「ラインの乙女」のスケッチ その9

 今度も一ヶ月近く経ってから更新である。今回は途中色々と設定を練り練りしていたので仕方が無いということで。というわけで、イリシアと血縁のお姉さまと、カンパネラと血縁のお姉さまの顔見せである。詳細は後の回の予定。



 ブリタニクス一門宗主であるルキウス・ブリタニクス・スッラ帝國公爵は、ユスティニアヌス帝の御世に近衛騎士に叙任し、コンスタンス帝の時代に近衛軍司令官アルトリウス大公の下で精勤して順調に出世し、リランディア帝即位とともに始まった内戦では近衛軍の指揮官幕僚として活躍し、内戦終了すぐに退役しブリタニクス一門宗主の座を継ぎ元老院議員として政界に進出した軍人貴族である。若い頃はその美しい面差しで帝都の御婦人方に随分と騒がれたものであるが、齢六十を超えた今では一門当主としての威厳の方がまず印象に残る老貴族であった。

「負傷退役した身で、今更何をするつもりだ。メルトリリシア」
「主上直々の御召しに応えずして、何の貴族、何の近衛でしょうか」

 皇宮はブリタニクス一門の控えの間にての宗主夫婦の言い合いに、一門の誰もが席を外している。
 年若い妻の穏やかな微笑みの下に、凛とした折れぬ曲げられぬ意志を見たブリタニクス・スッラ公は、さらに表情を渋くした。

「その義足はヴァレリウスのものだが、それでも生身で戦場に立てば四半刻、機装甲を駆っても三刻が限界であろうに」
「それが近衛騎士の矜持というものではございませんか。御館様も、かつては近衛騎士団で旅団を預かるまでになられた身なればお判りいただけましょう」

 緩やかにウェーブをえがいた藍色めいた黒髪を後頭部でまとめ、耳から前は頬を隠すようにたらしているその髪が、メルトリリシアがかぶり振るのにあわせて揺れる。
 すでの四十も半ばを過ぎている身のはずが、魔導騎士であるた故に二十代後半にしか見えぬ若さを保っている彼女は、普段は誠心誠意夫に尽くし子供を慈しむ良妻賢母そのものである。だが、事が今上皇帝陛下が関わるとなると態度が一変する。今も親衛軍は機甲兵科の正装にその肢体をつつみ、上級騎士隊長の階級章と上級戦功章や黄金剣勲章、そして黒騎士の徽章を付けての参内であった。
 ルキウス卿がメルトリリシアと知己を得たのは内戦後半の帝都防衛戦での最中でである。彼女も近衛騎士家の生まれであり、十五歳で騎士見習いとなり十八で正式に騎士として叙任された身であった。だがその頃は未来の夫は騎士団「青色旅団」の本部幕僚として勤務していた身であり、一介の騎士と知り合うきっかけなどなかった。何しろ当時はリランディア帝即位の前後であり、「帝國」そのものが激動の只中にあったのだ。
 その二人が知り合ったのは、北方辺境候であったアドルファス・グスタファス候が決起し「帝都」に向けて侵攻を開始してよりの戦いの中でであった。
 当時、旅団長戦死によって旅団長代行となったルキウス卿と、「黒の二」配備部隊である第505重機装甲大隊のエースとして頭角を顕しつつあったメルトリリシアは、たびたび同じ戦場での戦いをくぐり抜け戦友としての紐帯を結びつつあった。コンスタンス帝の治世の末期の混乱に最初の妻を亡くして独り身であった彼と、苛烈を極めた教会軍との戦いで夫を亡くした寡婦である彼女が、男と女の仲になるのにさして時間はかからなかった。
 そして、ついには「黒の龍神」を預かるに至ったメルトリリシアが、かのアムリウス卿が駆る「フラブム・モノケロス」と交戦し撃破される。
 機体は大破し、両足を失う重傷を負ったため後送されることとなったメルトリリシアにルキウス卿は結婚を申し込み、二人はめでたく夫婦となったのであった。

「……未練があるのか」
「当然でございましょう。「黒の龍神」を預かった身にも関わらず、あの戦いの中唯一の被撃破機となり、戦争途中で負傷退役してしまったのです。今ここで参陣せねば、この悔いを墓場まで持ってゆくことになりましょう」

