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加藤武子 - (2011/07/19 (火) 14:15:36) の編集履歴(バックアップ)
かとう たけこ
- 所属
- 扶桑皇国陸軍飛行第1戦隊(1937年)
- 扶桑皇国陸軍明野飛行学校実験中隊(1939年)
- 扶桑皇国陸軍義勇航空隊第3中隊(カールスラント派遣時)
- カールスラント義勇飛行兵団第3中隊中隊長との表記もある。
- 扶桑皇国陸軍飛行第64戦隊第1中隊(改編後)
- 階級 少尉(1937年)
- 誕生日 9月28日
- 通称 「扶桑海の隼」
- 愛称 「フジ」
- 扶桑海事変時、同じ部隊に加東圭子がいて「カトウ」が二人被ったため命名された。
- 使い魔 北海道犬
- 固有魔法 三次元空間把握能力
- 使用機材
- その他
- 扶桑陸軍きっての名指揮官。
- 扶桑海事変において、江藤敏子中佐による指揮の元、飛行第一戦隊に所属し勇戦。
- 江藤中佐の下で指揮官としての経験を積む一方で、自らも扶桑刀による居合い技「無双神殿流・空の太刀」を用い2機のネウロイを撃墜している。
- この頃から既に個人戦績には興味がなく、部隊単位での戦術を模索していたようである。
- 同隊に所属した穴拭智子少尉(当時)とは戦友。また、加東圭子少尉(当時)を加え「扶桑海三羽烏」と賞された。
- 「撃一号作戦」において、観戦武官として赴任していたガランド大尉(当時)の僚機を務め、Bf109を使用しての急降下爆撃で新型ネウロイを撃破。
- 基本に忠実で堅実な戦法を重んじる反面、欧州の機材や戦訓を積極的に吸収するなど、進取の気性も持ち合わせている。
- 穏やかな性格だが、親友である穴拭少尉の身を案じ、彼女のスオムスへの派遣を上層部に具申するなど、思い切った行動を取る事もある。
- 扶桑海事変終結後、明野飛行学校実験中隊に所属。新兵器や戦術の研究を行う。
- 1939年のネウロイ欧州侵攻が始まると、義勇部隊の一員として中尉に昇級の後、先遣部隊として激戦地カールスラントに派遣された。
- この人選には、先の扶桑海事変で交流のあったガランド大尉の口添えもあったと言われている。
- 現地ではカールスラント軍と共同作戦を行い、同空軍機材をテストして詳細なレポートを上げている。
- 同レポートでは、欧州に持ち込んだ先行試作型のキ43と、カールスラント空軍最新鋭のBf109との比較も行われており、キ43の長い航続距離と良好な運動性は即刻量産を行うべしとしてまとめられている。
- このレポートは扶桑海事変の戦訓と共にその後の扶桑陸軍機材の開発や選定に大きな影響を与え、キ43の改修と先行量産も決定された。
- 綿密な観察と的確な部隊指揮、個人プレーを廃し徹底した編隊空戦で大型化したネウロイに対抗。多くの部隊戦果を挙げ、カールスラント空軍の賞賛を得ると共に扶桑陸軍精鋭ここにありとして欧州に勇名を轟かせた。
- 後に義勇航空隊が新部隊に再編成された時には、記録映画や部隊を称える歌も作られたほどであった。
- カメラが趣味で、事変時同じ部隊にいた加東圭子にカメラを教えた。
- イメージモデル 加藤建夫 (1903-1942)
- 撃墜数 18
- その他
- 名戦闘機隊指揮官として知られるエース。
- 率いていた部隊の活躍が『加藤隼戦闘隊』として映画化されたこともあり、日本で最も有名なパイロットの一人。
- 出典 スオムスいらん子中隊/STRIKES(機械化乙女秘メ事パック付属ブックレット)/アフリカの星/ストライクウィッチーズ零/ワールドウィッチーズ扶桑皇国版 其の弐