伯爵(グレーフィン)
--プンスキー伯爵(グレーフィン・プンスキー)
---すらりとした長身と優雅な身のこなしから。
-通称 「ユニット壊し」
--あまりにもストライカーユニットを壊すため。
--後に第502統合戦闘航空団が〝ブレイクウィッチーズ〟との異名を受ける一因となった。
-使い魔 [[ワイマラナー>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%BC]]
-使用機材
--[[メッサーシャルフ Bf109G-2>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Bf109]](黄の5番機)
--メッサーシャルフ Bf109G-6
-使用武器
--[[MG42>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%B9MG42%E6%A9%9F%E9%96%A2%E9%8A%83]]
-その他
--カールスラント空軍でもトップクラスのベテランエース。
--無類の酒好き女好きの享楽主義者で楽天家。
--空戦では勇猛果敢、敢闘精神に溢れるあまり必要以上にネウロイに接近しユニットを壊す事が多く、被弾からの不時着も多数。
---ハルトマン少尉(当時)とマルセイユ少尉(当時)がJG52に着任した当日、炎に包まれたストライカーユニットで目の前に不時着、唖然とする一同に涼しい顔で握手を求めたエピソードは有名な逸話。
--高い技量とタフネスを併せ持ち、射撃の腕も確かだが、防御を捨てれば撃墜できるという状況下では迷わず攻撃を選択する性格。
---ドッグファイトよりも一撃離脱を好むが、被弾を気にせず猪突猛進して攻撃を行なう。
----ハルトマン少尉も最初はロスマン曹長、次いでクルピンスキー中尉にこの戦法を学んでいる。
--カールスラント北東部、バルト海に近いデムナウの街に生まれたが、バルト海に面した港湾都市ブラウンスベルクに移住。
--平凡な公務員の家庭だったが、ウィッチとしての能力が発現したため適正年齢になったら軍に入ろうと考えるようになった。
---港湾都市で生まれ育った事もあり、色々な国に行ける海軍への入隊を夢見ていた。
--検査の結果、航空ウィッチへの適正が判明し空軍の養成学校へ入校。
---仲間と共にこっそり寮を抜け出しては夜の街に繰り出したり、いたずらを仕掛けたりとあまり模範的な生徒ではなかった。
---成績は優秀で、無事に卒業し少尉任官。
--JG52第6中隊に配属されたが、その頃にはヒスパニア戦役は終結しており、実戦経験を積む機会はなかなか訪れなかった。
---実戦の代わりにヒスパニアで戦闘経験を積んだ古参曹長に鍛えられ、ネウロイ襲来時には十分な飛行経験を積んでいた。
--経験の豊富さから中堅ウィッチの一人と見なされ、開戦当初から出撃メンバーに選ばれると出撃を繰り返した。
--オストマルク防衛戦からカールスラント撤退戦の中で撃墜数を伸ばしたが、同時に破壊したストライカーユニットの数も多かった。
---ただし、1機のユニットを全損させる間に稼ぐ撃墜数は中位のエースに比べても抜群に優秀。
--補給が滞らない限りでは問題とされなかったが、補給が滞りがちの東部戦線では大問題となり、自ら後方まで補給物資を受け取りに行く事も珍しくなかった。
--ビフレスト作戦の最中、騎士鉄十字章を受賞。中尉に昇進し、JG52第7中隊の中隊長となる。同中隊はカールスラント東方において民衆が撤退するまでの防衛と支援任務に就き、撤退完了後は部隊ごとスオムスに移動。
--この後バルバロッサ作戦に参加、目覚しい戦果を認められ第502統合戦闘航空団に転属。
---同隊の撃墜数ベースではラルに次ぐ部隊第2位のトップエース。
---ユニット壊しで有名な同隊のカタヤイネン曹長、管野中尉との3人組は、502JFWの愛称「ブレイブウィッチーズ」から「ブレイクウィッチーズ」と呼ばれる。
---本人は気にしていないが、上層部受けの悪い年下の二人を守る役割を買って出ている。
--後に柏葉付き鉄十字章を授与されているが、それ以外でも度重なる墜落で負傷したため、戦傷章の中でも最高位の金賞を受けている。
---但し、どんなに酷い墜落でも本人は軽い怪我しかしなかったため、戦傷章の受賞は何度も断っていた。
-イメージモデル [[ヴァルター・クルピンスキー>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC]] (1920-2000)
--通称
---「プンスキー伯爵(Graf Punski)」
---「ダイナモ」(発電機)
--愛称
---「クルッピ」
--撃墜数 197
--その他
---まだエースになる前のエーリヒ・ハルトマンとロッテを組み、その長機をしていた事がある。
---体格の良い大男。射撃はやや不得意だったので、射撃巧者のエーリヒ・ハルトマンとの相性は良かった。
---エーリヒ・ハルトマン着任当日に爆発炎上するBf109から生還したエピソードはよく知られている。
---エーリヒ・ハルトマンの「ブービ」というニックネームは、クルピンスキーがエーリヒ・ハルトマンをこう呼び続けたので広まった。
---酒と女を愛する豪傑で、「伯爵」の通り名の由来となっている。
---[[エーリヒ・ハルトマン帽子事件>http://www37.atwiki.jp/strike_witches/pages/87.html#id_d9e94d81]]当事者の一人。
---戦争末期にはガランド率いるJV44に所属し、同部隊の後始末を行い降伏した。
----ギュンター・リュッツオウ大佐の最後の出撃の僚機でもあった。
---戦後は再結成されたドイツ空軍に所属し、中将にまで昇進するが、[[ルーデルスキャンダル>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB]]によりドイツ空軍から退役。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第六集/next world witches/第五〇一統合戦闘航空団要略増補記録集/秘メ録手牒 下巻/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第三集

復元してよろしいですか?

ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。