 内戦中に被撃破された「黒の龍神」は、メルトリリシアの搭乗していた一機のみであった。
 「黒の龍神」乗りの大半が東方軍式に一兵卒から叩き上げて黒騎士となり、その中で実力を発揮して「黒の竜神」を預かるに至った者達ばかりである。近衛騎士団より転属して黒騎士となり、「黒の龍神」を預かるに至った騎士の数はごくわずかであった。
 故に口さがない者の中には「これだから近衛騎士上がりは」と陰口を叩くものが少なくなかった。まして負傷退役して一門宗主の後添えともなれば、嫉妬羨望の視線と陰口にさらされるのもいたしかたないものであろう。
 だがメルトリリシアとて、戦場で実力を発揮して「黒の龍神」を預かるに至った身である。その矜持が無念となって胸を焦がしていたとしても、むしろそれこそ黒騎士として当然の心情というものである。黒騎士と呼ばれる者達は、それほどまでに誇り高い騎士達なのであった。
 妻の穏やかな、だが頑とした態度にブリタニクス・スッラ公が言葉もなくしたところに、執事が来客を告げた。


「お久しぶり、メルトリリシア。あら、少し太った? 胸のあたりがきつそうじゃない」
「久方ぶりですね、フェラ。お子さん達は元気かしら?」
「元気、元気。おかげで家に帰るとへとへとよ」

 陽気に笑うフェラと呼ばれた彼女の瞳は、雰囲気や口調とは裏腹に濁り澱んで光りが無い。一見するとその容貌も二十代半ばに見えて、実は彼女もメルトリリシアとさほど変わらぬ歳のはずである。

「貴女も主上に?」
「ええ。いつもは影働きの汚れ仕事ばかりが、こうして晴れ舞台にお呼ばれですもの。おめかししてきちゃった」

 にっこり微笑んだ彼女は、わずかに小首をかしげて腰下まである真っ直ぐな漆黒の長髪を揺らした。七三に分けられたその長髪は、左の七分が精霊銀製の髪留めでとめられて耳の後ろから背中へと流され、残り右側の三分が自然に背中側へと流れている。
 しかも着用している軍服も、上着こそ制式の機甲科のものであるが、下は首もとからくるぶしまでを覆う肢体に張り付くような黒絹に金色の刺繍の入った合わせ仕立てのドレスであり、あげく腰まで入ったスリットから薄絹の黒い靴下で覆われた形の良い脚が見えている。靴こそ紐靴であるが、かかとの高い軍制式のものではない。そして首元に結わえてあるはずのネッカチーフも、ドレスの上から後ろ首にかけるように垂らされ、制服の合わせに併せて上着の中にたくし込まれていた。
 ブリタニクス・スッラ公は、妻の友人の艶姿に眉をひそめ思わず一喝して追い出しかけたが、彼女の襟元に無造作に下げられた上級勲功章の徽章と、左胸に飾られている黄金剣勲章をはじめとする数々の勲章、そしてなにより黒騎士の徽章に声を押し殺した。

「上級騎士隊長に昇進したのですね。おめでとうございます、フェラ」
「ありがとう。こんな素行不良のダメ騎士でも、二十年近く「黒の龍神」に乗り続けていると昇進させてくれるのね。ホント「軍団」って温情主義的よね。ね、そうは思わない? メルトリリシア」
「そうですね。この私にも、こうして汚名返上の機会を頂けるのですから」

 友人と語らう妻の声が、いつになく弾んでいることに内心愉快ならざるもの感じるが、それを面に出すような間抜けな真似はしない。それが大貴族であり一門宗主であるブリタニクス・スッラ公の矜持である。

「ブリタニクス・スッラ上級騎士隊長殿、サエヴシア上級騎士隊長殿、謁見の間にお移り頂けますでしょうか」

 そうこうしているうちに、侍従が二人の黒騎士を呼びに来る。
 旧知の友人と談笑していた柔らかい雰囲気が、即座にぴんと張り詰めたものに変わる。二人の表情も、寸前の柔らかいものが凛とした兵士のそれに変わっていた。

「参りましょう、フェラ」
「そうね、メルトリリシア」

 気品と妖艶と、相反するはずの雰囲気を身にまとう女二人であるが、だが戦場生き残りの古兵らしい周囲の者に背筋を伸ばさせる何かが共通した空気をまとい、歩調を合わせて控えの間を出ていった。
 のこされたブリタニクス・スッラ公は、老いを感じさせる表情になると、ビロード張りの肘掛椅子の上に腰を下ろし両手を目の前で組んだ。

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最終更新:2015年09月14日 15:44