ぎしり、ぎしりと軋む床を踏みしめる。一行は内部に入れそうな場所を探し、幽霊船の甲板を歩いていた。
「だいぶ甲板の板が腐っていますね、崩れ落ちなさそうなところを選んで行きましょうか」
「海草があちこちに張り付いてるな……。海の底にあったとか? まさかな」
 ガイストとロックが辺りを見回して言う。確かにロックの言う通り、船のあちこちに海草がへばりつき、マストにまで絡みついている。踏んだら転んでしまいそうだ。
 しかし、この幽霊船が海中にあったと仮定するには、どうにも痛みが少ないような気がする。――もっとも、魔法が掛けられている船にそんな推察が通用するとは限らないが。
「床の脆いとこはそことそことそこだ。歩く分には大丈夫だが、走るとあぶねーかもな」
 ロックが一行に注意する。さすが盗賊というべきか、こう言った時の彼の洞察力には驚くべきものがある。一行はロックの指さした場所を踏まないように気をつけながら進んでいく。
「とりあえず中に入る入り口を見つけないとどうしようもないな。ひとまず船尾を見に行ってくる」
 ウェインが船尾の方に歩いて行くのに、仲間達が付いて行く。
「一人じゃ危ないですよ」
「アタシも行こうかしらね」
 結局全員が船尾に行くことになる。敵地で仲間を分断するのは得策ではないと判断したのだ。
 船尾まで来たが、特に何もない。あちらの船の船尾には船長室があったが、こちらの船の場合はただ甲板が続いている。そしてその甲板もやはり腐れて脆そうだ。
 ロックが僅かにかがむようにして、松明に照らされた甲板を見つめる。
「この床……。壊して下に行けるかもしれねーと考えてはいたが、それって逆にこっちにこれるってことにもなるよな。一応足元には気をつけたほうがいいぜ」
 ロックのその意見にウェインも同意する。
「そうだな。俺も今気付いたんだが、この床、下から破って上に来るって事もありそうだ」
「なるほど……考えても見なかったわ」
「一理ありますねえ」
「突然足捕まれるとか嫌すぎますね」
 仲間たちは二人の言葉に感心し、僅かに身構えた。
 ウェインはその反応を面白がるように笑う。
「もしかしたら、その下にもういるかもしれないぜ?」
「ちょっと。怖い事言わないでよ……」
「覗いてみますか?」
 怖がるガーネットとは対象的に、ルツィエが平気な顔で甲板をバスターソードで叩いて言った。
 一方メリスは「覗く」という言葉に反応したのか、顔を赤らめて生唾を呑み込んでいる。
「ところでこの松明、誰か後衛に持ってもらいてーんだが」
 甲板を一通り見渡したロックが立ちあがって言い、まだ若干顔が赤いままのメリスが松明を受け取った。
「ボクが持ちます」
「悪いな」
 結局、船尾での収穫は無かった。
 次に一行は船の中央へと向かうのだった。



 船尾の方から甲板の中央まで一行が移動してくると、やはりと言うべきか、メインマストの下に扉がある。
 ガーネットは扉を見ながら「アレね」と呟いた。
「ふむ……」
 ロックが扉へと近寄って、罠がないかを調べ始める。その背中を見ながら、ウェインが「ぶち壊した方がてっとり早いだろ」とぼやいた。
 その時、ふとロックは嫌な気配を感じ、扉から飛び退いた。
 次の瞬間、扉を叩き壊し、三体のアンデッドが船内から飛び出てくる。
「っとぉ!」
 ロックは着地すると同時にブロードソードを構えた。他の仲間達も素早くそれに倣い武器を構える。
「出たわね……!」
「みなさん下がってください!」
「前は俺達に任せろ!」
 ルツィエとウェインがロックの隣――つまりはアンデッドの前に立ちふさがって叫ぶ。ガイスト、メリス、ガーネットの三人はそれに従って後ろに構えた。
「グールです。厄介な麻痺毒を持っていますよ!」
 ガイストはすぐにアンデッドの正体を看破し、仲間達に注意を促す。
 がしゃりと音を立て、真剣な目でバスターソードを構えなおしたルツィエにメリスが声援を送る。
「ルツィエちゃん! かっこいい――!」
 しかし小声で「こんな危険な場所なのにボク興奮してる……」などと付け足すあたり、本当に油断ならない少年だ。危険なのは場所ではなくこの少年なのではないか、などと思ってしまう仲間も居るのだった。
 それはともかくとして、ウェインが先手をとって動き出す。
 ウェインはグールに向けて愛用のバトルアックスを振り下ろした。切るとも叩くとも言い難い感触がして、グールの腐肉に刃が喰い込む。片手で振り下ろしたため一撃で倒すとまではいかなかったが、相当のダメージを与えているようだ。
 しかし、それがある意味ではよくなかった。グールの肉から刃を引き抜くのに一瞬手間取ってしまい、ウェインはグールの牙と爪に引っかかれてしまう。
「くっ……」
 グールの肉体には強力な麻痺毒がある。このままいけば十数秒と立たずに毒が体に回るだろう。できることならそれまでに決着を付けなければならない。
