海外紳士元ネタ解説2 > 7話

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海外紳士元ネタ解説2/7話 - (2010/08/21 (土) 04:41:20) のソース

//原文に手を加えないようくれぐれも注意
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*第7話「モゾモゾするの」の元ネタ解説翻訳
&color(red){このページは常に有志の翻訳を募集中です。翻訳の修正はお気軽にどうぞ}
-原文(英文)には手を加えないこと
-訳文への補足説明、誤認の指摘、修正などは注釈にて行うこと
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#ref(Title00.JPG,海外紳士元ネタ解説2,width=500,center)
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&font(b){目次}
#contents_line(level=2)
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**Siegfried Line
***I will not tolerate someone crossing the Siegfried line!
#ref(sw2_7-1.jpg,,width=500)
#blockquote(){The original Siegfried line (German: Siegfriedstellung) was a line of defensive forts and tank defenses built by Germany as a section of the Hindenburg Line 1916–1917 in northern France during World War I. 
However, in English, Siegfried line more commonly refers to the similar World War II defensive line, built during the 1930s, opposite the French Maginot Line, which served a corresponding purpose. 
The Germans themselves called this the Westwall, but the Allies renamed it after the First World War line. 
The Siegfried Line was a defense system stretching more than 630 km (390 mi) with more than 18,000 bunkers, tunnels and tank traps. 
It went from Kleve on the border with the Netherlands, along the western border of the old German Empire as far as the town of Weil am Rhein on the border to Switzerland. 
More with propaganda in mind than for any strategic reason, Adolf Hitler planned the line from 1936 and had it built between 1938 and 1940. 
This was after the Nazis had broken the Treaty of Versailles and the Locarno Treaties by remilitarizing the Rhineland in 1936. }
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&sizex(6){ジークフリート線}
&sizex(4){「なにものもジークフリート線を超えることなど許されな&tooltip(い。){バルクホルンの台詞から}」}
もともとジークフリート線(ドイツ語では:ジークフリート陣地)は、防禦[[堡塁>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%A1%E5%A1%81]](ほうるい)と対戦車障害物を連ねて ドイツが構築した防衛要塞線であり、第一次世界大戦中に北フランス戦線に構築された[[ヒンデンブルク線>http://en.wikipedia.org/wiki/Hindenburg_Line]](1916-1917年構築)の一郭をなした。
しかし英語でジークフリート線というと、第二次世界大戦中に構築された同様の防衛線を指すほうが普通である。この防衛陣地は1930年代に、フランスの[[マジノ線>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%8E%E7%B7%9A]]に対抗する目的で、そのマジノ線に沿って向かい合うような形で構築されたのだった。
ドイツ自身はこの防衛線をヴェストヴァル(訳注:西の壁&footnote(West: ラテン語由来のドイツ単語で「西」、Wall: 同じくラテン語由来のドイツ単語で「壁・土の防壁・防備」を意味する。))と呼んでいたが、連合国軍は第一世界大戦の防衛線にならい、あらためて旧称を用いた。
ジークフリート線は、その数 1万8,000を超える掩蔽壕、隧道、対戦車障碍物を備えた 全長630km (390マイル)以上に及ぶ防衛システムであった。
ジークフリート線は、ネーデルラント&footnote(現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3ヶ国(ベネルクス)にあたる低地地域)との国境に位置する[[クレーヴェ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7]](クレーフェ)から、旧ドイツ帝国の西国境に沿って、スイスとの国境にある[[ヴァイル・アム・ライン>http://de.wikipedia.org/wiki/Weil_am_Rhein]]まで続いていた。
戦略的理由というよりは心理的効果を狙ったプロパガンダで、[[アドルフ・ヒトラー>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC]]は、1936年からジークフリート線の計画を策定し、1938年から1940年にかけて構築した。
それは、ナチス政権が1936年に[[ラインラント進駐>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E9%80%B2%E9%A7%90]]を敢行したことで、[[ヴェルサイユ条約>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%A6%E6%9D%A1%E7%B4%84]]および[[ロカルノ条約>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%8E%E6%9D%A1%E7%B4%84]]を破棄したのちのことであった。
(翻訳を修正してくれる有志求む)

