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下山師匠は“きみ”の名を付けない/愛と混沌の脱出ゲーム会場(前編)

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 師匠はいいました。路覇タッカーさんはアルクトゥールス星人であると。
 ここでいう師匠とは下山アンドロメダさんのことを指します。弟子とはわたしです。
 アルクトゥールス星人とはなんなのか? それはわかりません。
 しかし、下山師匠は天狗でもあるのです。

 《天狗である以上は、道案内も生業にしないといけないね。》師匠はそう、口を動かさずにつぶやき。
 いつもの雑居ビルの掲示板の前から離れると、足の痛みをこらえてふわふわと飛行しながら十字路に立ちました。私の手をひいて。
 雑踏、排ガス、靴やタイヤがアスファルトを叩く音、削る音。人、人、魔人、人人人、人魔人人人魔人、魔人魔人、人人人、そして師匠とわたし。
 人と魔人が一対一で共存する。衝突する。正、反、合。陰と陽と。善と悪と。男と女とそれ以外と。すべてが相剋する街――、魔都上海。その片隅の片隅の雑居ビル4Fでは人気の脱出ゲームが行われています。
 今回の舞台です。戦いの舞台です。果たして、師匠はすべてをわかっているのでしょうか? 私はすべて知った上で戦わないことを選ぶ、ずるい子なのかもしれません。あっ、とつまづく。また揺れた、地震が多い上海です。師匠はいつも浮いているので素知らぬ顔でした。

 魔人らしい魔人がいます。人とみえる魔人もいます。人にしかみえない魔人もいます。魔人にしかみえない人もいます。
 けれど、人も魔人も等しく人なんです。でも師匠は天狗で宇宙人です。でも宇宙人も等しく人で……?
 《そういった迷った時には、『人類』という、かてごらーいずがうまく働いてくれるだろっね。》
 手を握ってくれている師匠が、頼もしいです。声に出さずに、心に直接伝える声、それが染みる時もあるのです。

 ……狭い隘路。でも袋小路ではなくて。湿り気、乾ききったごみのかけらが散乱する。ごみのかけら? これはそんなに価値のないものじゃないから。きらめくもの。かがやくもの。わたしたちも踏みつけにはしない。そっとよける。足をかわす。敬意をこめて。ごめんなさい、わたしたちはあなたの立っていたところをお借りします。
 積極的に見ないものをするなかで、まだ形を留めた赤いものを手に取ってみました。……もっとごめんなさいをしないといけないかもしれません。
 交差路、交差点、ざっざっざざざ。顔があるけれど見えない覚えられない人々が通り過ぎていきました。

 わたしたちが立つところ。ふと視界を上に傾ければ上海が誇る霊峰「鞍馬山」。高さは三千メートル? もっと低い?
 疑問は投げ捨てず、足元にそっと置いて。誰かが飛ばさないように、そっとふたをする。心の中でカギをかけて大事に取っておく。
 でも、そんな些細な疑問。もっと大きな疑問によって蹴飛ばされる。

 「もし、そこのお嬢さん方、礼拝堂にはどう向かえばいいかね?」
 足下に気を取られていたら、目の前には不審な人が立っていました。魔人と聞かれて、胡乱さを抱く人々の印象を集めたようなそんな人。
 頭部に「死」と書かれたダークな戦隊風のコスチュームをまとっています。筋骨隆々の成人男性、上半身だけ見れば確かにヒーローなのに、でも目線を下に向けるとそれは恐怖の象徴でした。

 「デスアクメマン……!」
 師匠が絶句する声を聴くのははじめてでした。師匠は確かにこわがっています。
 声がかすれ、途切れる音は、確かに音で、それは声で。わたしにとっては心地よいとも取れるものだったのです。
 鳥の鳴き声というと、きっと師匠には悪いのでしょう。

 ●

 「わたしたちが鞍馬山からの下山を終え、首尾よくアルクトゥールス本星からのアブダクション(誘拐)チームにわたしの祖父を差し出したのは三日前なのだよ。それからここ上海における情報収集チーム――、あなたたちが新興国家直属組織、上海支部の人間がすてきなオブジェにされたときいてってってね。
 やれれやれちぇれ、倒萩さん。結論から言えば、路覇タッカーさん……彼女は我々の同胞なのだよ、差し出してはくれないかな?」

 大きな黒い翼を背負った女――下山アンドロメダは倒萩に対して、提案とも呼べない提案をした。
 しかし、敵対はない。そこに至るまでの意志は欠如し、行為に至ることもなかった。
 なぜならば女がカッパのスーツを着ていたからだ。正確に記すと、カッパー()色をした河童の着ぐるみの合羽である。当然、水を弾く。水属性吸収である。
 そんな間の抜けた格好をしていれば、当然毒気も抜かれるというもので。護衛者・倒萩とその護衛対象・路覇タッカーのふたりはむざむざと上海河童ランドの建設事務所の一室に連れ込まれてしまったのである。すなわち、くだんの雑居ビルの二階である。四階には巷で人気の脱出ゲーム会場があった。
 上海河童ランドは上海蟹ランドの姉妹テーマパークであり、建設計画が疑問視されているが、そのことの経緯については本編とあまり関係が無いので説明を割愛する。

 ついで筆者――、もし仮にこの物語が第三者の視点から記述すると仮定されているとして、筆者はもちろん下山も中国語に対して造詣が深くないと推察される。
 よって、彼女たちを追った文においてもそれらしき中国語の食品や単語をうかつに並べ立てることを忌避するものとする。
 補足すると、下山アンドロメダは着道楽であるが、食にほとんど興味がない。当然、中国食にも明るくはなかった。
 具体名を示すことは商標保護の観点から行うことをしないが、たとえば彼女はプリングルスとかエアリアルなどのスナック系のお菓子のようなものをほうばっては主食と称する。そのようなだらしのない女が下山であった。彼女にとって、国境をまたいだ食レポという概念は存在しない。

 ナチョスも知らない。下山アンドロメダはナスの間にチョを挟んだものがナチョスだと思い込んでいた。
 そしてその上で、下山アンドロメダはナチョスの「チョ」が何を指すのか知ろうする努力すらも怠っていたのである……!

