Alteration -変質-
そのクラブは若者たちで溢れかえり騒々しかった。九十四番艦にいた頃はよく出入りしていたクラブも既に懐かしく感じた。ここ一二ヶ月でおじさん味が増したのか非常に若々しいモードで満ち溢れているのを感じた。ついこの間まではこの中心に自分もいたというのに。
ジョンに連れられて店の中に入る時、なんとも言えない違和感を覚えた。一体何が奇妙なのかはっきりとは分からない、言い知れぬ不安を抱えたままカウンターについた。
この辺りはダーカーが出現していないようで、ルツが来た臨戦区域附近から若者たちが集まり、不安を紛らわす為に体を寄せ合い、ダンスに体を揺らし、男女はキスし合って、ホルモン分泌を楽しんでいる。外を見てみりゃ非常事態だというのに。それだけアークスの存在が彼らを安心させているのか、彼らに危機管理能力がないのか。
「何飲まれます?アルコール?コーヒー?それともコーラかな?」
「いや遠慮しておこう」
ジョンがジャケットから財布を取り出した。財布から紙幣を取り出しボーイに渡した。そこで初めて店の入口での違和感に気が付いた。入口で生体認証を求められなかった。はっと驚くルツをよそに同じコーヒーを飲み始めるジョン。ややあってジョンはルツの表情に気が付いた。
「どうかされました?」
「今……紙幣を使ったか?」
「ええ、それが何か……あぁ心配しないでください。闇通貨じゃありませんよ、政府に認められた紙幣ですよ。使える場所は限られますが」
「例えばここか?」
「そうです。何処も彼処も生体認証だらけ、お前は誰だと問いかけられそれに答えなきゃ買い物も出来ない。買った物は全てデータベースに残り、その時間どこで何をしていたか、プライバシーなんてあったもんじゃない。だからここにはそういう、この船のルールに飽き飽きした若者たちが足を運ぶんです。私もその一人、といっても若者なんて歳じゃありませんが」
最初はアークスシップ内にダーカーが現れたという異常な状況故に、助けを乞う若者を受け入れているのだと思っていたが、どうやらそうじゃないらしい。
「……まあそれはあくまで表向きですがね。こちらへどうぞ」
飲み物を手に持ったまま、カウンターの奥へと通される。ひんやりと冷たいコンクリートの廊下を真っ直ぐ進むと清潔な白衣に身を包んだ医者のような風貌の女性達、背中に大きなボンベを背負った防護服の男達が忙しなく動いている。防護服を纏った男達は楕円状のガラス窓の向こうのカプセルのような小部屋で試験管に入った緑色の液体に新たな液体を注いだり、バーナーで炙ったり、見るからに何かの実験をしていた。医者のような女性たちは、その場にいるルツ以外の患者、と思わしき人々に施術していた。
「あちらのバーはあくまで表向きの姿。こちらが我々の本当の姿、ようこそいらっしゃいました。虚空機関3番艦第47番支部へ」
コーヒーカップをデスクへ置き女性達と同様に白衣に袖を通す。看護助手に案内されるがままベッドに横になる。
「手術といっても大規模なものではありません。薬を投与し、経過を観察します。体への浸透具合によっては明日にでも退院できます。」
看護助手に袖を捲られ筋肉質な腕が台の上に置かれる。慎重に針を血管にさし、中に薬を投与していく。全身に薬が回ったのか、身体に倦怠感が現れた。瞼が重たい。身体の力が抜けていくようなそんな感覚も。薄らと開いた目には自分の腕。妙に血管が浮き出た自分の腕が見えた。
身体の異変に気が付いた時には既に遅く、ルツは気を失った。
──アークスシップ第九十四番艦 公安局
「朗報だ。ルツの行方を掴んだ」
「本当かダニエル!」
中層都市の警察署で待機を命じられていた元R.S.O.C.のメンバーたちのもとにルツの情報が飛び込んでくる。
「だが、状況はあまり良くない。あいつのいる三番艦じゃ今さっきダーカー出現の警報が発令された。」
「そんな最前線艦に攻めてくるたァ珍しいな」
「あぁ、それに今回は出現の予兆もなく突然艦内に現れたらしい。何が起きているやら」