 ウェインが引っかかれてしまったのに気付いてか、ルツィエが声を張り上げる。
「ここを早く切り抜けて次に!」
 グールが爪を振りおろしてくるのを体をひねって避け、ルツィエはグールの体めがけて銀のバスターソードを突き出した。
「沈んでくださいです!」
 バスターソードはグールの横腹を切り裂いた。グールから僅かに飛び出た腐汁が後ろの甲板を汚す。確かな手ごたえはあったものの、体の中心を貫いたわけではない。まだこのグールは動けるようだ。
 一撃で仕留められなかったことにルツィエが歯がみしたのとほぼ同時に、ガイストとガーネットが詠唱を終えた。
「援護するわ!」
 ガーネットがそう叫んだ瞬間、ロックのブロードソードに『ホーリー・ウェポン』が、ウェインの体に『プロテクション』が張られる。
 ロックは『ホーリー・ウェポン』がかかったのを確認すると、雄たけびを上げてグールに切りかかった。
「はあああっ!」
 斜に振り下ろされたブロードソードをグールが避けようとする。しかしロックの鋭い太刀筋はそれを許さない。ブロードソードはグールの肩に当たり、深い傷を作った。
 グール達はまだ一匹も倒れていないものの、三匹それぞれに深い傷が与えられている。もはやあとの懸念はウェインの体に回る毒ぐらいの物だと思えた。
 しかしその時、何かに気が付いたガイストが後ろを振り向き、叫んだ。
「下っ……? 皆さん、下です!」
 全員が僅かに視線をそちらへ移せば、甲板の床を破って何者かが這い上がってきている。
「皆さん新手です! 気をつけて!」
「ここできやがったか!」
 ガイストは這い上がってきている者の正体を見破る。あれはグールの中でも特に強力な、グール・ラヴィジャーと呼ばれるものだ。通常のグールよりも僅かに鈍重だが、その身体に宿す毒は通常のグールよりも遥かに強力だ。しかもこの位置では後衛が真っ先に狙われるだろうことは予想に難くない。
「っく……ガーネットさん! できればホーリーライトを!」
「ガーネット! 雑魚をさっさと片付けるぞ!」
「分かってるわ、任せなさい!」
 ルツィエとロックの掛け声に応じて、ガーネットがすぐに詠唱を始める。
 グール・ラヴィジャーはそのまま這い上がってきているが、かといって目の前のグールを無視することはできない。一行はまずグールを早く片付けてから、後ろのグール・ラヴィジャーに対処するつもりのようだ。
 こうなってみると、先の交戦でグールを一匹もしとめられていないのが痛かった。もしも一匹でも沈められていたなら、前衛の一人が後衛を守りに行けたかもしれない。しかし今そんなことを悔やんでいる余裕はない。一行は迫りくるグールを沈めることにのみ、神経を集中するのだった。
 毒を食らったウェインが急いでグールに切りかかる。先ほどよりも勢いを増したバトルアックスがグールの体に深々と喰い込んだ。グールはうめき声をあげて甲板に倒れ込み、動かなくなる。
 ウェインがグールを一匹仕留めたのを見て、我も負けじとルツィエとロックが動く。
 ルツィエのバスターソードが風を切って振り下ろされる。グールはそれを後ろにかわそうとするが間に合わず、足を持っていかれてしまう。ルツィエは自分の目の前に居るグールを仕留めたことを確信してロックの方を向いた。
 ルツィエは一瞬、そこにあるのが、何かのオブジェのように見えた。実際はロックがグールの胸に剣を突き立てているところだったのだが。
 ロックはブロードソードをねじりながら、グールごと勢いよく引き寄せる。そしてそのままグールの体に足を押し付け、蹴り飛ばすようにグールの体から刃を抜いた。
「へっ、一丁上がりっと!」
 ロックは頬についたグールの腐汁を乱暴に拭う。
 それとほぼ同時に、ロックの背後から強い光が放たれた。ガーネットの詠唱が終わったのだ。
 既に動けなくなっていたグール達を、聖なる光が駄目押しのように焼き伏せていく。後ろで這い上がってきているグール・ラヴィジャーもまた聖なる光に僅かではあるが焼かれていた。
 ガイストも古代魔法『マジック・ミサイル・レイン』を放ったが、上手く魔力が乗らなかったのか、グール・ラヴィジャーは平気そうである。
 その様子を横目に、メリスがウェインに『キュアー・ウーンズ』を唱える。ウェインの傷はみるみる内に塞がったが、それで毒が消えるわけではない。体の中にグールの毒が残っている。
 ウェインが僅かに呻き、甲板に膝をついた。ついに毒がまわってきたのだ。一瞬バトルアックスを支えに堪えていたものの、すぐに力が抜け、ウェインは甲板へと突っ伏してしまう。
 その様子を見たメリスはウェインが毒に侵されていたことを悟り、急いでウェインへと駆け寄る。