 「どうだい? 上海ガニならぬ上海エビを使った『かっぱえびせん』のお味は?」
 カッパの着ぐるみのうち、頭の部分を取り素顔を見せた下山は大変にベタなことを言った。いかに顔が良かろうとも、これでは台無しだと対面するふたりは思った。
 そしてこの女を調子に乗らせたら大変なことになると新鋭の『ネイルアーティスト』倒萩が思ったかは定かではないが、対面の椅子に座った彼女は早急に本題に入るよう促した。
 「ロハさんにはそのような意志はないと聞いていますが? それに、ロハさんの貴重な時間を奪った対価を払っていただかなければ困ります。宇宙人うんぬんの話は、前提をクリアしてからにしましょう」

 「なるほど、あなたの話は聞いているよ。爪が欲しいんだってね? じゃあ十五枚、それでどうかな? 足の十枚、片手の五枚。あなたたちが言うところの新興国家の上海支部長の田中サンマリーノくんは、少女の貴重な二年間を奪った罪で、わたしの独断でムフリドに二十年くらい出張に行ってもらうことにしたから安心してねー」
 新興国家といいつつ、その実はアルクトゥールス星人の一派が地球上に樹立した傀儡国家であることを田中くんは知らない。
 まさか宇宙に飛ばされるだなんて、知る由もない。ムフリドはアルクトゥールスの近隣の恒星系であり。当然影響下にある。下山の認識にすれば地球に遠く及ばない田舎だった。しかし、ムフリドはいいところである。なぜいいところかといえば温泉がたくさんある。鉱山街もいっぱいあるけれど。
 けれど、温泉があるということは美人が多いということだ。きっとウハウハだろうと下山は考えていた。しかし、それ以上のことは彼女の思考にはなかった。

 なぜならば下山アンドロメダは少女という“いきもの“のことが大好きだからだ。 
 天狗の習いとは少年をさらうものだが、こと下山は同性の地球人の少女をさらうことを夢見ていたというだけの話である。
 当然、いまだ少女と定義づけられる倒萩にも甘くなるというものだ。文句をつけたいはずの、今倒萩と隣り合って座っているロハも下山の涼しげな流し目を送られたことでなんだか、身震いをしてしまったことはまぁ仕方がないというものだろう。

 「……いいでしょう。こちらは事態をイーブンに戻すために必要な芸術行為であって、ロハさんの身柄はまた別であることをご留意ください」
 「おっけーおー、それじゃあどうする? ロハさんも見てくかい???」
 大変に気やすい様子の宇宙人の言葉に対して、けぶりを振った路覇タッカーは、同じく無言で立っていた栗毛の少女(下山の弟子)に先導される形で部屋から出た。ロハが少女を見て、尻尾も羽根も生えてるなんてお得だなと思ったかは定かではない。
 きっとこれは子供には見せない方がいいと、思ったのだろう。

 さて、視点を倒萩に集約しよう。女の心を慮ったか。老婆心をいらない反骨心で跳ね返せるほどには倒萩という少女は大人であろうとしていた。よって背を向けるよう促す下山の言葉に従うのは、けして無思考の産物ではなかった。聞き取れもしないつぶやきに続いて、どうぞと聞いて振り返る。

 ああそうかと得心のいった倒萩だったが、それでも目を丸くするなという方が無理だろう。
 彼女の目の前には一糸まとわぬ姿の下山アンドロメダが立っていたからだ。正確に記せば大鴉のような双翼はきちんと下山が背に負っていた。むろん、これは彼女の体の一部である。それを取り外したとしても豊かな胸、ほっそりとした腰回り、堂に入った尻の頂きは、彼女が“女”であることをこの上なく主張していた。
 女であることは、少女であることに勝るのか。輪郭と厚みは倒萩に、わずかな敗北感を覚えさせる。しかし、倒萩は足を進めることを止めなかった。

 下山の胸の内に進み出でるにつれて、わずかに翼は内側にすぼまる錯覚を覚えさせる。人を丸呑みにできそうな大きさに似て、どこか倒萩のことを身震いさせた。
 倒萩は、わずかながらのゆらぎを施す空気の流れに逆らうように進む。対面する距離となると翼の力を借りてか、やや高らかから下山は見下ろす。そんな下山のことを倒萩は背を伸ばして持ち上げて、確かにねめつけた。

 「ベッドの上か、椅子の上、どちらがよろしいですか? ……失礼、椅子しかありませんでしたね」
 やはり緊張は隠せなかったのだろうか? その辺を感じ取ったのか? 少女らしいとでも思ったのか? 疑問を見透かすように下山はコロコロと笑った。
 続いて下山は、なぜわたしが裸なのかを聞かないかと問うと。大方それが正装のつもりか、わたしを驚かせようというあてかと倒萩は問い返す。