「そんなことはどうでもいい!今はルツを助けに行くぞ」
メンバーの誰よりも早く装備を整えたウィリアムズ。
その声に他のメンバーも装備を整え始めた。ダニエルも腰のホルスターに骨董品のリボルバーを納め、ハンガーからジャケットを取るとエレベーターに乗った。
「ダーカーとやり合う可能性は充分ある。油断せず装備はいい物を揃えろ!」
公安局に支給された対ダーカー用装備を次々と貨物エレベーターに載せた。装備と共にウィリアムズたちも乗り込む。
エレベーターは公安局の地下駐車場まで降り、降りて目の前に停まった装甲車に荷物を詰め込む。本来6人乗りのその車両に荷物を詰め込むと人が座れるスペースは限られていた。中でも身軽なハイドとアンジュは車体に備え付けられた固定機関銃の席にしがみつく様に乗った。
運転席にはバーバラが座り助手席にはダニエルが、後部座席にウィリアムズが乗っている。
ダニエルは三番艦の公安局の知り合いに連絡を取る。ダニエルを含む五人が三番艦で自由に行動する為の手配を頼んだ。
「いいか!今から行くのは俺達の知らねぇ土地だ。俺の知り合いがマッピングのサポートやら戦術補助をしてくれる。間違っても無礼な態度取るんじゃあねえぞ!」
艦内にダーカーの出現が確認された一番から十番までの最前線の艦に応援に向うアークスの揚陸艇に乗り込む。この揚陸艇のスピードであれば30分もあれば三番艦に到達出来る。
しかし不自然なことに、アークスの所有する揚陸艇だというにアークスの姿は何処にも見えず、船内にいるのは皆公安局管轄のD対策警備庁の人間、つまりは部署が違うだけの同僚たちの姿しかない。ダニエルとウィリアムズは車から降りブリッジに集まる同僚の元へ。
「おぉ何だダニエルじゃないか。お前も出動か?」
「まあな。......なあ何でアークスの姿がねぇんだ。奴らはどうした?」
「何でもマザーシップに侵入者が出たとかでそっちの対応に出ているそうだ。こっちも充分危険な仕事に変わりはねぇんだから少しくらい本職の応援が欲しかったぜ」
D対策警備庁の人間は決してフォトン適正を持つ人間ではない。ダニエルやウィリアムズと同じフォトン適正を持たない公安局の人間だ。
つまり今この揚陸艇に集まっているのはフォトン適正を持たない警察の集まりだということ。
「ここに居ない連中に文句を言っても何も始まらん。ここにいる者に状況の説明をする」
ダーカーの出現が最初に確認されたのは三番艦ソーン。これまでのダークファルス【巨躯】や、【若人】の眷属であるダーカーとは異なる姿をした新種のダーカー。ソーンでの出現がトリガーとなったか一番艦から十番艦の最前線艦の艦内で目撃情報が相次いだ。そしてアークスシップ周辺宙域にダーカー反応が増え、今では船を覆うように囲まれているらしい。艦内にはゼッシュレイダやヴォルガーダ、ダークラグナなど大型ダーカーの出現も確認されており、今回の任務の危険度はかなり高くなった。三番艦では大剣使いのアークス、一番艦では抜剣使いのアークスと、各艦で数人程度のアークスが地元公安局局員と共に事態の収拾に動いているらしい。
敵総数から艦内までの進路、如何にダーカーに対応するかなど、簡潔だが明確なブリーフィングを終え、公安局の局員と元R.S.O.C.のメンバーは武器を装備する。
元R.S.O.C.のメンバーであるウィリアムズたち一行は現役の頃から使用してきたフォトンジェネレーターを起動し専用アーマーを装備。そこにいる誰よりも目立ち、対ダーカー戦においても活躍を期待されている。
「これより!本機は三番艦ソーンの上層区市街地へ突入する。各員機体の揺れに備えよ!」
遠方から見れば黒い幕がアークスシップを囲んでいるように見えるが、モニターに拡大図を写し出せばそれが小さなダーカーが一体一体から織り成される壁であることがわかる。揚陸艇の側面に設けられた二門の主砲から巨大なレーザーが放たれ黒い幕に穴を開けた。開けられた穴はすぐに修復され始め徐々に穴が小さくなっていくがそこに船体を無理に押し込むように突貫する。船体をぶつけた衝撃で穴の周囲のダーカーが弾け飛び穴が広がる。船体には複数体のダーカーがへばりついている。船体が完全に幕を通り越してアークスシップ周辺宙域に侵入した頃には黒い幕は完全に修復されていた。これで退路は絶たれた。
