地下鉄・東京メトロ参丁目



<警視庁より駿河1>
「駿河1、どうぞ」
<110番受理番号6282、参丁目近くの路上より入電、同駅構内に害獣の目撃通報あり。害獣近くに人影らしきものが見られるため堕体の可能性あり。現場に向かい事態を把握せよ>
「駿河1了解、現場に向かいます」


 立ち入り禁止を通告する黄色と黒のビニールテープが張り巡らされ、出入りが制限された東京メトロ参丁目駅行きの階段前に集結する藍色の制服の集団。辺りには救急車が多数出動し、赤いサイレンの光が周辺のビルの外壁を赤く彩っていた。
 そこに到着する一台のパトカー。フロントグリルに小さな注連縄をくっつけた車輛は救急車の近くに停車する。
 騒ぎを聞きつけ集まった野次馬と事件の報道をするメディアを掻き分け、ビニールテープの前で集結する集団に送れて合流する仮面の男。その腰には一本の日本刀が提げられていた。

「あぁ、カラスさん。お疲れ様です」
「状況は?」
「現在車両は御苑との中間で停止してます。まあ問題は線路上に出た奴さんの方ですが」
「依り代の行方は?」

 隣で腕を組んでいた大柄な警官が写真を差し出す。そこには地下鉄の線路上に繭のようなものを作って吊り下がる八本腕の怪物の姿が写されている。身体の前で交差して組まれた腕の中には涙の様に黒い液体を流す男性が口をあんぐりと開いたまま、宝物の様に大事そうに抱きかかえられていた。

「見ての通り、奴さんが抱えてやがるんだ。状況から見るに自然発生ってよりは……」
「降ろしたか」
「おそらくな」

 カラスは黒い制服の袖を捲って携えていた刀を左手に握る。

「指定種別は、通報時点では乙種だったが」
「受肉してからもう三十分は経過してる上、このパニックだ。悲鳴やらから力を蓄えてるだろうから丙種に変異していてもおかしくないと踏んでいる」
「なるほど、それでウチにね」
「かたじけない」

 カラスの到着で集結していた警察官がパラパラと散っていき、報道規制に動いたり周辺に集まる野次馬の避難誘導を開始する。

「先生方は呼んだのか」
「いえ、容疑者の持ち物がまだ確認出来ていないのでどこを信仰しているかが分からず」
「なるほどな、これで米産だったらどうしようか、ボク簡単な単語しか話せんのやけど」
「またまた御冗談を」

 カラスはポケットから小瓶を取り出し 腰に携えていた刀を鞘から抜き刀身に小瓶の液体を流す。

「あとでウチからもう一人来ることになってるから、そいつが来たら楊枝をしこたま用意しとくように伝えてくれるか」
「了解いたしました」

 立ち入り禁止テープを越えて地下鉄のホームに向かってカラスの姿が見えなくなった頃、息を切らしながら警察の輪の中に割り込むようにして女性が現れた。
 綺麗に切り揃えられた前髪、大和撫子を思わせる光沢ある黒髪を一本に纏めた明るい雰囲気の女性は肩で息を切らしながらも胸ポケットから警察証を取り出す。

「はぁ…はぁ…到着遅れまして、申し訳ありません。臣宿署の辻垣内です。状況の共有をお願いしても宜しいでしょうか」
「あぁ、あなたがカラスさんの言ってた方かな?」
「は、はい恐らく」
「あなた宛にカラスさんから伝言を預かっています。『ようじ』ってのをいっぱい用意してくれとのことです」
「楊枝、『聳孤の蹄』か……何に使うんだろう。あの、先輩は何処に」
「先に修祓に向かわれました」
「まったくあの人は一人で勝手に……楊枝ですね、分かりました」

 辻垣内は署の先輩であるカラスの伝言の通りに、楊枝を用意するためカラスが乗ってきたパトカーに走る。トランクに転がるシガレットケースを取り出す。ケースを開けると中から何の変哲もなさそうな楊枝がじゃらじゃらと溢れ転がる。

「もう、なんでこんな……罰当たりにも程があるわ」

 楊枝、別名「聳孤の蹄」は木を司る霊の加護を受けた柳の枝で作られた小さな棒材で、修祓器の素材などにも使われる微弱だが浄化作用を持った材木だ。使用用途は主に不法投棄されたごみなどの汚穢から生まれた妖怪や怪異などの害獣相手に使うことが多いが、汚いものを多少綺麗にする程度の微弱な浄化能力しかなく甲種指定の呪霊に辛うじて効き目がある程度。そんなものを大量に用意して何をするつもりなのか新人の辻垣内には見当が付かない。
 落ちた楊枝もケースに戻して駅のホームに向かって階段を下りていく。暗闇の中に一歩一歩と足を踏み込んでいく。

