第二次世界大戦末期、とある国の貧民街に生まれ育ったイヴァンは、
幼い頃から己の持つ闘争の才のみを頼りにして、小さな縄張りの主として君臨していた。
だが、それらはあくまで子供の枠内での話であり……やがて、彼もまた激動する時代の中に否応なく投げ込まれていったのである。
大戦後、ソ連邦内部の政治的混乱の余波を受け、彼の生まれ育った故郷も、国家の武力による浄化・安定化の対象とされたのだ。
無慈悲な暴力によって、スラムの住人達は徹底的に鏖殺され、全ては炎の中に包まれた……
だが、まだ年齢二桁に達したばかりのイヴァンは、幼さからの容赦などといった外的要因もあったものの、
研ぎ澄まされた危機に対する感覚によって、生存という結果を勝ち取ったのである。
そうして命以外の他の全てを喪失した悪童は、そこで立ち止まるという事はしなかった。
やられたのなら、やり返せる者になってやろうと即座に決意する程の負けん気。
突きつけられた不条理に対し、強くなってやろうじゃないかと反骨心にて気炎を燃やし、
イヴァンは当然のように自ら少年兵への道を選択したのであった。
見かけ幼いだけの兵士。
彼らは、自国内での汚れ仕事や民族浄化といった公にできない作戦における使い勝手のよい鉄砲玉に過ぎない……。
しかし、その道を選んだイヴァンは、数多の命散る鉄風雷火の戦場を生き残り、戦果を積み上げ、
ただの悪餓鬼から一級品の戦鬼として鍛え上げられ、誰よりも暴力と砲火の世界へ順応した存在と成ったのだ。
そんな彼にとっては、生まれついてから知る世界はほとんど死と暴力に彩られたものであり、
今や戦場こそが、彼の生きる居場所となっていた。
それらの風景は確かに歪であったが、しかし同時に殺人に狂する精神性を育むものでもなかった。
過激であることと狂うということは全く別物。
そうしてイヴァンは、戦火の中で彼独自の人生哲学を構築していく。
教科書は、彼の潜り抜けた紛争の日々。
教師は、配属された同胞の兵士達。
生き残った奴がいた。死んだ奴がいた。逃げた奴がいた。諦めた奴がいた。
仲間と見れば必ず兄弟と呼ぶ狙撃兵。部下から見放され死んだ無能な上官。
家族の元に帰ると誓いながら死んでしまった一時の相棒。
ナイフで刻みながら女を嬲るのが好きな下種野郎。
最後まで神の愛を説いた老齢の修道女、精神を病んで食人趣味に傾倒した新兵、等々等々……際限なく、限りなく。
人間にとっての極限状態である戦場、そこに浮かび上がる様々な生涯。
多様極まる祈りと業を、イヴァンは見て、触れ、育ってきた。
阿鼻叫喚の地獄の中でも、生死の別なく輝きを放つものがある。
彼自身その輝きから大いに学び、成長を促されたと感じ、真に尊敬すべき価値があると信じるゆえに……
イヴァン・ストリゴイという男は、醜悪な戦場においてなお美しい───そんな英雄が好きなのである。
例えば……愛する人を喪失した事を機に、理想を抱く雄々しき獅子として立ち上がった甘ったれの青年司令官。
例えば……いつも戦いに怯え震えながらも必死に生き延び、除隊後、飲食店を開くという小さな夢を叶えた部隊の仲間。
他にも他にも、イヴァンの記憶には、それぞれの生きる意義を掴み取るため、戦場を駆け抜けた数多の輝きが刻まれている。
彼自身、平穏に馴染めないと認め、日常というものを遥か遠くに感じてしまっている事も事実だと認識している。
しかし、イヴァンは単純な享楽だけで戦場の意義を奉じるのではなく、
自分のように戦火の只中で駆け抜けていく者達の中だけでなく、
そこから抜け出そうとし、決して誰にも穢せない“本物”の輝きを得た者、あるいはそれを掴みかけた者達に対しても、
等しく彼は愛し、尊敬し、認め受け入れようとするのである。
そして、今もまた鋼の戦鬼は闘い続ける、この命が尽き果てるまで。
己の信ずる真理を以て、新たな命の輝きを知り、その果てを見届けんと願うがために……。
平和を望むは賢者でいい。ならばさあ、自らは愚者の守り手となればよかろう。
たとえ己が、墜ちて穢れた英雄なれども。機械で出来た醜い蜘蛛であろうとも。
この世に真なる英雄を生み出す余地があるのなら。
「──つー訳で、改めておっ始めようか・・・戦争をよ」
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