雁淵孝美

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雁淵孝美 - (2011/03/07 (月) 09:19:27) の編集履歴(バックアップ)


かりぶち たかみ
  • 所属 扶桑皇国海軍
  • 階級 大尉
  • 誕生日 10月22日
  • 使用機材
  • その他
    • 顔立ちは幼いが、どんな苦境にあっても明るい笑みを絶やさない性格。
      • 階級を気にせず誰にでも親しく言葉をかける事ができる。
      • 問題を見つけるとすぐに解決を試み、常に部隊の融和を図ろうとする優れた能力を持っている。
    • 空中では敢闘精神旺盛で、誰よりも先に吶喊し、的確な操縦技量で敵を撃墜する腕前の持ち主。
    • 陸上部隊が中心で母艦乗り組みはさほど多くないが、第508統合航空団の設立に伴い、新藤少佐から最初のメンバーとして選出された。
      • リバウ時代に新藤少佐と面識があり、その腕前と性格を十分に知られていた。
      • 扶桑のウィッチは陸上部隊であっても海上での航法が十分に叩き込まれており、誰でも母艦での離着陸程度は容易にこなすだけの腕前が要求されていた為、陸上部隊出身である事は大した問題とはならなかった。
      • 紫電一一型に完熟しており、その性格が統合戦闘航空団の先任として適任と判断された。
  • イメージモデル 鴛淵孝 (1919-1945)
    • 撃墜数 6
    • その他
      • 長崎県出身。六人兄弟の四男で、明るく寛容な人柄で知られた。
      • 1937年4月、第68期海軍兵学校入学。鉄拳制裁等を行わず身をもって模範を示す学生生活を送った。
      • 1941年4月、少尉任官し第三十六期飛行学生となる。
      • 1942年7月、同期生の村田功中尉、大野竹好中尉と共に最前線のラバウルに展開する台南海軍航空隊へ配属。
        • 同8月7日にガダルカナルで先任搭乗員だった坂井三郎一飛曹が被弾し重傷、数日後に内地へ帰還。同8月26日、ガダルカナルへ進攻した笹井醇一中尉が未帰還。
        • 台南空着任時、笹井中尉に才能を見込まれ、坂井一飛曹に育成を依頼したといわれる。
      • 同11月1日、台南海軍航空隊は戦力回復のため内地へ帰還し、第251海軍航空隊に改称。
      • 1943年5月、第251海軍航空隊分隊長として僚隊の第201海軍航空隊第204海軍航空隊と共にラバウルへ再進出。
      • 同9月、第251海軍航空隊は夜間戦闘機隊に改編。この改編に伴い、西沢広義飛曹長と共にサイパンから進出した第253海軍航空隊へ転属。
      • 同11月1日、大尉に昇進。
      • 1944年4月、第203海軍航空隊の戦闘304飛行隊長に着任。
        • 同年11月、レイテ島タクロバン飛行場攻撃の際に地上砲火を右足先へ受け負傷しセブ島に不時着。療養のため内地送還となる。
      • 1945年1月8日、第343海軍航空隊着任。
      • 同7月24日、紫電二一型を駆って大村基地を出撃、豊後水道上空で約200機の敵機を迎撃するも被弾し戦場を離脱、その後行方不明となり未帰還。後に少佐に昇進。
  • 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集
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