 下山は無言のまま、なんの変哲もない椅子に腰かけるとカラスのように細く、くもりガラスのように透明で薄白い脚を差し出した。前へ、前へ、直角に、無造作にぴんと張る。どうやら恭しく抱え持てということらしい。
 嘆息をつく少女・倒萩は、同じく腰を落ち着けながら下山の右足を抱え持つ。羽根のように軽かった。ならばと爪に集中するのが礼儀だろう。 

 「へぇ、甘皮の処理はきちんとされているんですね。もう寒いというのに。失礼ながら、見目を気にされない方と思っていました」
 甘皮とは爪と指の間に挟まれた薄い膜のことを指す。ネイルアートに縁がなくとも、政治家など人に手を差し出す職ならば処理して損のない箇所だ。
 拍子抜けするほどに軽い下山の脚、その爪先、それらはすべらかだった。美しい爪と美しい人が等価の方程式で結びつかないことを倒萩は知っていた。
 天狗や宇宙人は例外としていいか否か、彼女にそれらを判断する経験は今時分では足りていない。

 「あっ」
 という漏れ言は一枚目を剥ぎ終えた際に鳴る音だ。確かに、下山アンドロメダの瞳は揺らいでいる。
 元より高い体温は、さらに上気をする。抱え持つ手のひらが、指先が火傷をしそうかという納得を倒萩の方こそへもたらすようだった。

 「どうやら、あなたは納得を得たいがために、わざわざカードを差し出されたのですか? あと五枚しかないというのに」
 淡々とことを進めねば、自分自身がどうにかなりそうな不安とわずかながらの恐怖、そしてどこか心の奥から覗く期待のことを倒萩は見ないふりをした。
 心によぎるものを見ないふりをする言葉遊びに心は閉口をしたが、互いに口数は少なくなってしまう。二の三の、四と、数を数えてもここまで多弁になれなかったのは双方、生まれて初めての経験だと信じた。

 納得? 納得とは一体何だと倒萩は己の心に問う。
 痛みとは生きることに密接するものだ。だから痛みを通じて、戒めを互いに与え、生きることを見つめ直すのだと倒萩は自身を定義している。
 「右足は終わったねぇ。じゃ、次は左を行こうか」

 だから、何気もない宇宙人の言葉にかぶりを振ったのも半瞬のことだった。手元のプレートには確かに五枚、なし終えた実感はなくとも証拠は確かにあったのだから。
 細く長い足を組みなおしながら下山は、意外そうな顔で己の剥がれた爪跡を見て、こういった。
 そして「あなたは大変綺麗に爪を剥がすね」と、満足そうな笑みを向けるのだった。

 彼女の、血の色は、紅い

 続く左足の五枚に取り掛かる際も、どこか熱病の時に見る奇妙な夢に似た感覚は続いた。
 育ち得た尾を活用しながら、順次、親指から小指にかけてを取りかかる。彼女の指は五本だった。色も形も、地球人とは変わりえない。
 素直に彼女の爪はとてもきれいだと言えればなんと幸せだっただろう。
 けれど、どこか違和を感じさせる。その違和を言葉にするすべを倒萩はやはり今は持っていなかった。きっといつかは手にする言葉を、もしこの文を綴る筆者なる野暮人がいるとして、語ることはないだろう。きっと、いつか、どこかで倒萩はそのだれかにその言葉を差すのだから。

 下山の翼は生まれ得たものなのだろう。やはり綺麗だと下山から褒められた尾は倒萩にとっては育ち得たものだ。
 尾を絡め、固定する。尾によって乳白色の肌を雁字搦めにすることは征服に似た儀式のはずなのに、屈辱感が勝るのはきっと気のせいではなかった。

 あっ、へそがあった。腰の位置にふと目が行ってしまい、つい目に入ったのだ。
 「おっ、わたしのおへそが気に入ったかい? アルクトゥールス星人……、という広いカテゴライズすべてではないけれど、その一派であるわたしは『卵胎生』、この腹の内で卵を育てるのさ。はぅ――」

 明確に、黙らせるつもりで爪に差し込ませたのは初めてかもしれない。むろんそれは錯覚だ。だがその錯覚は倒萩の心中を確かに駆け抜けた。
 痛みはある。その素振りはある。それは爪を剥がされる側だけでなく、剥がす側であれ同じことだ。
 杜撰な喩えをすれば、倒萩の戒めは殴った拳が痛むという身勝手なものだろう。しかし、この場で切迫しているのは間違いなく倒萩の方だった。
 時に追われるような感覚があった。この場の空気は暖房を効かせ過ぎた密室のようなものだ。熱は、確かに伝播する。

 「じゃ、次は右左どっち? わたしは両利きだからどっちでも構わないよん」
 伸びきったもう一本の脚を引き戻し、下山アンドロメダは痛みをこらえる仕草を取りながら立った。額から流れ落ちる一筋の汗を見落とさなかった幸運に、倒萩は感謝をした。その行先は追えない。下山が片翼を前に回して、外套のように半身を覆い隠す姿勢を取ったからだ。
 ついと差し出す両の腕(かいな)の指先に、躍る彼女の四肢の揺らめきに、ぷくりと膨らむ血のしずくと甘い芳香に、とうとう倒萩は夢を見ることにした。
 それは悪夢ではない。それは瑞夢でもない。ただ、目覚めながらに見る、白昼夢のようなものである。