#hr(width=40%,height=2,color=#1B5CDB)
(訳注1: 元となっている文章は、英語版Wikipediaの[[説明>http://en.wikipedia.org/wiki/Siegfried_Line]]です。日本語の ジークフリート線の説明は[[こちら>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E7%B7%9A]](Wiipedia(jp))から。)
(訳注2: 要塞線の名称のもととなったジークフリートについての説明は[[こちら>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88]](Wikipedia(jp))です。竜の血を浴びて防備を固めた神話に倣ったようです。第二次世界大戦時には戦術の刷新や兵器の発展によって、既に要塞線はその防衛効果をほとんど無くしていましたが、防衛線が固められているというイメージから国内外に向けて心理的効果を挙げたといわれています。ナチスドイツは[[電撃戦>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%92%83%E6%88%A6]]の実施にあたり、マジノ線での膠着を回避して[[フランスに侵攻>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E4%BE%B5%E6%94%BB]]したのは、要塞線が現実には戦争遂行上の重要性を持ち得なかったことを意味するでしょう。)


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**Bug Detector
***I even customized the frequency to match the one bug outputs.
#ref(sw2_7-2.jpg,,width=500)
#blockquote(){Shirley’s “Bug Detector” completes the pun that the Neuroi bug is actually an observation/spy device of sorts, also known as a “bug.” 
A covert listening device, more commonly known as a bug or a wire, is usually a combination of a miniature radio transmitter with a microphone. 
The use of bugs, called bugging, is a common technique in surveillance, espionage and in police investigations. }
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&sizex(6){盗聴器発見器}
&sizex(4){「しかも、そいつの電波を探知するように周波数を合わせてあ&tooltip(る。){シャーリーの台詞から}」}
シャーリーの作った『ムシ探知器&footnote(製作したシャーリー自身の命名による。)』は、虫のようなネウロイが本当に、観測用あるいは諜報用の装置みたいなものだった、つまり「&tooltip(バグ){bug 英語: 虫、とくに甲虫。ルッキーニ語:ムシィィィッ}」といわれるものだったというダジャレになっている。
一般的にはバグとかワイヤと呼ばれる類の盗聴器は、大抵が小型の無線送信機とマイクを組み合わせたものである。
バグの使用はバギング bugging&footnote(盗聴器をbugという米俗語からきており、法廷などではeavesdroppingやwiretappingという語が使われる。)といわれ、監視やスパイ活動、警察の捜査でよく用いられる技術である。
(翻訳を修正してくれる有志求む)

#hr(width=40%,height=2,color=#1B5CDB)
(訳注: 2文目以降の文章の引用元は、[[こちら Covert listening device>http://en.wikipedia.org/wiki/Covert_listening_device]] (Wikipedia(en))です。)
(シャーリーの「それは知りません」の台詞は、[[fansub>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%96]]では"I have no idea."と訳されているものがあるようですが、4chanでは日本語の「尻」と「知り」の駄洒落・地口であることは知られています。)

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**PU Scope
#ref(sw2_7-3.jpg,,width=500)
#blockquote(){First introduced in a slightly different model for the M1938 and then M1940 Tokarev (SVT) rifles, the PU in its final form, as found on the M91/30 Mosin Nagant, measures 6-5/8th inches long and has a 30mm tube. 
It had an eye relief of approximately 70mm and the field of view is 4 degrees, 30 minutes. 
The PU telescopic sight, along with the longer 4 power PE, was the principal optical device used throughout WWII by Soviet forces. A simple design, it lasted in front line use right through the 1960's and can still be found in use in several third world nations. 
The recent influx of Soviet paraphernalia has brought many of these sights into the world market. 
These scopes are typically in excellent condition and make a nice conversation piece for any collection. }
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&sizex(6){PUスコープ}
最初は細部の異なるモデルがトカレフM1938小銃用に採用され、続いてトカレフM1940小銃(SVT)用に採用されたが、PU型はその最終形態である。モシン・ナガンM1891/30に装着され、全長6インチ5/8、筒径は30ミリである。
アイレリーフ&footnote(カメラ・双眼鏡・望遠鏡などを使用する際、光学機器の接眼部から使用者の目までの距離のこと。目距離。アイポイント。目から どれくらい離して使うか。)は約70ミリ、視野は4度30分だった。
このPU型[[照準鏡>http://en.wikipedia.org/wiki/Telescopic_sight]]は、倍率4倍で全長の長いPE型とともに&footnote(PU型は3.5倍)、第二次世界大戦中はずっとソ連軍の主要光学機器であった。シンプルな設計で、それこそ1960年代になっても前線で使用され続け、いまだに幾つかの第三世界の諸国で使用されているのを目にすることがある。
最近はソビエト製の装備品が流入してきて、この照準眼鏡が多数、世界市場に持ち込まれている。
こうしたスコープの状態は概して極上で、コレクションの中でも逸品となる。
(翻訳を修正してくれる有志求む)