キャンプシップ発着場に揚陸艇のリアサイドを接続しアークスシップ内に侵入。装甲車に乗り込んだ公安局の局員たちが上層区市街地へと到達した。
ダニエルたちを待っていたのは目を覆いたくなる様な悲惨な光景。その光景には誰もが息を飲んだ。防ぐ術を持たない市民が一方的に食われ、ダーカーへと侵食した姿。目的もなく彷徨い、目に付くものを破壊する。爛々と揺らぐ赤い双眸とだらしなく半開きになったまま涎を垂れ流す口、その姿はまるでホラー映画に登場するゾンビのようであった。
「お、おい......俺達は侵食されないんじゃない......のか?」
ダニエルたち公安局局員の気配に気がついた人型ダーカーたちがゆっくりと歩を進める。異様な数のダーカー反応が艦内に確認出来たがまさかそれらがほとんどが侵食された市民のものであるだなんて誰も想像しなかったのだ。
一歩、一歩と着実に近付くソレに対して公安局局員は何もすることが出来ない。それが幾ら敵であるダーカーへと成り果てた存在であろうと見た目はほぼ普通の人間となんら変わりなく、躊躇なく切り捨てることが出来ないのだ。まだ助ける手立てがあるのではないだろうか。そう考えている内に一人また二人と目の前の市民だった者達がバタバタと倒れていく。
男の後方、鉄の強化スーツに身を包んだ戦士たちの握る小銃から放たれた弾丸によってその命は奪われていった。
「気を引き締めろ!コイツらはもうダーカーだ!殺らなきゃこっちが殺られる。それくらい分かんだろ!」
ハイドは声を荒げ、小銃から愛用する長槍に持ち替え、前方のダーカーの群れに飛び込んでいく。
「どうしても踏ん切りがつかないのなら市民の安全確保に専念しろ。まだどこかに市民は残っているはずだ。うちのアンジュを護衛に付ける」
ウィリアムズとバーバラ、ダニエルは先陣切って突っ込んで行ったハイドを装甲車で追いかけていく。覚悟が出来ない公安局局員たちはウィリアムズに言われた通りアンジュ護衛の元市街地内に残っているであろう市民の救助へ向かった。
「おいおい、こいつはどういうことだボズウェルさんよぉ」
意識が戻ったルツはジョンを壁に追い込み首元にナイフを突き付けた。後天的フォトン適正付与手術として行われた薬物投与は不完全なものだった。麻酔によって一時は意識を失ったルツであったが、投薬後すぐに目を覚ました。ジョンが手に持っていた薬はルツのよく知る薬だったのだ。
群青の名で知られ、名の通り群青色の液体の生体強化薬だ。ルツは既にこの薬品を投与している。それも10年以上も前に。
当時16歳のルツは自分の能力の限界に行き詰まり薬に手を出した。当時の九十四番艦は治安が悪く中層区でもドラッグなど、通常世に出回っていないものが多く売買されていた。群青は、元々はより強いアークスを生み出す為に作られた生体強化薬で、常人を大きく上回る身体能力と治癒再生能力を得られるようにするナノマシンであったが中毒性が高かい事が判明しアークスへとの投与前に廃止されたものだ。本来アークス用に開発されたものでルツの身体には上手く適応せずに群青本来の力は発揮されなかった。多少身体能力は向上されたものの想像を遥かに下回るものだった。
それと同じものを再び投与されたところで効果が現れる筈もないのだ。
「これで......効果が現れなければ別の手術方法を試すつもりだったのです......」
首に突き付けられたナイフを目で追い度々言葉を詰まらせながらジョンは言った。
「ほう......その手術方法ってのは?」
「デューマンへの転生手術です......」
「あぁん?デューマン?なんだそりゃ」