「うっ……」

 鼻がひん曲がりそうになる程の異臭が鼻腔を劈いた。長い間掃除されてない公衆便所でさえもマシに思えそうなほどの臭気。手で鼻を覆っても隙間から漂う臭気に吐き気を催す。
 暗闇に目が慣れて暗黒の中に蠢くソレの輪郭がハッキリとしてくる。百を優に超えるであろう黒く艶めいた体躯の蟲の大群。それらはホームの更に先、線路上に無造作に置かれた黒い泥の山の中から聞き心地の悪い音と共に這い出てきていた。

「んぐっ……酷い匂い……」
「鶴ちゃんよく耐えられるな」

 酷い悪臭の中に立たされた辻垣内より先に現場に居たカラスの顔にはガスマスクが装着されており、けろっとした表情で立っていた。

「なっ! なんで、そんなに用意がいいんですか!」
「上でも酷い匂いがしてたんだよ、誰も気付いちゃいなかったけどな。安心しなって鶴ちゃんの分も用意してある」
「この臭気に曝されたマスクを今から付けるんですか……」
「なにもしないよりは圧倒的にマシだ」

 辻垣内はカラスから渋々ガスマスクを受け取って装着する。予想通りガスマスク自体が既に悪臭に侵されてはいたがカラスの言う通り、何もしていない状態よりはマシになった。

「先輩は上に居た時から不浄から出た呪霊だって分かってたんですね」
「駅に着いた時には酷い臭いが充満してた。修祓後も相応の後始末をしないと第二第三の害獣が生まれかねないからね」
「その為の楊枝だったんですね……勉強になります」
「して、問題の堕体は何処に」
「そこだよ」

 唐須の指差した二人の頭上には、一対の脚に対して八本の腕、人間の顔面を潰して横に伸ばした様に変形した異形の頭を持つ不気味な呪霊が、自身を現世に降ろした宿主を抱きながら天井にぶら下がっていた。

「う、うわぁぁぁ!」
「まだ呪力が堕体に馴染んでいないんだろうな、こんな近くに近付いてもピクリともしないんだからな」
「な、なら今が絶好の修祓チャンスなのでは?」
「そうなんだけど、そう簡単に行かないのが世の常ってもんなんだよね」

 カラスが地面に刺した刀を引き抜くと足元を這っていた黒い蟲たちが羽搏き襲い掛かる。刀を振り払うと、予め神酒を浸透させていた刀に触れた蟲共は灰のように散っていくが、また新たに堕体の真下の泥山から次の蟲が生み出され唐須たちに向かってくる。再び泥山の前に刀を突き刺すと羽搏いていた蟲はその羽を畳んで薄汚い線路を這っていく。

「まあ、そういうわけなんだ。ところが試しにこの泥山に楊枝をくっつけてみよう、すると」
 ポケットから取り出した楊枝を泥山に飛ばすと触れた部分の泥が透明な水となって消えていく。
「この泥山を直接浄化する分には蟲は襲ってこないんだ」
「まさか、ここまで織り込み済みで大量の楊枝を!?」
「いや、それは偶然なんだけどさ。とにかく鶴ちゃんに持ってきてもらった楊枝で陣を作って浄化の詠唱をしてしてほしい」
「察するにこの泥山がこのゴキ……蟲共の卵ってことですか?」
「害獣が人々の陰の気から自らの眷属を生み出してる、眷属なんて大層なものでもないが動くものに無差別に攻撃する以上、甲種害獣指定に値する」
「聳孤の蹄で水気を抑え込むんですね」
「流石にこの数の羽虫の相手をしながら堕体の処理は難しすぎるからね」

 カラスの指示通り聳孤の蹄を泥山にくっつけて陣を形成していく。黒い羽虫たちは聳孤の蹄を嫌がるように避けたが、次々に降り注ぐ聳孤の蹄から逃れられず浄化作用で煙に消えていく。
 辻垣内が詠唱を始めると周囲の呪力の変化に気が付いたのか吊り下がっていた怪物が目を醒ます。暗闇の中爛々と輝く赤い眼が詠唱中で無防備となった辻垣内に向けられる。
 天井から線路に降りるや否や真っ先に辻垣内の方に走り出した怪物の前に立ちはだかるカラス。

「連れないなあ、待機列に先に並んでたのは僕なんだぜ、僕と遊んでくれよ」

 浄化の神酒が浴びせられた刀が怪物の腕と交わる。熱した鉄板に水を差したような音と共に交わった部分から黒煙が上がる。

「痛いだろ、深山霊峰で作られた三百年物のお神酒だ。丙種の修祓にはぴったりの効き目だ」

 直接的な攻撃をやめ、口から糸を吐き出す攻撃に転じるも吐き出された糸と浄化作用を持ったカラスの刀は相性が悪く、巻き取るよりも早く糸はちりちりと塵となっていく。

「へへっ相手が悪かったな害獣、先生方が来たら悔い改めて潔く成仏するといい」

 強い踏み込みから駆け出し、両手で強く握りしめた刀を下から上へと振り上げる。悲鳴とも聞こえる咆哮を上げながら朽ちていく怪物の身体を貫通した斬撃は、地下鉄のトンネルの壁に大きな傷跡を残した。
最終更新:2021年05月09日 16:11