国別キャラ - 帝政カールスラント

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国別キャラ - 帝政カールスラント - (2021/05/05 (水) 07:46:34) のソース

&bold(){ストライクウィッチーズ世界のウィッチ一覧を作ろう!}
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-&bold(){注意:各ウィッチの英字表記・誕生日はイメージモデル等から推測したものも含まれます。}
-※「(未)」表記付きは内容未記載。支援求む。
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#region(close,帝政カールスラント)
#contents
#endregion

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*帝政カールスラント&aname(karlsland)
イメージモデル [[帝政ドイツ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%B8%9D%E5%9B%BD]]/[[ナチス・ドイツ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84]]

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**カールスラント空軍&aname(karlsland_air)
イメージモデル [[ドイツ空軍>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E7%A9%BA%E8%BB%8D]]

***ヒルデガルト・アルトナー(未)
&bold(){HILDEGARD ALTNER}
-イメージモデル [[リヒャルト・ヘルベルト・アルトナー>https://www.asisbiz.com/epl/Richard-Altner.html]]()
-使用機材 Me262B 「赤の12」
-出典 第一独立特殊作戦航空団全記録

***&aname(ゲルトルート・バルクホルン,option=nolink){}[[ゲルトルート・バルクホルン]]
#include_cache(ゲルトルート・バルクホルン)

***フレデリカ・ベッカー
&bold(){FRIEDERICA BECKER}
-所属 カールスラント空軍 第2航空爆撃部隊第5飛行中隊
-階級 不明
-使用機材 不明
-その他
--ハンナ-ウルリーケ・ルーデルの部下・同僚として長く戦場を共にしたウィッチ。
---ルーデルより早くエクスウィッチとなり前線を退いた。
--ルーデルの姿に憧れ、その下で戦えたことを誇りに思っている。
--1941年、ルーデルを取材する少女記者エルネスタ・ニールマンよりインタビューを受けている。
-イメージモデル フリードリヒ・ベッカー(?-1945)
--その他
---ハンス・ウルリッヒ・ルーデルの同僚のひとり。
-出典 『ワールドウィッチーズ 魔女たちの航跡雲』

***ハインリーケ・ベーア
&strong(){HEINRIKE BEER}
-所属
--カールスラント空軍第1戦闘航空団第2飛行隊司令
--カールスラント空軍第2戦闘転換訓練航空団第3飛行隊長
---新型ユニットへの転換訓練を行う部隊で、第3飛行隊ではMe262の訓練が行われていた。
-階級
--大尉
--中佐
-誕生日 5月25日
-使用機材
--[[フラックウルフ Fw190A-7>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%B1%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%95_Fw190]](W.Nr431007号機)
---200機撃墜を果たした時のユニット。
--[[メッサーシャルフ Me262C-2a>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Me262]](130186号機)
---ロケットエンジンを搭載した派生型で、極めて優秀な上昇性能を記録。
-その他
--西部、東部、地中海とカールスラントの各戦線を転戦し、常に多数の戦果を挙げた。
-イメージモデル [[ハインツ・ベーア>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB]] (1913-1957)
--フルネーム オスカー=ハインリヒ・ベーア
--通称 「プリッツル(Pritzl)」
---彼の好物がプリッツルのキャンディバーだったため。
--撃墜数 221(ドイツ空軍第八位)
---西側連合軍機の撃墜数ではハンス=ヨアヒム・マルセイユに次いでドイツ空軍第二位(124機)。
---16機はMe 262によるもので、第二次世界大戦におけるジェット戦闘機による撃墜数としては世界最高。ただし、夜間エースの[[クルト・ヴェルター>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC]]が夜間戦闘機仕様のMe262で20機以上撃墜しているとも言われる。
--その他
---ヨーロッパにおける第二次世界大戦を開戦から終戦まで戦い抜き、ドイツ空軍が作戦したほとんどの主要な戦線を経験し、連合国のほとんどの一線級の戦闘機や爆撃機と交戦しその多くの機種を撃墜したビッグエース。
---[[Bf109>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88Bf109]]、[[Fw190>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%B1%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%95_Fw190]]、Me262と搭乗する戦闘機を選ばず活躍。
---農民の生まれで当初は樵となる事を望んでいたが、長じて航空パイロットを志し[[ヴァイマル共和国軍>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%AB%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E8%BB%8D]](当時の国防隊)で軍歴を始め、ナチス・ドイツ第三帝国の誕生と同時に空軍に転籍。当初は整備士であり輸送隊に配属されたが、後に戦闘機パイロットを志望し転化。
---反権威主義者であり、軍規遵守精神に乏しかった。このことから、規律励行のナチス信奉者であるゴードン・ゴロプとはそりが合わなかった。
----大戦初期から活躍していたにもかかわらず柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章が授与されなかったのは、反抗的なベーアが個人的にヘルマン・ゲーリング空軍元帥に嫌われていたからだとされる。
---1945年4月27日、負傷により退いたガランド中将の後任としてJV44の指揮を引き継ぎ、オーストリアのザルツブルグに後退。敗戦が近づき米軍が迫ると、残存のMe262全機の破壊を命じた。
----これを実行に移したのがヴァルター・クルピンスキー。
---戦後は民間のテストパイロットとして飛び続けたが、1957年4月28日に事故で墜死。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第五集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集

***&aname(フーベルタ・フォン・ボニン,option=nolink){}[[フーベルタ・フォン・ボニン]]
#include_cache(フーベルタ・フォン・ボニン)

***ヘンリーケ・フォン・ビューロウ・ボートカンプ
&strong(){HENRIKE VON BÜLOW-BOTHKAMP}
-所属 カールスラント空軍
-階級 大佐
-誕生日 11月19日
-その他
--前の大戦から活躍しているウィッチ。
--有名な貴族であり貴族社会にも顔が利く為、第506統合戦闘航空団の設立に際しメンバーの調整を依頼される。
---戦闘隊長候補としてザイン・ウィトゲンシュタイン少佐とリッペ=ヴァイセンフェルト少佐の二人を推薦。
-イメージモデル [[ハリー・フォン・ビューロウ=ボートカンプ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%82%A6%EF%BC%9D%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%97]] (1897-1976)
--撃墜数 30
--その他
---歴史上でも数少ない、2つの大戦の双方でエースになった人物。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第五集