 ――倒萩は染みついた指と尾の動きに感謝をした。首尾よく残る五枚の爪を剥ぎ取れたからだ。
 ひるがえって倒萩は恥じた。心遊ばせ、相手と口遊む(くちずさむ)ことがかなわなかったからだ。
 結局、倒萩は十五枚の生きていたネイルチップに見合うだけのマネーと引き換えに、貸し借りをイーブンに戻した。
 そして一日下山アンドロメダと付き合うことになったのだが、それは後日語られることになるのだろう。ただし、路覇タッカーの身柄は爪ひとつ譲りはしなかった。


 「というわけでシスティーナ小聖堂Zwei(ツヴァイ)には、ここから三キロ直進し、そこに止まっている消防車を目印に、沙さんのおうちにあがりこみ一緒にお夕飯を食べたのち、次男さんに将来の夢の相談を受けたあとに一泊して別れたら三階の屋根に足を付けて右ななめ三十七度くらいの角度で三十メートルくらいを飛び上がり、着地地点からスキップをはじめよう。フレミングの左手の法則を暗唱しながらマーク・ザッカーバーグのお面を付けるといいことがあると思うよ」  

 そうして、師匠は正義の味方に見えなくもない不審な人物にメタ・プラットフォームズ社(旧:フェイスブック社)CEOマーク・ザッカーバーグさんの顔をかたどったお面を差し出します。慎重に距離を取ります。ばいばいと手を振って別れます。
 手をつなぐ師匠とわたし。手には汗。本当にこわかったのか、ぶるぶるとした震えが私にも伝わってくるようでした。
 《ほゎおゎ、なんだか彼と触れ合うととても大変なことになる気がしたんだよ。とはいえ、道案内は天狗のお仕事だからね》

 日本の神話には道案内の神様がいて、猿田彦(さるたひこ)といいます。
 この神様は、背がとても高く鼻が長いことから天狗と関連付けられると師匠から聞きました。
 「もっともわたしは、人を魔道に導くのが役割の天狗であり堕天使でもあるからねえ。わたしの言うことを聞いて当たるも八卦当たらぬも八卦、つまりは降水確率八十パーセントで傘を持つといいんだろう。もちろんレインコートでもいいんだっけど、どうだい? 我が弟子、カッパスーツ……着るかい?」 

 師匠は人を魔道に導く黒魔道士としてたくさんの魔法を修めていますが、ほかにも着ぐるみ魔法もいくつか習得しています。カッパのほかに、ブタやカエルの着ぐるみを着せる魔法を使えるんだとか。
 そういったわけで師匠は道すがる多くの人たちに道を示すか、惑わせていきました。
 陰のある優男の人隙のないおじいさんのふたりは、グランドスラムへ。
 私と同じくらいの年の自由そうな女の子なにやらそれぞれ思うことがありそうな女の人の三人組の四人は、貧民街へ。
 とても頭の良さそうなおじいさんは、魔人武器工房通りへ。
 ちょっと怖そうな若い男の人メカっぽいおじさんは、監獄へ。
 悲しそうな眼をした男の人は、屋台街へ。

 それぞれが自分の足で目指すところ。それぞれの道へ導いていきました。
 行きたいところを知っていそうな現地の人たちが多いといわれれば、それまでです。
 けれど、ふしぎと師匠はあの人たちの方から話しかけられていました。道を聞くというのはどう向かうかでなく、どう生きるかを意味します。
 きっとあの人たちはどこか迷っているのかもしれません。師匠に聞かなければいけないくらいには、迷っているんです。

 そしてきっとあの人たちは、赴くその先で戦うのかもしれないと、師匠は教えてくれました。
 そうと知って導く師匠は、きっと悪い宇宙人でいい天狗なのかもしれません。
 《でもきっと、生きるか死ぬか、それだけで終わるんじゃないんだよ》と師匠は心の中でつぶやいて、わたしはそれを追従するようにぎゅっと握り返すのです。

 いい忘れました。
 いまのわたしの格好はケープ付きの黒いセーラー服です。けっしてカッパスーツじゃありません。
 なんでも天狗の正装は黒一色であればなんでもいいということで、師匠が用意してくれました。リボンも付けてくれました。師匠が結んでくれました。これで状態異常防止もばっちりらしいのですが、なんのことかはわかりません。

 そして黒一色がいいとして。場違いであれば場違いであるほどいいのだよ。鞍馬山ではゴスロリドレスを着ていたわたしだろう? となぜか自慢げな師匠でした。
 ということで今は真っ黒い宇宙服を着用する師匠なのです。
 しかし、交差路に宇宙人であるわたしには正装になってしまうのでは? と思案する師匠はやはりと着替えることにしました。
 さすがに道の往来で裸になるほど恥じらいは捨てていないよと、なぜか師匠は釈明します。だから宇宙服の中で着替え始めました。

 「小学校で、異性に肌をさらすのが気になり始めた女の子を思い出しただろ。てるてる坊主みたいなアルろレぇ?」
 なぜか宇宙服の中で逆立ちになる師匠を見守ります。
 上海に来てからどこか雨と縁があるわたしです。……てるてる坊主は、元は女の子にまつわる中国の伝承なのだとか。
 いつか晴れるといいなと、靴の裏の小石の感触を楽しみながら。わたしは脱出ゲーム会場に向かう倒萩さんとロハさんに思いを巡らせていました。


 下山アンドロメダの弟子、解決屋としての名前――「死神」ちゃんが思いを馳せている時だった。
 一方その頃、護衛者・倒萩とその護衛対象・路覇タッカーのふたりは下山師匠と「きみ(死神ちゃん)」から百数十メートル離れた距離にて、脱出ゲーム会場にいまだ辿り着けずにいた! 家に帰るまでが遠足というけれど、下山師匠に言わせれば会場に辿り着くところから脱出ゲームははじまっているんだ!