「六芒均衡の二、カスラ主導のもと進行していた造龍計画をルーサーさんが引き継いで完成させた第四の種族......ヒューマンをベースにクロームドラゴンの細胞を組み込むことで、ダーカーを喰らいダーカー因子をフォトンに変換する能力を備えています」
「ほう、そいつはなんとも魅力的な話だな」
「転生ですから、今の身体を捨て新たな個体に生まれ変わります。ですから、体質も関係ないですし......貴方の身体は既にボロボロですしいい機会では?」
身体はボロボロ。そうかもしれない。力を欲していたルツは、無知な子どものように甘い蜜に誘われて悪い大人達に連いていった先で、待っていたのは人を人とも思わないような使い捨て部隊。当時の最新技術が手に入り、確かに力は手に入れたがそれも今では型落ち品。
与えられた物では満足出来ず、自分の限界を試すかのように繰り返した群青の効果を高める促進剤の過剰摂取。体質的に抑制剤が効きにくく今じゃ立派なジャンキーだ。確かに彼の言う通りルツの身体はボロボロだった。
「我々虚空機関は人類の次のステップ、フォトナーへと移行する様に貴方も次のステップに進みましょう。外は地獄です、今ここで戦うことが出来なければ我々はここで眠る事になるでしょう。もし生き残ったとしてこの先貴方は果てしない脅威に怯えて暮らすしかありません」
「ふぅ......ここでその手術を受けたとして失敗したら死亡。断って外に出れば死亡。全く面白い冗談だ」
深く息を吐き。
「今更、死ぬことを怖がるものか......おい、そのなんとかドラゴンの細胞を俺の身体に埋め込め」
「なっ!? 貴方の身体では負荷に耐えられません!」
「どうせ死ぬなら同じだ」
首に突き付けたナイフを離し再び手術台に戻った。看護助手、研究員が協力して身体に拘束具を付け始めた。身体のあちこちに点滴や管を繋げ手術台の周りに沢山の機械が集まってくる。
「どうなっても知りませんからね......」
ジョンは立ち上がると研究員のいるカプセルのような小部屋から赤黒い液体が入った試験管を持ってこさせた。
赤黒い液体を手術台の周りの機械にセットすると、じわじわと管から赤黒い液体が身体の中に入っていく。体表の血管が赤黒く変色していくのが目に見えてハッキリと分かる。同時に言い知れぬ頭痛が襲い、歯を食いしばる。脳みそを握られているような気持ち悪い感覚。
意識が薄れていく中で頭の中に声が響く。
《お前が憧れたのはこんな力なのか?》
──五月蝿い。選り好みしてる時間なんてもうねぇ。
真っ白な画面の光が座席を照らす小さなシアターの最前列。一番左端の席に座るルツと右端の席に座るルツ。左端のルツが徐々に薄れ消え行く中で右端のルツが言葉を投げかける。
《英雄になりたいんじゃなかったのか?》
──英雄? そんなもんに俺がなれる訳ねえだろ。
──この世界はな、お前が考えるほど甘くねぇんだよ。殺し、奪い、貪り、喰らいついても力を持たない奴は、人ですらない。ただ一方的に奪われるだけの餌なんだ。
《あいつに先越されたのを悔しがっていたじゃないか》
──ほんとにアイツはいつも俺の邪魔ばっかしやがったよな。育ちがいいんだか知らねえがはなから俺達を見下したような態度で近寄って来て仲良くしようだなんて握手まで求めてきた。
──邪魔でしかなかったよ。誰よりも功績を挙げて、上へ上へ行かなきゃなんねぇのに、あいつはいつも俺の一歩先を行きやがる。何度アイツを殺してやろうかと思ったか。
──今だってそうだ。あいつは俺が立つはずだった場所に立っている。
現実のルツの身体がクロームドラゴンの細胞を拒絶している。ルツが意識せずとも暴れるように動き出す身体を、研究員たちが必死に抑えた。内側から掻き毟られるような痛みが全身に走る。
《お前だってやれば──》
──もう手遅れだ。俺とアイツは根本から違った。他人の為に自分を捨てるなんて考え方は俺には理解出来ねぇ。アイツが救った命と同等の命を奪ってきた。死体を積み上げることでしか俺はアイツと並べねぇ。だから俺はこれからも殺し奪い続ける。そんで最終的にはアイツから全てを奪ってやる......。