***&aname(ハンネ・ダンマース,option=nolink){}[[ハンネ・ダンマース]]
#include_cache(ハンネ・ダンマース)

***エミーリア・デムート(未)
&bold(){EMILIA DEMUTH}
-イメージモデル エミール・デムート
-出典 第一独立特殊作戦航空団全記録

***&aname(マリア・マグダレーネ・ディートリヒ,option=nolink){}[[マリア・マグダレーネ・ディートリヒ]]
#include_cache(マリア・マグダレーネ・ディートリヒ)

***ハンナ・ドーテンマン
&strong(){HANNA DORTENMANN}
-所属 カールスラント空軍第26戦闘航空団第14中隊
-階級 中尉
-誕生日 12月11日
-使用機材
--[[フラックウルフ Fw190D-9/R11>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%B1%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%95_Fw190]](赤の1号機)
-その他
--陸上ウィッチとして入隊したが、航空ウィッチの才能が判明し空軍へと転属した。
---この際JG54からJG26へと異動している。
-イメージモデル [[ハンス・ドーテンマン>http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Dortenmann]] (1921-1973)
--撃墜数 38
--その他
---もと陸軍の歩兵として従軍したが、後に空軍パイロットに転化した。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第五集

***ヴェンデルガルド・ファルク
&bold(){WENDELGARD FALCK}
-所属
--カールスラント空軍 第1駆逐航空団 第1飛行隊 隊長
--カールスラント空軍 第1夜間戦闘航空団 隊長
-階級
--大尉(1940年)
--大佐(1943年7月)
-使用機材 [[メッサーシャルフ Bf110>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Bf110]]
-別名 「ナイトウィッチ隊の母」
-その他 
--第1駆逐航空団当時、レーダー誘導による夜間迎撃を発案。
--1940年5月の小ビフレスト作戦実施により急務となった夜戦部隊増強のために第1夜間戦闘航空団(NJG1)が設立された際、隊長に任じられる。
---ベルリン撤退が進む戦況で、実験的な部隊を含むNJG1を精力的にまとめ上げる。
---地上レーダーとの連携による索敵・誘導システムの構築やナイトウィッチの育成に尽力。
---ヘルミーナ・ヨハンナ・ジークリンデ・レントを抜擢し、ナイトウィッチとして育成した人物。
----適性の低さから幾度も異動を申し出るレントとその度に慰留し、最終的に才能を開花させている。
--カールスラントからの撤退後の1943年7月、大佐として参謀本部に異動。後任はシュトライプ少佐。
-イメージモデル [[ヴォルフガング・ファルク>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%AF]](1910-2007)
--撃墜数 8
--その他
---ポーランド侵攻で戦果を挙げたのち、第1駆逐航空団第I飛行隊飛行隊長としてデンマーク侵攻に参加。
---空軍上層部の指示を受け、夜間迎撃の研究と夜戦専門部隊の設立を任される。
----最初の夜戦専門部隊として設立された第1夜間戦闘航空団の司令に任じられる。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団活動写真全記録/WORLD WITCHES 2018(ヘルミーナ・ヨハンナ・ジークリンデ・レント)

***ハンナ・フィリーネ(未)
&bold(){HANNA PHILINE}
-イメージモデル ハンス・フィリップ(Hans Philipp, 1917-1943)
-出典 WORLD WITCHES 2018

***&aname(アドルフィーネ・ガランド,option=nolink){}[[アドルフィーネ・ガランド]]
#include_cache(アドルフィーネ・ガランド)

***フランツィスカ・ゴッツ
&strong(){FRANZISKA GOTZ}
-所属 カールスラント空軍第26戦闘航空団司令
-階級 少佐
-誕生日 1月28日
-愛称 「お母さん」
--JG26の隊員にこう呼ばれ慕われた。
-使用機材
--[[フラックウルフ Fw190D-13/R11>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%B1%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%95_Fw190]](836017号機)
-その他
--戦前からウィッチとして入隊しており、当初はJG53に所属していた。
-イメージモデル [[フランツ・ゴッツ>http://en.wikipedia.org/wiki/Franz_G%C3%B6tz_(pilot)]] (1913-1980)
--撃墜数 63
-愛称 「アルトファーター(Altvater)」
--その他
---フランス侵攻、バトルオブブリテン等初期から活躍したエース。
---第二次世界大戦開戦時には9/JG53に所属し、1940年5月14日に初撃墜を記録。
---東部・地中海・北アフリカ戦線、イタリア、本土防空と転戦し、終戦時にはJG26の司令官を務めていた。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第五集

***エルナ・グロート(未)
&bold(){ERNA GROTH}
-イメージモデル [[エーリヒ・グロート>https://www.tracesofwar.com/persons/47189/Groth-Erich.htm]](1907-1941)
-出典 第五〇一統合戦闘航空団活動写真全記録

***&aname(エーリカ・ハルトマン,option=nolink){}[[エーリカ・ハルトマン]]
#include_cache(エーリカ・ハルトマン)

***&aname(ウルスラ・ハルトマン,option=nolink){}[[ウルスラ・ハルトマン]]
#include_cache(ウルスラ・ハルトマン)

***ゲアトルーデ・ホムート(未)
&bold(){GERTRUDE HOMUTH}
-イメージモデル [[ゲアハルト・ホムート>https://en.wikipedia.org/wiki/Gerhard_Homuth]](1914-1943)
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐

***レナーテ・ホルター
&strong(){RENATE HORTER}
-所属 カールスラント空軍
-誕生日 3月2日
-その他
--1943年に航空機メーカー・ホルターを設立したホルター家の3人姉妹の三女。
--自ら開発した機体で模型グライダー競技会に参加し、3年連続優勝するほどの設計技術を持っていた。
--姉妹全員航空ウィッチの適性を持っており、軍に入隊し士官学校へと進んだ。
--次女ヴァーリアと三女レナーテは部隊司令官の推薦もありストライカーユニット開発の道へと進んだ。
---HoIから[[HoIX>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%B3_Ho229]]までのユニットを開発。
---中でもHoIXは画期的な形状をしており、開発中の噴流式エンジンを搭載する事で高速での飛行が可能と考えられていたが、肝心のエンジン開発の遅れで実用化には至らなかった。
----これらの試作機の一部はカールスラント撤退時に取り残され、ネウロイに吸収された事が確認されている。
-イメージモデル [[ライマール・ホルテン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%B3%E5%85%84%E5%BC%9F]] (1915-1994)
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集

***ヴァーリア・ホルター
&strong(){WALLIA HORTER}
-所属 カールスラント空軍
-誕生日 11月13日
-その他
--1943年に航空機メーカー・ホルターを設立したホルター家の3人姉妹の次女。
--自ら開発した機体で模型グライダー競技会に参加し、3年連続優勝するほどの設計技術を持っていた。
--姉妹全員航空ウィッチの適性を持っており、軍に入隊し士官学校へと進んだ。
--次女ヴァーリアと三女レナーテは部隊司令官の推薦もありストライカーユニット開発の道へと進んだ。
---HoIから[[HoIX>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%B3_Ho229]]までのユニットを開発。
---中でもHoIXは画期的な形状をしており、開発中の噴流式エンジンを搭載する事で高速での飛行が可能と考えられていたが、肝心のエンジン開発の遅れで実用化には至らなかった。
----これらの試作機の一部はカールスラント撤退時に取り残され、ネウロイに吸収された事が確認されている。
-イメージモデル [[ヴァルター・ホルテン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%B3%E5%85%84%E5%BC%9F]] (1913-1998)
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集

***&aname(オティーリエ・キッテル,option=nolink){}[[オティーリエ・キッテル]]
#include_cache(オティーリエ・キッテル)

***&aname(ヴァルトルート・クルピンスキー,option=nolink){}[[ヴァルトルート・クルピンスキー]]
#include_cache(ヴァルトルート・クルピンスキー)

***ヘンリーケ・キューネッケ(未)
&bold(){HENRIKE KÜNNEKE}
-イメージモデル ヘルムート・キューネッケ
-出典 第一独立特殊作戦航空団全記録

***グーニラ・ランツ
&strong(){GUNILA LANDT}
-所属 カールスラント空軍第53戦闘航空団第11中隊
-階級 中尉
-使用機材
--[[メッサーシャルフ Bf109K-4>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Bf109]](黄の1号機)
---第11中隊に移動する前は第8中隊で黒の2号機だった。
-その他
--43年にJG53に配属された若いウィッチ。
--西部戦線で活躍し、44年末までに16機のネウロイを撃墜した。
-イメージモデル ギュンター・ランツ
--撃墜数 23
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第五集

***&aname(カルラ・ハインリーケ・ランガー,option=nolink){}[[カルラ・ハインリーケ・ランガー]]
#include_cache(カルラ・ハインリーケ・ランガー)

***&aname(ヘルマ・レンナルツ,option=nolink){}[[ヘルマ・レンナルツ]]
#include_cache(ヘルマ・レンナルツ)

***&aname(ヘルミーナ・ヨハンナ・ジークリンデ・レント,option=nolink){}[[ヘルミーナ・ヨハンナ・ジークリンデ・レント>ヘルミーナ・レント]]
#include_cache(ヘルミーナ・レント)

***エディタ・プリンツェシン・ツール・リッペ=ヴァイセンフェルト
&strong(){EDYTHA PRINZESSIN ZUR LIPPE-WEISSENFELD}
-所属 カールスラント空軍
-階級 少佐
-誕生日 7月14日
-その他
--高い指揮能力と戦闘能力を持つナイトウィッチ。
--カールスラントとオストマルクに広大な領地を持ち、欧州各地と繋がりを持つ有名貴族の出自で、王女(プリンツェシン)の称号を持つ王族。
--第506統合戦闘航空団の設立に際し、ウィトゲンシュタイン少佐と共にボートカンプ大佐の推薦で戦闘隊長候補に選ばれるが、最終的に撃墜数の多いウィトゲンシュタイン少佐が抜擢された。
-イメージモデル [[エグモント・プリンツ・ツール・リッペ=ヴァイセンフェルト>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B0%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%9A%EF%BC%9D%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%88]] (1918-1944)
--撃墜数 51
--その他
---オーストリアのザルツブルクで貴族の[[リッペ家>http://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Lippe]]の一員として生まれる。
---オランダ・エイセルスタインで同じく貴族出身のドイツ空軍夜間エースであるザイン=ヴィトゲンシュタインの隣に埋葬されている。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第五集

***フレデリカ・ロージヒカイト
&strong(){FRIEDERICA LOSIGKEIT}
-所属 カールスラント空軍[[第1戦闘航空団>http://en.wikipedia.org/wiki/Jagdgeschwader_1_%28World_War_II%29]]第1飛行隊司令
-階級 大尉
-誕生日 11月13日
-使用機材
--[[フラックウルフ Fw190A-4>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%B1%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%95_Fw190]]
---扶桑駐在武官の任を終え、本国帰還後に使用したユニット。
-その他
--カールスラントの扶桑駐在武官として、試作中の[[キ-44>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%BC%8F%E5%8D%98%E5%BA%A7%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F]]と模擬空戦を行なった。
--『蒼空の乙女たち』のフリーデリケ・ロージヒカイトと同一キャラクターの可能性がある。
-イメージモデル [[フリッツ・ロージヒカイト>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%92%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%88]] (1913-1994)
--撃墜数 68
--その他
---日本陸軍がメッサーシュミット Bf109Eをドイツから輸入した際に、メッサーシュミット社テストパイロットの民間人であるヴィリー・シュテーアと共に来日。
---日本陸軍に[[ロッテ戦法>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%86%E6%88%A6%E8%A1%93]]とそれを発展させたシュヴァルム戦法を伝える。しかし当時は理解されず、日本陸軍において4機編隊が本格採用されたのは1943年後半から。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第五集
// ロージヒカイト来日や鍾馗の開発の話は、碇義朗『決戦機疾風 航空技術の戦い―知られざる最高傑作機メカ物語』(光人社NF文庫、2007年)に載ってたりする。