#hr(width=40%,height=2,color=#1B5CDB)
(訳注1: 参考にされたページは[[こちら>http://www.snipercountry.com/Articles/HistoricSniperScopes_PUScope.asp]]です。また、モシン・ナガンM1891/30の説明は[[こちら>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%AC%E3%83%B3M1891/30]](Wikipedia(jp))です。M1938半自動小銃を改良したトカレフM1940半自動小銃の説明は[[こちら>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%95M1940%E5%8D%8A%E8%87%AA%E5%8B%95%E5%B0%8F%E9%8A%83]](Wikipedia(jp))から、英語版は[[こちら(SVT-40)>http://en.wikipedia.org/wiki/SVT-40]]です。)
(訳注2: [[闇文twitter>http://twitter.com/yamibun/statuses/21506704128]]で触れられている[[スターリングラード攻防戦>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E6%94%BB%E9%98%B2%E6%88%A6]]でも狙撃が多用され、[[ヴァシリ・ザイツェフ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%95]]は映画『[[スターリングラード>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89_(2001%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)]]』(2001年、アメリカ・イギリス・アイルランド合作)のモデルになりました。)


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**Bell X-22
#ref(sw2_7-4.jpg,,width=500)
#blockquote(){The Bell X-22 was a United States V/STOL X-plane with four tilting ducted fans. 
Take-off was to selectively occur either with the propellers tilted vertically upwards, or on a short runway with the nacelles tilted forward at approximately 45°. 
Additionally, the X-22 was to provide more insight into the tactical application of vertical take-off troop transporters such as the preceding Hiller X-18 and the X-22 successor, the Bell XV-15. Another program requirement was a true airspeed in level flight of at least 525 km/h (326 mph; 283 knots). 
Three-blade propellers were mounted on four wings and, synchronized through a wave-interconnection system, were connected to four gas turbines which themselves were mounted in pairs on the rear wings. 
Maneuvering was achieved by tilting the propeller blades in combination with control surfaces (elevators & ailerons), which were located in the thrust stream of the propellers. }
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&sizex(6){ベル X-22}
ベルX-22は米合衆国の垂直・短距離離着陸機の実験機・Xプレーンである。4基の角度可変式[[ダクテッド・ファン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%AF%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3]]を備えていた。
離陸方法として、プロペラを傾けて角度を垂直にして離陸するか、ナセル&footnote(飛行機のエンジン収納筒)を前方約45度に傾けて短かい距離を滑走して離陸するかを選ぶことができた。
そのうえ、X-22に先行した[[ヒラー X-18>http://ja.wikipedia.org/wiki/X-18_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29]]や X-22の後継機・[[ベルXV-15>http://en.wikipedia.org/wiki/Bell_XV-15]]のような垂直離陸型の部隊輸送機を、実戦に投入できるよう将来の展望を拓こうとしていた。その他の計画要求項目には、水平飛行で最低でも時速525キロ(時速326マイル、283ノット)の[[真対気速度>http://www.jal.co.jp/jiten/dict/p267.html#02-04]]があった。
3翅プロペラ&footnote(3枚羽根のプロペラ)が4枚の翼にそれぞれ取り付けられており、回転周期を相互に接続するシステムにより同期され、4基の[[ガスタービン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3]]・エンジンに連結されている。ガスタービン・エンジン自体は、後ろの翼に2基ずつ搭載されていた。
空中機動は、操縦翼面(昇降舵と補助翼)を制禦するとともにプロペラの角度も傾けて行なわれる。操縦翼面はプロペラによって生ずる推力の流れのなかに位置している。
(翻訳を修正してくれる有志求む)