 ウェインの下へと向かうメリスとすれ違う様にして、ルツィエとロックがグール・ラヴィジャーに向かって走っていく。グール・ラヴィジャーは先ほどの『ホーリー・ライト』に怒ったのか、ガーネットに向かって攻撃しようとしていた。
「ガーネット、危ねぇ!」
「いまそちらに向かいます!」
 ロックがガーネットとグールラヴィジャーの間に割り込み、ガーネットを守る。そのままブロードソードを横に薙いで攻撃するが、僅かに剣先が逸れ、避けられてしまった。移動しながらの攻撃だ。当たり辛いのは致し方の無いところだろう。
 ルツィエもまた、「やあっ!」と掛け声をあげてグール・ラヴィジャーにバスターソードを振り下ろした。しかし、ルツィエはバランスを崩し、大きく狙いを外してしまう。バスターソードは甲板に叩きつけて、板材を割るだけに終わってしまった。
 割りこんできたロックに攻撃の対象を変えたグール・ラヴィジャーは、爪を大きく振り上げる。ロックが攻撃に身構えたその時――
「消え去りなさいっ!」
 後ろから聞きなれた声が聞こえ、グール・ラヴィジャーの体が大きく吹き飛んだ。
 ロックが後ろを振り向くと、肩を怒らせたガーネットが、吹きとんだグール・ラヴィジャーを睨むようしてに立っている。ガーネットはグールラヴィジャーが動かないことを確認すると、汗をぬぐって「ふうっ」と勢いよく息を吐いた。
 一仕事終えた、と言わんばかりに笑うガーネットに、ルツィエが抱きつく。
「ガーネットさんすごいです!」
「やーん、ありがとう! ルツィエちゃんもお疲れー!」
 ガーネットも彼女を抱きとめ、二人でしばらくぎゅうぎゅうと抱きしめ合っている。傍から見れば母娘か姉妹のようで微笑ましいが、騙されてはいけない。彼女は、彼でもあるのだから。
 ロックは喜び合う二人の様子を見て、安堵交じりのため息をつくのだった。



 ウェインの体に残っていた毒もメリスが治し、ついに一行はグールが壊した扉から船内に突入した。大分痛みが進んでいた甲板に比べると、船内はまだしっかりとしているようだ。
 マスト下の小部屋には階段があり、一行はそれを注意しながら下りる。下りてみると、正面に通路、左右と背後に扉があった。
 どこから進めばいいか分からない一行は、ひとまず聞き耳を立てる。音がしたならそこにアンデッドが居る可能性があるだろう、という算段だ。しかし、最も耳の良いロックでさえ何も聞こえない。強いて聞こえるといったら、さざ波が船を軋ませる音くらいだ。
「音が聞こえないってのが返って薄気味わりぃな」
「単に何もいない可能性もあるかもしれないですよ?」
 不審がるロックにルツィエが言う。ロックは肩をすくめて「だといいがな」と呟き、次の指針を仲間に尋ねた。
「……で、どっちに進む?」
「とりあえず何も無いなら全部調べないか?」
「アタシはロックちゃんの行くほうに行くわ。どっちがいいかなんて分からないもの」
「おまかせするですよー」
「そーかい。じゃあ……」
 ひとまずの決定権を任されたロックが、軽く船内を見回して、後ろの扉を見る。
「後ろだな」
「では、後ろからで行きますか」
 ロックは大方の賛成を得て後ろの扉へと向かった。今回もも、とロックが扉を調べようとしたその時、ロックの耳にぶおん、と重たそうな何かが風を切る音が聞こえた。次の瞬間、轟音を立てて調べていた扉が壊れる。
 ロックの顔のすぐ脇にはギラリと光るバトルアックス――そう、ウェインが扉を斧で壊したのだ。
「あぶねっ! きぃつけろ!」
 ロックがバトルアックスから離れるように立ちあがり、ウェインに食ってかかる。しかしウェインは悪びれずに肩をすくめた。
「こーいう船は触るほうが危ないときもあるぜ? さっきもこうしときゃ、扉ごとグールをぶちのめせてたんだ」
 確かに、もしもさっきウェインがグールごと扉を壊していたならいろいろと結果は変わっていただろう。しかし、何もロックが扉を調べている時に壊すことは無い。ルツィエはあきれた様子で「声くらいはかけたほうが……」と呟くしかないのだった。
 ともかく、一行は扉の向こうへと進む。そこには、左右に扉が、そして正面には更に下層へと下りる為の階段があった。
「なんだか入り組んでますね……」
「結構部屋が多いのねぇ」
 天井を見上げれば、大きな穴が空いており、床には天井の破片らしきものが落ちている。どうやら、先ほどのグール・ラヴィジャーはここから這い出てきたようだ。
 しかし、どうも奴の背丈では天井に届きそうもない。どうやって登って来たのだろうか。
「ハシゴ……みてーなのも見当たらねーしな……。どうなってんだ?」
 ロックが首をかしげて考える。
「……アタシ今、グール達が肩車して天井までたどり着いたんじゃ……とか想像しちゃった」
 ガーネットの突飛な発想に、ロックは「まさかな」と苦笑する。どうやらガーネット自身突飛な発想だと自覚が有ったらしく、ガーネットも苦笑した。