***フリーデリケ・ロージヒカイト
&strong(){FRIEDERIKE LOSIGKEIT}
-イメージモデル フリッツ・ロージヒカイト (1913-1994)
--撃墜数 68
-出典 蒼空の乙女たち

***&aname(ハンナ・ユスティーナ・マルセイユ,option=nolink){}[[ハンナ・ユスティーナ・マルセイユ]]
#include_cache(ハンナ・ユスティーナ・マルセイユ)

***ヴェーラ・メルダース
&strong(){WERA MÖLDERS}
-所属 カールスラント空軍[[第51戦闘航空団>http://en.wikipedia.org/wiki/Jagdgeschwader_51]]司令
-階級 中佐
-誕生日 3月18日
-使用機材
--[[メッサーシャルフ Bf109F-2>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Bf109]](機番不明)
-その他
--第二次ネウロイ大戦前期のエースウィッチ。
--世界初のネウロイ100機撃墜を記録。
-イメージモデル [[ヴェルナー・メルダース>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9]] (1913-1941)
--愛称 「ファーティ(Vati)」(お父さん、親父)
--撃墜数 115
--その他
---[[スペイン内戦>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%86%85%E6%88%A6]]における[[コンドル軍団>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E8%BB%8D%E5%9B%A3]]のトップエース(14機撃墜)。
---ロッテ戦法とそれを発展させたシュヴァルム戦法を編み出す。
---史上初めて100機撃墜を記録し、ドイツで最初に[[柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章>http://www.wdic.org/w/MILI/%E5%AE%9D%E5%89%A3%E4%BB%98%E6%9F%8F%E8%91%89%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E9%89%84%E5%8D%81%E5%AD%97%E7%AB%A0]]を受章。
---戦闘機隊総監を務めるが、任命から数ヶ月後に移動のため乗っていた[[He111>http://ja.wikipedia.org/wiki/He_111]]が悪天候により墜落して事故死。
---死後、彼が生前に司令を務めた第51戦闘航空団には「メルダース」という名前が冠された。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第五集

***ルドルフィン・ミューラー
&strong(){RUDOLFIN MÜLLER}
-所属 カールスラント空軍[[第5戦闘航空団>http://en.wikipedia.org/wiki/Jagdgeschwader_5]]第6中隊
-階級 曹長
-誕生日 11月21日
-使い魔 茶色の猫
-パーソナルマーク 写実的に描かれた茶色の猫
-使用機材
--[[メッサーシャルフ Bf109G-2/R6>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Bf109]](黄の3番機)
---冬季塗装を施されたユニットで、国籍マークにまで白い塗料が塗られている。
-イメージモデル [[ルドルフ・ミューラー>http://www.luftwaffe.cz/mullerr.html]] (1920-1947?)
--愛称 「ルディ(Rudi)」
--撃墜数 94
--その他
---JG5に所属し、同隊内で6位のスコアを記録したエース。
---初め通信隊に配属されたが、後に戦闘機パイロットに転科。
---1943年4月19日、[[ムルマンスク>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF]]付近の空戦で被弾。乗機はソ連領内に不時着し捕虜となった。
---ムルマンスクの収容所名簿に1947年まで名前が確認されたが、それ以降の消息は不明。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第六集

***エディタ・ノイマン
&strong(){EDYTHA NEUMANN}
-所属
--カールスラント空軍第27戦闘航空団第1飛行隊
--カールスラント空軍北アフリカウィッチ隊総司令
-階級 大尉
-誕生日 6月5日
-使い魔 [[リピッツァナー>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%8A%E3%83%BC]]
-その他
--マルセイユのJG27配属時の飛行隊長。
---マルセイユに好感は抱かなかったが、一流のウィッチにする事を約束する。
--声優 [[たかはし智秋>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%AF%E3%81%97%E6%99%BA%E7%A7%8B]]
-イメージモデル [[エドゥアルト・ノイマン>http://en.wikipedia.org/wiki/Eduard_Neumann]] (1911-2004)
--愛称 エドゥ
--撃墜数 13
--その他
---JG27に所属し、[[フランス侵攻>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E4%BE%B5%E6%94%BB]]、[[バトル・オブ・ブリテン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%B3]]、[[北アフリカ戦線>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%88%A6%E7%B7%9A]]で活躍。
---1989年にエジプト政府に協力を仰ぎ、当時のJG27メンバーと共同でマルセイユの死没地に墓碑(ピラミッド)を建立。
-出典 秘メ録手牒 下巻/Operation Victory Arrow vol.2 エーゲ海の女神/WORLD WITCHES 2018

***テオドーラ・オステルカンプ(未)
&bold(){THEODORA OSTERKANP}
-イメージモデル [[テオドール・オステルカンプ>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AA%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%97]](1892-1975)
-出典 『スオムスいらん子中隊ReBOOT!』

