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犬房由乃 - (2010/12/25 (土) 13:00:10) の編集履歴(バックアップ)
いぬふさ ゆの
- 所属 扶桑陸軍
- 階級 曹長
- 誕生日 3月
- 使用機材
- その他
- 元は陸軍の装甲歩兵で、陸上ウィッチとして扶桑海事変に参加していた。
- 上空支援を行なっていた航空ウィッチが飛ぶ姿に憧れ、航空部隊への転属願いを出す。
- 戦況の悪化から航空ウィッチが不足しており、転属願いが受理され下士官学生として熊谷飛行学校へ入校。速成教育を受けた後、欧州派遣を視野に入れた野戦補充飛行隊に転属。
- 優秀な成績を収め、カルパティア山脈での怪異監視任務の為の扶桑からの派遣ウィッチの一人に選抜される。
- 欧州派遣後はカールスラント方面で義勇飛行兵団の一員として活動を続けていたが、中型ネウロイとの戦闘中に被弾し墜落。
- 墜落地点がダキアのカンタクジノ公爵の領地だった為、そのまま公爵家に留まり治療を受けた。
- この際使用していたユニット(キ43)も損傷したが、ダキアのIRDに送られ新品同様に修理されている。
- IRDではこのキ43の調査結果を反映し、IRD80にキ43の構造を取り入れた新型ユニットの開発を検討。1機のみ作られた試作機はカンタクジノ予備大尉の元へ送られた。
- 扶桑陸軍では既に戦死したと見なされており、意識が戻った時点で原隊へ連絡したところ大変驚かれたという逸話が残っている。
- 傷が癒えた後も原隊に復帰せず、カンタクジノ予備大尉と行動を共にし「最も長い撤退戦」に従軍。
- 元装甲歩兵という経歴からかサバイバル能力に長けており、度重なる撤退戦の中で物資や食料の調達、水の確保、敵中突破等に多大な貢献を示す。
- バクーでの待機中、ペルシア湾方面の扶桑陸軍との連絡に成功し、ストライカーユニットや武器弾薬、物資の補給を受けて部隊を再編。
- イメージモデル 大房養次郎 (1918-)
- 撃墜数 19
- その他
- 中国・ビルマ・インド戦域における飛行第50戦隊のエース。
- 1930年に入営、ノモンハン事変で地上部隊の砲兵曹長として従軍。航空部隊の活躍を知り戦闘機パイロットへの転属を志す。
- 1942年6月、熊谷飛行学校に入校。卒業し仏印の第1野戦補充飛行隊に所属の後、錬成教育を受け1943年1月にビルマの飛行第50戦隊に配属。
- 1943年11月24日、ミートキーナ上空で第7爆撃航空群のB-24と交戦、1機を撃墜したものの、同機からの反撃で被撃墜。落下傘降下で脱出するもその後41日間を病院で過ごす。
- 復帰後は仏印・サイゴン・プノンペンと移駐しながらもスコアを伸ばし武功徽章(乙)を授与され、台湾で終戦を迎えた。
- 戦後は樋口に改姓。
- 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集