「有りえないわよね……うん……」
「気になったら調べてみればいいんじゃないですか?」
 二人の様子を見ていたルツィエが、小首を傾げて無邪気に言う。メリスも「それもそうですねー」などと同意している。ロックは「どうやってだよ」と頭を押さえて項垂れた。
「わたしは盗賊さんじゃないから専門的なことはわからないです……」
 そういってルツィエはガーネットの後ろへと隠れてしまう。ガーネットは「あらあら」などと言いながら、目を細めてルツィエを撫でている。その様子を見たロックは「やれやれ」とため息をつき、左の扉を調べ始めた。
 扉に罠が無いかどうかを調べているロックの背中に、ガーネットがはっとして叫ぶ。
「ロックちゃんあぶないっ!」
 何事かと後ろを振り返れば、ウェインがバトルアックスを振りかぶっている。松明の明かりに照らされ浮かび上がるその風体は、恐ろしいとしか言いようがない。
「とありゃっ!」
 ロックが「だからよ!」と叫びながら慌てて扉から離れると同時に、バトルアックスが叩きつけられて扉が壊れる音がする。もうウェインはこうやって突き進んでいくつもりのようだ。
 ロックはウェインを諌めることを諦め、ウェインを追って左の部屋へと進む。元々船員が使っていたのか、部屋の中には二段ベッドの残骸があった。
 二段ベッドの傍らには、朽ちかけた骸骨が転がっている。アンデッドではないようだが、一応調べておこうとロックとウェインが近付く。
 その時、この部屋の逆側の扉が壊れんばかりの勢いで開かれた。部屋の中に居たロックとウェインには音しか聞こえなかったが、他の仲間たちは扉から出てきた者をしっかりと見ている。
 狭い扉を屈むようにして出てきたそいつは、ただただ大きかった。
「オーガー……いいえ、オーガー・ゾンビです! 皆さん、注意を!」
 ガイストが叫び、その声は部屋の中に居るロックとウェインにも届いた。何が起きたかを悟ったロックとウェインは急いで部屋から飛び出る。
「ロック! 殿頼む!」
「何言ってんだ! 俺も戦うぜ!」
「後ろも警戒が必要だろ? さっきのゾンビの事もあるからな」
 我も、と飛びだすロックをウェインは諌める。しかし今この切迫した場面で言いあいをしている暇はない。二人の話はガイストの一喝で遮られる。
「喋ってないで集中!」
 オーガー・ゾンビはパーティーの後ろから攻撃してきたが、後衛のガーネットにルツィエがじゃれていたことが幸いする。ルツィエはオーガー・ゾンビの前に立ちはだかり、後衛を守るように盾と、銀製でない方のバスターソードを構えた。
「私が守らないと……!」
 ロックよりも先んじて部屋を飛び出してきたウェインが、突っかかり気味にバトルアックスで切りかかる。しかし急ぎ過ぎたのか、体勢を崩し、攻撃を外してしまう。
「チッ……!」
 ウェインが舌打ちしながら一歩下がり、ルツィエの横に並ぶ。それとほぼ同時に、ルツィエとウェインの体にガイストの『プロテクション』が張られた。更に、メリスの詠唱も終わり、ルツィエとロックの武器が祝福される。
 オーガー・ゾンビがルツィエに殴りかかってくるが、ルツィエはそれを盾で易々といなす。それを確認したガーネットが神聖魔法の詠唱を中止した。
 ルツィエがカウンターとばかりにバスターソードを振り上げ、部屋から飛び出して来たロックもオーガー・ゾンビに攻撃する。
 しかし二人の攻撃は両方とも外れてしまう。重い盾や、移動しながらの攻撃というハンデがあるにしても、この巨体が狭い船内でこうも避けるとは侮れない。
 一行がオーガー・ゾンビと睨み合っていると、オーガー・ゾンビが出てきた扉から、新たに二つの影が現れる。
「あれは……ワイトですか。奴の攻撃を喰らうと生命力を吸い取られます。注意を!」
 相変わらず、知識量で仲間達を支えるガイスト。その勇姿を見てメリスが何やら、顔を赤らめてもじもじしている。
「ガイストさまっ流石ですっ…………おもわず勃ちました」
 小声で恍惚と言うメリス。戦闘中に何を馬鹿な、という突っ込みすら許されない状況に、仲間達は内心ため息をついた。
 ともかく、ウェインが新顔であるワイトへと切りかかる。しかし今回も外してしまう。ウェイン愛用のバトルアックスは、ワイトの目の前を音を立てて通り過ぎただけだ。
 ウェインとロックにワイトが襲いかかる。ウェインは軽々とそれを避けたが、攻撃を構えていたロックはすんでのところで回避した。ワイトの腕が服を掠める感覚が恐ろしい。恐怖を振り払うようにロックはオーガー・ゾンビに攻撃するが、先ほどの回避で攻撃のテンポがずれてしまったのか、攻撃に力が乗り切らない。ブロードソードはオーガー・ゾンビの腕に弾かれてしまう。