***&aname(ライーサ・ペットゲン,option=nolink){}[[ライーサ・ペットゲン]]
#include_cache(ライーサ・ペットゲン)

***&aname(グンドュラ・ラル,option=nolink){}[[グンドュラ・ラル]]
#include_cache(グンドュラ・ラル)

***ゲオルギーネ・リヒター(未)
&bold(){GEORGIENE RICHTER}
-イメージモデル ゲオルグ・リヒター
-出典 第1独立特殊作戦航空団全記録

***&aname(エディータ・ロスマン,option=nolink){}[[エディータ・ロスマン]]
#include_cache(エディータ・ロスマン)

***ハンナ・U・ルーデル
&strong(){HANNA U RUDEL}
-フルネーム ハンナ・ウルリーケ・ルーデル(Hanna-Ulrika Rudel)
-所属
--カールスラント空軍[[第2急降下爆撃航空団>http://en.wikipedia.org/wiki/Sturzkampfgeschwader_2]]第十飛行中隊隊長
---後に司令。
-階級 大尉
-誕生日 7月2日
-使用機材
--[[Ju87>http://ja.wikipedia.org/wiki/Ju_87_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29]]
--[[フラックウルフ Fw190D-9>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%B1%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%95_Fw190]]
---臨時塗装のユニットであり、余っていた新型を一時的に使用した可能性が高い。
-その他
--カールスラント最高(=世界最高)の対地エースで、最強の地上攻撃女王として著名。
--作中の撃墜数ベースによる四強(エーリカ・ハルトマン、マルセイユ、ルーデル、シュナウファー)のうちの一角。
--第二次ネウロイ大戦勃発時にはオストマルク国際ネウロイ監視航空団に所属。
--1940年以降に階級は大佐に、役職は第二急降下爆撃航空団司令に昇進。
-声優 [[上田瞳>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E7%9E%B3]]
-イメージモデル [[ハンス=ウルリッヒ・ルーデル>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB]] (1916-1982)
--通称
---「スツーカ大佐」
---「ソ連人民最大の敵」
--撃墜数 9
--その他
---急降下爆撃で史上最高の戦果をあげたパイロット。
---第二次世界大戦においてドイツ全軍で唯一、[[黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章>http://www.wdic.org/w/MILI/%E5%AE%9D%E5%89%A3%E4%BB%98%E9%BB%84%E9%87%91%E6%9F%8F%E8%91%89%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E9%89%84%E5%8D%81%E5%AD%97%E7%AB%A0]]を授与された。
---ダグラス・バーダーや、第二次世界大戦後に知り合ったピエール・クロステルマンとは生涯の友人となった。
-出典 『スオムスいらん子中隊』/『スオムスいらん子中隊ReBOOT!』/第五〇一統合戦闘航空団全記録 第五集/スツーカの魔女/WORLD WITCHES 2018

***エリカ・ルドルファ―(未)
&bold(){ERICA RUDORFFER}
-イメージモデル [[エーリヒ・ルドルファー>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC]](1917-2016)
-出典 WORLD WITCHES 2018(ハンナ・フィリーネ)

***リーケ・ザクセンベルク
&strong(){RIKE SACHSENBERG}
-所属 カールスラント空軍第44戦闘団([[百舌“ヴュルガー”中隊>http://www37.atwiki.jp/strike_witches/?plugin=ref&serial=1803]])
-階級 少尉
-誕生日 7月12日
-使用機材
--[[フラックウルフ Fw190D-9>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%B1%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%95_Fw190]](600424号機)
-その他
--「百舌中隊」では中隊長代理を務める。
-イメージモデル [[ハインツ・ザクセンベルク>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF]] (1922-1951)
--愛称
---「ハイノ(Heino)」
---「ヴィマーザール(Wimmersaal)」
--撃墜数 104
--その他
---第一次大戦時のエースパイロット、[[ゴッドハルト・ザクセンベルク>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF]]の甥。
---新人としてのJG52配属時にはエーリヒ・ハルトマンより3ヶ月若く、最年少パイロットだった。
---空戦技術に加え、茶目っ気のある人柄で知られる。
----中隊長リッペルト中尉が撃墜された際に戦死と早合点し、〝通夜代〟にと同中尉が将校クラブに貯めておいた現金200マルクを勝手に引き出して中隊全員で飲み明かすが、その最中に中尉は生還。すると通夜を〝生まれ変わりの儀式〟にしてしまった。
----黒海沿岸アナパ基地のシャンペンが底をついたため、後方のニコライエフ基地に“出張”したザクセンベルクは増槽ラックにビア樽を吊り下げて帰還、卓越した操縦技術で無事着陸し隊員から喝采を浴びた。言うまでもなく軍規違反である。
---欧州における第二次世界大戦末期には、離着陸時のMe262を援護するためにレシプロ戦闘機で編成された基地上空防衛戦闘機隊の第44戦闘団ヴュルガー中隊(百舌中隊)に所属。
----彼が搭乗したFw190D-9「赤の1」には、"Verkaaft's mei Gwand 'I foahr in himmel!"(服を売り払って天国へ!)というスローガンが書かれ、機体下面は味方の対空砲火に誤射されることを防ぐために赤地に白のストライプで塗装されていた。
----Me262については「少なくともプロペラの付いていない物は信用しない」と答えている。
---終戦間もない1951年6月17日、戦傷の合併症が原因で死去。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第五集

***&aname(ハインリーケ・プリンツェシン・ツー・ザイン・ウィトゲンシュタイン,option=nolink){}[[ハインリーケ・プリンツェシン・ツー・ザイン・ウィトゲンシュタイン]]
#include_cache(ハインリーケ・プリンツェシン・ツー・ザイン・ウィトゲンシュタイン)
//作中では「ウィトゲンシュタイン」呼びがもっぱらですが、モデルはSAYN-WITTGENSTEINが姓ですので一応ここに置きます。ビューロウ・ボートカンプ、リッペ=ヴァイセンフェルトも同様です。

***ヴェンデルガルト・シェンク(未)
&bold(){WENDELGARD SCHENCK}
-イメージモデル [[ヴォルフガング・シェンク>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%AF]]
-出典 第五〇一統合戦闘航空団活動写真全記録

