大北方戦争 ポルタヴァ会戦 その1

 大北方戦争のハイライト、ポルタヴァ会戦へ向けての一連のスケッチの始まりである。まずはゴーラ帝国側から会戦の前段階について。


 ゴーラ様式の建築物の特徴を問われれば、まず細い柱四本それぞれの上に尖頭状の梁が渡された空間を多数連結させることでより高い内部空間を演出し、また内壁のさらに外側に外壁を立てて内壁を支えるように飛梁を渡すことで全体の壁の強度を確保し、その結果として明かり窓を大きくとる事ができるようになった上方へと空間が広がった建築様式があげられる。そして多数立ち並ぶ柱と梁に過剰ともいえる装飾が施され、それは王侯貴族が使うものほど豪華にして絢爛なものとなっていた。
 そのゴーラ様式の完成形ともいえる、多数の装飾柱と装飾梁で組み上げられた広大かつ高層の空間を、色硝子を組み合わせた採光窓から差し込む日差しが照らす中、ひと際巨大な組色硝子窓を背にした巨漢が、玉座の上から居並ぶ廷臣らを睥睨している。玉座の間は、巨漢の発する気によって気が揺らぎ、まるで陽炎が立ち上っているかのようであった。
 その玉座の主の前に跪き、右拳を左手で包む拱手の礼をもってその言葉を待つ男がいる。周囲に並ぶ廷臣らの彼を見る視線は悲喜こもごもといってよかった。
 玉座の上より覇気にきらめく瞳を向けたゴーラ帝国皇帝ゴルムが言葉を発した。

「ステンソンの息子エルンストよ、述べよ」

 何を、とは言わない。言わねばならぬ愚昧はこの場にはいられない。そうした者共は、このゴルム帝の長い治世の間に皆粛清され消えている。

「申し上げます。臣スヴェルスガルド、バルタス王国エラストフェン港に上陸してより暫時、軍の集結を待たず南下しハルムスタッド軍残余を収容す。これを追撃しある帝國軍とバルタス王国軍と協同して交戦、王都ゼーガペインに拠ってその侵攻を防ぐも、敵の兵力、火力、我に隔絶して大きく、勇戦つたなく王都を放棄、敵の追撃を撃退しつつもケックスホルン港城砦に拠って抵抗す。過日陛下の命により残存兵士を率いバルタス王国を離れ帰国した次第」

 緊張をはらんだ空気の中、ゴルム帝は変わらぬ声でスヴェルスガルド将軍を見下ろした。

「南岸諸国はどうか?」
「論ずるに及び申さん」

 その常人ならば恐怖と緊張で血を吐いて倒れてしまいそうな重圧の中でも、スヴェルスガルド将軍はすっと右手を払って一言で切って捨てた。

「帝國軍はどうか?」
「論ずるに術がござらん」

 瞬時腰に佩いた長剣を抜き放ち、ゴルム帝はスヴェルスガルド将軍の眼前を斬り床に剣を突き立てた。

「お前の心の中に巣食った「帝國」は斬れたか?」
「御意」

 その言葉を受けたゴルム帝は、玉座より腰を上げ右手を前に突き出した。

「論ぜよ」

 その言葉に廟議の場の雰囲気が一変する。並み居る廷臣らは、一斉に口を開き持論を開陳し始める。

「バルタス王国が「帝國」の手中に落ちた今、これまでの戦略は前提から崩壊したも同然! まずは帝國軍の次の目標を知るのが先決。その後に兵を発するべし」
「帝國軍の足は早い! バルタス王国を平定した後に兵を発しても、次の決戦に軍の集積が間に合うはずもなし。今は心胆を据え全力を挙げて「帝國」本土を討つべし」
「我がゴーラの陸海軍の主力は健在! 三大公の軍もまだ手付かずのまま。ヨーテボルイ海峡は封じられたわけではない。空からの襲撃に多少の損害が出ようとも、まずはラグナル、カルマル両王国に軍を集結させ東西より敵を討つべし!」
「帝國軍が動員した兵は四個軍団20万に達し、しかもそのうち実際に侵攻しあるは三分の一に過ぎぬ。ここで敵に決戦を挑んでも南岸諸国内での消耗戦となるは必定。まずは戦場を「帝國」本土に移すが先!」
「敵の空飛ぶ機装甲の脅威は容易に打ち払えぬ。ここで無策のまま艦隊を送り出したとて、むざむざ敵に沈められるがオチよ! 敵がバルタス王国平定に手間取っている間に兵を南岸に渡すのを優先すべし!」