真っ白だった画面が端の方から赤く染まって行く。右端の席から立ち上がりこちらを見つめる少年時代のルツは拳を強く握りしめこちらに何かを必死に伝えようとしている。
でもその言葉は今のルツには届かない。
真っ赤となった画面がフラッシュのように光瞬き、少年時代のルツに弾痕のような穴が次々と空いて少年はその場に倒れる。
薄れ消えていく中でルツは少年時代の自分が倒れ血を流していく姿を見て口元をニヤリと歪ませた。
管の中身が空になりすべての液体がルツの中に浸透した。
暴れた疲労感からか異常な空腹感に苛まれる。暴れた後だからか拘束具は緩まり、力を入れれば簡単に外れた。ベッドに手をついて立ち上がる時、違和感を感じた。自分の腕が赤く見える。両腕どちらとも赤く変色している。振り返りジョンを見ると口を半開きにしたまま固まっていた。
「我々の想定したものとは違いますが......適合したようです」
ベッドから立ち上がり銀色の鏡面仕上げの機械に映る自分も見つめる。
腕だけでなく顔、いや全身の皮膚が赤く変色していた。髪からも色素が抜けたように朱殷色だった髪はくすんだ銀色に変わっていた。
崩落した建築物と瓦礫の陰の薄闇を駆ける。ダーカーの斜線には寸毫も身を晒さず、けれど己の狙い定めた眼からは決して逃がすことなく、ダガンを、カルターゴを、時には飛行するエルアーダさえも巧みに死角に回り込んで仕留め、死骸から核を引きずり出し食らいつく。
核の味を表現するなら、丸焦げの鳥の胸肉。焦げのような苦い味が口いっぱいに広がる弾力ある肉という感じ。一体、また一体と殺し、死体を積み上げていくと、同時に満腹感が湧き上がってきた。
侵食され攻撃的なゾンビと化した市街地の市民たちは、三番艦の公安局の局員が乗ってきた戦車、装甲車、戦いの中で落として言った銃器をつかって迫り来るルツに無意識的に発砲を繰り返す。
砲撃、砲撃、砲撃。銃弾の雨の中、ルツはひらりと身を翻し銃弾の雨をことごとく回避して前進する。向かってくる男の脚や、腕、頭を確実に狙った発砲ではなくただ単純に引き金を引くだけで砲身から飛び出した銃弾。砲身の向きから弾道を予測したり照準器の向こうの目を見て回避するような精密な技術ではなく、多くの戦場での経験から培った勘だけを頼りとした野性的な行動。武器を一切持たず、クロームドラゴンの体細胞を身体に埋め込んだことで生じた突然変異なのか、急激に成長した鋭く強靭な爪をもって人型ダーカーの胸元を引き裂き、露出した核に貪りつく。ちなみに人型ダーカーの核は、異形のダーカーに比べて薄味な気がした。上手いかどうかと聞かれれば美味しくはなかった。
「この先で多数のダーカー反応!......これは」
「どうしたっ?」
先行するハイドからの通信。ダニエルの運転で後を追う装甲車の車内にハイドの声が響く。
「ダーカー反応がどんどん減っていく......誰かが戦っている!」
「なら援護しないとな」
各々アイテムパックから武器を取り出し、即戦闘可能状態にする。ウィリアムズは長銃、バーバラは大剣。砂煙の舞う市街を駆け抜ける装甲車に自分から当たりに来る人型ダーカーの群れ。まるでパンデミックから逃れるゾンビ映画のワンシーンのような光景。装甲車の車体には人型ダーカーの赤黒い血がべっとりと付き、フロントガラスに付着した血はワイパーでは拭いきれない。
少し開けた場所に出れば、空気の通りも良く、視界を覆っていた砂煙は轢き殺した人型ダーカーの死骸と共に路地に置いていかれた。
先行していたハイドと合流。ハイドが通信した多数のダーカー反応が見られた場所。そこには胸元を無理やり引き裂かれたような穴が空いた人型ダーカーの死骸がいくつも転がっていた。そして前方で戦う一人の影。その手に武器は無く、拳で殴りかかり、次々とダーカーを倒していく。戦闘中のあの影に援護の連絡を回すため周辺にいる人物のパーソナルデータを検索し、その人物が誰なのかを特定した。ネイサンを捕まえたあの日から、久しく顔を見ていなかったかつての仲間。いや今も仲間であると信じたいルツの姿がそこにはあった。