 その時、背後からひと際強烈な光が放たれた。メリスとガーネットが同時に『ホーリー・ライト』を放ったのだ。その光は不浄の者たちを容赦なく焼き清める。屈強なオーガー・ゾンビはともかく、ワイト達はこの光だけで倒れる寸前まで追い込まれているようだ。
「邪魔しないでください!」
 聖なる光に後押しされたように、ルツィエが勇ましい声を上げ、バスターソードをオーガー・ゾンビに突き立てる。ずぶりと剣先が腐肉に沈む感触を確認したルツィエは、そのままバスターソードを横に振る。
「沈んでくださいです!」
 腕だけではなく、体ごとねじって力を入れたが、オーガー・ゾンビが後ろへと体を退いたせいで、浅く肉を切るにとどまってしまう。とはいえ、その傷は浅いものではない。あと数回、場合によっては一度の攻撃で倒れるだろう。
 ルツィエの攻撃に怒ったのか、オーガー・ゾンビは大きく腕を振りかぶり、ルツィエに殴りかかる。しかし先ほどの光に焼かれた目では、当たるはずもない。その拳はルツィエを大きく逸れ、空を切った。
 ウェインが今度こそ、とバトルアックスを横に振る。祝福を受けた刃はガードした腕ごと、ワイトの首を落とす。アンデッドに「死」という表現もおかしな話だが、ワイトは死んだ。もはや二度と動かないだろう。
「ロックちゃんっ!」
 その時、ガーネットが叫んだ。
 つられてウェインがロックを見れば、ロックの肩口に、ワイトが噛み付いている。
「ちっ……やべぇぜ……」
「ロックさん! この! 退いてくださいです!」
 ルツィエが叫びながらオーガー・ゾンビにバスターソードを突き出した。今度は深々とゾンビの右胸に突き刺さり、ゾンビは動かなくなる。
「でりゃあ!」
 ロックは力を入れてワイトを振りほどき、剣を薙いでワイトの体に傷を付けた。本来ならばその攻撃でワイトは倒れていただろうが、ロックから生命力を吸い取ったためか、まだ動き続けている。
 ワイトはもう一度ロックの生命力を啜ろうと、ロックに襲いかかる。ロックはブロードソードを突くように構えた。
「よくもやりやがったな!」
 ワイトの牙と交差するように、祝福を受けたブロードソードが光る。ブロードソードはワイトの喉に突き刺さり、そのまま貫通する。
 ワイトは貫かれたまましばらくガチガチと牙を鳴らしていたが、徐々に動かなくなっていった。



 敵を殲滅したことを確認し、メリスがロックに走りよる。肩に負った傷は簡単に癒せるが、吸い取られた生命力を癒すには、神官自身の精神力を分け与えなくてはならない。しかし今、神官の精神力は僅かも無駄にできない。そのことは仲間の全員――無論ロックも含め、よく理解しているところだった。
「ん、サンキュー」
 ロックは肩を回し、傷が癒えたことを確認すると、メリスに礼を言った。
 アンデッド達が出てきた方の部屋を漁っていたウェインが扉から顔を出す。
「ガイスト、さっきの部屋にあった骸骨、ちょっと見てくれないか?」
「ふむ、わかりました」
 ガイストはウェインとロックが居た方の部屋に入り、そこにある亡骸を調べる。やはり、ただの屍のようだ。骨は朽ちかけ、アンデッドとして動きだすような気配は感じられない。
「見た感じでは普通の骨のようですがねえ……」
 しかし、この船の中では何が起こるとも分からない。ガイストは少し自信なさげに仲間の元へと戻った。
 ガーネットが倒れたオーガー・ゾンビを見ながら言う。
「しかし……まさか本当にこのでっかいゾンビに肩車されたんだったりしてね……あのグール」
「そう考えると、なんだかかわい……くないですね……」
 苦笑するルツィエにガーネットとロックもつられる。
「本当に可愛くないわね……」
「想像するとかなりシュールな光景だな」
 軽く笑いあい、緊張を解した一行は再び気を引き締めるのだった。



「じゃあ下降りてみっか? このフロアまだ全部は調べてねーが」
 正面の階段を見ながらロックが言う。
「そうですね、降りましょうかね」
 他の仲間達も合意し、ウェインを先頭に、警戒しながら階段を下りていく。
 下に降りると、また通路があった。ただ上の階と違って後ろに扉は無い。暗くて通路の端こそ見えないものの、左右に並ぶ沢山の扉は客室ではないかと推測できた。
「……先が見えないわね。アタシの予想ではこの付き当たりはまた階段のような気がするわ」
「そんなに深い船なんでしょうか?」
 警戒するガーネットを守るように、殿を歩くルツィエが言う。
 一行は警戒したまま、通路を奥へ奥へと進む。やがて見えた突きあたりには、今までのものとは違い、大きく頑丈そうな扉があった。
「……いかにも怪しいって感じかしら」
 呟くガーネットを尻目に、ウェインが斧を振りかぶる。今までの扉よりも頑丈そうとは言ったものの、壊せないほどではない。