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 これが何を指すかといえば、エレベーターの操作パネルである。ふたりの少女は鬼気迫る顔でエレベーター内のパネルの矢印ボタンを叩いている。
                                   ↑
 通常、開閉ボタンと階数ボタン、非常ボタンがあるはずのエレベーターは← →の謎のボタンが扉と鏡を除いた正方形の箱の二辺を占拠するそんな構造をしていた。
                                   ↓
 「サカハギ、これで何度目だっけ?」
 「わかりません。わかりませんが……、規則性もないですし、何なのでしょうかこれは」
 《それはだね、『ブリザガ!』脱出ゲームへの入り口だよ、【余の同胞への仇ィイィィイ!!!!】『クエイク!』あれ、思ったより威力が出ないな? というのもさっきも言ったね騒がしくしてごめんね今立て込んでるんだっだっだだだだ。とにかく慌てず急がず騒がずに規則性がまったくないそのリズムゲームを楽しみたまえ、わたしもすぐそっちに行くから》

 あわただしく一方的に脳内に繋げられて、唐突に切られた通信にどこかもどかしくいたたまれない思いを抱きながら倒萩とロハ、ふたりの少女はパネルをポン、いやダンと叩きまくる。こうも緊迫した状況で『みんなで一緒に脱出ゲーム会場へ行こうよ♪』と自称師匠から持ち込まれた際には不可解な思いを抱えたふたりだったが、こうして楽しめているかといえば半々だった。液晶の表示盤に映されている矢印を目で追いながら、少女ふたりは流行の歌のリズムに合わせて泣いて、笑って叫んだ。
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 どちらが上手くてどちらがへたっぴいかはご想像にお任せする。
 「この密室での、悪戦苦闘は……ついこの間の鉄格子を思い出しますね。うううう……すみませんごめんなさい。
 ここが、こここそが脱出ゲーム会場なのでしょうか? 確かに、閉じ込められています。脱出しないといけません」
 「あぁもう、弱音を吐かないでよサカハギ。大丈夫、アンタのミスはアタシがカバーするからさ! ところであの宇宙人? 
 の! 女の人のアタシがアルクトゥールス星人っていうあーだこーだのってなんのこと?」

《『バイオ!』それはわたしがお答えしよう! なんと! ロハさん! あなたの父方の祖父はアルクトゥールス星人だったのだ! すごい!!》
《隔世遺伝らしいですよ。アルクトゥールス星は出生主義と血統主義のミックスだとか》
 「え、マジ? うちの親父、ハーフでしかも宇宙人だったんだ。なんてこった……、どうりで家に帰ってこなかったわけだ……」
 名状しがたいサウンドエフェクトが響き渡る中で、ふたたび師匠の野放図な声がふたりの脳内にこだまする。
 直後にはアシスタントの弟子のおずおずとした声が補足をする。それだけの言葉でなんとロハは納得してしまった。

 まぁ彼女の家系の命名はアルクトゥールス星人とゆかいな仲間たちと法則が似通っているので、なにもおかしいことはないだろう。
 この際に、下山アンドロメダの祖父である太郎丸権蔵氏のことは積極的に無視することにしよう。ちなみに彼は清王朝から歴代をふたつ遡るところ、元王朝のダイヤでもあり、下山した子弟がアルクトゥールス本星に連絡し、尻の穴からケツの穴まで全身スキャンした結果判明した。
 これによって、鞍馬山II(トゥー)の観光施設「魔王殿」は無事再建資金を得ることになったのだが、それはまた別の話である。
 とにかく、今地球上に存在するアルクトゥールス星人のすべては清王朝のダイヤである可能性があり、それは一方的に下山師匠からあなたはアルクトゥールス星人です異議は認めません扱いされている路覇タッカーも例外ではなかったということである。

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 《出たなバカ兄貴! あんたの苦手な魔法でけちょんけちょんにしてやる! 【だ、誰やおんしは!? 儂は知らんぞ!?】 問答無用!『ファイガ!!!!!』『フレアー!!!!!』『メルトン!!!!!』
 【グワーッ!】ふっ……、悪く思わないで。こうして一発で沈めないとさすがのわたしも厳しい相手だったのだよ。さぁ……、森へお帰り……(ふよふよふよ)(しゅわーん)》
 家族ドラマが繰り広げられそうな一方的な会話が繰り広げられるありさまが勝手に倒萩の脳内におすそわけされ、轟音爆音ごごごごという音が響き渡り、そしてUFOが漂っていそうな音に続いて何者かがトラクタービームで内部に吸い込まれていきそうな音がたくさん聞こえ、倒萩は今度は自分は悪い夢を見ているんじゃないかと思わなくなくなくもなくなくはなかった。ちなみにその後の死神ちゃんの補足で、今しがた沈められた兄ちゃんは、下山アンドロメダの前世の兄ということが判明した。

 もちろん、現世に物証はない。下山アンドロメダは堕天使でもあるそうなので冥籍を取り寄せたら裏は取れるかもしれないが、あの女にこれ以上付き合う義理はなかった。こうしている間にもダース単位であまたの魔人たちが宇宙人にアブダクションされていくのだ。ああどうしよう、地球はもうおしまいなのかもしれない。
 と。つまり自分は何を思っているんだと思いながら、倒萩はへたっぴいなリズムゲームを手と足と尾を駆使して、全力で遊ぶ。遊ぶ遊ぶ遊ぶダンサブル!!