「この照合データは......!」
車から飛び降り影の周りに群がるダーカーを仕留めるウィリアムズ。背後からの発砲に気が付いた影が振り向き、顔をハッキリと認識する事が出来た。ルツだ。
しかしそのルツの姿にウィリアムズはある異変に気が付いた。ルツの肌が赤く変色していることに。肌だけでなく髪は色素の抜けたくすんだ銀髪でフレディ・クルーガーのような鋭い爪と、およそ人間の姿ではないものが立っていた。
「......ルツ、なのか?」
後から駆けつけたハイドとバーバラもその姿に驚愕し構えていた武器をだらりと垂らした。
「たった一ヶ月かそこらで忘れちまったか?」
血を拭う手が離れると、手の下には獰猛な笑みが零れていた。
「我々の想定していたものとは違いますが......適合しているようです。数値も安定しています」
研究員とジョンのすぐ横の端末から身体に繋がれた管。これで体内の何らかの数値を計測していたようで端末の画面にはいくつもの数字が羅列されているが、それが何を指すのかはよく分からない。管を引っ張り抜くと全ての数値がゼロになった。
ベッドから立ち上がる瞬間、身体に違和感を覚えた。立ち上がる際に身体を支える腕の色が赤く見えた。体表には微かに鱗に見える模様が浮き上がった赤い肌、フレディ・クルーガーのような鋭い爪、どう見ても自分の腕ではなく、人間の腕ですらなかった。
ベッドから立ち上がり、少し歩いた所にある鏡面仕上げの機械を鏡替わりに自分の姿を映し出す。色素が抜けてしまったのか、朱殷色だった髪色はくすんだ銀色へと変わっていた。顔の肌色も腕同様に赤く変色している。これらが全て埋め込んだクロームドラゴンの体細胞の影響だというのか。何となく状況を理解し頭の中を整理すると、腹の虫が鳴いた。
「腹減った」
「な、何か用意させましょう」
ジョンの指示で研究員が何処からかドーナツを持ってきた。味はプレーンのシュガー、チョコ、いちご。誰の好みかファンシーな彩りで、中でも異様にチョコ味が多く、茶色率が高かった。しかしチョコ味と認識できたのはあくまで色で判断したに過ぎない。何故なら味がしないのだ。見た目は完全にミス〇ードーナツのドー〇ツたち。食べ慣れた味の筈なのに味がしない、それに伴ってか匂いも一切感じられない。無味無臭のドーナツをいくら頬張っても、この空腹感が満たされることはなかった。
もっと寄越せと声を掛けようとした時、外から香ばしい匂いがした。距離的に少し離れているがまるでバーベキューをしているように、肉の焼けるいい匂いが鼻腔をくすぐった。その匂いを嗅ぐと不思議と口からヨダレが溢れ出していた。匂いの正体が気になったルツは外に飛び出すとそこには蟲型ダーカーのダガンと人型ダーカーが群がっていた。その夥しい数に自然と脚が後に下がるが、その匂いは明らかにこの場所から匂っており、ダーカーを前にしてから一層ヨダレが溢れ出した。そこでようやく理解した。
俺の身体は、はこの肉を欲しがっているのだと。
最初に撃ち込まれた群青の効果もあってなのか不思議と身体がいつもよりも軽い。今まで身体が追いつかなかった理想の動きも今なら出来る、そんな気がした。
自ら肩慣らしに志願するようにダーカーたちがルツに接近してきた。近付いてくるダーカーを一体ずつ仕留めるやり方で確実に仕留めていく。
とりあえず目の前にいたダーカーは全て片付けた。ルツの中のクロームドラゴンの本能的な問題なのか目の前に広がるご馳走にヨダレが止まらない。普通の人間であれば抵抗が湧くだろうが不思議とダーカーを食べることに抵抗はなかった。身体構造だけでなく精神面もクロームドラゴンに近くなってきているのかもしれない。
先に言った通り、多少焦げの苦味があるダーカーも食べ続ければ癖になるものがありこうして短時間に食べているのもあるのか既にこの味の虜になってしまったようだ。しかも嬉しいことにこのご馳走は自分たちから湧き出て来てくれる。地面から赤黒い霧のような靄が吹き上がり、靄からダガンが現れ始めていた。その追加注文を処理していた途中、ウィリアムズたちが現れたのだ。