 ウェインが勢いよく斧を叩きつけると、扉が内側に倒れる。中は広い部屋ではないが、大きなテーブルや朽ちかけの椅子などがあった。ガイストがあちらの船で入った船長室に近い雰囲気を醸し出している。
 部屋の中にはグールにワイト、さらにもう一体のアンデッドが待ち構えていた。そいつは片手片足が義手義足で、いかにも船長らしい服を着ている。
 椅子の近くに立っていた船長骸骨は朽ちかけのテーブルに飛び乗り、その赤い瞳で一行を睨みつけてくる。その視線は船長らしい威厳と不死者らしい残酷さが混ざり合い、酷く威圧的だ。一行は圧倒されまいと睨みかえす。こちらとて命を張って戦ってきた、歴戦の冒険者だ。守るものも、それどころか命すらも持っていない不死者などに、怯みはしない。
 そうして数瞬、睨み合っていると、初めに船長骸骨が居た椅子の辺りに、黒いもやが集まりだす。そのもやは、海に立ちこめる黒い霧全てを凝縮したのかと思えるほどに黒い。
 もやがだんだんと形を成す。それはローブを着た骸骨の姿をとり、おぞましい、台風の時に聞こえる風の音のような声を出した。
「オオォォォ……ここで朽ちよ…………。レンターン様が、冷たく……迎えてくれるぞオオォォォ……」
 身震いするような声に顔をしかめ、ガイストが言う。
「あれが……レンターンの司祭。その亡霊のようですね」
「あれは……確実に危険です……!」
 ルツィエが身震いを押さえて言う。レンターンの司祭――レンターン・グラッジから感じる圧迫感は、船長骸骨以上だ。
 早く雑魚を片付け、司祭を叩かなくてはならないと判断したウェインは船長骸骨に飛びかかる。うなりを上げるバトルアックスは目標を見失うことなく船長骸骨へと振りおろされた。
 しかし、ウェインの一撃を船長骸骨は義手で防ぐ。多少のダメージこそ有ったものの、その力の大部分を軽減されてしまったようだ。
 船長骸骨が下から上に向けて剣を振る。それに気が付いたウェインは素早く後ろへとステップする。しかし、額に一筋傷をつけられてしまう。骸骨ながら、その太刀筋は並ではない。早く雑魚を片付け、などと甘いことは言っていられないようだ。ウェインは戦いの高揚に笑みが零れるのを感じていた。
 一方ルツィエにはワイトとグールが迫っていた。グールの攻撃こそ全て避けられたものの、ワイトの牙に捉えられてしまう。
「っぐ……」
 すぐに振りほどくが、相当の量の生命力を吸い取られてしまう。体の傷は微々たるものだと言うのに、ルツィエは自分の生命力が確実に失われたのを感じた。
 息を弾ませるルツィエのバスターソードが、メリスによって再び祝福される。また、ガーネットの『ホーリー・ライト』も発動し、さらにガイストの『カウンター・マジック』がパーティー全員にかけられる。
「出し惜しみは無しで行きます……」
 ガイストの言う通り、出し惜しみが出来る場面ではない。しかし、ここまで呪文を唱え通しの後衛三人だ。精神力も長くは持たないだろう。そのことを承知しているルツィエはより奮い立つのだった。
「わたしが……守るんだ!」
 ルツィエが今までにない速度で、船長骸骨に剣を振る。船長骸骨は今回も義手で受け流そうとするが、メリスの剛剣はそんなものでは止まらない。バスターソードという大質量の塊を受け止めた義手は砕け、船長骸骨自身の骨にも亀裂が入る。
 しかしそれでも、船長骸骨は倒れない。たたみかけるようにウェインも一撃を喰らわすが、その一撃をも逆の腕で受けて耐えきっている。
 それどころか、船長骸骨は砕けた義手を武器として、ウェインの腹にカウンターを喰らわせた。
「ぐっ……」
 壊れて尖った義手が腹に刺さり、ウェインは呻く。しかしパーティー一頑強な肉体を持つウェインだ。このくらいで倒れはしない。
「当たって!」
「惜しむことはない、撃ち込む!」
 ウェインを助けようと、ルツィエとガイストが攻撃を繰り出す。しかし、さっと船長骸骨は身を翻し、バスターソードを避け、ガイストの『エナジーフォース』を弾く。ルツィエの攻撃はガードするよりも避けた方が良いと学んだようだ。
 さらにメリスが『ホーリー・ライト』を放つ。四体のアンデッド全員にダメージを与えているが、崩れ去ったのはグールのみだ。他の三体は未だ健在であり、こちらの命を奪おうと何もない目を光らせている。
 あしらわれたとはいえ、三人の攻撃は僅かな時間を作ってくれた。その隙にウェインは体勢を立て直す。
「まだいけるか」
 痛みに顔をしかめつつも、ウェインの構えにブレはない。熟達した一人の戦士として、パーティーの仲間として、ウェインはここで倒れるわけにはいかないのだ。
 しかし、そんな矜持も敵の動きを止める役には立たない。非情にもレンターン・グラッジは詠唱を終え、ウェイン、ルツィエ、ガーネットの三人に『ウーンズ』を放つ。
 ウェインとガーネットはかろうじて『ウーンズ』を弾く。しかし、船長骸骨に集中していたルツィエはまともにくらってしまった。