***&aname(ハイデマリー・W・シュナウファー,option=nolink){}[[ハイデマリー・W・シュナウファー]]
#include_cache(ハイデマリー・W・シュナウファー)

***エルフリーデ・シュライバー
&bold(){ERFRIDE SCHREIBER}
-所属 カールスラント空軍 第131先行実験隊「ハルプ」第3飛行中隊
-階級 少尉
-身長 159cm
-誕生日 11月11日
-使い魔 黒猫
-使用機材
--[[メッサーシャルフ Bf110>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Bf110]]
--[[メッサーシャルフ Me262A-1a>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Me262]]
-使用武器 [[MK 108>https://ja.wikipedia.org/wiki/MK_108_%E6%A9%9F%E9%96%A2%E7%A0%B2]]
-コールサイン 「シュバルツカッツェ1」
-その他
--ふだんはのんびりマイペース、やるときはやるタイプ。
--Bf110の搭乗経験があったため、エンジン懸架構造が似たMe262の実験部隊「ハルプ」に配属される。
---ヘルマ・レンナルツ曹長の長機となるが、レンナルツ曹長には緊張感の欠如をしばしば叱られている。
--レンナルツ曹長のパーソナルマーク「敬礼する黒猫」を描いた本人。
-イメージモデル [[アルフレート・シュライバー>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC]](1923-1944)
--撃墜数 5
--その他
---1944年7月、ドイツ空軍におけるジェット機による最初の公認撃墜(ただし損傷による着陸失敗による)を挙げたエース。
---1944年11月、不時着時に塹壕に着陸脚を取られ横転、戦死した。
-出典 『ワールドウィッチーズ 魔女たちの航跡雲』/WORLD WITCHES 2018

***ヴェンデリーン・シュレーア
&strong(){WENDELIN SCHRER}
-所属 カールスラント空軍第27戦闘航空団第8中隊
-階級 大尉
-誕生日 2月12日
-使用機材
--[[メッサーシャルフ Bf109G-2/trop>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Bf109]](赤の1号機)
-その他
--北アフリカ戦線でマルセイユに次ぐ撃墜数を上げ、その後も出撃回数は少ないものの、超大型ネウロイを含む多数の撃墜を果したエース。大物食いで知られる。
--ララサーバル中尉(当時)とのペアはスフィンクス作戦後の大型ネウロイ撃破に活躍。
---陽気で知られるヒスパニア人ながら厳格で生真面目なララサーバル中尉とは相性の良いペアであった。
---両者とも非常に口数が少なく、その会話は必要最低限の一言二言の単語だけが続く非常に面白みのないものであったという。
----ただ一度、食生活に関して延々激論を交わした事がある。
--食には無頓着で、何でも食べられればそれでいいという考え。
--43年4月には大尉となりシチリア方面へ転属。
-イメージモデル [[ヴェルナー・シュレーア>http://en.wikipedia.org/wiki/Werner_Schr%C3%B6er]] (1918-1985)
--撃墜数 114
---四発重爆26機を含む102機が米・英軍機で占められる。
---撃墜数114のスコアに要した総出撃回数はたったの197回。ハルトマン352機/1425回、バルクホルン301機/1104回、マルセイユ158機/382回というスーパーエースの数字と比較すると、出撃回数に対するスコア比率において如何に非凡な戦果であるかが分かる。
--その他
---[[北アフリカ戦線>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%88%A6%E7%B7%9A]]における撃墜数でハンス=ヨアヒム・マルセイユに次いでドイツ空軍第二位。
---マルセイユ亡き後のJG27のトップエースとしてスコアを伸ばし、エーゲ海・シシリー島・南部イタリアと後退しながら奮戦。
---1944年3月14日、本土防空部隊III/JG54飛行隊司令に転じるが、8月4日にエンジン故障による不時着で重傷を負い3ヶ月の入院。
---負傷が癒えると戦闘機隊指揮官学校付きに補されて後進の指導に当たったが、翌1945年2月14日、少佐に進級しJG3航空団司令官に任ぜられ、再び第一線に復帰。
---デンマークに近いシュレスビヒ・ホルシュタイン地方に後退し最後の防空戦に従事。
---戦後は民間人として過ごした。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第六集/ワールドウィッチーズ アフリカ版No.6

***オティーリエ・シュルツ(未)
&bold(){OTTILIE SCHULZ}
-イメージモデル [[オットー・シュルツ>https://en.wikipedia.org/wiki/Otto_Schulz_(pilot)]](1911-1942)
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐

***グーニラ・シュペヒト(未)
&bold(){GUNILA SHPEHIT}
-イメージモデル [[ギュンター・シュペヒト>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9A%E3%83%92%E3%83%88]](1914-1945)
-出典 第五〇一統合戦闘航空団活動写真全記録

***ヴォルフヒルダ・トネ
&strong(){WOLFHILDA TONNE}
-所属 カールスラント空軍[[第53戦闘航空団>http://en.wikipedia.org/wiki/Jagdgeschwader_53]]第3中隊
-階級 中尉
-誕生日 2月28日
-使用機材
--[[メッサーシャルフ Bf109G-4>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Bf109]](黄の7番機)
---東部戦線用塗装の上にトロピカル塗装で塗り直されているユニット。
-その他
--東部戦線や地中海方面で活躍したウィッチ。
-イメージモデル [[ヴォルフガング・トネ>http://en.wikipedia.org/wiki/Wolfgang_Tonne]] (1918-1943)
--撃墜数 122
--その他
---JG53に所属し、東部戦線・北アフリカ戦線で活躍したエース。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第六集