 廟議が紛糾する中、ゴルム帝は玉座に腰を下ろし静かに目をつむって交わされる議論に耳を傾けていた。かといって心ここにあらずという風情ではない。彼の肉体から発せられる気配は、徐々に熱を帯び高まってゆくのが見る者には判る。
 議論が沸騰し、その方向性も見失われようとしているその時、ゴルム帝はその眼を開き廷臣らを一瞥した。その巨躯を起立せしめ、一歩踏み出した轟音に全ての廷臣が口を閉じ、一斉にゴーラ皇帝に向けて平伏する。

「我が心情を解する勇者はおらぬのかっ!?」

 その覇気がいっそ物理的な暴力のごとき威力となって廷臣らをなぎ払う中、一人の巨漢をのっそりと腰を上げ、ゴルム帝の前に敢然と立ち拱手の礼をとった。

「おお! ウルバンか、我が義息よ!」

 これまで憤怒を湛えた無表情であったゴルム帝が、その男を見たとたんに一転して機嫌を好くした。
 身の丈は7呎にも達し、全身が鍛え抜かれた筋肉で覆われている。縮れた黒髪が後ろに広がって背中にかかり、がっしりとした頬骨と顎と分厚い唇が印象に残る。そして額の秀でた面長の顔の中で、むっつりと噛みしめられた口元と寄せられた眉根の下の三白眼が剣呑な光を放っていた。

「ち、義父よ、お、俺がゆく」
「貴様ほどの勇者をもってしか、「帝國」の武を折る事はかなわぬ。征け。そして南の大陸にその武威を刻み付けてくるがよい!」

 傍らに控えていた近衛兵より、軍の指揮権を預ける事を示す宝剣を受け取ると、ゴルム帝はそれをウルバン・ホーセンソン・ヴェストラ大将軍に投げ与えた。


 ゴーラ帝国の帝都ミラクゴルドは、ゴーラ湾に流れ込むセーレン河を遡っていった先にある河畔の城砦都市である。無数の華麗な尖塔が立ち並び、晴れた日には硝子窓に日差しが反射してきらきらと輝く事で有名な、ゴーラ帝国千年の繁栄を象徴するかのような都市であった。その都の一角にある自分の屋敷に、ヴェストラ大将軍は己の幕僚を集めていた。

「ヨ、ヨーケ。さ、策を言え」
「はっ! 殿」

 相変わらずむっつりとした顔つきで配下を見つめているヴェストラ大将軍の前に、ぎょろ目で貧相な身体つきの男が進み出た。

「まずは、スヴェルスガルド将軍の立てた戦略は間違ってもなく、破綻してもいないのであります。かの空飛ぶ機装甲のために我が軍の集結が遅れ、帝國軍主力をバルタス王国内にて撃破、拘束する事には失敗したのでありますが、まだまだその失点を取り返す事はできるのであります」

 ヨーケと呼ばれた男は、さらに熱を帯びた言葉で話を進める。

「「帝國」北方辺境は既に荒廃の極にあり、今展開している以上の兵を維持する事はかなわないのであります。ならば、我らが討つべきはその国土の最も疲弊した土地にとなるのであります。すなわち、ラグナ河河畔地帯!」

 一度そこで言葉を切ったヨーケは、そのぎょろ目で周囲の武官らを見回してから、再度ヴェストラ大将軍に向き直った。

「殿の率いられる兵は、精兵なれど数は1万。ラグナル王国軍と協同せねば帝國軍に勝つのはかなわないのであります。故に、帝國軍がバルタス王国を平定している今この時に、一気にゴーラ湾を渡海しなくてはならないのであります。その為に渡れるのは、オーレスト海峡しかないのであります」
「つまり、「帝國」の空飛ぶ機装甲がヨーテボルイ海峡に目を引き付けられている間に、西の遠方から船団を渡すのですね?」
「左様であります。奥方」

 ヨーケは、自分の言葉に途中から割って入った女性に向けて、特に気を悪くした様子もなく肯いて返した。その緑なす黒髪をつむじのあたりでまとめて垂らした、柔らかくも芯のある際立った美貌をほこる婦人は、見た目こそ若く、歳の頃こそ不明なれど、その物腰の落ち着きと発せられる威厳は決して小娘のものではなかった。

「されど、帝國軍とて無能ではないのであります。故に、その注意を引き付ける役目を負わねばならぬ将が必要となるのであります」
「ええ、あなたの言う通りでしょう、ベングンド参謀。ならば、その役目は私が負うべきなのでしょうね」
「申し訳ありませぬ!! このヨーケ、ゴーラにあまたの提督あれど、奥方より他にこの大役をお任せできる方を知らぬのであります!!」