「たった一ヶ月かそこらで忘れちまったか?」
「その姿は......一体......」
「これなぁ、俺にもよく分からねぇ」
ウィリアムズたちがその場で見たのはルツであってルツでないものだった。顔には面影があり声もルツのものだがその姿が正真正銘のルツであると確信するには難しい異常な姿だった。
こうして話している間にもダーカーは発生しており、様子を伺うようにある程度の間合いを取っていた。
「これ全部お前が......ナイフ一本で......?」
「まあ後半はナイフも使ってな───」
飛び上がり背後を襲うダガンを目視することなく核を一突きで仕留める。
「喋ってる途中だろ空気読めよな......」
完全な死角からの攻撃にも柔軟に対応する。今までのルツでも出来なくはない芸当だが明らかに無音だったにも関わらず、頭の後ろに目でも付いているような的確な攻撃に皆が驚いた。
「お喋りするにここは不向きだな。腹も満たせたし一旦中入ろうぜ」
顎で指し示されたクラブの入口は開き、中には白衣の男が三人を待ち構えていた。
外の喧騒と似て非なる音が響くクラブの中には、外の状況など知らない若者たちが身を揺らし踊っていた。しかし明らかに返り血のついた服で店内を闊歩するルツの姿を二度見する者絶えない。その後ろを着いて歩き白衣の男とルツに案内されたのはクラブの奥、虚空機関のラボだった。
「ルツを化物にしたのはてめぇらか!」
列の後方、ハイドが手にしていた槍の矛先を三人を招き入れた白衣の男、ジョンに向けた。
「我々は止めましたよ......それでも今の姿を望んだのは彼自身です。化物とは心外です、彼は人間の次の到達フェーズの模範となってくれました」
研究員に連れられカプセルのような小部屋に連れて行かれるルツ。
「おい何処に連れていく」
安心しろただの検査だ、と振り返りざまに一言告げて研究員に連れられていく。
「アンタらは一体......」
「我々は虚空機関の科学者です、まあコーヒーでも飲んで落ち着きましょう」
研究員が三人の前の作業台にコーヒーカップを三つ持ってきた。ダニエルとウィリアムズはコーヒーを受け取ったが、ハイドは未だ警戒して構えた銃を下ろさない。
「あの胡散臭い研究機関か」
「科学者殿、一つお聞きしたいことが」
ダニエルが挙手し発言を求めた。
「何でしょう」
「先程、上層区の市街地で侵食された人間を見ました。確かアークスの発表では人間はダーカーの因子に侵食されないのでは?」
「それは真実とは異なります。奴らが侵食出来ないものなんてありません。生き物だけでなく無機物にも取り憑く奴らですよ?そうですね......ダーカーが何故ダーカーと呼ばれるに至ったかをお話しましょう───」
まだダーカーの存在が一般的に認知されていない頃、それは一種のウイルス細胞だと言われていた。〈黒蟲〉がもたらす有害なウイルス、後にD因子と呼ばれるそれに感染する原生生物が多かった。当時の研究者たちはウイルスの解明に全力を注いでいた。研究の段階で一人の研究者がひとつの疑問を抱いた。このウイルスに感染すると凶暴性が増すことが特徴の一つだった。このウイルスに感染した人間はどうなるのかと、研究機関は、実験体を募った。見返りがないと人は食いつかないと一回の実験ごとに50万メセタが支払われると情報を拡散した結果、金に目が眩んだアークスたちが食い付き実験に参加した。
フォトンがこのウイルスにとっての天敵であることを事前の研究で知り得た研究者たちは実験体であるアークスの治癒力を下げ、体内のフォトン濃度を薄くする薬品を実験体たちに投与した。その後、実験体たちにウイルスを投与した。外から侵入してきたウイルスを相殺する体内フォトンよりもウイルスの方が数も強さも勝っていた為に実験体は感染、侵食された。