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 そして古典的なチーンという音と共にエレベーターは開かれる。そこには。
 「でねぇ、ヨニヨニ。わたしってば思うんだよね。果たして万能の魔人能力なんてあるのかと。そして誰よりもかけがえのない自分が何者でもない存在に成り果てた上、単なる一宗教組織の一部分に成り下がるってどうだい? 虚しいとは思わない? くだらないとは思わない? 
 それにね、首ってのは確かにとても大事だけど、身体のパーツのひとつに過ぎないんだよねえ。現にわたしは、今日首を取り外せてどこかに行けるおじいさんと出会ったよ。そういう魔人の、人間の、地球人の可能性を目にしちゃうとね、わったっしーはーねー、ばかばかばかしくなっちゃうんだよねー。
 今日はこの『魔幣(まほう)』とかいう組織が幹部を一堂に会する日だとかで、結集する前に迎え撃たせてもらったよ。もうこの組織を束ねる関節はすべて外した。どこかにやった。だからね、あんたはもうバラバラだ。報いを受けろ、粉々になれ、『首羅』」
 「そうだねー」
 下山アンドロメダの右隣に立つ女のあまりにも軽い相槌の言葉。それだけで、目の前で坐臥する禿頭の男の首が落ちた。
 胴が消え、腕が消え、脚が消え、指先が消え、爪先が消えていくありさまがまるでスローモーションのようによく見えた
 正確には、黒で塗りつぶされ曖昧模糊になってぼかされて消えていった。消しゴムでこすられたのと、墨で塗りつぶされたことを同時に行ったと表現すればいいだろう。吐き気はしない。ただ、その場には喩えようのない違和感があった。
 脱出ゲームとは名ばかりの吹きっさらしで遮蔽物も何もないがらんとしたワンフロアに、確かな死の気配が駆け抜けたのである。


 《やっほ。わたしの名前は下山アンドロメダ。天狗とアルクトゥールス星人をやっている2136歳の女よ。ふっ、誕生日までカウントダウンに入った隙はないね。
 で! こっちのキョン・シーの子は「女陰黄泉(ヨミ・ヨニ)さん」、気軽にヨニヨニって呼んであげるといーらしいよん。とことでキョン・シーって妖精ははじめて聞くけど、ケット・シーは猫の妖精、クー・シーは犬の妖精、リャナン・シーは芸術的霊感を与える代わりに早逝をもたらす恋人の妖精というから、キョン・シーもきっと素敵な妖精に違いない。
 わたしは英語がわからないから意味はわからないけど、キョンが『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズの主人公「キョン」や八丈島にいる珍獣のキョンとは違うよねえっへへっへ。なんでもヨニヨニはキョン・シーという種族を自分の生きざま、職業として定義しているそうだから、そういうブレない生き様はかっこいいねー、あこがれっちゃうねえ。ところで、この間、ナチョスのナスの間に挟む「チョ」ってなんや><? って話をしたよね。してない?
 あぅそう、だったら話を早くするために、したことにするけど。なんとこの間その「チョ」をみつけてしまったったたたたなのだ!》
 「そうだねー」

 この間、0.5秒。下山アンドロメダの弟子、解決屋ネーム:死神ちゃん(師匠の左隣にいるよ)をハブにして、半径数十メートル内にいる知的生物の脳内に下山の能天気な声はひたすらにこだました。隣に立つキョンシー、もちろんここでいうキョンシーとは妖精ではなく、チャイニーズ・ゾンビ的なアレである。
 しかるにキョンシーであるヨニヨニ氏もどこかうんざりげであった。下山師匠の声はどこか心地よいので、ツッコむ気力を周囲から奪い去ってしまうのかもしれない。
 ここ上海にはるばる日本からやってきた大戦持一族の技である「精神道奇襲術(マインドコマンド)でいうなら全行動に【脱力】が付与するようなものである。
 正直強すぎだろうと筆者的ななんかも思うのだが、代わりに操作不能だから仕方がない。
 「そうだねー」

 しかし、聞いていて死体なのに疲れたのか、全自動そうだねーbotと化していたヨニヨニだったが、下山が掲げ持つ謎の物体「チョ」を見て顔をしかめる。
 そして、言った。
 「いや、ナチョスってナチス焼きのことでは?」
 「なるほど、ナチス焼きがなまったからナチョスというのか。だけど、それってグロいから子供に食べさせるにはNGでは?」
 「しかるに私が思うに、モザイクをかければいいと思う」「そうか」「そうだ」「そういうことにしよう」