 バスターソードが、ルツィエの手から滑り落ちる。床に落ちたバスターソードは、がしゃん、と虚しく響いた。
 ルツィエの細い体が崩れ落ちる。
 バスターソードを下敷きにするように倒れたルツィエは、うめき声すらあげなかった。
 ガーネットが急いで『キュアー・ウーンズ』をルツィエとウェインにかける。
「しっかりして……っ!」
 ガーネットの魔法は、確かに成功している。ウェインの傷は大分癒えた。
 しかし、ルツィエは目を覚まさない。
「くそっ……!」
 ウェインは吐き捨てながら、船長骸骨と戦い続けている。今はルツィエの目を覚まさせてやるだけの余裕がないのだ。
 しかしルツィエの事を気にしている隙をつかれ、船長骸骨から更に一撃貰ってしまう。『キュアー・ウーンズ』で癒えたばかりの場所をもう一度突かれ、ウェインはその痛みに顔を歪めた。
「撃ち抜く!」
 ガイストはもう一度、船長骸骨に『エナジーフォース』を放つ。しかし、それもいとも簡単に弾かれてしまう。
「やはり知識だけではダメなのか!」
 ガイストは、戦闘となると他の仲間達に一歩譲ってしまうところがあるのは否めない。無論その知識量や、古代魔法での支援は充分役に立っているのだが、こと攻撃に関しては不得手だ。そのことを自覚しているガイストは、こんなときに魔法を弾かれてしまう己の不甲斐なさに歯がみするのだった。
「メリスちゃんっ、一気に攻めるわよ!」
 こうなってしまってはルツィエを回復するよりも、早く目の前の敵を片付けた方がいいと判断したガーネットはメリスに叫んだ。
「はいっお姉さま!」
 メリスとガーネットは、二人で同時に『ホーリー・ライト』を放つ。
 聖なる光がアンデッド達を差し、傷ついた仲間達を包む。ワイト、船長骸骨、レンターン・グラッジ。そのどれもが焼かれ、清められていく。
 アンデッド達の体が崩れていく。これで終わったと一行が思い、僅かに空気が弛緩した時、レンターン・グラッジが崩れながら最後のあがきを見せた。
「オオオオォォォォ…………」
 ウェイン、ルツィエ、ガーネット、メリスの四人に、『ウーンズ』を飛ばしてきたのだ。
 ルツィエ以外の三人はウーンズを弾く。しかし、倒れているルツィエはまともに喰らってしまう。
「ルツィエ!」
「オオォォ…………」
 仲間達がルツィエの元に駆け寄る頃には、レンターン・グラッジはもはやただの煙と化し、文字通り霧散した。
 そしてレンターン・グラッジが消えたことで、幽霊船全体が揺れ始める。
「早いところお暇しましょうか!」
 そう言ってガイストがルツィエを担ぐ。それとほぼ同時に、ガーネットがルツィエに『ハイ・ヒール』を唱えた。
 しかし、『ハイ・ヒール』は不発に終わる。この状況の緊張の所為か、魔法の使いすぎによる疲労の所為かは分からないが、ただ魔力が消費されただけに終わってしまったのだ。
 それに気が付いたメリスが、すぐさま代わりに『ハイ・ヒール』を詠唱した。こちらは問題なく発動する。
 ガイストに背負われたルツィエがむずがるように動き、目を覚ました。
「ん……うぁ……?」
 ルツィエが無事に目を覚ましたことに安堵したメリスは、眉を下げてへにゃりと笑った。
「もうヘロヘロでうー」
 ルツィエを降ろしてから、仲間を助けた少年神官を称えるように、ガイストはメリスの頭を軽くポンポンと叩いた。更にガーネットがメリスをぎゅっと抱き締め、すぐに離す。
「がんばりましたね」
「お疲れ様っ!」
「えへへ、元気でたー」
 ガイストに褒められたことがこんな状況でも心底嬉しいのだろう。メリスは笑みを強めた。
「っと、のんびりしてる暇は無いですよ皆さん!」
 目が覚めたばかりで状況を上手く把握していないルツィエに、ウェインが言葉少なに声をかける。
「とりあえず起きろ。船が沈む」
「わかりましたです」
 ウェインの言葉と仲間達の様子で大体の状況を察したルツィエは、すっと立ち上がった。
「さ、急いで逃げるわよっ!」



 揺れる船内を、一行は必死に走る。
 この船は魔法で相当補強されていたのだろう。その魔法が解けた今、様々なところから浸水してしまっている。
「水が……っ!」
 水に追われるように階段を上がり、一行は甲板へと出る。
 外に出てみて気付くことだが、僅かだが風が吹き始めていた。その風に流されたのか、僅かに霧も薄くなっているように感じる。
 しかし、今はそんな些細な変化に気をやっている暇はない。どうにかして元の船に戻らなくてはいけない。しかし沈みかけたこの船からはもはや飛び移れるような状態ではなかった。
 一行が何か手は無いかと辺りを見た時、あちらの船から声が聞こえた。あちらに残ったパーティーの一人である、戦士の声だ。
