【概要】十字教東方正教会とは
十字教東方正教会(以下東方正教会と呼称)は紀元前27年頃、カリスト大陸のピング村で勃発したゾンビ軍団襲撃の乱によりピング村長以下多大な犠牲を出したこの乱を神聖な力を使って鎮圧したロイアテス・ネルフィオッテ・スプリングフィールド(以下ロイアテス1世と呼称)が太陽精の信託を受けて創立した宗教である。ロイアテス1世は都市アーニャ(アーニャはカリスト語で首都という意味)の豪商スプリングフィールド一族とされる。
十字教の十字は太陽精の光を具現化かつ単純化したものである。東方正教会はピングリアが世界の東方に位置するためそう名付けられた。
太陽精の後光は太陽として人民を照らし作物を育てる実りの神でもあるが照らして邪悪な土地を浄化するという意味もある。砂漠に実りがないのは太陽精の後光による浄化の途中であると解釈されている。
【特徴】
太陽精を神と崇める太陽信仰の一種であるとされる。とても温厚な宗教であり信徒への教化も緩やかである。
東方正教会の長は大神官。大神官はピングリア王でもあるため祭政一致の宗教でもある。ピングリア王は東方正教会の守護者として政治をする大義を得ている。
聖都ピングリアーニャ王国の国教。フリーリア王国の国教。エントリーア侯国の国教。
総本山はコンスタンティ大聖堂である。十字教東方正教会領という自治領を統治する。
大聖堂などの宗教施設は基本的には石製で外観には大きな十字架にピングリア王家の紋章であるピングリアクロスが施されている。内観には高い天井と天井に光を取り込むステンドグラスが設置され、ステンドグラスやジャックオランタンなどで作った太陽精を召喚するモニュメント的なゲートと祭壇がある。ゲートの上には太陽精が安置され剣などの宝物やピングリア聖王旗が太陽精と同じ場所に奉納されている。
太陽精が安置されているのは総本山コンスタンティ大聖堂または東方正教会から特別に許可を得た聖堂のみである。
内観の床はピングリア聖王旗の柄にカーペットが敷かれている。
聖都の総本山コンスタンティ大聖堂ではベルや荘厳なBGMが流れている。
【ゲートの上の安置されている太陽精と奉納されている宝物】
左からピングリア聖王旗(国旗)・太陽精・宝剣・ピング村長の遺骸。
【布教状況】
国教とした国 | 聖都ピングリアーニャ王国内地・フリーリア王国・エントリーア侯国 |
布教を認めた国 | オブリビオン国 |
【宗教化と組織】
ロイアテス1世が乱を鎮圧した後、生き残った村民からピング村長の後継者に選出され東方正教会の創立と宗教化を始めた。
ロイアテス1世は太陽精の信託を奇跡と呼び自身も元は人間であったが半分妖精半分人間の半妖となった。
東方正教会は組織化して大神官を長と定めた。
ロイアテス1世は大神官に就任してピング村の村民を太陽精の加護のもと東方正教の信徒に教化した。
【聖都建設とコンスタンティ大聖堂の建設】
ロイアテス1世はピング村の脆弱性を認識しておりまたゾンビ軍団が襲撃した場合は防ぎきれないと判断した。そこでマグマ堀と城壁の中に聖都を作る計画を考えた。
信徒を動員して聖地とマグマ堀と城壁を完成させた。ピング村は都市となり名前を聖都ピングリアーニャ(ピング族のいるアーニャ(首都)という意味)に改称した。
聖都にコンスタンティ大聖堂を建設して総本山とした。
聖都は邪神の大災(サーバー崩壊)の前の旧聖都ピングリアーニャとその後再建された新聖都ピングリアーニャの2つ存在して総本山コンスタンティ大聖堂も初代と二代目に分類する。
【旧聖都ピングリアーニャ:マインクラフト暦66年頃】
【現聖都ピングリアーニャ:マインクラフト暦206年頃】
【総本山コンスタンティ大聖堂(初代)】
紀元前26年から建設され紀元前9年には完成したとされる。マインクラフト暦85年の邪神の大災まで存在した。
初代の総本山コンスタンティ大聖堂(旧大聖堂)は旧聖都ピングリアーニャの最北の神聖区に建設された。
旧コンスタンティ大聖堂は政治的な機能を持つノープル宮殿が南の政治区・官庁街に建設されるまで政治の中心地であり、その巨大な大聖堂は権力と文化の象徴だった。
旧コンスタンティ大聖堂の横には大神官の私邸が大聖堂の一部として併設され大神官の生活区域としてや外国の要人をもてなしたりする外交の舞台にもなった。
当時の友好国だったアルカディア帝国皇帝や国民を晩さん会でもてなし友好を深めた場所でもある。
旧聖都時代は一貫してロイアテス1世は旧大聖堂内に住み、南の政庁であるノープル宮殿に出勤した。
【旧大聖堂外観と内観:マインクラフト暦26年頃】
【総本山コンスタンティ大聖堂(二代目)】
神の大災によりサーバーがリセットされ暗黒時代を経てマインクラフト暦86年に再建されて現在も存在する。
二代目の総本山コンスタンティ大聖堂(新大聖堂)は新聖都ピングリアーニャの南東の一角に再建された。
かつては最北の神聖区に建設されていた大聖堂であったが新聖都の南東の小さい場所を割り当てられているのみで旧大聖堂と比較すると3分の2以下の大きさであり文化的な宗教施設としてのみの役割を与えられている。
これはロイアテス1世が大神官からピングリア王に君主化して政治的な機能をノープル宮殿に移設したためである。
かつて旧大聖堂が建設された場所には新ノープル宮殿が設置されロイアテス1世もノープル宮殿に国王御殿を建設した。
東方正教会権力の縮小を象徴するものとなった。
【新大聖堂の外観と内観:マインクラフト暦203年頃】