侵食されたアークスは、〈ダークアークス (Dark Arks)〉と呼ばれた。ダークアークスの特徴は爛々と光を放つ真紅の双眸、黒く変色した肌、地割れのようにひび割れた皮膚、その下から漏れでる赤い光。一人のダークアークスを解剖すると人間の心臓にあたる部分に、黒蟲と同じ心臓、核と呼ばれる赤い宝石のようなものが紅く輝いていた。核を破壊すれば黒い粒子となって散るのは黒蟲と同じ為、同じ存在であることが確認された。それからも残った四体のダークアークスで実験を続けてきたが名称が長いとダークアークスからダーカーへと研究過程で変更になった。つまり起源はD因子に感染したアークスを指す言葉だったのだ。
「つまりアークスに比べ、フォトン濃度が薄い市民は侵食されてしまいます」
「なるほど。となると俺たち三人も侵食される可能性は高いってことか」
「その点、あなた方のご友人のようにD因子をひとつのエネルギーとして取り込める身体になればダーカーに怯え暮らすことはなくなります。ただ彼の場合はすこし異例ですが」
脊椎を保護するように棘のような鱗が背中の中心を覆っており、研究員たちがそれや、ルツの身体をくまなく研究しているが遠目に見える。
「あの姿は元に戻るのか......?」
「さあ? うまく彼の身体に適合しているので戻るかどうかはわかりませんな」
「ともかく無事で良かった......。早いとここんな危ない船から出て俺達の艦に帰ろう。またいちからのスタートだけど俺たち五人もいればまたすぐに──」
「また一からやり直し? 俺たちの艦に帰る? 何言ってんだ」
小部屋から何本もの管を引っさげて三人の元に戻ってきた。
「あいつにもう少しで手が届くってのに一からやり直しだ? ふざけんじゃねぇぞ」
今まで家族同然だった彼らに声を荒らげた事のないルツが、作業台上のコーヒーカップや工具を全て払い落としながら声を荒らげた。
三人とルツの間を短い静寂が包む。特にダニエルはルツの彼に対する秘めた思いを知らない訳ではなかった。
「本当に、本当にそっち側に行く覚悟はあるのか......」
拳を強く握り力んで我慢しようとも自然と流れる涙。
「今までは他人の為だった、世の中の為だった、大義名分がそこにはあった、でも今お前がやろうとしてるのはただの罪だ。そっち側に言ってしまったら、もう二度とこっちには戻ってこれないぞ......こいつらに何されたのか知らねぇし分からねぇ。外面が化物だとしても中身まで喰われちゃいけねぇ......目ぇ覚ませよル───」
嫌な音がした。ルツの腕がダニエルの腹部を貫通していた。こみ上げた血を外に吐き出すとルツの腕に血が滴る。
「ピーチクパーチクうるせぇんだよ、どいつもこいつも。他人の為、世の為、大義名分? 笑わせんじゃねえ。理由はどうであれ殺しは殺し。そこに誰かのためなんて理由を付けんのは罪人になりたくねぇ奴の言い訳だ。......俺は元々こっち側なんだよ」
ダニエルの腹から腕を引き抜く。大量の血が吹き出しダニエルはそのままうつ伏せになるように倒れた。ハイドとウィリアムズ、他の研究員たちが手当をする中、ジョンとルツだけはその光景をただただ眺めていた。
「化け物が......クソッタレ......」
涙を浮かべながらも鬼気迫る視線をルツに送るハイド。しかしそこにいる全てを見下したような冷たい視線にもはや何も言わなくなった。
「行こうぜ、ボズウェル......俺にやらせたいことがあったんだろ?」
出口へと向かっていくルツ、その横を歩くのはウィリアムズでもハイドでもダニエルでもなく、白衣を着た科学者風の男、ルツを化物に変身させたジョンだった。
ルツはジョンに連れられるままキャンプシップに搭乗し三番艦を離れた。
窓からは黒に包まれたアークスシップが確認できる。
「んで何処に向かってるんだ?」
「我々の本拠点です。ルツ・スレイダーという存在を殺し、貴方という新たな生命の誕生を祝しましょう」
ふと知らず獰猛な笑みが口の端を掠める。冷えて冷徹な双眸は狂気の色を映していた。
最終更新:2024年05月22日 11:53