「おーい、聞こえるか! 聞こえたら返事をしろ! ロープを垂らしてある、これに掴まれー!」
「ああ、今行く!」
 指示に従って、行くときに飛び移った辺りの船壁を見れば、数本のロープが垂れ下がっている。一行は順々にロープに掴まっていく。
 しかし、ロープに向かって走っていたルツィエの足がもつれ、転んでしまう。
「…………っ! ルツィエちゃん……っ!」
 ロープで引き上げられているガーネットが叫ぶ。
 その叫びに状況を理解したメリスが自分の持っているロープを垂らされたロープに継ぎ足し、命綱としてルツィエの元へと戻る。
 必死に泳ぐメリス。既に幽霊船の甲板は水につかり始めている。
 メリスが全力で水を掻いていると、ロープがビン、と張り詰める感触が有った。まだロープには長さの余裕があるはずなのに、何故。
 メリスが後ろを振り返ると、ルツィエが逃げ遅れたことに気が付いていない術師が、メリスを助けようとロープを手繰っていた。
 先に甲板に引き上げられた四人に冒険者たちが話しかけてくる。
「大丈夫だったか!」
「ええ、アタシ達は大丈夫」
 心配をしていたらしい戦士に手短に返事をし、ガーネットがハードレザーアーマーを脱ぎ始める。その様子を見て冒険者達も何かおかしいと気付いたらしく、女盗賊が「あれ、二人足りない?」と呟く。
「一人は今引き上げているようだが、もう一人はどうした」
「失礼、逃げ遅れた仲間が居ますので」
 言葉を遮るようにガイストが声を上げ、ウェインがロープを手繰る術師の手を止めた。
 ガイストは術師が手繰っていたメリスのロープに、自分のロープも継ぎ足し始める。
「ガイスト、愛してるっ」
 遠くからではあるが、その一連の流れを見ていたメリスは叫んだ。甲板にまでは聞こえなかっただろうが、ガイスト「さま」で無くなったのは切羽詰まっているからだろうか。それとも、仲間への信頼の為だろうか。
 甲板では、事態に気が付いた戦士がどんと胸を叩いていた。
「俺に任せとけ、疲れてるだろ。準備はしておいた、いつでも行けるぜ」
 言われてみれば、彼は今防具らしい防具も付けていない。こんなことがあるかもしれないと予想していたのだろう。
 甲板の上を走り、戦士はそのまま海へと飛び込んだ。それを追うように、装備を外し終わったガーネットも、海へと飛びこんだのだった。



 暗い海の中、ルツィエはもがいていた。
 このままの装備では、到底泳げない。仕方なくルツィエは愛剣である二本のバスターソードと、ラージシールドを海の中へと捨て、幽霊船への手向けとした。
 しかし、それでもハードレザーアーマーを着ていては泳ぎづらい。水面近くまでは昇ってこれたが、これ以上は息が続かないし、体力的にも限界だ。
 いよいよ、ルツィエが死を感じ始めた時、水面から泡を伴って一本の手が差し出される。
「掴まれ、引き上げるぞ!」
 水面越しに聞こえる声を頼りに、手を掴む。
 ルツィエはその力強い手で、水面までぐっと引き上げられた。
 その手の正体は、果たしてあの戦士だった。水面にはメリスとガーネットの姿もある。
 メリスがてきぱきとルツィエの体にロープを巻き付け、ガーネットと戦士がルツィエを引っ張って船まで泳ぐ。船の上にもウェイン、ロック、ガイストの三人が居て、冒険者達と協力してロープを引っ張っていた。
 ルツィエだけでなく、戦士達を含む全員の引き上げが終わり、荒く息をつく彼らの姿を見た時、やっとルツィエは自分が生き残ったことを悟る。
「助かった……ですか……?」
「……ああ、そのよーだな。お疲れ様」
 まだ実感できずにいるルツィエに、戦士がねぎらいの言葉をかける。その光景を見て、ガイストは甲板にばたりと倒れるのだった。
「やー、ははははははは……今回は骨が折れました……ね……」
 そのままガイストは寝てしまう。よほど疲労が溜まっていたのだろう。
 一方、引き上げ作業を終えたガーネットは、甲板の隅で所在なさ気に立っていた。どうやら偽胸を外した上に海水につかり、体のラインが出てしまっているのが恥ずかしいようだ。
 それに気が付いたウェインが、そっと上着を差し出す。
「いるかい?」
「……あ、ありがとう」
 差し出された上着を受け取りながら、ガーネットが真っ赤になる。
 ふと、その時甲板に穏やかな風が吹いた。濡れた体をくすぐるような風が心地いい。
 空を見れば、霧が割け、陽が射しこんでいる。海面はキラキラと輝き、不気味さなどまるで感じさせない。つい先ほどまで、幽霊船が間近にあったことなど忘れてしまいそうだ。
 眠ってしまったガイスト以外の仲間たちは全員、陽を見つめている。
 長かった夜が、終わりを告げていた。


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最終更新:2011年09月01日 16:33