「………やっと、入着できました」
秋の天皇賞、出走ウマ娘の控え室にて。独り、呟く。
結果は5着。確かに、G1での入着というのは優秀な結果と言えますが、それでも負けは負けです。残酷なことですが。
しかし、私の胸に悔しさはありませんでした。あったのは達成感と、負けた悔しさも爽やかに思えるほどに、黒く澱んだ、そして身を焼く、罪悪感。
結果は5着。確かに、G1での入着というのは優秀な結果と言えますが、それでも負けは負けです。残酷なことですが。
しかし、私の胸に悔しさはありませんでした。あったのは達成感と、負けた悔しさも爽やかに思えるほどに、黒く澱んだ、そして身を焼く、罪悪感。
「すみません、クロックワークスと申します。少しお伺いしたいことがあるのですが」
控え室の扉を叩く音が聞こえました。
クロックワークス。クラシック三冠を含む無敗のG1七連勝。その過半数でレコードを更新し、しかしクラシック以降の九回の出走において悉く死傷者を発生させた"死神"。
…いや、今回を含めれば数字が一つずつ増えますね。心苦しくも文面を変えないままに。
クロックワークス。クラシック三冠を含む無敗のG1七連勝。その過半数でレコードを更新し、しかしクラシック以降の九回の出走において悉く死傷者を発生させた"死神"。
…いや、今回を含めれば数字が一つずつ増えますね。心苦しくも文面を変えないままに。
率直なところを言うと…図書室での出来事も含め、彼女に良い印象はありません。
そんなこともあって立ち話で終わらせようと半開きにした扉をわざわざ開いて部屋に上がった彼女は、その酷い態度のまま、けれどどこか訝しむように、こう言い放った。
そんなこともあって立ち話で終わらせようと半開きにした扉をわざわざ開いて部屋に上がった彼女は、その酷い態度のまま、けれどどこか訝しむように、こう言い放った。
「あなた、8着の筈ですよね?」
一瞬、時が止まったかのような錯覚に囚われました。
"8着"。
私の、"一度目のこのレース"での戦績です。
私の、"一度目のこのレース"での戦績です。
私はこのレースを四度ほど繰り返しています。
たった一度と意気込んだ一度目は8着。現実が受け入れられず混乱した二度目、14着。三度目は6着、そして今回が5着。
こんなことをしていいのかと思いながら、けれどチャンスがある限りは勝ちたいと思ってしまい、やっと掴んだ掲示板。
たった一度と意気込んだ一度目は8着。現実が受け入れられず混乱した二度目、14着。三度目は6着、そして今回が5着。
こんなことをしていいのかと思いながら、けれどチャンスがある限りは勝ちたいと思ってしまい、やっと掴んだ掲示板。
「どうやって、入着したんですか?」
何故一度目の順位を知っているのか、にもかかわらずどうしてその方法を知らないのか、そして彼女が一体何者なのか。何がどういうことなのかはわかりませんが…それでもただ一つ、わかることがあります。
…逃げなければいけません。
走って逃げて助けを呼ぼうにも、襲われた訳ではないから少し不安要素が否めません。そもそも唯一の出口は彼女に塞がれていますから脱出自体が難しいです。
では、時計を砕いて時間を戻してしまいましょうか…なんということでしょう、時計が入った鞄はドア脇の荷物掛け、すなわち椅子に座った彼女を挟んで向こう側にあります。
他には、他に逃走経路は…
では、時計を砕いて時間を戻してしまいましょうか…なんということでしょう、時計が入った鞄はドア脇の荷物掛け、すなわち椅子に座った彼女を挟んで向こう側にあります。
他には、他に逃走経路は…
(…そういえば、図書室で初めて会った時ーー)
彼女はあの時、ただ話しかけられただけで酷く耳を引き攣らせていました。
メンコをつけた上、聞く話によるとノイズキャンセリングのイヤホンすら着用していらっしゃるというのに。
さらに今の彼女は勝負服です。インタビューを受けてから直ぐにここに来たのでしょう。
則ち、勝負服の申請規則から考えるに、おそらく彼女は今、イヤホンをつけていません。
メンコをつけた上、聞く話によるとノイズキャンセリングのイヤホンすら着用していらっしゃるというのに。
さらに今の彼女は勝負服です。インタビューを受けてから直ぐにここに来たのでしょう。
則ち、勝負服の申請規則から考えるに、おそらく彼女は今、イヤホンをつけていません。
(…やってみる価値は、あるかも)
私は後ろ手に握ったウマートフォンを空で操作し、ウマ耳をぺたんと畳む。
……後から考えれば、何食わぬ顔で彼女に時計を取ってもらい、説明せずに叩き壊せば良かったのかもしれません。
「…?」
直後、私の控え室の空気は殺人的な音量のソヴィエト連邦国歌によって引き裂かれました。
「っがァぁっ!?!?!!!」
今だ。
出口へと駆ける。
出口へと駆ける。
逃すものか、と私の進路を遮った彼女は強く横に突き飛ばされ、壁にその身体を強く打ち付けてへたり込む。
鉄錆の香りが、時割と鼻腔に届く。
鉄錆の香りが、時割と鼻腔に届く。
彼女が今どうなっているかはわかりません。もしかしたら背中を強く打って気を失って、それどころか骨の数本まで折れているかもしれません。だが時間さえ、時間さえ戻してしまえば、初めから何もなかったことに…!
鞄から目覚まし時計を取り出し、地面に叩きつけようとしたまさにその時、その手を何かに掴まれました。
振り向いた私の眼には、予想もしていないものが映った。
壁に叩きつけられ、反動のままに這うように寝そべった彼女の背中は中空の石材のように割れ砕け、空いた穴からちょうど冬虫夏草のように私を掴む数多の腕が生えている。
どす黒い靄の塊で出来たようなその手は冬の雨のように酷く冷たく、また湿っている。
息を飲んだ静寂に、等間隔に刻まれる音が、その実在を訴えかけるようにカチカチと響く。
どす黒い靄の塊で出来たようなその手は冬の雨のように酷く冷たく、また湿っている。
息を飲んだ静寂に、等間隔に刻まれる音が、その実在を訴えかけるようにカチカチと響く。
ひび割れた彼女の右耳が、ごとり、と床に落ちた。
大きな音がまた耳を劈いた。今度は私の上げた悲鳴だった。
逃げなければならない。そう本能が支配して、右手の時計を握り壊すという発想は掠りもしなかった。
新しく伸びてきた彼女の右腕ー今度は歯車の集合体、義手然とした様相-が、細かく震える時計をするりと攫う。
ついさっきまでひび割れていたはずの右肩はいつの間にか有機体としての振る舞いを取り戻しており、だからこそ、そこから伸びる器械がより一層異常さを際立たせる。
「--------------」
時計を弄ぶ彼女が、錆びた機械が無理矢理駆動するような酷く耳障りな金属音を叫ぶ。
じっと時計を見つめている筈の彼女の視線が、何故か私から一時として離れていないかのような感覚がこびりつく。
じっと時計を見つめている筈の彼女の視線が、何故か私から一時として離れていないかのような感覚がこびりつく。
そして彼女は、それを使うこともなく部屋を去り。
結局、その黒い手に掴まれてから恐怖に固まり何もできなかった、ただ一人の無能だけが残されたのでした。