#hr(width=40%,height=2,color=#1B5CDB)
(訳注1: 元となっている文章は英語版Wikipediaの[[Bell X-22>http://en.wikipedia.org/wiki/Bell_X-22]]の説明です。日本語の説明は[[こちら>http://ja.wikipedia.org/wiki/X-22_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)]](Wiipedia(jp))から。Xプレーンの説明は[[こちら(日本語版Wikipedia)>http://ja.wikipedia.org/wiki/X%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3]]および[[こちら(英語語版Wikipedia)のリスト>http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_X-planes]](一覧表が見やすい)。本機を含む実験機の成果は時を経て、[[V-22 オスプレイ>http://ja.wikipedia.org/wiki/V-22_%28%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%29]]に結実しました。)
(訳注2: ダクテッド・ファンの説明は[[ドイツ語版Wikipedia>http://de.wikipedia.org/wiki/Mantelpropeller]]が写真も多く詳しいようです(ドイツ語: Mantelpropellerは、外被付きプロペラを意味する)。)


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**Knight’s Cross of the Iron Cross With Oak Leaves and Swords
#ref(sw2_7-5.jpg,,width=500)
#blockquote(){Minna was awarded the Knight’s Cross of the Iron Cross With Oak Leaves and Swords for her 200th kill. 
“Wir Wilhelm, von Gottes gnaden, ...” translated to “Us Wilhelm, by the grace of God, ...” was the original phrase on the award certificate, but since there is no religion in the Strike Witches Universe, it has been changed to something that roughly means something about “the protection of our ancestors.” 
The eagle in the upper left is the original Reichsadler of the Kaiserreich (2nd Reich). 
The signature is of Frederick the Great (Friedrich der Große aka der Alte Fritz/ Old Fritz, 1712-1786). While the signature is that of Old Fritz, it would actually be Freidrich IV who was Kaiser at the time of the episode. 
The "F" in the center of the KC is a sign that the award was introduced or reinstituted by Friedrich himself, which means that the date that shows the year where the award was introduced could be 1743, although it's a bit hard to read. (the real Iron Cross was introduced by Friedrich Wilhelm III in 1813 during the Wars of Liberation.) }
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&sizex(6){柏葉剣付騎士鉄十字章}
ミーナは200機撃墜の功により柏葉剣付騎士鉄十字章を受勲した。
『神の恩寵の元に朕ヴィルヘルムは・・・・・・』という文言が本来なら、勲記&footnote(叙勲者に勲章とともに与えられる証書)に記されるところである。だが、ストライク・ウィッチーズの世界には宗教が存在しないので、大体「我等が先祖の御加護のもと」といったような感じの意味の言葉に置き換えられている。
左上の鷲は、ドイツ帝国(第二帝国)の&tooltip(帝国の鷲){ライヒスアドラー}の紋章そのものである。
署名はフリードリッヒ大王(老フリッツとして知られる[[フリードリッヒ大王>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%922%E4%B8%96_%28%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%8E%8B%29]]、生1712年-歿1786年)&footnote(フリードリヒ2世)の&tooltip(御名){ぎょめい}である。この署名の筆跡は大王・老フリッツのものだが、実際には、第7話当時に皇帝の座に就いていたフリードリヒ4世&footnote(もちろん、こちらの世界の史実では、その時代にフリードリヒ4世皇帝は存在せず、アドルフ・ヒトラーが総統の地位にあった。)が署名したと考えられる。
騎士鉄十字の中央に刻印された「F」の文字は、この勲章がフリードリッヒ(訳注:2世)自身によって制定されたか、もしくは再制定されたことを表す印しである。その証拠に、少し読みにくいかもしれないが(訳注:Fの中にある)年号はこの勲章が1743年に制定されたものだということを示している。(本物の鉄十字章は[[フリードリヒ・ヴィルヘルム3世>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A03%E4%B8%96_%28%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%8E%8B%29]]により、[[解放戦争>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E6%94%BE%E6%88%A6%E4%BA%89_%28%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%29]]&footnote(ナポレオン1世の第六次対仏大同盟の一環として行なわれた対プロイセン戦争・ドイツ戦役)中の1813年に制定された。)
(翻訳を修正してくれる有志求む)