 柔らかく微笑んで語った彼女の言葉にヨーケは、感極まったのか澎湃と涙を流しつつ拱手し床に両膝をついた。

「ロ、ロスヴァイセ」
「判っております、貴方。このカールの娘ロスヴァイセ、ゴーラの女として夫たる貴方より先に果てるつもりはありません。それに、ゴーラ帝国近衛艦隊を率いる身として、かの空飛ぶ機装甲を相手に無策で艦隊をさらすつもりはありませんよ」

 眉根を寄せ、びきびきと顔中に青筋を浮き立たせたヴェストラ大将軍に向かって、ロスヴァイセ提督は、彼を安心させるように慈母のような微笑を浮かべて答えた。


 ヨーケの策が開陳されてより数日後、皇宮に参内したヴェストラ大将軍とロスヴァイセ提督、そしてヨーケ参謀は、ゴルム帝に謁見を賜っていた。奏上する内容は、当然南岸諸国へ派遣される軍についてである。

「帝國軍に先んじてラグナル王国へ軍を進め、もって各個に敵を撃破する、か。さらには帝國軍の主力が西北に集結した頃合を見計らって、フィンマルク湾側より軍を発して帝國の虚を突き、適うならばトゥール・レギスまで兵を進める。戦略は変えずとも策の細部は今に合わせて詰め直したか」

 皇宮の鐘楼より帝都を見下ろすゴルム帝は、ヨーケの戦略にことのほか上機嫌であった。
 戦争を始めてからの戦略の根本的な変更は、軍の動員編成から装備にいたるまで全てを一新しなくてはならなくなる。ゴーラ帝国の国力をもってすればそれは当然可能ではあるが、しかし帝國軍が握った主導権を奪い返す事は格段に難しくなる。何しろ今の時点で軍の動員と展開において帝國軍に一歩も二歩も遅れをとっているいるのである。既存の戦略のまま十分勝ち得るとあれば、あとは戦場における勝利で主導権を奪い返すことも十分可能となる。
 ヨーケの策の根幹は、帝國軍との決戦の地をバルタス王国よりラグナ河河畔に移す事で、戦略的には外線作戦を取りつつも、派遣された現地軍は内戦作戦で帝國軍を各個撃破する、という二重構造にある。ラグナ河河畔は、「帝國」から見れば策源であるトゥール・レギスより遠く離れた疲弊しきった土地であるが、ゴーラ帝国からみればオーレスト海峡西側を渡って比較的安全にゴーラ湾を南下できる、策源に近い決戦には格好の場所であった。

「されどこの策を完成させますには、連合王国海軍の跳梁を防ぎ、ラグナル王国軍の動員を帝國軍の侵攻よりも早く終わらせねばならないのであります。その為にも陛下の御威が必要なのであります」
「良い。ラグナル王へすぐに親書を遣わす。動員できる全ての兵を集め、我が義息の元に集うべし、と。シグルドにも命ずる。他には」
「ヴェストラ閣下の軍勢を渡海させるためには、近衛艦隊のみならず、スカニア大公軍よりも艦を拠出せしめねばなりませぬ。さらには空飛ぶ機装甲を相手にするため、20余の魔道機と重魔道機装甲も集めねば」

 続いてロスヴァイセ提督がヨーケに替わって答えた。彼女の厳しい面差しには、これから自らが赴く戦いにわずかほども楽観を抱いていないことが見て取れた。自らが義息と呼ぶ男の妻のその姿に、ゴルム帝は機嫌好く答えた。

「構わぬ。ニダロスとシグルドに命じる。欲しい数を言え」
「快速艦40隻、輸送船80隻。このうち囮艦隊に20隻づつ回します。さらに空飛ぶ機装甲を邀撃するのに重魔道機装甲14機、魔道機8機。敵機は一度に7機以上の機体を送り込んできた事はありませぬ。故に二倍の数の手垂れの駆る重魔道機を当てます」
「そうか。あえて囮艦隊に敵の目を引き付けつつ、それに誘き寄せられた敵を逆撃するか。良い」
「「御言葉、ありがたく」」

 ゴルム帝は、自分に向かって平伏したベングンド参謀とヴェストラ提督に向けて手を振り、その面を上げさせた。

「ユスティニアヌスに敗北してより三十余年、ゴーラは雌伏の時を過ごしてきた。今こそゴーラの雄渾なるを示す時ぞ。そのつもりで励め」

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最終更新:2012年12月31日 15:07