***テオドーラ・ヴァイセンベルガー
&strong(){THEODORA WEISSENBERGER}
-所属
--カールスラント空軍第5戦闘航空団第2飛行隊司令
--カールスラント空軍第7戦闘航空団司令
-階級
--大尉
--少佐
-誕生日 12月21日
-使用機材
--[[メッサーシャルフ Bf110>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Bf110]]
--[[メッサーシャルフ Bf109G-2/R6>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Bf109]](白の4号機)
--[[メッサーシャルフ Me262A-1a>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88_Me262]](111002号機)
-その他
--北極地区を担当したJG5のトップエース。
--元々はBf110を使用していたが、Bf109に乗り換えてから急激に撃墜数を伸ばし、44年7月には200機撃墜を果たしている。
--新型機用の部隊として最初に指定された実戦部隊である第7戦闘航空団に大尉で転属し、最初は第1飛行隊司令、次いで少佐に昇進し航空団司令となった。
-イメージモデル [[テオドール・ヴァイセンベルガー>http://en.wikipedia.org/wiki/Theodor_Weissenberger]] (1914-1950)
--撃墜数 208(ドイツ空軍10位)
---うち8機がMe262によるもの。
--愛称 「テオ」
--その他
---[[ヘッセン州>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%B3%E5%B7%9E]][[ミュールハイム>http://en.wikipedia.org/wiki/M%C3%BClheim]]に生まれる。
---早くからグライダー飛行の免許を取得していたが、空軍へ入ったのは遅く、大戦勃発後に双発機Bf110パイロットとして訓練を受け、部隊配属時には既に27歳近くであった。
---ノルウェー北部に展開していた[[1(Z)/JG77>http://en.wikipedia.org/wiki/Jagdgeschwader_77]]に曹長として配属され、1942年9月8日までに23機の撃墜を記録。
---1942年1月の部隊改変を挟み、9月15日に[[6/JG5>http://en.wikipedia.org/wiki/Jagdgeschwader_5]]に転籍してBf109を愛機とすると急激にスコアを伸ばし、騎士鉄十字章を授章。1943年3月には33機の高密度撃墜を記録。
---1943年6月15日に中尉進級の上7/JG5中隊長に昇格、7月4日には7機撃墜し100機撃墜を突破。8月2日付で柏葉騎士鉄十字章が授与され、極北戦域を代表するエースとなる。
---1944年4月20日付で大尉に進級、II/JG5飛行隊司令官に昇格。6月には連合軍の[[ノルマンディー上陸作戦>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E4%B8%8A%E9%99%B8%E4%BD%9C%E6%88%A6]]に対しII/JG5を率いフランスに移動、米英機を相手にスコアを伸ばし、7月25日は8人目の200機撃墜エースとなった。
---ドイツ本土に後退後、同年秋にII/JG5が[[IV/JG4>http://en.wikipedia.org/wiki/Jagdgeschwader_4]]に改編され、12月1日付でMe262による本土防空部隊である[[I/JG7>http://en.wikipedia.org/wiki/JG_7]]飛行隊司令官に補され、翌45年1月15日に罷免された[[シュタインホフ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%95]]の後任としてJG7航空団司令に抜擢、少佐に進級。以後終戦までMe262で出撃を続けた。
---同じく208機撃墜でドイツ空軍10位のエースである[[エールラー>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%BC]]とは上官・部下として、またスコアを競う戦友としてJG5、JG7の長い期間を共に過ごし、彼の最後の通信を受けている。
---戦後はレーシングドライバーとなるが、1950年[[ニュルブルクリンク>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF]]で開催されたレースで事故死。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第五集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集

***ヨハンナ・ウィーゼ
&strong(){JOHANNA WIESE}
-所属 カールスラント空軍[[第52戦闘航空団>http://en.wikipedia.org/wiki/Jagdgeschwader_52]]第1飛行隊長
-階級 大尉
--少佐(ガリア解放後)
-年齢 18歳(44年時)
-誕生日 5月7日
-使い魔 [[パグ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B0]]
-その他
--バルクホルンが第52戦闘航空団第2飛行隊長だった時、第1の隊長を務めていたウィッチ。
--真面目なお姉さんタイプだが、天然でお色気女教師のオーラが漂う。
---バルクホルンとしては同世代の相談相手として貴重な人物だった。
---彼女がいなければ、皇帝に謁見するための小旅行で、バルクホルンの胃に穴が開いていた事だろう。
--バルクホルンが第501統合戦闘航空団にいた頃は教官任務で一線を離れていたが、ガリア解放後に少佐に昇級し前線復帰。
-イメージモデル [[ヨハネス・ヴィーゼ>http://en.wikipedia.org/wiki/Johannes_Wiese]] (1915-1991)
--通称 「[[クバン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%90%E3%83%B3%E5%B7%9E]]の獅子」
--撃墜数 133
--その他
---[[シュレジェン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%82%A2]]地方の[[ブレスラウ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%83%AD%E3%83%84%E3%83%AF%E3%83%95]]出身。
---1934年に19歳で国防隊に入り第6歩兵連隊に配属されたが、[[ドイツ再軍備宣言>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%86%8D%E8%BB%8D%E5%82%99%E5%AE%A3%E8%A8%80]]に伴い1936年に空軍に転属、見習士官専修過程に入る。
----当初は偵察機パイロットとして勤務したが、1939年10月に戦闘機パイロット専修に転科。
---1941年6月22日の[[独ソ戦>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E3%82%BD%E6%88%A6]]開始時はJG52本部付副官の一人だった。
---同9月23日に初撃墜を記録、翌1942年6月26日、撃墜スコアこそ7機と低かったものの指導力を買われ中尉に進級、2/JG52中隊長に補された。
---1943年1月5日、53機撃墜の功績により騎士鉄十字章を受章。
---同5月11日、大尉に進級しI/JG52飛行隊司令官に昇格。これを境にスコアは急上昇に転じる。
----6月8日に75機、7月5日には一日で12機の[[Il-2>http://ja.wikipedia.org/wiki/Il-2_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)]]を撃墜し88機、7月17日には100機に到達。
---その後、戦況の悪化からペースは落ちたが、翌1944年3月2日には133機となり柏葉騎士鉄十字章を授与された。
---同6月11日付をもって本国の戦闘機隊指揮官学校教官に補され第一線を退くが、前線部隊指揮官クラスの相次ぐ消耗により12月1日には少佐に進級の後[[JG77>http://en.wikipedia.org/wiki/Jagdgeschwader_77]]司令官に補され、再び前線に戻った。
---同12月24日、[[ボットロプ>http://en.wikipedia.org/wiki/Bottrop]]上空で英軍スピットファイアに撃墜され重傷を負い、そのまま終戦を迎えた。
---戦後はエーリヒ・ハルトマン同様、ソ連に対する戦争犯罪という不当な理由で同国に拘留され、1949年11月末にようやく釈放され西ドイツに帰還。
---[[エーリヒ・ハルトマン帽子事件>http://www37.atwiki.jp/strike_witches/pages/87.html#id_d9e94d81]]当事者の一人。
-出典 島田フミカネTwitter