 そういうことになってしまった。これにより、本来のナチョスという料理は永遠に地球上から失われ、代わりにモザイクをかけたナチス焼きがその地位に取って代わったのだが、それはまた別の機会に語られることになるのだろう。メキシコ人は泣いていい。
 その上で下山アンドロメダはドヤ顔で掲げた「チョ」に代わり、モザイクのかかったナチス焼き――ナチョスを地面に置くとそっと手を合わせた。 
 そして、ここまでのやりとりに圧倒的な意味のわからなさしか覚えなかった倒萩の心中、いや魂には、これ以上この人たちに話をさせると猛烈に嫌な予感がするという警告が確かに刻まれる。よって、倒萩はこう言った。「真面目に話をしてくれませんか?」と。

 下山師匠とその弟子、ヨニヨニ、そして倒萩とその隣で如才なく周囲を見張るロハ、首だけになって転がっている男はまぁいいとして。
 今時分、この場に生きている者は五者である。五者は、発言をした当の倒萩を含め、逆に虚を突かれてしまう。あまりにもその通りだったからだ。
 よって、硬直する。沈黙する。
 けれど、下山アンドロメダ独自の定義によると生きているという定義からは外れた者ならば、確かにいた。本来ならば脱出ゲーム会場を設営する上で必須となる間仕切りを跳ね飛ばして、黄金の太子像が立ち上がる。

 彼――、無機物を彼と定義するならばの話であるが、彼はそこをどうしてもどいてくれなかったからという理由で、彼の同胞をバラバラに打ち壊した天狗のことを許さなかった。そして、その傍らに立つ黒衣の娘のことも許さなかった。怒りに燃える彼の激情を真の意味で伺い見るのは難しいが、ともすればたんに居合わせただけの人間までもを射殺さんばかりの気迫と勢い余っての殺意があった。
 引き絞られた人差し指から放たれるダイヤの指弾は、ただびとの頭を打ち砕くには十分であるし、もうひとつの腕に掲げられた紅玉の剣も邪な者の(あぎと)を斬り討つには十全だっただろう。

 しかし、太子像にとって不幸であり、同時に幸運であったこととはここに立つ生者が共にただびとからはほど遠く、邪道を歩むものでありはせど決して邪悪ではなかったことが挙げられる。いまだエレベーター内から半歩踏み出した位置にいた倒萩には、溶解させた鉄扉をロハ共々護る位置に再構成する想像力が然りと働いた。
 想像力、妄想力とも言い、イマジネーションとは魔人という生き物を構成する最も大事なピースだと、下山は思っている。
 ヨニヨニ――、キョンシーの娘は数ある可能性のひとつから「おのれは死者である」という可能性を見つけ出してそれに殉じるつもりのようだ。彼女にとってきらめくつぶてがいかに自身を傷つけようがそういうものなので立っていられる。でも女の子に傷跡が残るのは嫌なので後で回復魔法(即死魔法)をかけてあげようと下山
は思った。

 そして、斬り結ぶ。刃を交わし合うのは我が弟子と黄金の太子像。下山はほうと口を開いて感嘆した。
 我が弟子は戦いたがる人間ではないし、師としてもその必要はないと思っていた。だから策を練って『魔幣(まほう)』なる輩がその真価を発揮する前に、魔法で粉々にした。だが、その時が来れば誰かを守れるために勇気を振り絞り剣を交えることだってできたことに感涙する。

 下山アンドロメダは人間魔人地球人、その束となった可能性が大好きだった。そしてその可能性を、狭めてただ一つの尊いものを選び取る過程のことがもっともっと大好きだった。だから、下山アンドロメダは万能の可能性を持った魔人を軽蔑する嫌悪する唾棄する。具体的には 『首羅』のことが大大大きらいだった。
 下山自体がなんでもやらかす天狗だからの同属嫌悪かもしれない。しかし、自分のことを棚に上げる女が下山アンドロメダである。
 自分は傲慢だと開き直れるのが下山アンドロメダという女である。だから、下山は傲慢にも首羅という称号を掲げた男がそんなものに成り果てる前、何だったのかに目をつむって、見ないふりをして彼のまだ生きていた頭部を、己は生きているという声帯なき声を積極的に聞き逃して(・・・・・)蹴飛ばした。

 人間の頭部はサッカーボールに似ている。童女だった頃の下山は九郎くんと蹴鞠で遊んだことだってある。
 足の爪が剥がれた痛みは愛おしくって、でもこの頭部に触れるのは厭わしくって。正と負の感情に、愛と混沌に身をよがらせる下山は、爪が生えそろったならまた剥いでほしいなという煩悩と共に首羅の軌跡を見張っていく。そして、内壁のガラスを突き抜けて、4階という距離が確かにぐしゃりという音を響かせたのを確認して、よしとガッツポーズを取るのだった。
 続いて下山はすたすたと歩くと、そこがまるでそこに落ちていたのがわかっていたかのようにいまだ癒えていない方の指先で男性器を拾い上げる。


 こんにちわ、死神です。だけど、この言葉は今はもう呼ばれていない呼び名なのかもしれません。
 師匠はわたしのことを相変わらず「きみ」と呼びます。ほかでどう呼べばいいのかを聞いてきません。
 わたしがわたしのことを死神と口に出して言うこともなくなったので、しばらくはこのままなのでしょう。
 いつか、わたしは名前を取り戻すのかもしれません。あるいは、わたしに師匠が名前をくれるのかもしれません。

 たった今は、どこか愛おしい宙ぶらりんのまま。もうひとつの鞍馬山を下りた先も未命名のままなのです。
 さて、困ったことが起きました。困ったことばかりで、どこからいいだせばいいのかわかりません。ひとつずつ言いましょう。
 『首羅』ですか? わたしにも思うことは思うことはありますが、今はまだ言葉にはできません。ほかから、はじめます。