#hr(width=40%,height=2,color=#1B5CDB)
(訳注1: 画像の勲記に記されている最初の単語は "Wi&bold(){r}"(英語のWeに当たり、君主が自称するときは「余・朕」となる語)ではなく、ひげ文字(Fraktur)風の飾り文字は、"Wi&bold(){e}"(英語のasにほぼ相当する)となっています(一行目の右の単語 F&bold(){r}i&bold(){e}d&bold(){r}ichのrとeを比較してください)。もしwieであれば接続詞alsを代用する場合もありますから、「カールラント皇帝フリードリッヒ『として』」という意味になりそうですが、当時の書式からはますます離れていきそうでもあります。
また、"von Gottes Gnaden"の文言は、[[王権神授説>http://de.wikipedia.org/wiki/Gottesgnadentum]]を背景にしている句で、皇帝や王など君主の名の後に置かれました。したがって皇帝の場合の順序は、主語「Wir (朕)」+「名」+"von Gottes Gnaden"+「帝位」+「王位(これが長く続く)」+後続の文成分(多くは定形第二位による動詞)……となりました。)
(訳注2: アニメ1期第七話の海外紳士元ネタ解説「[[騎士鉄十字勲章 >http://www37.atwiki.jp/strike_witches/pages/87.html#id_8d158c40]]」も参考にしてください。騎士鉄十字章の説明は[[こちら>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E9%89%84%E5%8D%81%E5%AD%97%E7%AB%A0]](Wikipedia(jp))、英文の説明は[[こちら>http://en.wikipedia.org/wiki/Knight%27s_Cross_of_the_Iron_Cross]](Wikipedia(en))。ドイツ語版Wikipediaの[[該当項目>http://de.wikipedia.org/wiki/Eisernes_Kreuz]]には、ヒトラー総統による勲記の画像がみられる。)
(訳注3: ドイツ帝国の鷲紋章 Reichsadlerの説明は[[こちら(Wikipedia(de))>http://de.wikipedia.org/wiki/Reichsadler]]から。実際の第二帝国オリジナルの帝国鷲紋章には、画像の鷲の頭上に冠 Kroneが付されていた。
また本項でも示されているように[[ドイツ帝国>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%B8%9D%E5%9B%BD]](1871年1月18日-1918年11月9日)のことを、ドイツ第二帝国と呼ぶことがある。ただしドイツ語の[[Reich>http://de.wikipedia.org/wiki/Reich_%28Territorium%29]]には本来、皇帝を君主に戴く帝政国家の意味合いはなく、単に「領域」のことを言うに過ぎない(いわゆる[[第三帝国>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%B8%9D%E5%9B%BD]]の国家元首は皇帝ではなかった)。そのため本文にもあるように帝政国家の「帝国」という場合は普通、Kaiserreichの語を用いる。)


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//以下、template
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//
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//**Title in English.
//#ref(sw2_5-1.jpg,,width=500)
//#blockquote(){ここに英文を入れると、各文頭に">"を入れなくても同じ結果になります。途中で改行してもOKです。翻訳するときに区切りを変えるため、英文の改行位置を変えるときも、文頭の">"記号の入れ忘れを気にせずにすみます。}
//----
//&sizex(6){訳文タイトル}
//訳文はここ
//(翻訳を修正してくれる有志求む)
//
//#hr(width=40%,height=2,color=#1B5CDB)
//(訳注: )
//
//
//----
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