***&aname(ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ,option=nolink){}[[ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ]]
#include_cache(ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ)

***パウリーネ・ツォルナー(未)
&bold(){PAULINE ZORNER}
-イメージモデル [[パウル・ツォルナー>https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Zorner]](1920-2014)
-出典 第五〇一統合戦闘航空団活動写真全記録

***アーデルハイド
&strong(){ADELHEID}
-所属 カールスラント空軍第2急降下爆撃航空団第10飛行中隊
-階級 少尉
-イメージモデル 不明
--候補 [[エルンスト・ガーデルマン>http://en.wikipedia.org/wiki/Ernst_Gadermann]] (1913-1973)
---その他 ハンス=ウルリッヒ・ルーデル機の後部機銃手(四代目と思われる)。
--候補 [[アルフレート・シャルノヴスキー>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB#.E3.82.A2.E3.83.AB.E3.83.95.E3.83.AC.E3.83.BC.E3.83.88.E3.83.BB.E3.82.B7.E3.83.A3.E3.83.AB.E3.83.8E.E3.83.B4.E3.82.B9.E3.82.AD.E3.83.BC]]
---その他 ハンス=ウルリッヒ・ルーデル機の後部機銃手(初代と思われる)。
-出典 スオムスいらん子中隊

***フラバク(未)
&bold(){HRABAK}
-イメージモデル [[ディートリヒ・フラバク>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%90%E3%82%AF]](1914-1995)
-出典 WORLD WITCHES 2018(ハンナ・フィリーネ)

***シュトライプ(未)
&bold(){STREIB}
-イメージモデル [[ウェルナー・シュトライプ>https://en.wikipedia.org/wiki/Werner_Streib]](1911-1986)
-出典 第五〇一統合戦闘航空団活動写真全記録

----
**カールスラント帝国航空隊&aname(imperial_karlsland_air_service)
イメージモデル [[ドイツ帝国陸軍航空隊>https://de.wikipedia.org/wiki/Luftstreitkr%C3%A4fte_(Deutsches_Kaiserreich)]]

***オズヴェルタ・ベルケ
&strong(){OSWELTHA BÖLCKE}
-誕生日 5月19日
-その他
--第一次大戦時のウィッチ。
--空戦の基本ルール8項目からなる[[「ベルケの格言」>http://en.wikipedia.org/wiki/Dicta_Boelcke]]をまとめる。
-イメージモデル [[オスヴァルト・ベルケ>http://en.wikipedia.org/wiki/Oswald_Boelcke]] (1891-1916)
--通称 「空戦の父」
--撃墜数 40
--その他
---第一次世界大戦のドイツ戦闘機エースで、後の大エースとなる[[リヒトホーフェン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3]]を指導。
---現代のパイロットにも受け継がれる「ベルケの格言」を残した。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第五集

***マキシ・インメルマン
&strong(){MAXI IMMELMANN}
-誕生日 9月21日
-その他
--第一次大戦時のウィッチで、ベルケの部下。
--[[インメルマンターン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3]]と呼ばれる空戦テクニックを考案。
-イメージモデル [[マックス・インメルマン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3]] (1890-1916)
--通称 「リールの鷲」
--撃墜数 17
--その他
---インメルマンターンと呼ばれる空戦機動を世界で最初に行なう。
---戦闘機パイロットとして初めて[[プール・ル・メリット勲章>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E5%8B%B2%E7%AB%A0]]を授章。ブルー・マックス(Blue Max=独:Blauer Max)の語源となった。
-出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録 第五集
// 参考資料:http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_World_War_II_aces_from_Germany

----
**カールスラント陸軍&aname(karlsland_army)
イメージモデル [[ドイツ陸軍>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E9%99%B8%E8%BB%8D]]

***シャーロット・リューダー
&strong(){CHARLOTTE LÜDER}
-階級 軍曹
-その他
--試作重戦車ユニット6号[[「ティーガー」>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BCI]]の陸上装甲歩兵。
-イメージモデル 不明
--候補 [[ハンス・ゲオルグ・リューダー少佐>http://en.wikipedia.org/wiki/501st_heavy_tank_battalion_(Germany)]] (1908-1989)
---1942年ドイツ軍第90軍団の一部として初めてティーガーと共にアフリカに派遣された第501重戦車大隊中隊長。
---独自に編成したリューダー戦闘団を率いてチュニジアの防衛に当たった。
---戦後は連邦軍で連隊長等歴任。
-出典 砂漠の虎/スフィンクスの魔女/加東圭子 北アフリカ戦場寫眞記録

***フレデリカ・ポルシェ
&strong(){FRIEDERICA PORSCHE}
-階級 カールスラント陸軍技術少佐
-その他
--1942年の時点では元魔女(エクスウィッチ)。
--うやむやのうちに航空魔女として復帰し、シールドが使えないのに戦闘に参加し続ける猛者。愛の力?
-イメージモデル 不明
--候補 [[フェルディナント・ポルシェ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%A7]] (1875-1951)
-出典 砂漠の虎/スフィンクスの魔女/スツーカの魔女

----
**&aname(国別キャラ - 帝政カールスラント - 民間,option=nolink){}[[民間>国別キャラ - 帝政カールスラント - 民間]]
#include_cache(国別キャラ - 帝政カールスラント - 民間)
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