 四肢を砕いて無力化した黄金の太子像を見張りながら、師匠はいいます。
 つまり、路覇タッカーさんは四捨五入すればだいたいアルクトゥールス星人なので、あなたは清王朝のダイヤその人である可能性があると。
 だから全身隅々スキャンさせてくれないかと頼む師匠なのでした。

 当然あきれ顔のロハさんとその護衛をする倒萩さんでした。師匠は滔々と語ります。
 そもそも清王朝のダイヤとは清王朝のダイヤルのことであり、言ってしまえば金庫のダイヤル。
 暗号資産「アルクトゥールスビットコイン」の暗号を解くための生体認証キーが地球上にいるアルクトゥールス星人なのである。地球上の中国王朝と紐づけることによって暗号資産を形成したわけだが、価値の低迷によって忘れ去られていた。それがいま高騰したことによって1アルクトゥールスビットコインは五京円に匹敵する。知的生命体が可住可能な地球クラスの惑星を作った上で継続的に維持運営するのに必要なのは千京円なのでアルクトゥールス全体としてはたいした金額ではないが、それでも大金である。地球には報酬として一割の五千兆円がもたらされるだろう。つまり 
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 。なるほど、五千兆円は大金です。三百億円の借金を頭から追い出したとしても、わたしは
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 かもしれません。師匠がいうには五千兆円は個人が所有しても身を持ち崩さずに済む理論上で最大の金額なので、確かに五千兆円は魅力的です。
 物欲と縁が薄そうなヨニヨニさんにも聞いてみたところ。
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 そうなので、五千兆円は人妖の境すら越えるのかもしれません。地獄の沙汰も金次第。身に染みます。
 ちなみにこれだけのやり取りは一部始終師匠の口から語られました。もし一連の流れを文字に起こせば数倍ではきかなかったでしょう。だから五千兆円がほしくなったヨニヨニさんは、今はうんうんうなづくキョン・シーさんと化しています。そしてその一部始終を聞いていた太子像はいいました。

 「そうか、余もその同胞も五千兆円がこの上海の地にもたらされるのならば、いらないのか……」
 と。虚ろになった目のくぼみに影を落として、がっくりうなだれます。
 いわく自分たちは上海市政府が経済指標の数字のノルマをクリアするために無駄な公共事業として各所に設立されたこと。その上で恵まれない人々に富の再分配を行う心ある装置として作られたことを語ります。しかし、その上で自分たちがいることそのものが矛盾であるといいました。

 「いいえ、違いますよ太子像。一芸術家として言います。あなたを造形した方は、確かにあなたが人を思い、きらめくばかりの瞳と異なって心に涙することができる像として作ったのです。確かに行き違いこそはあったものの(ここで倒萩さんはちらりと師匠を見ます)、あなたは間違ってはいなかった。あなたがいつで、どこに生を受けた王子様をモデルにしたかはわかりません。でも、わからなくたっていいじゃないですか。いつか・どこかを目指し、どこにもいないし見つけられない尊いものを探そうと人はみな歩くのですから。だからあなたたちは五千兆円に負けずに、上海の街を、胸を張って立っていてください」

 (ごめんなさい……! 時間が押し迫っていたんです。どうしてもどいてくれなかったんです。) 
 心の中でわたしは太子像にあやまります。しかし、太子像は無言のまま、どこか安堵したような顔でそっと目を閉じます。すると体を構成する金が砂となってさらさらと崩れ落ちていきました。そのまま割れたガラスから風に乗って散っていきます。このことを、仲間に伝えにいくのでしょうか。
 わたしたちは、じっとそれぞれの礼をしたのち、脱出ゲーム会場を後にしようとしました。一歩、一歩、それぞれがいきたい場所を求めて。わたしは歩くことにしました。

 しかし、その時です!
 (ごごごごごごごごごごごご);
 上海を大地震が!? 師匠は急いでわたし、ついでみなを抱え持って天へと羽ばたこうとし、倒萩さんはかたっぱしから周囲の物を溶解させてロハさん共々身を守ろうとします。ヨニヨニさんは、なんか泰然としたまま動きません。と、地震は止みました。
 「ん……おかしいなぁ、何だよ今の揺れ。縦揺れも横揺れもなかった。なんか変な感覚だった」
 特に出番がなかったロハさんですが、師匠がいうにはロハさんこそが五千兆円のカギです。地図を開いてみているロハさんにも聞いてみるべきでしょうか、 
 

 「いや待っておかしいよ!? 上海が変だ!? この街そのものが……」
 地球から切り離された!

 うんと、お互いにうなづきます。しっかりと背につかまるように促されたわたしは一生懸命師匠に背負われると。
 そのまま上空高くにまで飛び上がりました。ああ、ああ、あああ……! なんてこと…………!!
 なんと上海の街はその海ごと地球の軌道上36000kmにまで打ち出されていたのです。

 「そうか、黒幕はわたしたちを逃がすつもりがないらしいね。脱出ゲーム会場がビルひとつで終わるだなんて、気のせいだったんだ。会場はこの上海そのもの」
  師匠が遊んでいたと思いきや、遊ばれていたことにわたしたちはやっと気づいたのです。
  だれかさんのUFOが撃ち落されて、地上へと落ちていきます。(続)
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